僕とアリスと白ウサギ

明賀 鈴

第三章:黒い双子の兄弟

 夕陽が斜めに射し込んで路上をオレンジ色に染め上げている。
 このところ陽の出ている時間が段々と長くなってきた。
 そろそろ夏がやってくるのだ……まだ六月中旬だけどね。

 僕は部活帰りの陸と共に帰宅していた。

――背中に二つの視線を感じながら。


「モテモテだなあ、『お姫様』は」
「うーん……」

 陸の言葉に僕はポリポリと頬をかいた。
 確かにモテることは、素直に嬉しいことだ。
 それは決しておごりなどではなく、人間としては至極真っ当な心理だと思う。

 ただ……。

 その『相手』というのがこれまた問題大有りな奴らなのだ。


 僕はちらりと後ろを盗み見た。
 振り返った先には、少し離れた場所からこちらを覗く《白ウサギ》もとい白野 佑兎の姿。
 そして、それより少し離れた電柱から学校一の美少女と称されるコゴウ先輩が食い入るようにこちらを見ていた。

 不審者、確定。

「陸、行こう」

 足早に帰宅路を行く僕に合わせて、陸も小走りでついてきた。

「おーい待てよ、兼人」
「……これ以上耐えられる気がしない」
「まあ、正論だな」
「僕はもう、コゴウ先輩だけでもいっぱいいっぱいなんだよ!」
「そうか。オレはまんざらでもないように見えたけど」
「……もう、勝手にそう言っとけ」
「ウソウソ。冗談だって……お、おい兼人!」

 僕はうつむいたまま、陸を置いてズンズンと歩き始めた。
 陸が声を張り上げ僕の名前を呼んだが、僕は決して振り向こうとしなかった。……のだけれど。

「っおわあ!」

 十字路を右折したところで、僕は突如現れた長身男に正面から衝突していた。
 そこで、僕の視界は完全にブラックアウトした。

 僕の顔は相手の胸板にすっぽり収まっていた。

「おっと……」
「あ、スミマセン」

 慌てて飛びのくと別の声が僕に優しくこう言った。

「大丈夫かい?」

 ハッと顔を上げると、そこには瓜二つの顔が並んでいた。
 二人とも長身で黒いスーツに身を包んでいた。この時間帯だ。仕事帰りだろうか。
 そして二人とも髪を丁寧にポマードで固めていた。何処ぞのお役所にでも勤めていそうなお堅い風貌だ。
 途端僕は怖くなってしまって、身体を大きく折ると、

「大丈夫です。あの、あの……」
「ん?」
「あの、ぶつかって、スミマセンでした!」

 慌てて謝罪の言葉を述べると、一目散に自宅へ駆け込んだのだった。

 翌日、一人置き去りにしてしまった陸からこっぴどく叱られたのは言うまでもない。




「美ヶ原(うつくしがはら)」

 翌朝のホームルームの時間であった。山根が妙にかしこまった感じで僕の名前を呼んだ。
 突然のことだったので、ぼんやりしていた僕は慌てて返事をした――その際、机上についていた右ひじをずるっと滑らせてしまい、ガクンと音を立てて机の上でつんのめる格好となってしまった。
 陸が僕の一つ前の座席で軽く吹き出す。

 ……陸。オマエ、後で覚えておけよ。

「……あの、なんでしょうか山根センセ」
「ああ」
「僕に、何か用ですか」
「ん、そうだな」

 ガリガリと頭をかくだけで、山根は肝心の内容を口にしない。
 なんなんだ、何をもったいつける必要があるんだ。

「美ヶ原。お前に《お客様》だ」

 その言葉に、僕の思考回路は一旦停止した。

「…………はい?」
「何回も言わせるな。一回言えば分かるだろうが」
「僕に、お客様……ですか」
「すでに応接室で待ってるらしい。次の授業は俺の授業だけどな。遅れて来ても遅刻は付けないから。な、行ってこい。応接室でお客様が待ってる」

