もう一度だけ、彼方に逢いたい

ゆん。

プロローグ

それは、大正時代の若き男女のお話ー



桜の木の下で、君はいつも待っていた
他愛もない話をして、少し歩いて、また明日とさよならをする
それだけが僕の生きる理由になった



ーー四月七日
今日は、いつもよりはやく来てしまったと思い、少し待つことにした。 

「草汰さん、今日は私よりも早いですね」

後ろから、いつものあの子の優しい声が聞こえて、僕は振り向いた
僕と目を合わせると、ふっと微笑み軽く会釈をした
そのあとは、いつものように、少し話をして、少し歩いて、いつもの場所に戻った

「そうだ…今日は、草汰そうたさんに聞きたいことがあって」

「実は僕も…」

2人は顔を見合わせてもしかしてと声を揃えて呟いた

「それでは、明日は、5時にここで」

「そうですね 木乃きのさんまた明日」

「はい また明日」


ーー四月八日 桜まつり
今日は、昨日とは違って木乃さんのほうが来るのがはやかった

「草汰さんこんばんは」

「こんばんは  木乃さん」

今日の木乃さんは、何故だか、少しだけ、いつもより綺麗だった
しかしそこには恋愛感情はない、ただただ、綺麗だと、そう思った

「ほらほら、遠くを見てないで、行きますよ」

「わぁっ、」

彼女は、いつものように優しく微笑んで、僕の手を引っ張った
その日はいつもよりも特別な一日だった
一日中笑って、屋台に寄って、月明かりに照らされる桜をみた
そして、いつもの場所に戻り、少し話をした
月明かりに照らされる彼女は、また一段と綺麗だった
春の風に吹かれて舞い散る桜も、まるで彼女を囲んでいるかのようにみえた

「今日は、また明日と言う前に、草汰さんに言わなければいけないことがあります」

そう言うと、彼女は少し寂しそうな顔をして俯きながら、僕に話をしてくれた
自分は、"病気であること、そして、もうすぐ死んでしまうこと、本当は僕のことが好きだったこと"
思い返してみれば、彼女の笑う姿は、少しだけ、何かを隠しているようだった
それに気づけなかった僕は、なんて奴なんだろうか
もしかすると、少し彼女に無理をさせてしまっていたのかもしれない
そんなことが頭をよぎった
それから、彼女が言った、"好き"だという言葉が、僕にはまだわからなかった
そんなことを考えているうちに、時間もすぎ、桜まつりも終わりを迎えた

「また明日 草汰さん」

「また、明日…」

この『また明日』も、あと、何回聞けるのだろうかー





それから、数日が過ぎた
彼女の残りの人生が少しでも楽しくなるように、毎日色んなことを考えて、色んな話をして、色んな景色をみた
沢山の時を一緒に過ごすにつれて、"好き"という気持ちが、どんなものなのか、少しだけ分かったような気がした



ーー四月十三日
その日、彼女はいつもの場所には現れなかった
何か用事ができたのか、少し体調が優れなかったのか、そんなことだろうと思い、その日は帰ることにした



ーー四月十四日
その日も、彼女はいつもの場所に現れなかった
昨日と同じような感じだろうと思い、帰ろうとしたところ、向かいから歩いてきた見知らぬ女性に声をかけられた

「あの、何かご用でしょうか…?」
嫌な予感がした
彼女の笑っている姿が頭に浮かんだ
彼女と他愛もない話をして、少し歩いて、色んな景色をみて、そんないつもの様子が頭に浮かんだ
彼女はきっと元気だと思った
いや、そう願いたかった
でもーー

「草汰さん…ですよね 私は、木乃の母です 少し混乱するかもしれませんが、どうか落ち着いて聞いてください 今朝、娘が病で亡くなりました そして今日は、娘が亡くなる前に、私が預かっていた、彼方あなたへの手紙を届けに参りました」

「ありがとうございます…」

少しだけ信じられなかった
たしかに彼女は、自分が病気で、もうすぐ死ぬのだと言った
けれど、十二日に、最後に会った彼女は、そんな雰囲気が全く感じられないほど、元気だった
もしくは、そうみせていたのかもしれない
彼女の母は、いつの日かの彼女と同じように軽く会釈をして、この場を去っていった
彼女の母から受け取った手紙にはこんなことが書いてあった


ーー今、この手紙を読んでいるということは、無事に母に会えたのですね
そして、この手紙を読んでもらえていることが本当に嬉しいです
突然ですが、草汰さん、急に居なくなってしまってごめんなさい
最後に彼方に会いたかったけれど、最後に彼方にもう一度だけ伝えたいことがあったけれど、会いに行くことも、伝えに行くことも出来なくて、ごめんなさい
私は本当に、今までの間、とても楽しかったです
私には小さい頃から居場所なんてものはなく、もちろん話し相手も両親くらいしかいませんでしたから、彼方だけが、私の唯一の友人でした
しかし、約束の桜の木の下で彼方と会って、他愛もない話をして、少しだけ歩いて、また明日とさよならをする、そんな毎日が、私にとってはかけがえのない大切なものになりました
たとえ病気であっても強く生きていこうと思えました
気づいたら彼方のことを好きになっていました

草汰さん、もし、彼方が私のことを好きでいてくれるのなら、私はまた、生まれ変わって彼方に会いにいきます
祖父にもらった前世帰りのできる薬を、瓶に入れていつもの場所に埋めておいたので、それを飲んでください
ただし、それを飲むと、眠りにつくように気を失い、気がついた時には、あやかしとなって、前世帰りしていますので、覚悟を決めてから飲んでください
それから、その薬の効果は10年だけですから、決して、時間があるわけではないと思います…
でも、それは、1つの例を除いての話です

だいぶ長くなってしまいましたが、本当に、私は彼方に出会えてよかった
来世でまた、もう一度、彼方に逢いたいーー

僕は手紙を読み終わってから、何故だか、涙が溢れて止まらなかった
その時、僕は、確信した
この寂しい気持ちが、胸を締め付けるような苦しい気持ちが、恋なのか、と
本当は、僕も"好き"だったのか、と
これほどまでに惹きつける彼女のことを僕は愛していたのだとー

僕は、数日間少し悩んだが、彼女と同じく、居場所のなかった僕にとっては、木乃さんが生きがいだった
両親を幼い頃に亡くし、ずっと1人で生きてきたのだから、死に恐れることなどなかった
ただ、もう一度会えたとして、記憶があるのが自分だけであるということが少し怖かった
歳を取らず、10年の間だけ、あやかしとして生きるというのには、少し勇気がいることだった




ーー四月二十日
彼女がこの世を去ってから、1週間が経った
僕は、意を決して、いつもの場所にいき、彼女の手紙に書かれていた瓶を掘り起こした
僕は、その場でそのまま、瓶の中の薬を飲んだ
薬を飲むと、水の底に沈むような感覚が自分を襲う
遠くで、誰かに呼ばれているような気がした

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