全てを失った少年は失ったものを再び一から手に入れる
25話 兄と妹、それぞれの願い
「お兄ちゃん…」グスッ グスッ
「緋離…って、ちょ、おい」コソコソ
「…」グイグイ
「おい、なにすんだよ、魅鵜瑠」
幻舞をその場から退かせようとしたのか、それとも、ただ単に幻舞に用があっただけか、また復讐を果たそうということか、魅鵜瑠は何も言わずに幻舞の袖を引っ張った
「ふん」プイッ テクテク
「は?なんだったんだ?」
「…まぁいいか、とっとと風呂入ろ」
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「ふぅー、さっぱりした…」
言葉ではそう言っても、浴槽内での幻舞は、ぼーっとただ一点を見つめてずっと何かを考えているようだった、身体を流している時も、幻舞は脳と身体が離れているかのように、身体は元々インプットされた動きをする機械のごとく手を動かしてはいるものの、脳は時々溜息を吐きながらどこか思いつめているようだった
「緋離、いるか?」コンコン
幻舞は居間のドアをノックした、緋離の部屋ではなく、誰もが行き来する部屋をである
これは、幻舞が風呂でずっと考えていたことだが、緋離の意思を尊重し、緋離に気を遣った行為ではなく、泣いている緋離を見て、いや、必死に涙をこらえて、必死に泣いていたことを隠そうとする緋離を見て、それも、自分のせいでそんなになっている緋離を見て、幻舞はどうすればいいかわからなかったため、緋離の姿を見ないようドア越しでの会話をすることにしたのだ
「うん、なに?」フキフキ
幻舞は、携帯にメールが来るか、紙がドアの下から出てくるかのどちらかかと思ったが、普段は、幻舞が耳に魔法を使ってないかどうかを試すときにしか幻舞に声を使って話しかけない緋離が、この時はどちらでもなく普通に話しかけてきたので幻舞は少し驚いた
「風呂上がったから、緋離も冷めないうちに入っちゃえよ」
「うん、ありがと」
それは、たわいもない家族の会話だったが、幻舞に返ってきた緋離の声はとても弱々しく、それは、緋離がさっきまで泣いていたことを象徴していた
それを聞いた幻舞は、泣いている緋離を前に何もできない自分を風呂場で想像した時以上に、とてもやりきれない惨めな気分になった、そして、そんな自分を憎くも思った
その夜、幻舞はその日のことを事細かく振り返っていた、そして、もし緋離以外にも気づかれていたとしたら、特に、料理を作ってくれた千鹿、楓、撫子が気づいていたとしたら、今日の自分の言動を三人はどう思っただろうか、どんなことを考えていたら、いつのまにか夜が明けて、それは、もう今日の出来事ではなくなっていた
「おい、月島 幻舞」コンコン
「…」
「いるんだろ?返事をしろ!」コンコン
(ドアの前に誰かいるな、緋離か?やっぱり俺とは顔を合わせづらいのか…)
緋離との約束で、<魔法破棄>を含む魔力消費量の多い魔法の使用は、家では禁止されているため、幻舞は、魔法や“SOS”ではなく、ただ気配を感じ取っただけである、気配だけで人を特定するには慣れがいる、今まで、索敵を100%魔法に頼っていた幻舞にそんなものがあるはずもなく、案の定、魅鵜瑠を緋離と間違えた
「緋離か?なんか用か?そんなとこに立ってないで入れよ」
「俺は貴様の妹じゃねぇよ!」バンッ
「なんだ、お前か…」
「『お前か』じゃねぇよ!何回もノックしてんのに返事ねぇし、やっとしたと思ったら妹と間違えやがって」
「すまねぇな、俺の部屋はノックしないで入っていいことになってんだよ…で、なんの用だ?」
「貴様の妹に朝飯できたから呼んでこいって言われたんだよ」
「そっか…」
「なにウジウジしてんだよ、気持ち悪いな!なんなら俺の魔法で連れてきてやろうか?」
「あ?」ギロッ
「な、なんだよ、いつもと変わんねぇじゃなねぇか…とにかく、さっさと降りてこいよ」
「あぁ…あとで行く」
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「お兄ちゃん遅いな…」
「おい、月島 緋離、俺は先に行くぞ」
「あれ、今日からなんだ」
「あぁ、やっと、編入手続きが終わったんだよ…」
「ん?なに?」
「お前はなんで俺に対して普通でいられるんだ?」
「魅鵜瑠ちゃんも普通じゃん」
「俺は、別に…」
「緋離はね、お兄ちゃんを信用してるから、かな…だから怯えない、だから疑問に思わない、だから…いや、怒りを覚えないことはないかな、でも、これからずっと一緒に暮らすんだからそんなこと毎日言ってたら疲れちゃうでしょ」
「そっか、でもそれだったら…」
「それだったら?」
「いや、なんでもない」
魅鵜瑠は、
『本当に信用しているなら、今、このような状況にはなってないんじゃないか?』
と思ったが、それを言葉にしてはいけないような気がして、あと一歩のところで留まった
「もしかして
『それならなんで、お兄ちゃんと顔を合わせられないんだよ』
って思ってる?」
「っ!」
魅鵜瑠の思ってることなど、緋離にはバレていたのだ
そして、自分の心を読まれたからか、自分の声真似をされたからか、はたまた両方か、魅鵜瑠は応えることができなかった
「だからだよ…お兄ちゃんを信じてるからこそ緋離は待ってるんだよ」
「お前からはいかないのか?」
