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それは秋の風のように

彩虹

仲間

翌日の昼前、私はフルールに来ていた。日曜日ということもあって一昨日来た時より人が多くほぼ満席だった。
「すみません、中村君今買い出し行ってもらっちゃってて。もう少ししたら帰ると思うので」
店員の女性(水島百合みずしまゆりさんというらしい)がおしぼりと水を置きながら言った。
「大丈夫です。紅茶お願いしてもいいですか?」
「かしこまりました」
カウンターで紅茶を待っていると、中村さんが帰ってきた。
「美咲さん!…やっぱりいらしてましたか。すみません」
「いえ、いま来たところです」
すると、中村さんがポケットからハンカチを出した。
「こちらでお間違い無いですか?」
私は受け取って確認する。
「はい。間違いありません!本当にありがとうございました」
「いいえ」
私もクリーニングに出したジャケットを差し出す。
「ジャケットもありがとうございました。クリーニングに出しましたので」
「え、それは…ありがとうございます」
すると、水島さんが紅茶を持ってきた。そして、私の耳元で言った。
「気をつけてくださいね、中村君すごくモテますから」
「…ふふ、大丈夫ですよ。水島さんの彼を取ろうなんて思ってません」
「え?」
「…え?」
「何言ってるんですか!!」
水島さんがこちらに身を乗り出して言った。
「縁起でもないこと言わないでください!私と中村君は一従業員です!断じてそんなことはないので!!ね!中村君!!」
「あ、えぇ…」
「それは失礼しました」
水島さんがそこまで言うなら彼には相当なファンがいるのだろう。
「そういえば美咲さん」
「はい」
「その…」
中村さんが何かを言いかけたところでお客さんが入ってきた。
ーーーカランカラン…
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ…加賀島さん」
「なんだ、今日は混んでるな」
「そりゃ日曜日だもの」
入ってきたのは五十代くらいのスーツを着た男性と、高校生くらいの女の子だった。
「すみません、お隣よろしいですか?」
水島さんに言われ、頷く。
「はい、どうぞ」
「どうもすみませんな…!!」
スーツを着た男性は私と目が合うと、キリッと表情を変え私の手を取った。
「私、加賀島光秀と申します。日曜のひととき、あなたのような美しい女性に会えるとは…」
「んもう!お父さん!!」
高校生くらいの女の子が加賀島さんを引き離しながら言った。
「娘の!咲です!」
「美咲圭です」

食事を注文し終えた咲さんが彼女に言った。
「美咲さん、珍しいですね。失礼ですけど、若い女性ってもっと駅前のお洒落な店とか行くと思ってました」
「ふふ、私はこういう落ち着いた雰囲気のお店好きなんです。最近帰国したばかりで、ホテル周辺しか知らないのもあるんですけど」
「帰国って、海外にいたんですか?」
「えぇ。5年くらい」
「どこに行ってたんですか?」
「フランスとイギリスです」
「!」
やはり彼女は。詳しい話は明日の着任の挨拶で聞くことにしよう。
「素敵ですね」
彼女はそれ以上の詮索を避けるためか話題を変えた。
「そういえば、咲さんはこの辺りは詳しいですか?」
「あ、はい。一応は」
「良かったら今度案内してください」
「はい、ぜひ!」
「私、サンセットホテルにいるので、遊びに来てくださいね」
「はい!」
「加賀島さん、お先に失礼します」
「あ、えぇ。また」
「水島さん、中村さん。ごちそうさまでした」
「「ありがとうございました」」
帰り際、彼女を外まで見送る。

「なんだ?中村のヤツ、外まで見送って…」
そう呟いた光秀に水島が言った。
「中村君、多分一目惚れですよ」
「「ぇえ!?」」
「だって、初対面の時から中村君、他の女性客と明らかに態度が違ったし、池に落ちたハンカチを探してあげたりジャケット貸してあげたり…」
「中村さんが?」
「そうですよ!」
「でも、もし恋なら嬉しいですね。美咲さん、美人だし優しいしお似合いって感じです」
「でもね、多分美咲さんて生粋の天然だと思うわ。全く脈無いみたいだったから」
「そ、そうなんですか…」
「百合ちゃん、ちゃんと仕事してんのか?」

「美咲さん、今日はわざわざ来ていただいてありがとうございました」
「お礼を言うのは私の方です。本当にありがとうございました」
すると、中村さんが真剣な顔で言った。
「桜木…ほのか、さん?」
「!」
「ですよね?」
ハンカチの名前を見たのだとしても苗字までなぜ分かったのだろうか。そして、私はある事を思い出す。
(そうだ…)
この目の前にいる人は情報収集のスペシャリストだ。私の正体に気づいているのだろうか。
「…これから、お世話になります」
私がそう言うと驚いた顔をしたが、なぜか安堵したような顔をして言った。
「こちらこそ。では、お気をつけて」
私は会釈をしてからホテルに向かった。
(私がシスルだと気付いてる?)

「…」
彼女の後ろ姿を見ながら思う。
(僕がゼロだと知っていたのか?)