 ――なんなんだ。はっきり言って、謎以外の何物でもない。
 なんだよ。僕にお客様……? 
 一限目がもう始まるというのに。そんなに急ぎの用事なのだろうか。

 僕はそうした疑問を抱きながらも急かされるようにして教室を出た。何故だか鼓動が変に大きく脈打っている。

 嫌な予感――そう。これは僕の勘だけど。何故だか強い不穏な空気を感じた。

 ……いや、僕の気のせいか。

 気のせい、気のせいだ、と心の中でひたすら唱えながら廊下を歩いていた僕はそうして歩みを止めた。

「失礼しまーす」

 目の前の応接室の扉を開ける。ガラリと開いた扉の向こうから複数の人がこちらを振り向く気配を感じた。
 客人用の革張りのソファに腰掛けてその場に待ち構えていたのは果たして――

 黒服に身を包んだ怪しげな人物であった。

 それは、僕にとって予想だにしない人物の来訪であった。
 思わず身の危険 (いや、命の危険か……)を感じてこのまま引き返そうかとも思ったのだが、この見るからに怪しげな客人たちに微笑まれてこの場から立ち去れるほど強い心を僕は持っていなかった。
 僕は引きつった頬を無理矢理にでも引き上げ、とびっきりの笑顔を浮かべて向かい側の席に腰掛けた。

「……えっと……」

 レースの敷かれたローテーブルの上にはつい先ほど置かれたのであろう湯のみが湯気を立てて並んでいる。応接室の独特な匂いが僕の鼻を刺激する。そこに押し寄せるようにやってくる緊張感。
 日除けのために窓を覆っているブラインドからは僅(わず)かに陽の光が漏れ出ている。
 沈黙を貫いていると、唐突に目の前の黒服スーツ男が軽く咳払いをして言った。

「昨日はごめんね」

 僕はびっくりして思わずぽっかり口を開けた。

「まあぶつかってきたのはそちらの方だがな」
「それでも体格的にもこちらは大型ダンプ、彼は自転車のようなものだよ」
「そうか。それでは謝ろう」
「ごめんね」

 呼応するように隣に座っていたもう一人の黒服も続けて謝罪の言葉を口にする。
 僕はこの二人組を『知って』いる。


 そうだ。――――昨日、帰宅途中でぶつかった人たちだ。

 そこで僕の思考は一気にマイナスの方向に傾いた。
――この人たちが学校に押しかけてきた理由ってもしかして……。
 僕の脳裏に昨日の衝突シーンが蘇る。瞬間、自分の顔から一気に血の気が引いたのを感じた。

「ほ……保険金をふんだくりに来たんなら、そ、そんなお金僕の家には一銭も……」

 震える膝を両手で抑制しながら縮こまっていると、黒服男の一人が堪えていた笑いを吹き出した。

「そんなことはしないよ」
「《美ヶ原 兼人》母子家庭の一人息子。誕生日は11月26日。血液型はA型、小学校以来のあだ名は《姫》」
「可愛いね。お姫様だ」
「…………?!」

 なんでそんなことまで知っているんだ。というか、なんで僕の名前を知っている……?!

「突然だが、君に尋ねたいことがある」
「協力してもらえるかな」

 僕の反応を知ってか知らずか、畳み掛けるようにそう続けた。
 ……何者なんだろう、この人たち。
 僕は不信感から眉を顰(ひそ)めた。
 学校側はよくぞ可愛い生徒にこんな不審者を引き合わせる手筈を整えたものだ。
 恨(うら)むぞ、受付事務員。

「えー……と。その前に。アナタたちは誰、なんですか」

 なるべく相手を刺激しないように気を使ったが、思った以上に直球をぶつけてしまった。僕は半ば上目遣いで目の前の黒服二人を見た。
 歳は両方とも二十代前後といったところか。否(いな)、もしかするともう少し歳をくっているかもしれない。どちらも年齢不詳の見た目をしている。
 そしてその二つの顔は判子を押したようにソックリで……。

