僕とアリスと白ウサギ

明賀 鈴

第二章:現れた白ウサギ


「――ねえキミ、《アリス》を知らないかい?」

 理解不能なことを問われると思わず身構えてしまうのが人の性(さが)ってもんだ。問うてきた当の本人は、まるで気にしていないようであったが。
 しかし、所詮(しょせん)僕も人の子。思わず疑問符を浮かべて聞き返していた。

「あの……《アリス》って?」
「《アリス》です。《不思議の国》の」

 血のように赤く染まった夕焼けの空を背景に、目の前の人物は真剣な表情で僕を直視した。


 一瞬、耳を疑った。

 《アリス》……? 《不思議の国》……? 聞いたことのあるような、無いような……

 そこまで考えてから達した答えに、僕は我ながら呆れ返っていた。


(——馬鹿らしい)

 こんな得体の知れない少年の妄想癖に付き合ってられるか。……否、ぶつかった衝撃で頭のネジが飛んでってしまったのか。
 僕はヒリヒリと痛む顎をさすり、今一度、目の前の人物をよくよく観察してみた。


 僕の胸元に飛び込んできた『彼』は、僕の肩あたりまでの身長であった。僕もそこまで高くない身長ではあるが、彼は僕よりも更に低かった。百五十センチあるか無いか。そのような背丈に、だぼだぼの白衣を着て、彼は出会い頭、こう言ったのであった。

「――ねえキミ、《アリス》を知らないかい?」

 はっきり言って、耳を疑う。否、彼の神経を疑う。

「えーっと、そういうボクは、なんてお名前なのかな?」


 思わず子どもを諭(さと)すような言葉をかけてしまった。
 案の定、彼は少しむくれたようだった。

「私(ワタシ)は、《白ウサギ》です」

 それを聞いて、僕は彼に名前を聞いたことを後悔していた。……たちの悪い人と出会ってしまったようだ。

「し、しろうさぎ……デスか」
「みんなから、そう呼ばれてます」

 《白ウサギ》はそう言うと柔らかなブロンドの髪をくしゃくしゃっとかきあげた。
 緩くウェーブのかかった髪は夕陽に照らされて、ほのかにオレンジがかっていた。


(確かに、小動物っぽい……)

 心の中でそうつぶやいた僕の目の前で、少年は自身の右手を食い入るように見つめていた。握りしめていた金色の懐中時計を覗き込み、次いで声を上げる。

「ああっ、ぼんやりしてたっ……約束の時間だあっ!」

 白ウサギ……懐中時計……
 そして、アリス……


「ぶつかってしまってスミマセンでした、私はこれで失礼します!」

 あたふたと懐中時計を白衣のポケットにしまい、少年は体勢を立て直した。そうして、働かない頭で思案していた僕に向かって、

「またお会いするでしょう……!」


 一体、何の宣言なのか。
 別れ際の挨拶にしては、至極前向きな言葉である。
 そして、まさに文字通り、《白ウサギ》は嵐のごとく去って行ったのであった。


「……ハハ。まさか、ね」

 しばらくして、僕はそのような言葉を吐いていた。
 その場で立ち尽くして、《白ウサギ》が駆けていった方を呆然と見つめる。


 《アリス》
 《白ウサギ》
 《不思議の国》

 『彼』が口にしていた単語を並べて、僕はある1つの結論に達していた。

「これって《不思議の国のアリス》……だよな」

 イギリスの数学者、ルイス=キャロルが書いた名作『不思議の国のアリス』。幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなど様々なキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険する児童向けのファンタジー小説である。

 しかしーー



 それらはあくまで、小説の中のお話である。
 まさか『現実に《アリス》が現れた』などと考えるほど、僕の頭は緩ゆるんじゃいない。

「さっきのは夢だ。夢オチだ」

 『不思議の国のアリス』が絡んでいるだけに、先ほどの少年との出会いを強引に『白昼夢(はくちゅうむ)の出来事である』として片付けた僕は、そうして自宅のアパートに帰宅したのであった。


