シャッフルワールド!!外伝──scarlet──

夙多史

一章 悪の胎動(6)

 ムカムカする。ああ、ムカムカする。この行き場のない怒りを発散できる場所はねえのか、こんちきしょうめ。
 こんな気分ほど無性に誰かを殴りたくなる。ぶっ殺したくなるぜ。
「どうしたのルーポ。不機嫌そうね」
「別に……」
 心配そうに声を掛けてくるライアーに振り向かず俺は、素っ気なく返した。事の元凶でもあるんだが、ご主人様を殴るなんざ守護霊の誇りが廃るってもんだ。
 何よりも悪気以前に、怒る理由が、殴る道理がねえ。

 まあ、何があったって言うとな──




 家を出る一時間前。
「こんなゲロマズ食えねえっすよ! ルーポ姉さん」
「豚の餌……」
「んだとテメェら!?」
 あんな一生懸命作ってやったってのにこのガキンチョどもときたら、ほんと好き勝手言いやがって。
 じゃあ、テメェが作れや! なんて言おうものなら『良いよ店で買うから』とか返答が来るにちげえねえ。く、ここはクールに大人の対応か……それとも鉄拳制裁が妥当か?
 などと、自信作に辛辣な評価を下す奴らの処遇を考える最中、みんながライアーを見て絶句する。あいつ一人だけ、美味しそうに食べていた。演技じゃなく、マジで美味そうな表情でよ。
「ちょ、ライアーさん大丈夫なのか?」
 厳つい面の元殺し屋、アーバンが冷や汗垂らして問い掛けた。
「ん、何が?」
 スープを食べ終え匙を置き、膝にあるナプキンで口を拭いてからライアーは、訊ねるみんなへと目を向けた。相変わらず作法がしっかりしてやがる。家でもテーブルマナー意識してんのコイツだけなんだよな。
「い、いや“何が?”って。ライアーさんよく食べられるな。こんな残飯」
「死なすっ!」
「ぐお、やめ!?」
 さらりと口にした奴に殴り掛かろうとしたとこで、ライアーが言う。
「ふふっ、残飯の味はこんなものじゃないわよ」
『え?』
 全員が、目を剥いた。俺も思わずニッコリ笑うライアーを疑った。
「ライアー、食べたことあるの? 残飯」
 一人が聞いた。するとライアーはええ、と頷き語り出す。
「幼少時代。お母様が亡くなってから、二月ほどストリートチルドレンとして暮らしていたのよ」
 一文無しだったライアーは、飢えを凌ぐために飲食店、厨房裏のゴミ箱を、懐かれた猫と一緒に漁っていたんだとか。
「何度も吐きそうになったわ。それでもお腹が空くし、見つかったら痛い目に遭うから、必死に口の中へ詰め込んだの」
 ライアーは俯き、もの悲しげに微笑む。湯気が立つスープを眺めて懐かしむとこ悪いけど、みんなシーンとなっちまったぞ。話が重いんだよオイ。
 なんて辛気臭い空気が場を包むと思いきや、一人がスプーンを取り俺様の作ったオムライスを口に詰め込んだ。そいつの行動に周囲が騒然となる。必死に口へ運ぶクソガキの面は、滅茶苦茶辛そうだった。

 泣くほど不味いのかよ。俺の飯。地味に傷つくんだけど。やめろ、無理して食べんな!
「こ、こんなの。ライアーが食べた残飯に比べたら、ご馳走だよ!」
 その言葉を皮切りに一人、また一人と頷き食事を再開する。
「ん、んん。おお、なんか舌が馴染んできたな」

 なんだこれ……。

「あれだな、このスープも苦い薬を飲む感覚で食えば」
「確かに、そんな感覚だね」

 なんだこれ。

「残飯よりはマシいぃいッ!」

 ……。


 って事があった訳だが……もう二度と、料理はしねえ。俺はそう心に誓った。ああ、思い返したらまた怒りがぶり返してきたぜ。
 なんか別のこと考えようかな。あ、そうだ。
「ライアー。一緒にゴミ箱漁ってた猫はどうなったんだ?」
 話に出てた猫はライアーに懐いていたらしいけど、途中で別れたのか?
 まあ、質問は単なる好奇心だ。別に嫉妬やらの特別な感情はねえよ。断じてな、うん。どんな動物が懐いていようが、俺様には関係ねえ、断じてな、うん。
 いざ訊ねると、ライアーは遠くを見る眼で街の、飲食店の看板を見た。どことなく漂う哀愁は、いつもより色濃く感じた。
「ライアー?」
「亡くなったわ。私を庇って……」
「亡くなった……?」
「店の人に見つかってね。逃げようとしたら、私途中で転んじゃったのよ」

 そして殴られそうなところを、その猫が助けに入った。店の人に飛び掛かり手に噛み付いた猫は、振り払われ壁に叩きつけられた。その際にライアーは店の人が落とした棒を拾い、それで男を昏倒させてから猫を抱き抱えて逃走。
 難は逃れたが、致命傷を負った猫は助からず、最期はライアーの頬を舐めて事切れたのだとか。
「今でも後悔してる……あの子を死なせたこと、救えなかったことを」
 今の自分なら救えるのに、とライアーは拳を握りしめた。悔やむ気持ちが俺にも伝わってくる。けど、ライアーほど手遅れな状況を体験し、無力を味わった者はおそらくいない。とてもじゃないが、俺も解るなんて軽々しく口には出せねえ。
 親も、友達も、今の地位に昇るまでライアーは、多くを失い続けてきた。戦火の中を生きるガキみたく……それでも、忘れないんだよなお前は。子猫一匹──いや、虫一匹だろうともお前は、家族や仲間は忘れない。死に別れた後も、その命を愛し続けている。
 そんなお前だからこそ、その猫は懐いたんだ。好きになれたんだよ。俺だってそうさ。だからこそ解るんだ。
「幸せだったろうぜ、その猫は」
「ルーポ……」
「最期まで、お前の傍にいられたんだしな。俺様が言うんだ。間違いねえよ」
 満足だったろうぜ。命張って大切なもん護れて死ねて、悔いなく逝けた筈だ。
 それに比べて俺は、お前を救う事も、護ることも出来ずに死んで。死んだ後も未練たらたらでこの世に留まり、お前を苦しめている。正直、その猫が羨ましいって思う。
「……ま、とにかくだ。過ぎたこと悔やんでも、そいつの魂は浮かばれねえ。お前はそいつの分まで笑って生きろよな」
 そう告げて俺は、ライアーの前を歩き出した。振り向けば、顔を俯けて佇むライアーがいる。瞳を閉じて、何か物思いに耽った様子だったが。やがて顔を上げ、ライアーは小さく頷く。
「うん。そうね。あなたの言うとおりだわ。ありがとう、ルーポ」
 礼を言ってライアーは俺の横に並び、穏やかな微笑みを浮かべた。

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