「緋離から行かなくてもお兄ちゃんは来るよ、正直これは、確信じゃなくてただの願望、でもこれは、甘えん坊な妹としての願望じゃなくて家族としての願望、今、お兄ちゃんは考えてるんだと思う、どうすれば最善か、どうしたら最悪かを、だから、お兄ちゃんの考えで、最終的に最悪な結果になったことは一度もないの、でも、お兄ちゃんの考える最悪な結果の中に自分の最悪は入ってないの、だから、お兄ちゃんをこのままにしとかないためにこっちから行かなきゃいけないのかもしれないけど、それでも待ちたいの、自分で直して欲しいの、これが、緋離の『家族としての願望』」
「自分のことを顧みない、か…」
「そう、お兄ちゃんは、自分はどうなってもいいから他のより多くの人を助けることを優先するの、それがたとえ、誰からも、一番近くにいた人からも理解されずに自分だけ罵倒されることになったとしても…だから、こっちは一生懸命でもお兄ちゃんを理解してあげなきゃいけないの、いつか直ってくれることを信じながら」
緋離は、幻舞から聞いた自分の過去の過ちを経験則のように、その悔いを含ませながら魅鵜瑠に話した
「妙に説得力のある話だな…でも、それならなおさらこっちから行かなきゃダメだろ、憎たらしい話だが、俺は昔の月島 幻舞の記憶が一つだけある、そして、その中の奴は一人だけ責め立てられてた、なんのためになにをしたかはしらんが、もしそれが自己犠牲の結果だとしたら、奴は昔となにも変わってないことになる、そんな奴が今更自分から変わろうとするわけがないだろ」
「で、でも、もしかしたら…」
「正直悔しいが、外から見てても奴がなにを考えてるかは検討もつかない、だから、待つことも方法の一つとして可能性がないわけじゃないとは思う、でも、昨日のお前らのやりとりを見てて一つわかったことがある、月島 緋離、お前は、奴のためならなんだってするとかバカなことを考えてるだろ」
「当たり前でしょ、今まで、どれだけ自分が迷惑かけてきたかはわからないけど、わからないぐらいいっぱい迷惑をかけてきたのはわかる、お兄ちゃんにこれ以上負担をかけられないもん」
「なら、もし奴がお前に『死ね』って言ったら、お前は奴の言う通り死ぬのか?もし『殺せ』って言われたら、お前は言う通り殺すのか?」
「お兄ちゃんはそんなこと絶対に言わないもん!」
「だろうな、だから、例えばの話だ…それでどうなんだ?」
「そ、それは…」
「答えられないってことは、お前は、それだけの覚悟がないのに口だけは達者なやつってことだ、口で言うだけなら誰だってできる、お前は、一切それを行動で示そうとしない、一回ぐらいアクションを起こしてみたらどうだ?」
「起こしてる、お兄ちゃんを信じてずっと待ってるもん!」
「それはアクションじゃない、ただの逃げだ、ただの甘えだ、お前はずっと、奴に甘え続けてるだけなんだよ、つまり、お前のしてることは奴の負担を減らす行為じゃなく、増やす行為なんだよ」
「でも、緋離はお兄ちゃんと…」
「確かに、奴はお前に全幅の信頼を寄せてるだろうな、でも、それは『下僕や忠犬に対する信頼』じゃない、お前が言うところの『家族に対する信頼』だ、だから奴は、お前が奴に尽くすその癖を直してほしいって、お前が奴に対して願ってるのと同じように、奴もそう願ってると思うぞ」
「なんでそんなことがわかるの?」
(頼まれたなんて言えないし言いたくない…奴の頼みを聞き入れるのは癪だが、居候に間は下手なことできないしな)
「うーん…」
一見すると、正しく言い表すのが困難なために言葉を探しているように見えるが、魅鵜瑠は、ただ嘘を考えているだけだった、しかし、その行為をも芝居だったのだ
「うーん…口で言うのは少し難しいな」
「そう…緋離ももう行こうかな、このままここにいてもお兄ちゃんが降りてこれなさそうだしね…」
「お前が本当にそれでいいのか?」
「いいか悪いかまだわからないから、今日1日だけでも考える時間が欲しいだけ」
「そうだな、これはちゃんと考えた方がいい…じゃあ、俺は先に行くぞ」
「うん、いってらっしゃい」
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「…できればお兄ちゃんの口かr、ううん、これでよしっと…いってきます」
「そろそろか…」
部屋のベッドで横になり、天井とにらめっこをしながらずっと考えていた幻舞は、時計の針が8時を回ろうかとしているところを目で確認し、緋離と会わないように慎重に階段を降りていった、なぜこれほどまでに慎重なのかも理解できないまま、それでも幻舞は、緋離との約束は守りながら緋離と会うことなく居間についた
「すまん、緋離」
幻舞は、居間の机に置いてあった自分の分の朝食を見つけた途端、無意識にそう口が動いた
「ん?なんだこれ、紙?になんか書いてあるな」
『さっき魅鵜瑠ちゃんから説教されたんだけど、あれってお兄ちゃんがなんか言ったんでしょ?
でもね、お兄ちゃんの考えてることを聞けて嬉しかった、ありがと
朝ごはんちゃんと食べてね
いってきます』
その緋離が残した書き置きには、一部、しっかりとは消えてなく元々書いてあった文が読めそうな部分があった、しかし幻舞は、敢えて詮索をしなかった、普段から、一切の疑念を残さない性格の幻舞には珍しい行動だった、そして、その書き置きを読み終わった後に幻舞はもう一度『すまん』と緋離に対して謝意を表した、それは、消された文を読まなくてもある程度理解できてしまう、家族という固い絆で結ばれているが故の言葉だった
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