 まさかその先で、そんな彼と望んでもいない再会を果たすことになるとは、この時の僕は知る由もないーー



「なんで……いるんだよ」
「今日からお世話になります、《白ウサギ》です!」
「新手の勧誘はいいです、サヨナラ」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいってば!」

 呼び鈴が鳴らされ、夕飯作りで手が離せない母親の代わりにドアを開けた僕。その先に待ち構えていたのは、白衣の少年——
 僕は、反射的にそのドアを閉めていた。しかし少年はガンガンとやかましい音を立てて、僕の家のドアを叩く。

「開けてくださいってば! 開けてくださいってば!」


 あまりの騒々しさに、果ては近所迷惑になるだろうと予想した僕は、少ししてから渋々ドアを開けた。
 目の前の少年がホッとした顔つきで僕を見上げている。

「……キミ、僕の夢の住民じゃなかったのね」
「私は《白ウサギ》です!」

 会話になっていない。

「えーっと、じゃあ……なんで僕の家を知ってるの?」
「私の家がここだからです!」
「…………ん?」
「だから、私、この隣に住んでるんです」

 こんな奴がお隣さんだったなんて、僕は存じ上げていない。

「本日、不思議の国から引っ越してきました。よろしくお願い致します」

 ぺこりと頭を下げて、《白ウサギ》はそう言った。そうしてから、彼は手に持っていた白い紙袋を僕に手渡した。

「あの、これっ。この地では挨拶する時にプレゼントを渡すのが礼儀だと」

 紙袋の中を覗くと、駅前の百貨店名が印字された包装紙が目に飛び込んできた。小箱の大きさからして、百貨店内で人気の高い満島屋(みつしまや)の饅頭であることは容易に想像出来た。意外と礼儀は心得ているらしい。

「ああ、どうも……」
「で、質問なんですけど」

 ぐいっと顔を寄せて、《白ウサギ》が僕の目を見つめる。


「《アリス》、知りません?」


「だぁから、知らないって言ってるだろ」
「本当ですか?」
「本当だってば!」
「まさか、アナタの家の中にいるなんてこと……」
「んなこと、あるか!」
「ああ……そんな。女王様に怒られる……」

 つぶやいて、彼はその場にがっくりと膝をついた。よほどショックだったらしい。
 しかし、知らないものは知らないのだ。

「ホラ、他に用が無いんだったら帰った帰った」

 ドアを閉めようと試みて、その場に座り込んでしまった白ウサギがつっかえてドアが閉まらないことに気がつく。
 僕はその場から退いてもらうように頼もうと口を開きかけて、思い直した。目の前の彼が、酷く可哀想に思えてきたのだ。シュンと背中を丸め、ひたすら地面を見つめている。
——話だけでも、聞いてやるか。
 我ながらお人好しだなと、苦笑する。

「なあ《白ウサギ》。その……《アリス》って、何者なんだ」

 途端に、《白ウサギ》は我に返ったようにその場で跳ね起きた。
 目を輝かせて僕を見る。
 その様を目の当たりにした僕は、思わず小動物のようだとつぶやいた。

「スゴイ……なんで知ってるんですか?」
「え? なんでって、そりゃあ……」

 《不思議の国のアリス》といえば、アリスと白ウサギの他に、ハートの女王なる登場人物が存在する。ハートのキングや他のトランプの衛兵を従え、些細なことで激昂して口癖のように「首をはねろ!」という台詞を頻発するかんしゃく持ちなキャラクターである。
 しかしながら、そこまで読書好きでも無い僕が良く不思議の国のアリスの内容について覚えていたなあと、我ながら感心した。

