一度きりの人生、大事にしないとっていう言葉が偉大だと気づく頃は結構歳取ってたりする。

ろぼ

人間不信だけど誰かといたいと思うのは自然なことなはず。

私は見た目からか強いと思われることがほとんどで、こいつには何言っても大丈夫だと、冗談にしても傷つくような暴言を吐かれたりする。

ま、暴言を吐かれても、気にしてませんて顔で笑いに変えてしまうか、上回る程の毒を吐くかのどちらかでやり過ごすから、私にも非はあるわけで…。
それでも傷ついてないわけじゃないのです。

以前も書いたと思うが、強いと強がりは違うんだってことをご理解頂きたいと常々思っている。

本当に強い人は、自分に自信があり真っ直ぐ進んで行ける人。
そして、周りに何を言われても堂々と流されず自分のままでいられる人。

…だと思う。
私の持ってないものを持ってる人ってことで、こういう風に考えてみたんだけどね。

私は、自分に自信がなくて人の目がやたら気になって、なのにプライドだけは高く完璧を気取りたいから強く見せようとしているだけで、本当は弱くて臆病で器の小さな人間なんです。


攻撃される前に攻撃する。


これも弱い人間に良くある傾向だと思います。

私に似ている人は、出会い頭に牽制してくる。
おそらく相手も自分に似た匂いを感じているのだろう。
牽制の応戦で、決して仲良くなれない。そして、自分を見ているようでイライラする。
仮に仲良くなれた風だとしても、それは表面上だけで、お互いに心を開くことはほとんどない。

これが逆に強い人は、最初から心の扉をこれでもかというほど全開で近づいてくる。

とても戸惑う。
しかし、羨ましくもある。
疑うことから入る私には、絶対に真似できない芸当だから。

何年もの友達も、本当はどう思ってるんだろうと心の何処かで思ってしまう自分。
実は私のいないところで悪口言ってるんじゃないかと思ってしまう自分。

非常に情けない。
そして、申し訳ない。
さらに虚しい。

家族以外の人を心から信じることが出来なくなったのは、いつ頃からだろう…。
まぁ、信じれる存在がいるだけマシなのかもしれないが。

自分が好意を持てば持つほど不安になるのは当たり前のことだと思う。
でも私の場合、不安というよりは疑いだ…。

分かっていても、どうしても信じきれないのは、やっぱりトラとウマを飼い続けているからなのかな…。
疑いという餌を与えると、どんどん大きく強くなりやがる。
なんてこった…。

そんな私だけど、言葉にしてもらったことだけは信じると決めているのだ。

一緒にいると楽しいよねなんて、ほんのちょっとしたことでも言われたら全力で笑顔にしようと思う。
つい相談しちゃうんだよねなんて、ほんのちょっとでも頼られたら、本気で助けようと思う。
だって、それすらも疑い出したら、誰かといる意味が無くなってしまうから。
つい疑ってしまう人間不信なのに、人間が好きな天邪鬼な私の、ほんの少しの罪滅ぼし。


「私の親友は、あんたしかいないから」


そんな言葉、泣かないわけないわな。


あんただけは疑わずにいられる唯一無二の存在ですよ。
だって、私の親友もあんたしかいませんから。


どうもありがとう…。


1人を信じることが出来れば、多くの人を信じられるようになるのも遠い話じゃないと思う、今日この頃。

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