「双子……ですか?」


 ポマードで綺麗に固められた髪型に黒い上下スーツ。顔立ちから身長、何から何まで本当にそっくりだ。
 よくよく観察している内に、僕はそっくりな双子を見分けるための違いを見つけた。前髪のわけ目が左右でそれぞれ違った。
 僕にぶつかったと思われる無愛想な男が左分け。言葉尻などからまだ話が通じそうな隣の男が右分け――しかしそれ以外はコピーしたかのように背丈から何から全く同じであった。

 僕がじろじろ見ていたからか、なんなのか、男がため息と共に僕に詫びを入れた。

「これは失敬。私は東堂 夢(とうどう むう)と申します」

 まず僕から見て左側に座っている男が名乗り、次いで、

「私は彼の双子の弟、東堂 累(るい)です」

 隣に座っていたもう一人の男性が軽く会釈(えしゃく)した。
 この時――僕はもう一つこの双子を見分ける方法を見つけた。
 夢(むう)と名乗った前髪左分けの人物は声が低く、累(るい)と名乗った人物は少し高めの声をしている。

 それにしても声の質からため息のつき方、何から何までそっくりだ。
 さすが双子、といったところか。

「あ……どうも。美ヶ原、です」
「まあまあ、そう硬くならずに。もっと気楽にしてくれて構わないよ」

 それでは、是非ともその上から目線な物言いをやめて頂きたいです。

「君もこのあとすぐ授業があるだろう。時間も無いだろうし、単刀直入に聞こう」
「君は《不思議の国》から逃げ出したアリスを知っているかな?」

 それは文字通り単刀直入な物言いであった。

 僕は思わず硬直してしまった。
 今、なんと……?

「どうやらこの近辺に潜(ひそ)んでいるみたいなんだ。君なら心当たりがあるかと思ってこうして君を尋ねたんだがね」
「あの……なんで僕がアリスを知っているって思う、んですかね」
「君はただ知っているか否(いな)かを答えてくれるだけで良い」
「嫌です。もし知っていたとしてもアンタたちには教えるもんか」

 ……そう言いたかったが、どんな目に合わされるか分かったものでは無いので、僕は代わりにこう言った。

「それで……。アナタたちは何者なんですか」

 と、双子の兄の夢(むう)がククッとくぐもった笑い声をたてた。累と顔を見合わせてから、ゆっくりと口を開く。

「我々はね。――《不思議の国》からやって来たんだ」

 僕は既視感を覚えた。
 『不思議の国からやって来たと自称する不審者』。これではまるっきり白ウサギと同じパターンでは無いか……!
 ゴクリと喉(のど)を鳴らして僕は二人を睨みつけた。彼らは白衣の代わりに黒いスーツに身を包んでいた。
 ――うん、見るからに怪しい。

「だからね、美ヶ原くん。アリスに関して教えて欲しいんだ。これは私たちのためでは無くこの国の、いや、全世界のためにも非常に重要なことなんだよ」

 大の大人が突然何を言い出したかと思いきや……!
 僕は目の前の人物に再度不信感を抱(いだ)いていた。

 ――この世に存在しない小説の登場人物の行方(ゆくえ)が、この世界の行く末に関わる、だって?
 いくらなんでもそんなこと、信じろと言うほうが無理だ。妄想にも程があるんじゃないか。
 僕はむしろこの双子の精神状態と今後の行く末を案じた。

 ――――などと先ほどから脳内で毒づいてはいるが、流石(さすが)に面と向かっては言えない。
 かと言って、このまま口を開けば毒づいてしまいそうになるので無理にでも口を固く閉ざしていると、痺(しび)れを切らしたのか夢(むう)が頬を引きつらせながら懐から煙草(たばこ)を取り出した。
 僕は冷たい視線を向ける。

「…………校内は禁煙です、よ」
「……チッ」

 相手の健康も察して心から注意喚起したのだが、舌打ちされた。ような気がした。
 果たして――大の大人がそんなことをするはずが無い。と、信じたい。
 そうして緊張状態に強いられている僕であったが、それを助けるように授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響いたのだった。
 ……助かった、のか?

