それは秋の風のように

彩虹

終幕

事件は、レッド・バタフライの事には触れずに報道された。木本氏のドリーム号は海に沈んでしまった。しかし、さすが財閥。スタッフと乗客の損害を払い戻しできるほどの資産があるらしく、順番に支払われたそうだ。私は丁重にお断りした。奥田はすぐにつかまったものの、移送中に脱走。行方をくらませてしまった。事件直後に奥田から一通のメールが届いていた。内容は、レッド・バタフライのスパイはジョセフではなく、トーマスであるという情報だった。それが真実か分からないが、トーマスの口ぶりからも信用できる情報だと思っている。
榊原さんといえば、出血量が多かった割に傷は浅かったそう。麻酔は切れているが、手術後から3日経つ今も眠り続けている。
「榊原さん…」
大きな手に自分の手を重ねる。自分はこんなにも榊原さんのことを好きになってしまった。でも、榊原さんには気になる人がいる。榊原さんのためにもその相手の方のためにも、榊原さんが目覚めたらフランスに引き上げようと思っていた。目覚めてほしいような、目覚めてほしくないような気持ちだった。


霧が晴れるような感覚で目を覚ます。
(病院か…?生きてる、のか?)
徐々に感覚が戻り、傷の痛みが生きていることを実感させた。
「…!」
ゆっくり首を動かすと、桜木が僕の手を握ったままベッドに伏せて寝ていた。
「桜木…」
首から三角巾を下げているようだった。すると、廊下から声がした。
『失礼しまーす』
入って来たのは、咲さん、由希子さんと蓮君だった。
「中村さん、目が覚めたんですね!」
「たった今ですけどね」
「あ、美咲さん……」
「寝かせておいてあげてください」
「愛ですね!美咲さん、ずっと付いてたみたいですから」
「ずっと…僕はどれくらい眠ってたんでしょう?」
すると蓮君が答えた。
「3日ですよ」
「そうですか…」
3日間ずっと付いててくれたことに嬉しくなった。
「あ、先生呼んできましょうか?」
「いえ、もう少しこのままで」
「ラブラブで良いですね!それなら私達、これで失礼しますね」
「来てくださってありがとうございます。…あ、蓮君」
「はい?」
「少し良いですか?」
「あ、はい」
「じゃ、私達ロビーにいるね」
「あぁ」
その時、桜木が目を覚ました。
「おはよう」
「!!」
桜木は僕を見るとギュッと手を握った。
「榊原さん…良かった…」
「美咲さん…」
「っ!?」
桜木が心底驚いたように振り返った。
「れ、蓮君?!」

蓮君が申し訳なさそうに立っていた。
「桜木、蓮君には話すんだろう?」
榊原さんの言葉に私は、頷いて蓮君に椅子を出した。


「…ICPO…って…」
「インターポールと言った方がいいかしら」
私はICカードを見せた。
「インターポール!?」
「…の、桜木ほのかです」
「僕は警視庁警備局公安の榊原愁」
「こ、公安!?」
「私は今回船を占拠した犯人を追って日本に来て、一時的に公安に所属しているの」
「いや、なんかすみません…ドラマみたいで付いていけません…」
榊原さんと顔を合わせると、榊原さんが言った。
「僕らの仕事は本名がバレるのが一番厄介なんだ。蓮君の中で留めておいてほしい」
「それは大丈夫ですけど…」
「怖い思いさせてしまってごめんなさい」
「いや、それも大丈夫です…」
フワフワしたままの蓮君を帰すと、病室で二人きりになる。
「肩の傷はどうだ?」
「榊原さんの傷に比べたら、なんともありません。庇ってくださってありがとうございました」
頭を下げると榊原さんが言った。
「僕がしたくてしたことだ。気にしなくていい」
「本当に良かったです…」
「僕もまた桜木の顔が見られて、安心したな…」
榊原さんは眠いのか、目を細めた。
「少し休んだ方がいいですよ」
布団を掛けなおすと、フッと笑って眠ってしまった。
「…」
規則正しい寝息をたてる榊原さんを見つめ、小声で言う。
「…榊原さん、好きです…」
それから、静かに病室を出た。

「………」
(今のは、夢か…?)
桜木の背中をかすかに捉え、引き止めたいのに睡魔に勝てずに眠ってしまった。


翌日から歩行許可がおり、普通に歩けるようになっていたが、あれから1週間、桜木は報告に忙しいのか、姿を現さない。加賀島さんから事件の事を聞き、真相を話してから、僕と桜木の事情を話すと最初は驚いていたが、納得したように頷いた。
「桜木は事務所に顔を出していますか?」
「いや、俺はあの事件以来会っていなくてね。君の代わりに報告する事がたくさんあるんじゃないのかい?」
「そうかもしれませんね」
「彼女のためにも早く治すことだな」
「はい」


「あ、あれ?」
「どうしたの?」
立ち止まった蓮に咲が聞く。
「あれ、美咲さんじゃないか?」
「本当だね。あんなに大きいスーツケース持ってどこ行くんだろ…?」
「病院に泊まるためとか?」
「それだったら反対方向じゃない」
「そうだな…」
疑問に思いつつもタクシーに乗り込む桜木に声をかけずに二人は病院に向かった。


