ワールド・ワード・デスティネーション

抜井

7

 食事をとった後、僕たちは店を出て川まで歩いた。手を伸ばせば対岸に届くくらい小さな川だ。小さな鉄橋が渡してあるのが見えた。
「あれは何だろう?」
「あの錆びた橋のこと?多分昔日本軍が使ってた構内軌道の跡じゃないかしら?」
僕は感心して橋を眺めた。
 しばらく歩いて呉線の高架下をくぐり、小さな森に入っていった。
「たいくつな街よ。」彼女は吐き捨てるように言った。
「そうかな。」と僕は言った。
「昔から変わらないわ。都会でもないし田舎でもない。大きな店もないし、大きな学校もないし、でも小さな町でもない。小さい頃は足から侵食されて、大きくなるとアーバンピープルとカントリーピープルを行ったり来たりするのよ。そういう感覚ってわかる?」
僕たちは山を少し上って開けた公園のような場所へやってきた。適当なベンチを選んで二人で横に座った。
「わからないさ。僕は田舎で育ったからね。海から山に伸びた卵みたいな町だよ。だれも田舎だとか都会だとかなんて気にしない。気にする必要がないからね。」
「でも呉よりは大きな街よ?」
僕はそういわれて空をにらんでしばらく考え、そういえばそうだったと言った。
「結局そういうところよ。そこそこ大きな街で暮らしてるとね、自分がどういうところに住んでるかなんて気にならないのよ。気にするのは中途半端な人間だけよ。」
「でも呉は広島に近いよ。福山からだと岡山も広島も遠い。」
彼女はしばらく考えて、確かにそうねと言った。





 中学生のころ、僕は乗り放題の切符を買って、来る日も来る日も山陽本線に乗り続けた。朝から晩まで岡山と広島を行ったり来たりするのだ。一日の総乗車距離が600kmを超えることもよくあった。僕は列車の時刻を細かにノートに書き記し、何時間も外の景色を眺め続け、そこで発見したことをまたノートに書きこんだ。そうすることで、いつか世界の成り立ちだとかそんなものが分かるんじゃないか、そう思っていた。
 地球儀で見ればわかることだが、(もちろん地球儀を見なくてもわかることだが)岡山と広島はそれほど離れていない。僕は夏の一か月ほどただひたすら地球上のほぼ一点で微振動していたようなものだ。それで世界の成り立ちが分かるのなら、とっくの昔に世界のあらゆる問題は解決してしまっていることだろう。
 僕は夏が終わるときにそのことに気づいた。結局机の上には激しい数字と意味不明な文字が記されたノートが転がり、財布からはお小遣いのほとんどが消えてなくなってしまっていた。
 良いこともあった。遠くまで出かけるとき、列車の中で眠ってしまってもきっちり駅に着く前に目が覚めるのだ。僕は遠くへ行くとき稀にその便利なタイマーを使うことにしている。おかげで列車で旅をするとき、寝過ごしてしまったことは一度もない。





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