私は昨日の夜中に上司から電話をもらい、今日から登庁することになった。
「イギリスから来た桜木です」
受付で向こうの警察手帳を見せる。
「少々お待ちください」
受付の女性警官が内線をかけると、3分程でメガネを掛けた背の高い男性がやってきた。
「桜木警部ですか?」
「はい。桜木ほのかです」
「警備部の西田です。警備部にご案内致します」
「お願いします」
二人でエレベーターに乗ると、西田さんは今から会う公安のトップ・通称ゼロ。榊原愁さかきばらしゅうという人について話してくれた。
「非常に頭が良く、いつも人の10歩以上先を読んで行動し、指示を出します。ごく限られた人物しか会うことはできません。普段は私か他の者が連絡を取ります。あなたにお願いするのは公安の影・特殊任務課です。特殊任務課の他のメンバーも会うことはありません。常に単独で行動することになります」
「はい」
エレベーターを降りると、一番奥の部屋に来た。
「こちらです」
西田さんがノックすると、聞き覚えのある声がした。
「!」
中に入ると中村さんが立っていた。
「ようこそ、公安へ。西田、外してくれ」
「はい。失礼します」
西田さんが出て行くと、けじめをつけるため敬礼する。
「イギリス研修から戻りました。桜木ほのかです」
「公安の榊原愁です」
すると、榊原さんはフッと笑って言った。
「フルールで会ったのが偶然とは思えませんね」
そうか、この人は私が公安に来る人物だと知っていたのだ。私をシスルとして見ていたわけではなかった。
「そう、ですね」
「なぜ偽名を?」
「あれは私の完全なプライベートです。仕事の時は桜木と」
「そういうことですか。…でも、ここに来る前に知り合えて良かった。これからが動きやすくなる」
「と言いますと?」
「これからは僕の側で動いてもらいます。今、昨日君が会った加賀島光秀という探偵の助手として情報収集をしています。君には僕の助手兼恋人として付いてもらいます」
「恋人の必要性は何でしょうか?」
「恋人であればいつどこで一緒にいても不思議ではないですし、助手という立場もあれば現場にも行けますからね」
「はい、分かりました」
咲さんのお父様が探偵だったとは。
「君の新しい警察手帳です」
「ありがとうございます」
黒革の手帳を受け取る。ちなみに、ICPOのICカードは別にある。
「何か質問はありますか?」
「ありません」
「OK。早速出ます」
榊原さんと部屋を出ると、西田さんが待っていて驚いた顔をした。
「彼女は今後僕と動く。協力者や他のメンバーは引き続き頼む」
「はい」
私は会釈して榊原さんと警察庁を出た。
「とりあえず…」
榊原さんは私を見ると言った。
「着替えましょう」
「え?」
「美咲さんに戻ってもらって結構ですよ」
「ですが…」
「送ります。サンセットホテルでしたよね?」
榊原さんは私を助手席に乗せると、車を出した。
「僕のことも中村翔で通してください」
「分かりました。…あの、具体的にどんな仕事をするんでしょうか?」
「美咲さんには僕の手伝いをしていただきます。細かい情報収集が主になると思います」
「情報収集…」
「僕は基本日中はフルールにいますので。あそこは常連が多いが故に情報が集まるんですよ」
「なるほど…」
それより、彼は私をシスルだと知らない。レッドバッドはアコナイトに会っているし、私が一緒にいるところを見てアクションを起こさないわけがない。きっと数日中に何か言ってくるだろう。

フルールで会った時の印象とはまるで違う研ぎ澄まされた気配に、一瞬で心の中を読まれたようだった。しかし、今はすでにその気配は無く、フルールで会った時のような柔らかい雰囲気を醸し出している。
(不思議な人だ…)
圭一と似ているところはあまりないようだ。しかし、付き合いにくいわけではなく、なんでも受けとめたくなるような強さと守りたくなるような儚さがある。やっと会えた。やっと話ができた。
(圭一、お前が会わせてくれたなら僕は彼女を守る。お前の代わりに)


ホテルのロビーで待っていると、5分程で彼女が降りてきた。
「おまたせしてすみません」
「いえ、早かったですね」
「着替えるだけですから」

「では行きましょうか」
榊原さんについて、また車に乗ると個室のレストランに着いた。
「まずは何か食べましょう。それでお互いを知ることです」
「はい」
そうやって色んな人と知り合っているのだろうか。
「いつもこうして新しく配属した人と…?」
「はは…それでは時間がいくらあっても足りませんよ」
分からなくて首をかしげる。
「最初に会った時から、美咲さんのことは気になってたんですよ。だから一緒に行動したいと思ったんです」
「それは…ありがとうございます」
それから本当に他愛のない話をしてランチを終えた。
「美咲さん」
「はい」
車に乗ると榊原さんが改まった口調で言った。
「これからは僕は君の一番近くにいる仲間でありパートナーです。何でも話してください」
「ありがとうございます」
「社交辞令ではありませんよ。君の上司としても言っています」
「はい」

ずっと思っていた。彼女はきっと自分から辛いことや悩みを話すタイプではない。僕が聞き出してもきっと言わないのだろう。公安で必要なのは信頼関係だ。彼女とどう信頼関係を築いていくかが課題かもしれない。
「あなたは…差し出された手を振り払うことはしないのでしょうね」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
彼女の呟きは小声で聞き取れなかった。


榊原さんにホテルまで送ってもらうと、私は真っ先にパソコンを開く。まず調べるのはアコナイトの事。しかし、警察組織のトップともいえるゼロが組織にバレるようなヘマはしないだろう。情報を見ても「不審な点はない」と評価されている。
「問題は…」
組織に潜入しているネズミだ。
(早く片付けないと…)

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