ワールド・ワード・デスティネーション

抜井

17

砂浜を離れ歩き始めるとすぐに夕張は質問した。
「限定された集合の中に入ることはできないって言ったわよね。それはどうして?」
僕は黙った。できればこのまま何も言わずに歩き始めたかった。でも、僕にはそれを説明する義務がある。
「僕が、そうすることを拒んでいるからだ。」僕はそう言った。声が震えているのが分かった。
「あなたは、どうしてそれを拒むの?あかりにはきっとあなたを必要とする時が来るわ。あなたがその中に含まれないと言うなら、誰があかりを支えるのよ。」
僕は彼女の顔を見続けることが出来なくて、何回も首を振った。
「僕にはわかるんだ。その集合に入るためには あるもの を捨てなければならないって。だからこそ僕は彼女の元に戻るわけにはいかないんだ。」

「あなたは、いつから気づいていたの?」しばらくして夕張はそう言った。
「熱から覚めた時だよ。あの時に気づいたんだ。ここは、僕がいるべき本当の世界じゃないって。僕のいるべき世界はもっと別の場所にあるんだ。じゃぁ一体ここはどこなんだ?君はそれを知りたくないのか?」
夕張はしばらく靴の先で地面の砂を蹴っていた。
「ここはあなた自身の世界よ。この島だって、海だって、空だって、全てあなたが作り出した幻影よ。あかりがいなくなったときにね。」
「君はそれを知っていたんだろう?」
夕張はその質問に答えなかった。
「ここから先は、僕一人で行こうと思ってるんだ。」と僕は言った。夕張は僕がそう言い出すことをもうわかっていたようだった。
「あかりの限定された集合の中に入るためには、僕はこの世界を捨てなければならない。でも僕には責任があるんだ。この世界を作って、そこに入り込んでしまった責任がね。簡単に投げ捨てて出ていくわけにはいかない。」
遠くで大きな汽笛が鳴った。貨物船が通ったのだろうか、僕たちは顔をあげて海を見たが、そこには船の姿はなかった。ただ一羽だけ鳥が空を飛んでいるだけだった。
「ありがとう。」と夕張は言った。その言葉を聞いた瞬間、僕は泣きだしそうになった。でも泣くわけにはいかなかったから、僕は必至で笑顔を作った。そして僕たちは長い時間抱き合った。
「いつか帰ってくるって約束して。」
「あぁ。きっと帰ってくるよ。」
「帰ったらもう一度私と一緒に居てくれる?」
「呉の喫茶店に、カレーコーヒーを飲みに行くよ。」
彼女が少し微笑むのが分かった。

 半島のはずれまでやってくるとそこに大きなトンネルが口を開けていた。(夕張曰く、それも旧日本軍が作ったものらしかった)
「抜けるのは大変だけど、トンネルを出たらあかりが住む赤レンガの家が見えるわ。」と夕張は説明した。
「最後に、一つだけ、」と僕は言った。
「もし、僕が行ってしまったとしても、絶対に君のことは忘れない。それだけは覚えておいてほしい。」
「絶対に忘れないわ。」
夕張はそう言った。
 僕はもう一度彼女の肩を抱き寄せ、しっかりと彼女の存在を心に刻み込んだ。


 トンネルは雨のせいで底のほうに泥水が溜まっていた。奥に進むにつれて、徐々に音が反響して複雑な響き方をした。少し進んでトンネルがカーブするあたりで僕はもう一度入り口を振り返った。草むらの向こうに夕張が帰っていくのが小さく見えた。






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