それは秋の風のように

彩虹

監視

ドレス選びから部屋に戻ると、船内放送が流れた。
『ご乗船の皆様、お待たせいたしました。当船は10分後に出航致します。ご乗船のまま、今しばらくお待ちくださいませ』
私は、先ほどもらった写真を見ていた。
(好き、か…)
テラスでくつろぐ榊原さんを見る。
(榊原さんの気になる人が私だったらいいのに…)
あり得ない願望は口には出さず、そっと胸にしまった。


パーティーの時間になったので会場に向かうと、ザッと200人程はいた。
「多いですね…」
人混みは苦手な方なので、歩調が緩む。
「適当に食べたら部屋に戻りましょう。僕も人混みは得意な方じゃないので」
「はい」
恐らく気遣ってくれたのだろう。すると会場が暗くなり、ステージに船長が立って挨拶を始めた。

船長の挨拶が終わると、紹介の後、左腕に包帯を巻いた蓮君がステージに立った。客がにわかにザワつく。
「ちょっと、すみません…」
(桜木?)
人をかき分けてステージ脇に向かう桜木を追いかけた。
『皆さま、大変申し訳ありません。先ほど私の不注意でこのように怪我をしてしまい、ヴァイオリンを披露する事が出来なくなってしまいました』
同情の声が上がるが、それ以上に批判的な声も聞こえてきた。
『怖くなったんじゃないのか?』
『所詮は高校生よね』
『怪我も本当かどうか…』
すると、桜木がステージに向かった。
(何をするつもりだ?)
「美咲さん…?」
咲さんも不安な様子で見ている。桜木は蓮君と何かを話すと、蓮君は咲さんに自分のヴァイオリンを持って来させた。そして、桜木にヴァイオリンを手渡すと蓮君はステージを降りた。
「蓮君、どういうことです?」
「俺にもさっぱりです…ただヴァイオリンを貸してほしいと言われて」
客が桜木に注目すると、桜木は一度チラリと僕の方を見るとヴァイオリンを構えて弾き始めた。
「!」
柔らかい音色は会場の熱を冷まし、ヴァイオリンの音が静かに響き渡った。
「この弾き方は…」
蓮君が呟いた。
「やっぱり…杉原ほのかさんだ」
「!?」
なぜ蓮君が桜木の本名を知っているのか。すると咲さんが言った。
「蓮がずっとファンだった、海外で2年間しか活動してなかったヴァイオリニスト?」
「そうだよ!ヴァイオリニストの間ではかなり有名なんだ。…最初に会った時にどこかで見たことあると思ったんだ…」
(桜木がヴァイオリニスト…?)
いつのまにか会場の客は桜木が弾くヴァイオリンに聴き惚れていた。
「すごい…会えるなんて…」
演奏が終わると盛大な拍手に包まれた。
『皆様、蓮君の演奏には及びませんが、私の演奏でおおさめください』
桜木は拍手に包まれながらステージを降りた。