「我らが女王様も、有名ということでしょうか」
「ハハ……じゃあ、まあそういうことで」

ドアを閉めようとした僕を、力づくで押しとどめる《白ウサギ》。

「待ってください。折角なんで、お名前を教えてください」
「……なんでだよ」
「だって、なんて呼んだら良いのか困りますから」


「兼人(かねと)」

 《白ウサギ》の手が、ふ、と緩んだ瞬間、僕はここぞとばかりに思い切ってドアを閉めた。
 心臓がまだ強く波打っている。
 ふう、と息を吐いて、僕はドアを背に玄関先でしゃがみ込んだ。
 母親がリビング奥のキッチンから誰が来たんだと大声で尋ねてきたが、僕は返答するのも何だか躊躇って、そのまま自室に引っ込んだのであった。
 ちなみに、手渡された饅頭は夕食の時に母親と一緒に美味しく戴いた。



「お隣さんが《白ウサギ》だってぇ?」

 わかってた。

「兼人(かねと)ぉ、それ本気で言ってんのかよ」

 分かってたさ。
 そもそも僕は、誰も本気で取り合ってくれだなんて思っちゃいない。求めてもいない。
 ただ、この胸の内を誰かに吐き出したかっただけなんだ。

 翌日の学校で朝練終わりの陸をひっ捕まえた僕は、教室の隅っこで昨日の一連の出来事を包み隠さず話していた。
 もちろん、なんの脚色もせずにだ。
 たとえ、どれだけその内容自体にリアリティーが無くとも。
ーーが、しかし。
 やはり、どれだけ頑張って話しても『隣人が白ウサギ』だなんて夢物語、誰も信じてくれなかった。
 あげく、陸は僕をからかうかのようにこう言ってのけた。

「何者なんだよ、その《白ウサギ》って。やっぱり好きなものはニンジンなのかな」
「もう良いよ、別に。僕もお前に信じてもらえるなんて思っちゃいないよ」

 ため息ーー

 そのまま机に突っ伏した僕は、前の座席に座っていた陸にゴツンと後頭部を一撃された。
 痛ってえ、と頭を抱えたところで、僕は再度ため息をつく。
 教室の入り口付近から耳慣れたあだ名が叫ばれた。

「姫ー、お前に用があるって奴が来てるぞー」
「またか……」

「今度は三組の島田だってよ」
「……誰だ?」

 この時間帯だけでも三度目の呼び出しだ。
 ちなみに一度目は隣の組の女子生徒がクッキーを焼いてきたとかで何故か差し入れをしてくれ、二度目は一緒に写真を撮って欲しいとせがまれた。

ーー今度は何だ。

 疑問符を浮かべながら席を立った僕の背後で、陸がぼやいた。

「まーたですか。モテる男は辛いねえ」
「お前は黙って自習でもしてろって!」
「へーいへい」

 背中越しでも陸がにやけているのが分かる。
 僕は眉をしかめて教室を出た。
 その先の廊下で待っていたのは、島田というーー丸坊主の男子生徒であった。

「あの……僕に何の用が」
「お、お前が《姫》だよな」

 島田という丸坊主の男子生徒は、手にメモ帳らしきものを握りしめて開口一番、僕のあだ名を口にした。

「まあ……そう言われてるけど」
「サインくれ」

 その言葉とともに差し出されたのは、メモ帳とマジックペンであった。
 しかし、なんと言うか、初対面でサインを求めるなんてこと……

「しかもお前、男だよな」

 すると島田は顔を真っ赤にさせて、ぶんぶんと両腕を振った。

「お、俺がサイン欲しいわけじゃねぇよ!」
「じゃあなんなんだよ、コレ」
「俺の彼女が……その、お前のファンみたいでよ。彼女が喜ぶ顔、みたいじゃん……?」

 そんなこと、知るか。

「だから頼む、サインくれ」
「本人が直接きたら良い話じゃないか。それに……男の僕に男のお前がサインを求めるだなんて、変な噂がたつぞ」
「俺も言ったよ! そしたら彼女、《姫》は別だろうって!」

 ……そう言われれば前にも何人かの男子生徒にサインを求められた記憶はあるけども……

「とにかくさ、芸能人でもない僕にサインを求めるだなんて、何の価値もないよ。ホラ、もう朝のホームルームが始まるからクラスに……」

 最後まで、言えなかった。

 世の中に、"目の前で土下座をされて"平然といられる奴が果たして何人いるのだろう。

「頼むよっ……『姫』サマ……! このとーりだ。どうか……!」

 廊下をすれ違う生徒たちがヒソヒソと噂をしながら通り過ぎてゆく。
 なんなんだよ、これは罰ゲームか何かか?!

