幽霊な僕と幽霊嫌いな君と

神寺雅文

第二談 トイレのフランソワーズさん3

 鈴宮司は右手に大量の粒あん、左手に芋羊羹を持ち三番目の個室前に立っている。入れ物に移したそれぞれを両手の掌に乗せ胸の高さで固定している。見方によっちゃ飲食店の店員が料理を運んでいる様に見えて、俺はちょっと笑いそうになる。だって女子トイレでトレイにのった大量の粒あんと大皿の芋羊羹だぜ、あ~お腹痛い。
 あまりにもその立ち姿がシュールと言うか滑稽と言うか変てこだったもので、すました表情をする鈴宮司の目を盗み小さく笑い本題の個室に視線を向け直す。
「一体誰がいるんだよ。こんな嫌な気配を感じたのは体育館裏の時以来だ。もしかして悪い女の子なのか?」「女もクソもありゃしないな。これだけの力を蓄えた黒がこんなにも出現するまでに、この学園を護っている結界は弱まっている」
 極刑・人間マッチ棒の刑を、南の海で行うバナナボートと同じ感覚で楽しんでいた俺は、絶対零度の瞳に一睨みされた途端にバカンス気分が一瞬で吹っ飛んで身震いした。そうだ、新感覚の体験に童心をくすぐられている場合じゃないんだ。
「そっか、なんかすまん。じゃ、じゃあ、気を取り直してトイレのは――」「もう良いんだ、もう良いんだよ奴隷、自分から傷つかなくて。と、言うかそろそろ気が付いたらどだ?」
 二の句、三の句と言葉を紡ごうとしたら、ワザとらし過ぎるまでの慰めの言葉を頂いた。しかも、綺麗な人差し指が俺の唇を塞ぐ素振りを見せている。何がしたいんだ? てか、
「何に気が付けば良いんだ? この中にいるおかっぱ少女がまともじゃないのは、この気配で分かるが、」「そうじゃない。まったく、やっぱり頭が悪いな。悪霊ならとっくにお前なんてゴミカスは消し炭になっている。私が言いたい事は、彼女が嫌がっていることが分からないのか? だからお前みたいな“平気で人を傷つける不良は嫌い”なんだ」
 どこかの誰か。そう、黒フード女――オカルト研究部の部長が、嫌みったらしく発言した俺の外見への感想と、鈴宮司のそれはまったく同じニュアンスで俺に被弾した。俺ってそんなに心ない人間に見えるのか? 今は幽霊だけど……。
「ふざけるのは止めて、普通に開けてみろ。良いか、普通に開けろよ」「あ、あ~分かった」
 ふざけるなと言ってもお前が不思議な呪文を唱えて花子さんを呼べって言ったんだろよ。それに、簡単に実体のあるドアを開けろって無理があるだろ。
 しかし、些かな不満を残したままドアノブに手を翳す。そして握りしめる。集中しろ、集中。
「魂には魂の質感があり、器と繋がり合おうとする力を必ず持っている。こればっかしは慣れるしかない」「……」
 首肯だけして更に手元、指先に神経を注ぎ込む。鼻孔を突く刺激臭が鬱陶しいが、ココで失敗する訳にはいかない。これ以上鈴宮司に失望されたくない俺は、自分でも信じられないくらいに集中した。
「ほ~まさか出来る様になるとはな」
 自分が女子トイレにいる羞恥、鈴宮司への想い、鼻を突く悪臭への不快感を含めた全ての雑念を思考の隅へと追いやると、俺の意思に合わせて戸が開いた。どうやら成功した様である。偶然かも知れないが、個室の戸は慣性の法則に乗っ取りユックリと開いていく。
 その時点で俺はドアノブから手を放しており、後は勝手に開くのを待っている状態だった。個室内が充分に一望できるベストな立ち位置。ギーギーと、徐々に見え始める個室内の風景。
 俺は完全に戸が開き切る前に、背後の個室に駆け込み便器の中に顔を突っ込んでいた。
「げーおえええええうげええええええ」「おいおい、まさかとは思っていたが、便器に顔を突っ込んで臭いを嗅ぐ性癖があったのか。やれやれ、そんな所に顔を突っ込んだら誰でも嘔吐してしまうが、生憎お前はマネしか出来ない」「ち、違う……断じて違う。それだ、それ! 当然だと思うが、お前にもそれが見えているんだろ! それにも関わらずどうして顔色一つ変えないんだ?」
 うひょー禁断の花園・女子便所の便器ってこんなに芳醇な香りがするんだ! サイコ―――とは言わんぞ。それじゃ本当の変態だ。そんなモンより大変なモノがそこでは蠢いている。
「ああ、これか? 人間が生ゴミと化したらこんなモンになるだろな」「よく直視出来るな」
 扉が開いたことによりさっきよりも強烈な腐敗臭が周囲を漂っている。それにも関わらず鈴宮司は鼻を抑える事も顔をしかめることなく闇に包まれる個室内を鑑賞中だ。夏場のゴミ処理場でもこんな臭いはしないはずで、医者でも肉片を見れば視線を泳がせる。
 そんな状態だと言うのに、
「慣れとは恐ろしいが、時には得をするものだ。今後の為だ、お前ももう一度今度はちゃんと見ろ」