「美ヶ原くん。本当に心当たり無いかな」

 授業が始まってしまったというのに、相手の詰問は止まなかった。同じ顔にじろじろと見つめられ、妙な気分だ。
 この状況を早くどうにか脱したい僕は、なりふり構わず吐き捨てた。

「心当たりなんて無いですよ。アリスなんて子、この辺りじゃ見たことも聴いたこともないです。本当です」
「…………とかなんとか言って。まさか君が《アリス》だったりしないよね? 《ウツクシガハラ君》」

 ハッ、と顔を上げた。

――僕がアリスだって? この人たちは何を言ってるんだ。

「ぼ、僕は……僕だ」
「失敬失敬。僕は《僕》、ね。随分と哲学的な答えだ」
「……用はそれだけですか」

 早くこの場から立ち去りたい一心で、僕はソファから腰を浮かせた。

「無いのなら、失礼します。もう一限目の授業始まってるんで」
「美ヶ原くん」

 スライド式の扉に手を掛けたところで、累がやんわりとした声で僕を制した。

「こちらも君から無理に情報を引き出そうとは思っていない。ただ、これだけはちゃんと聴いて欲しいんだ」

 僕は「なんですか」と半ば怪訝そうに眉を顰め、声をくぐもらせた。

「白ウサギの言うことを鵜呑(うの)みにしちゃあ、ダメだよ」
「なんだって……?」
「そして、歩く時はきちんと前を向いて歩くんだな」


 僕は無言で席を立った。

 ――なんなんだ、いきなり現れてこの仕打ちは。
 ――なんなんだ、お前たちは本当に何者なんだ?

 頭の中に沢山の疑問符がちらつく。
 それでも僕は、黒服男たちを振り返ることは無かった。むしろ、これ以上関わりを持ちたく無かった。僕は一方的に話を断ち切って応接室を去ったのだった。

 廊下に出ると、途端に身体が震えてきた。ばくばくと心臓が脈打ち、額からは冷や汗が滴り落ちた。
 今更になって緊張が波のように押し寄せてきた。

――ヤバい人たちと関わりを持ってしまった。

 今の状況を短くまとめると、つまりそういう事だろう。
 出来れば関わりたくなかった……。僕は脳内で「関わりたくない人物ランキング」の第三位に先ほどの黒服の双子をランクインさせた。
 ちなみに第二位は白ウサギこと白野 佑兎、栄えある第一位は言わずもがな麗しの古郷 春香センパイである。
 ……ああ、頭が痛い。

 それからの一日はというと、憂鬱な気分で過ごす羽目になった。ちなみに高校二年生である僕は『憂鬱』という漢字が書けない。
 混乱する頭の中を整理する意味も込めて、僕はそっとつぶやいてみた。

「……なんだか厄介なことに巻き込まれた気がする……」

 杞憂に終わってくれたら良いんだけど……。ちなみに高校二年生である僕は『杞憂』という漢字が書けない。


 昼休みになった。
 いつも通り陸を連れて食堂に向かおうとした僕は、そこで「ねえ」と声を掛けられた。

「げっ……」

 思わず声を上げてしまい、慌てて口を塞ぐ。

「こ、ごうセンパイ……」
「アンタ、今『げっ』って言った?」
「えっ……いやいやそんなこと一言も?」
「…………」

 しばらく先輩は僕にしか分からないようにじっとりと僕を睨みつけ、「まあ良いわ」とつぶやいた。

「ところで……アンタ、最近また調子にのってるんじゃない?」
「はあ?!」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。先を歩いていた陸が「何だなんだ?」とこちらへやって来た。