「…え?」
「え?中村さんも知らないのか…」
(スーツケース…?まさか…)
僕は西田にメールをした。すると、すぐに電話が来た。
「西田?」
『恐らく空港じゃないでしょうか?』
「空港?」
『榊原さん、聞いておられないんですか?彼女、フランスにまた戻るそうですよ?』
「!…悪い、助かった」
電話を切ると、ベッドから降りる。
「中村さん?」
「悪い、急用ができた」
「美咲さん…ですよね?車手配しますよ」
蓮君がすぐに自家用車を呼んでくれた。
「助かる」
すぐに着替えをすませると、三人で空港へ向かった。
(間に合ってくれ…)


「…」
船の中で撮った写真を見る。
(もう少し、側にいたかったな…)
でも、もう私はフランスに戻ると決めた。榊原さんの事を忘れるために。
『フランス、パリ行きにご搭乗の方は搭乗ゲートまでお進みくださいませ』
アナウンスが流れたので、私は椅子から立ち上がって歩き出した。
(さようなら、榊原さん…)
そう心の中で呟いた時。
ーーーガバッ…
「!?」
後ろから誰かに抱きしめられた。
「…はぁ、はぁ……」
私を抱きしめる力強い腕は、忘れたくても忘れられない、榊原さんだ。
「な、ん…で…」
私は固まったまま動けなかった。
「僕に、黙って…行くなんて…許さない」
こんなに息切れしている榊原さんは初めてだ。
「どうして急にフランスに戻ることになった?本部とは僕を通して人事異動があるはずだ」
「…き、緊急の用があったので…」
とっさについた嘘はきっと榊原さんにはすぐにバレてしまう。
「緊急の用とは?」
「それは……」
「本当の理由を言うまで離さない」
榊原さんは私を抱きしめる腕に力を入れた。
「…っ」
私は良い理由が浮かばず、言ってしまおうと口を開いた。

桜木がポツリと言った。
「…だからです…」
「ん?」
「榊原さんを好きになってしまったからです!」
「!」
そう言った桜木は耳まで真っ赤だった。
「ちょっと待った。何で僕の事が好きだとフランスに行くのかな?」
「榊原さんには気になる人がいるって言ってたじゃないですか」
そういえば前にそうやってごまかした事があったか。
「私は…榊原さんとその人を素直に応援できません。榊原さんの隣に誰か別の人がいるのも見たくありません…。祝福できる余裕がありません…」
「…」
「だから…いっそ、見ることもないところへ行ってしまおうと…」
桜木にはあの時言った言葉は聞こえていなかったようだ。
「桜木」
下を向く桜木をこちらに向かせると言った。
「僕は君が好きなんだ、ほのか」
「……………ぇ?」
今にも泣きそうな目がこちらを見た。
「好きだ、と言ったんだ」
「………っ!!?」
「本当はあの時、言ったんだけど」
「あの、時…?」
「撃たれて西田達が来る前に」
「…すみません、聞き取れませんでした…」
ほのかはまた下を向いた。
「それで?僕達は両想いなわけだけど、フランスに戻る?」
「…っ」
顔を赤くするほのかを抱きしめた。
「行かせないけどね」
「榊原さん…」
「愁だよ。…僕の側にいてくれないか?」
「…はい。側にいさせてください」
桜木が三角巾をしていない左腕を僕の首に回した。
「もう後戻りはできないからな。一生かけて僕を夢中にさせた責任を取ってもらうよ」
「責任、ですか…」
ほのかが遠慮がちに左手を僕の肩に置いた。
「…痛……っ」
わざとらしくその場にしゃがみこむ。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて僕を支えようとするほのかを抱きしめた。
「榊原さん?」
「愁」
「け、怪我は大丈夫ですか?」
「…」
「あ、あの…注目されてます、私たち…」
なかなか名前を呼んでくれないほのかに意地悪をしてみた。
「名前を呼んでくれるまで離さない」
「な…まえ、ですか…?」
ほのかは恥ずかしがりながらも小声で「愁さん」と言ってくれた。それが妙に心地よくて嬉しかったから、ほのかの唇を塞いだ。


「中村さん、足速すぎ…って、しかも人だかりすごいな、なんかあったのか…」
「れ、蓮…」
「咲、大丈夫?」
「だ、大丈夫…」
膝に手をついて呼吸を整える咲の視線が二人を捉えた。
「あ!美咲さん!…と、中村さん!」
「え?」
「あの人だかりの向こう…」
「マジで?」
二人は人だかりの中に入って行く。
『何々ドラマ?』
『なんかの撮影?』
『あの人イケメンじゃない?』
『あの女の人も美人!』
(二人、何やってんだ?)
そう思いながら人だかりを抜けた時。
「「!!」」
二人は熱いキスを交わしていた。人だかりからは冷やかしの声と拍手が起こっていた。
「よ、良かった…ね?」
「あ、うん…そう、だね…」
蓮は複雑な気持ちだった。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品