 遥か遠方の地から上野動物園のパンダを見物する為だけに家族を引き連れてきた父親の様に、その惨たらしい物体を視界におさめろと言いやがった。要らぬお節介とはこの事。昭和の子供でない限り、ただ大きく白黒なだけの鑑賞動物を誰が好き好んでみるか。俺は今どきのませたガキで、ましてやゲテモノ好きでもないんだ!
「良いから見ろ! これは命令だ、消されたいのか?」
 だが、次の一手を打つために邪魔な小豆と芋羊羹が鈴宮司から離れ宙を浮遊する。
「くっ、どこまでお前は嫌な女なんだよ」
 冷徹、冷酷な対幽霊専用の殺し屋が凶器を抜刀し不敵な笑みをしやがったから、俺は溜飲が下がらないままもう一度“奴ら”が蠢く個室に近づきそれらの全てを見た。
「ああ。あああ。ああああ」
 グロテスクとは絶対にこの光景を言うに違いない。視界をおさめる無数の人の瞳と人らしき面影を半分以上朽ち果てさせた奴らは、それぞれに寄生するかのように吸収し合い呻き声を上げている。
「あの子よりも、酷いじゃないか」「あのまま放置していればこうなっていた。……、こいつらに残された道は私達に消されるか、己の憎しみに呑み込まれ手当たり次第に仲間を取り込みこうなるかだ」
 まだ半日も経っていないと言うのに、目の前で二つに裂けた少年のもう一つの末路を目撃してしまった。とてもじゃないがこいつらを描写する事は不可能だ。手も足も目玉も、もはや人間が有する個数ではなく、大勢の人間をごちゃ混ぜに撹拌し肉団子にした容姿をしているんだこいつらは。
「それでも、お前はこいつらを人間と思えるか? 悪さをしないと言い切れるか? 悪さをしない白と同等に敬えと言うのか?」「いや……」「同じ幽霊なら分かるだろ、こいつからがどれ程の憎しみを抱いているか」
 ああ分かるとも。まるで手に取る様に俺の中に負の感情が流れ込んでくる。手足と言う千万針が無数に突き刺さるこいつらを見ていると、俺も誰かを殺したくなる。殺せばこの感情が消えるなんて思えて仕方がない。俺も吸収されて忌々しい人間どもを殺戮の限りを尽くし殺めたくなる。
 だからその前に。俺は両目を手で覆い、個室を仕切る板に身を任せ投げやりに自分の天敵でもある鈴宮司に言う。
「頼む、消してくれ」「これが現実だ。意味が分からないほど阿呆ではなだろ、大人しく私に従うんだな」「ああ――」「鈴術式浄化術・日輪」
 俺の返事を待たず霊斬剣は人間の残りカスで出来た肉団子を切り裂き、鈴の音と仏具の音色が奴らを天へと導いて二度とかえってはこなかった。
「……」
 トイレの花子さんがあんな化け物だとは思わなかった。狐にばかされる事もまだだと言うのに、化け物に背骨を抜かれるとは思いもよらなかった。情けないが、汚いタイルに俺は座り込んでいる。
「勘違いしている様だが、これの送り先はあいつらではないぞ。なんなら呼んでみると言い」
 腐敗臭が消え幾ばくか明るくなったトイレ内で、鈴宮司はまた小豆と芋羊羹を大事そうに掌に乗せている。それらの送り相手が友人とでも言いたそうな、先刻とは格段に違う良い表情をしている。
 あんなものを目の当たりにした直後だ。俺はもうこいつに逆らう事を辞めて素直に指示に従った。その時は、まさかこの可笑しな呪文を金輪際使う事がなくなるなんて思いもしなかった。
「うるさーいザマスヨ! さっきから花子花子花子と。ワタクシはトイレの花子ではなく、トイレの“フランソワ―ズ”さんザマスワヨ!」
 誠に解せぬ。今度は身構えたって言うのに、そいつは俺の期待を裏切り四番目の個室から登場しやがった。……、一体なんなんだこいつは?
「トイレのフランソワーズさんを知らないとでも言いたそうなアホ面ザマスネ。だから、今どきの若者はダメなのよ」「一応聞くが、その若者に私も入っているのかなフラン?」「あら、澪は例外に決まっているじゃないザマスカ」
 そいつは確かに俺が呼び出したトイレ不法占拠者である。あるのだが、
「今度はザマス口調か。フランの凝り性もココまでくると匠だな」と、言いつつ甘味を珍客に差し出す鈴宮司。「英国貴族のワタクシが極東の言葉など使いませんザマスょ――あ、それは粒あん! コッチは芋羊羹!」その自称英国貴族がマリンブルーの瞳を純和風の菓子で真ん丸にする。
 どうだ。解せぬだろ? 普段解せぬとか使わないのに、人への質問でそれを使うんだから、本当にこのトイレの花子さん
はその容姿も言動も解せぬ存在なんだ。少なくとも俺が言える事は、仮にも英国の貴族婦人たる方が「ザマス」なんて滑稽な語尾を使う訳がない。バリバリの日本語で大好物の名を呼称しない。
 故にこいつは解せぬのだ。あの鈴宮司と名前で呼び合い誠に仲が良さそうに談笑していますよ。本当に、なんなんだこいつは!

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