「なっ、なんでそうなるんですかっ」
「うーん。なんとなく?」
「何の根拠も無し、ですか……」

 これでは話にならない。

「……で、それだけですか?」
「何が?」
「僕に用って、それだけですか?」
「用なんてないわよ!」

 相変わらずよく分からない人だ。

「それじゃ先輩。僕今から食堂に行くんで、そこどいて下さい」
「いやよ」
「…………」

 困った。

「じゃあ、こうしたらどうだ?」

 僕の隣で陸が元気よく声を上げた。

「古郷センパイ、オレたちと一緒にご飯食べません?」

 その言葉にコゴウ先輩の顔がひくりと僅かに痙攣したのを、僕は見逃さなかった。
 先輩は髪の毛をさらりと耳にかけると、天使のような微笑みを浮かべて陸に言った。

「ありがとう。だけど私この後先生から呼び出されていてご一緒出来ないのよ。ごめんなさいね……」

 シュンと項垂れて悲劇のヒロインを演じてみせる。
 全く、なんて人だ。

「それじゃあ、ごきげんよう」

 どこぞのお嬢様のごとく優雅な挨拶を述べると、先輩はそのままスカートを翻して校舎内へと姿を消した。
 ホッと胸を撫(な)で下ろしたのもつかの間。僕は新たに前方から鋭い視線を感じた。

 ――ああ、油断していた。

 そういえば僕は他にも《厄介なヤツ》に絡まれていたんだった。

「……オイ。頭隠して知り隠さずだぞ、白ウサギ」
「ハッ…………!」

 数十メートル先の曲がり角から半分顔を覗かせていたのは白野であった。
 顔の半分を占めている(言い過ぎかな……)大きな瞳がこちらをじっと見つめている。

「お久しぶりです。兼人(かねと)サン!」
「久しぶりも何も、今日の朝玄関先でも学校でも会ってるだろ」
「クラスが一緒、自宅もお隣。ですもんね! エヘヘへ」

 校舎の影から現れた白野は、笑顔で僕の元へやってきた。
 彼は学ランの上から相変わらずぶかぶかな白衣を着ていた。引きずって歩いているため裾が黒ずんでいるのだ。
 ――が、それより何より、そんな人の目を引く格好をして先生たちから何も言われないのだろうか……。

「あの、申し訳ないんだけどさ。僕これから食堂でご飯なんだよね」
「お昼ですもんねっ」
「だから後にしてくれないか」
「私もご一緒します!」
「……イヤだ」

 僕は冷たくそう言い放った。途端、白野は拗ねたように唇を尖らせた。

「どうしてですかー。陸さんと一緒に食べるんでしょう。じゃあ私も……!」
「…………」

 全く……。

「……なあ、陸からもなんか言ってやってよ」

 ため息をついて横を向いた僕はそこで陸がいなくなっていることに気がついた。

「あれ? 陸?」

 慌てて周囲を見回し始めた僕に、白野が「ああ」と言って眉を二回ピクピク動かした。

「陸さんなら先ほど、人気の学食カレーが売り切れちまう〜と言って、列に並びに行きましたよ」
「相変わらず勝手な……」
「ここのカレーってそんなに美味しいんですね。私もカレーにしようかなあ」
「勝手にしろ」

 どっと疲れが溜まったような気がして大きなため息をついた。

 肩をすぼめて食堂に入ろうとすると、何故か白野がついてくる。

「…………なんだよ」
「いやあ。カネトさんにくっついていたらアリスが見つかるような気がして」
「なんだよそれ」
「だって……」

 と、白野は僕にググッと近づくやいなや、小さく背伸びをして鼻をひくつかせた。

「微かにアリスの匂いがします」
「は……?!」

 慌てて自分の両腕を代わる代わる嗅いでみるが、別段変わった匂いはしなかった。

「……なんの真似だよ」

 白野は微笑むだけだ。
 その表情に対して、僕は何故か少しも抱いていない良心がちくりと痛んだような気がした。

――きっと、心の迷いだ。

 そんな気持ちを振り払うように僕は更に畳み掛けるように白野を問い詰める。

「それにさ。こないだからアリス、アリスってさ。そもそも、どんな子なんだよ。僕の知ってるアリスは水色のリボンが付いたカチューシャをしてて、水色のワンピースにエプロンつけてるイメージだけど」
「それが、私(ワタシ)もアリスの姿は見たことが無いんです」
「ハイ……?」