 この状況下、僕はーー

「で? また濃厚な告白でも受けてきたのかよ」

 教室内に戻ると、陸がにやけながら迎えてくれた。僕はゆっくりと首を振る。

「冗談。島田って、男子だったし」
「ええっ! ついにお前、男からも直接アプローチくるようになったか……! さっすが《姫》サマだな」
「だから冗談キツイって。島田君いわく、自分の彼女のためなんだと」
「へーっ。彼女のためとは言え、男相手に土下座してまでサイン頼み込むなんてな。凄いなあ」
「って、お前……もしかして、もしかしなくてもーー見てただろ」
「え?」
「さっきの僕と島田のやり取り、見てただろって聞いてるんだよ」

「さーて。なんのことかなあ」
「もういいよ……。おまけに、朝からコゴウ先輩にも睨まれるし……」
「えっ。古郷先輩、いたのか!」
「非常用警報ベルの陰にね。全く……なんで皆気づかないんだ」

 図らずとも深いため息が出る。
 と、同時に、周囲が一気に騒がしくなった。
 時計を見ると、時刻は八時三十五分ーーそろそろ朝のホームルームの始まる時間だ。


「皆ぁ、席に着けぇ」

 かったるい声を発して、教室の前のドアから担任の山根が入ってきた。
 相も変わらず寝不足気味かつ気だるそうな表情をしている。
 しかし、かったるい印象とは対照的に、赤ジャージを着用している山根はサッカー部の顧問であり、部員の陸曰く、部活内では結構な熱血教師ぶりを発揮しているらしい。

「まあ顧問が担任なんて、息苦しい以外の何物でも無いもんな」

 前に陸はそう言って笑っていたが、無名のサッカーチームを全国大会に出場させた山根の経歴にはそれなりの誇りと尊敬の念を持っていることだろう。

ーーしっかし、人は見た目によらないとは言うけどさあ……


 窓際の自席で顎に手を当てて山根を傍観していた僕は、頭をガシガシと掻きながら出席をとっている山根に疑心の眼差しを向けていた。

ーーま、僕も人のことは言えないけどね。


 一瞬物思いにふけっていた僕は、前髪で隠れた額にコツンと消しゴムの打撃を受けた。

「痛っ……」

 思わず声を上げると近くの席の数人の生徒が何事かと僕に注目した。
 僕はそれに対して優しく微笑み返し、素早くキッと前の座席の方を向くと、陸が小声で僕の名前を呼びながら前方を指していた。

「なんだよ」

 僕も小さくつぶやき、つられて前を向いてーー

 思わず唖然としてしまった。



「ーーじゃあ、紹介するぞ。白野 佑兎(しろの ゆうと)くんだ」

 眠たそうな山根の声に、教卓の横に立っている生徒がピョコンとお辞儀をした。
 ブレザーに身を包んでいるが、僕はそいつの事を知っていた。
忘れもしない。そいつは……。

「《白ウサギ》っ……!」

 またしても声を上げてしまい、今度はクラス中の注目を浴びることとなってしまった。
 僕の反応に、彼はまんざらでもなさそうに小鼻を膨らませて一言こう言った。

「カネトさん。同じクラスですね!」


ーー夢であって欲しい、と願った,

 だが、いくら目をこすってもいくら頬をつねっても覚めることはなかった。
 だって、現実に起きていることだから。

「ん? どうしたんだ」

 そこで、山根と目があった。

「美ヶ原」

 いつもは興味なさそうな顔をしているのに。
 何故今日に限って瞳の奥がキラキラしているんだ、山根先生。

「お前、白野と知り合いなのか?」
「んなっ……そんなわけ、あるわけないじゃないですか!」
「そうか」

 ……何故少し落胆した?