ステージを降りると、蓮君がこちらにきた。
「美咲さん!いえ、杉原ほのかさん!!」
「!」
「ずっとファンだったんです!!」
「え?」
蓮君が真っ直ぐにこちらを見て言うので、私は静かに言った。
「私は美咲圭ですよ。どなたかとお間違いでは?ヴァイオリン、ありがとうございました」
私は蓮君にヴァイオリンを返した。
「いや、隠さなくても…」
「何のことですか?その、杉原さんと似てますか?ヴァイオリニストに似てるなんて光栄です。…腕、お大事にしてくださいね」
すると、榊原さんが助け舟を出してくれ、私の手を取った。
「行きましょうか」
「はい。失礼します」
そのまま暗闇に紛れて会場を出た。
「美咲さんがヴァイオリニストだったとは知りませんでしたよ」
榊原さんが柵に寄りかかりながらこちらを見た。
「イギリスにいた2年だけです。私にとっては現実逃避でした。それがたまたま潜入捜査で音楽大学に入った時に、ある教授が推してくださって…。おかげで捜査もやりやすくなって良かったんですけど…」
「なぜ蓮君に隠すんですか?」
「危険に巻き込むあらゆる可能性を排除しなくてはなりません。ヴァイオリニストであれば、いずれは海外へも行くでしょうから…」
「では、最初からステージに立たなければ良かったのでは?」
榊原さんは痛いところをついてくる。
「そうですね…。でも、許せなかったんです。…怪我で弾きたいのに弾けない子の気持ちはどんなに辛いことか…」
「…お疲れ様でした」
榊原さんがフッと笑ったのでホッとした。
ーーーブブッブブッ…
「あ、すみません」
「どうぞ」
携帯電話の画面を見ると、非通知だった。
「…はい」
『なぜお前が船に乗っている?』
フランス語だった。
「!」
『邪魔するなと言ったたろう』
「…レッド・バタフライのメンバーがこの船に乗ってるの?」
『約束を守らなかったのはそっちだ。こいつの命の保証はない』
「ま、待って!知らなかったの!私の日本の知り合いが招待してくれてその招待に応じただけよ!」

電話に出た桜木は何か必死な様子でフランス語を話している。
ーーーバンッ!!
電話口から銃声のようなものが聞こえたと思うと、桜木が誰かの名前を叫んだ。
「ジョセフ!!」
それからすぐに電話が切れた。
「何があった?」
「…レッド・バタフライのメンバーがこの船に乗ってます」
「!」
「私を監視しているメンバーが知らせたんでしょう…ジョセフが…上司が……」
「撃たれたのか…」
レッド・バタフライはこの船で何をしようとしているのか。
「とりあえず、会場に戻りましょう。人混みにいれば怪しまれずに済む」
桜木を連れて会場に戻った。
「とりあえず何か食べておきましょうか」
会場ではすでに生演奏が披露されていて、立食パーティーとなっていた。

ジョセフの事が気になってあまり食事は喉を通らなかった。
「私、飲み物をいただいて…」
「美咲さん!」
「!」
榊原さんが私を抱き寄せた。
「お客様!大変失礼致しました!」
「い、いえ…」
榊原さんは、ドリンクを運んでいたボーイさんにぶつかりそうになった私を助けてくれた。
「お飲み物はいかがですか?」
「…」
そのボーイさんから異様な雰囲気を感じて警戒する。
「美咲さん?」
「あ、はい。いただきます」
(榊原さんは感じないんだろうか…)
それぞれシャンパングラスを受け取ると、私はお辞儀をして去って行くボーイの後ろ姿を見ていた。
「…」
(あの人、どこかで…)
「美咲さん」
「!」
榊原さんが私の顔を覗き込んでいた。
「飲まないんですか?」
「…いただきます」
私はグラスに口をつけた。
「さっきのボーイ、気になるんですか?」
「そうで…っ!?」
急に心臓が大きく揺さぶられ、体の力が抜けてグラスを落とす。
ーーーパリンッ!
「美咲さん?」
「中村さんは、飲まないで…」
ーーーパリンッ…
榊原さんが持っているグラスを払ったところで意識が途切れた。

「美咲さん!!」
倒れこむ寸前のところで抱きとめる。するとすぐにボーイが飛んできた。
「お客様、どうなさいましたか!」
「医者を呼んでください」
「わ、分かりました!」
桜木の呼吸や脈、体温を確認しながらもう一人のボーイに言う。
「それから、その飲み物は他の客に出さないでください。割れたグラスは手袋をつけて回収して捨てずに取っておいてください」
「は、はい!」
すると、医者を呼びに行ったボーイが医者とこちらに来た。
「失礼します」
医者が桜木を診ると言った。
「ここでは分かりませんね。医務室へ」
「はい」
自分のジャケットを被せ桜木を抱き上げると、医者と医務室へ向かった。