「アリスと直接対面したのは女王様だけ、なんですけど。……でもっ! これだけは確実に言えます」

 白野の顔は、妙に誇らしげであった。

「《アリスは完璧》なんです!」
「……じゃあ残念ながら、僕はアリスじゃないね」

 僕は即答していた。そして脳内では黒服に言われた言葉を反芻(はんすう)していた。

『ーーまさか君がアリスだったりしないよね?』

 ――――正直、動揺した。
 《僕》は《僕》でしかないのに、何処かでそれを疑ってしまった自分がいた。

「だって、僕はどう考えても完璧じゃない。つまり、《アリスじゃない》。そう言うことだろ?」
「兼人サン……?」

 白野が怪訝そうに眉を顰(しか)める。

「いきなり何を言い出したかと思ったら……。そもそも誰も兼人サンがアリスだなんて言ってないじゃないですか」

 白野は困惑した表情を浮かべていた。

「まさか、『誰か』に『何か』言われました?」

「何を……って……」

 別に、と、ぼやいた僕だったが、頭の中では否が応でも双子の顔を思い起こしていた。
 黒スーツに身を包み、勝ち誇ったような笑みを浮かべる東堂 夢(むう)と東堂 累(るい)。

 …………一体、なんなんだ?
 彼らは自ら《不思議の国》の住人だと称していた。
 いや、そもそも双子は何で僕なんかにアリスのことを聞いてきたりしたんだ……?
 身内だけでは捜しだせないから他人の手を借りたい、ということなのだろうか。
 しかし、なんで僕に接触を図ってきた……?

 そこまで考えて、僕は、目の前の人物に思わず釘付けになっていた。

――そうだ。


 心当たりがあるじゃないか。



 コイツが《鍵》に違いない。

 白野 佑兎と出会ってから、僕の周りで何か大きな歯車の音を立てて動き出した。
 ――そうだ。コイツのせいに決まってる。
 何でコイツが僕に近づいて来たのかはまだ謎だけれど……。

「結論っ! 白ウサギ、お前が悪いんだ!」

 突然人差し指で差された白野は、驚きのあまり半泣きになった。

「突然大きな声を出さないでください……酷いですよお」
「そもそもさ。なんで僕がアリスのことを知ってると思ったんだよ」

 すると白野は仰(の)け反るように胸を張ると、当然のごとく言ってのけた。

「そんなこと簡単ですっ。長年の勘です」
「勘……?」
「そうです!」

 野生の勘と言うやつだろうか。

「でも安心してください。カネトさんに危害が加わるようなことは、決して起きません」

 そんなこと、当たり前だ。

「これからも隣人同士、クラスメート同士、仲良くしましょう! カネトさん!」
「余計なお世話だ」

 右腕にぶら下がるようにしてしがみついてくる白野を引っぺがしながら、僕は食堂にいる陸の姿を捜すのだった。

 さて――
 そのときの僕は、黒服の忠告などすっかり忘れていた。


『白ウサギの言うことを鵜呑(うの)みにしちゃあ、ダメだよ』

 去り際に双子にかけられた言葉を、僕は寝床に着いてから思い出したのであった。





 丁度その頃、リビングのコンセントに差しっぱなしにしていたケータイ電話が着信を受けて震えていた。

 しかし、僕は気づかない。

 数秒間鳴り続けた着信は、そのまま誰に聞かれることもなく、ぷつりと途絶えた。


【――――Who are you?】

【第三章:黒い双子の兄弟 完】














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