「白野は今まで外国に住んでいたんだ。日本は久しぶりらしいから、みんな色々と教えてやるよーに」

 ほとんどクラスの生徒に丸投げに近い言葉を放ち、山根は白野 佑兎の肩を軽く叩いた。

「じゃあ、白野の席は美ヶ原の後ろだな」

 ……また、山根と目があった。


 …………まさか。

 気のせいだと、思った。
 クラスの中である意味目立つ方ではあるが、山根が僕に興味を示したことなど、ほとんどなかった。
 先生が生徒に対して無関心となると些(いささ)か問題ではあるが、とにかく、山根は他人に対してそこまで気を配るタイプでは無い、と僕は思う。
 これが、見た目から受ける印象なのか、約三ヶ月共に過ごしてきた中で抱(いだ)いたものなのかーー
 どちらにしろ、僕と山根に深い関わりは無い。生徒と先生以外のナニモノでもない。

 じゃあ、さっきのは僕が自意識過剰なだけ?

 一度目を逸(そ)らして、ゆっくりと前を向いて僕は確信した。
 どうやら、僕の気のせいでは無いようだ。
 山根の目は、バッチリと僕の視線を捉(とら)えていた。

 ……何? 何か僕、変? 何か、変なものでも付いてる?


 …………ある意味で厄介な者に憑かれそうな(いや、すでに憑かれているのか?) 予感はしているのだが……。

 雑念を抱きながらキョロキョロと辺りを見回していたら、挨拶を終えた転校生が僕の真後ろの席に着席した。
 その時、横を通り過ぎる際に彼が呟いたのは、僕の気のせいではないように思う。

「計画通りっ」

 ……空耳だと信じたい。



「まさかあの転校生が《白ウサギ》だったなんてな」
「信じてくれるか?」
「オレは自分の目で見たもんは信じるタチなんだぜ!」
「逆に言うと、自分の目で確認しない限り信じてもらえないと……」
「いいだろ〜、別に。オレは現実主義なんだ」
「よく言うよ……いっつも夢物語を語ってるクセして」

 休み時間。僕と陸は中庭にいた。
 芝生が全面に敷かれている中庭は校内の憩いの場であり、ベンチに噴水、白い石像と、ちょっとした公園のような空間に仕上がっていた。
 しかし今現在、中庭には僕たち以外に生徒の姿は無かった。当たり前だ。
 短い休み時間にわざわざ教室から飛び出して離れた中庭でわざわざ駄弁を弄(ろう)している生徒はそうそういない。
 しかし、これには理由があるわけで……。