「…麻痺症状を起こしているのは確かですね。しかし、神経系の毒か何かでしょうが原因は…それが分からない以上、明確な処置はできません」
「…そうですか」
神経系の毒。虫か植物か。レッド・バタフライが使いそうなものはたくさんある。仕事を邪魔されたくない故に桜木を足止めしたのだろう。
ーーーコンコン
「はい」
入ってきたのは加賀島さん達だった。
「美咲さんの具合どうですか?」
「えぇ、まだなんとも…」
すると医者が言った。
「しかし、こんな状態なのに、脈も先ほど診た時より安定してますし、呼吸の乱れも体温の変化もありません。毒が少量だったのかもしれませんね」
「毒なんて…中村君、心当たりはないのか?」
「そうですね…」
ここで加賀島さんがレッド・バタフライにたどり着いてしまったら、彼らにまで危険が及ぶ。桜木もそれは望んでいないだろう。
「ちょっと…混乱してて思い出せませんね…」
「そうよ、お父さん。大事な人が目の前で倒れたらそれどころじゃないよ」
「だがな、助手と言えど探偵の端くれなんだから…」
「もういいから!…中村さん、美咲さんが目覚めたらまた来ますね」
「ありがとうございます。彼女も喜びます」
二人が出て行くと、医者が言った。
「もう少し調べて来ますので、何か変化があったらすぐに呼んでください。奥の部屋にいますので」
「分かりました」
桜木が眠るベッドの横にある椅子に座る。
『中村さんは、飲まないで…』
桜木には、シャンパンを飲んだ瞬間毒入りだと分かったようだった。
「…っ」
「美咲さん!?」
桜木が目を覚ました。
「中村さん…無事ですか…?」
「それは僕のセリフですよ。僕はなんとも。美咲さんのおかげで飲まずにすみましたからね。気分は?」
「…良いとは言えないですね。でも、もう少し休めば回復すると思います。…毒には慣らされているので…」
「慣らされている…?」
「ブラックホールに入った時から、あらゆる毒を少しずつ飲んで慣らしてあるんです」
「…」
笑いながら言うが、相当苦しかっただろう。ヘタしたら死んでいたかもしれないのだから。
「あの味は…多分サソリか蜂の毒です」
「分かるんですか?」
「無味無臭でも、訓練すると分かるようになるんです…」
「…」
桜木は今までどんな過酷な生活をしてきたのだろうか。僕が知っているのはまだほんの一部でしかないのだろう。
「先生を呼んできます」

榊原さんが奥の部屋に先生を呼びに行くと起き上がった。まだめまいが残っているが、これくらいなら後1時間程で回復するだろう。
(あのボーイさん…)
必死に記憶を辿るがめまいに阻まれて思い出せない。
「まだ起き上がっては…」
お医者様がこちらにきた。一通り診ると言った。
「驚いた…明らかに症状が出ていたのに…。もう正常です」
「ご迷惑をお掛けしました。部屋に戻ってもよろしいでしょうか」
「え?あ、えぇ。ですが、念のため今日は安静に。明日またこちらに来てください」
「分かりました」
私は榊原さんに支えられてベッドを降りると、お医者様に再びお礼を言って医務室を後にした。
「…美咲さん」
めまいで足元がおぼつかない私に、榊原さんが強行手段に出た。
「失礼します、よ」
「っ!」
榊原さんは私を抱き上げた。
「や、私、歩けますから!」
「フラフラじゃないですか。そんな状態で歩かせるわけにはいきませんよ。大人しくしていてください」
私は襲って来ためまいで抵抗できずに頷くしかなかった。
「お願いします…」
やはり、榊原さんの近くは心地よくて私はいつの間にか榊原さんに体を預けて寝てしまった。

(全く…)
桜木の「大丈夫」は大丈夫じゃないと知っている。こうでもしないと、何でも自分でやろうとしてしまう。今は僕の腕の中で眠る桜木に安心していた。そして、願わずにはいられない。桜木の好きな人が僕であるようにと。
(必ず…)
桜木を苦しめる脅威を見つけ出す。レッド・バタフライもブラックホールも潰してやる。

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