「……兼人。お前、あの転校生避けてるだろ」


 陸の言葉に、僕は、もたれ掛かっていた石像に危うく後頭部をぶつけそうになった。

「なっ、何だよ、いきなりっ……」
「図星だな」
「前触れもなく変なこと言うの、止めろよっ……!」

 態勢を立て直しつつ、思いっきり陸を睨みつける。
 陸はその辺に転がっていたサッカーボールを手に取り、まるでいたずらっ子のようにニカッと笑みを浮かべた。

「兼人、後ろ」
「……は?」


 僕の第六感が、振り向いてはダメだと警告を鳴らした。
 振り向いてはダメだ。振り向いたが最後、もう戻れないような気がする。

 だけど……。

 僕は意を決して振り返った。

 その行動が、僕に後悔の念を負わせたのはまぎれも無い事実であった。

「こんなところに居ましたか! カネトさん」

 満面の笑みを浮かべて、《白ウサギ》がそこに立っていた。

「やっと見つけましたよ、カネトさん」
「なんでキミがここにいるんだよ」
「カネトさんを捜しにここまで来たんです」
「そ、うじゃなくって!」

 僕はぶんぶんと首を振って《白ウサギ》を睨みつけた。

「どうして学校にいるのかって聞いてるんだよ」
「……どうしてかって?」

 目をまん丸く見開き、きょとんとした表情で僕を見つめ返す。

「転校してきたからじゃないですか」

 さも当然のように、言う。
 僕は頭を抱えた。
 そんな馬鹿なことがあるか。複数のクラスがある中でたまたま同じクラスになるだなんて、そんな馬鹿な話があるか。
 まるで小説の筋書きをなぞるかのような。……出来すぎている。

「こんなことって……あるのか?」


 そうぼやかずにはいられなかった。《白ウサギ》はニコニコしながら、そんな僕を眺めていた。
 そこへ、少し離れた所で一人リフティングをしていた陸がサッカーボールを抱えてやって来た。

「よっ。ハジメマシテ、だよな」

 ニカッと微笑んで《白ウサギ》に右手を差し出す。

「オレは加賀美 陸。お前は、えーっと……」
「私は白野 佑兎(しろの ゆうと)です。よろしくお願いします!」
「そうだ! ウサギ君! よろしくな」
「えへへへ。嬉しいです」

 白ウサギーーもとい白野 佑兎は少し驚いたように目を見開き、すぐ照れたように陸の手を握り返した。

 ぐっ、と陸の手を強く握りしめぶんぶんと大きく腕を振る。

「加賀美さん、ですね!」
「陸で良いよ」
「陸さん! えへへ、照れますね」

 そう言いながら満面の笑みで僕の方を振り向いた。

 ……だから、僕になんだって……。

「そういった訳で、アリス捜しに行きますよ! カネトさん!」
「だから何でそうなるんだ!」

 話に脈絡が無い。

「この学校にアリスがいる気がするんですよ。だからカネトさん、今日から本格的にアリス捜しを……!」
「ちょ、ちょっと待ってくれってば」
「なんですかあ……」

 少し不満そうな声を上げて、白野は僕を見つめた。

 僕は声を荒げて抵抗する。

「そもそも、僕は手伝うだなんて一言も言ってないっ!」
「ええ。私が勝手に決めましたもん」
「初対面から自分勝手すぎるだろ!」
「何を言ってるんですかあ。一つ屋根の下で暮らす仲じゃないですか」
「誤解を生むような発言はヤメろ!」
「べっつに、良いんじゃないか?」
「って、陸!」
「アリス捜しってなんだそれ。ゲームか何かか? なんか楽しそうだな」

 つま先でサッカーボールを蹴り上げ、陸が弾んだ声でそう言った。

 ……余計なことを……。

「陸さん、協力してくれるんですか?!」

 ほら見ろ、白ウサギの奴……。まるで本物のウサギのようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「陸さんが協力して下さるんです。とーぜん、カネトさんも協力して下さいますよね!」

 もはやその口調は協力することを暗に強要しているようにも思えた。それほど白野は強い語気でもって僕にそう問いかけてきたのだった。

「…………分かったよ」

 仕方がない。
 僕はこくりと頷いていた。

「アリス捜しに協力するよ」
「さっすがカネトさん! そう言っていただけると思ってましたよ!」

 白野の声が頭の奥にジリリと響く。
 何故だか嫌な予感がして僕は深く息を吸い込んだ……その時であった。

 キーンコーンカーンコーン……

 授業開始のチャイムが鳴り響いた。
 慌てて中庭から教室まで全力ダッシュをする羽目になってしまった僕たちは、ひいひい悲鳴を上げながらもなんとか教室に辿り着いたのであった。

 ――そんな僕たちの姿を校外から静かに見つめる人影が二つ存在していたことを。僕も白野もまだ気がついてはいない……。


【第二章:現れた白ウサギ 完】

































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