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星月夜の小夜曲

エルトベーレ

五話 いい球を頼む

「それで? 向葵くん。これはどういうことなのかしら」
「ああ……いや……」
これ、というのは紛れもなく僕がクリアファイルから出したこの白い紙のことだろう。そう、真っ白できれいな、何も書かれていない紙。
向かいの席に座る紺野先輩は、貼り付けたような笑みを浮かべ、うまく怒気を押し殺しているつもりだろうが、僕は騙されない。
……やべぇ! めっちゃ怒ってるよ!


「……この間私が渡したメモには、目を通してくれた?」
「はい……」
……今日の朝に、だけど。
「はあ……。まあ、いいわ。シニア出身っていうから少しは期待してたんだけど」
……シニア出身、か。僕はそんなたいそうな奴じゃない。ただシニアのチームに所属してたってだけ。それも、野球がしたかったからじゃなく、姉ちゃんがいたから。
僕はずっと姉ちゃんみたいになりたくて、姉ちゃんを追いかけていたかったんだ。それなのに、いつの間にか姉ちゃんは僕の見えないほど先に進んで行ってしまった。
僕が中二でシニアをやめたのだって……。


「大体、人数もろくにそろってないのにどうするって言うんですか。こんなんじゃ試合だってできないですよ」
気が付いたら、僕は揚げ足を取りにかかっていた。本当、情けない。
「わかってるわよ、そんなこと。私だって当たってはいるけど、そればっかりはどうにも……。だから、今いるメンバーでなんとかするしかないでしょ?」
今いるメンバーは六人。うち、選手は五人。あと四人足りない。
その時、僕ははっとした。人手を集めることはどうにかなるかもしれない。だけど、決定的に足りないものがある。
「先輩」
「何?」
「……投手は、どうするんですか?」
「そ、それは……」
投手だけは、素人が急にできるものじゃない。僕にだってそれはわかる。野球経験のある人がやることになったとしても、本職じゃない。それで通用するほど、高校野球は甘くないだろう。
だけど僕は、投手候補に心当たりがある。


「先輩は、この野球部で何がしたいんですか?」
「何なの? 生意気ね。野球がしたいに決まってるでしょ」
先輩はもう、苛立っているのを隠そうともしない。頬杖をついて、僕と視線を合わせないでいる。
「野球するって……、それだけ、ですか?」
「……何が言いたいの? ちゃんと言ってくれないとわかんないわ」
「目標です。チームとしての目標。それを決めないと、練習だって、どのレベルでやるのか決められないんじゃないですか?」
こんなのはただの言い逃れに過ぎない。でも、もし紺野先輩が僕と同じところを目指すのなら、エースの存在、彼女の力が絶対に必要だ。僕はそれを確かめたい。
「……まあ、それも一理あるわ。今日の放課後練習のときに、みんなに聞きましょう」
それでもまだ、彼女の態度は崩れない。そこで、僕はすかさず突っ込む。
「先輩の目標は何ですか?」
「別に、後で言うんだからいいでしょ?」
「じゃあ、今言っても一緒じゃないですか」
「向葵くんの目標は? こういうのは言い出した方から言うんじゃないの?」
どうしても言いたくないらしい。相変わらず視線は合わせてくれないままだ。
「僕は……、できるなら、全国を目指したいですよ」
「全国って……うちが? できるわけないでしょ。こんな公立の、しかも人数すら揃ってないような新設野球部が……」
その言葉に力はない。頬杖を崩した彼女は、簡単に壊れてしまいそうなほど弱々しい。
「先輩がそう思うなら無理ですね。だって先輩は、今の野球部で一番上手いと思いますから」
「うるさい。今はそういうの、どうでもいい。思うとか思わないとか、そういうことじゃないの」
ここまでは既定路線だ。きっとこれから僕の言う賭けにも乗ってくれるはず。
なんか今のこの人、機嫌悪いときの姉ちゃんにそっくりだ。
「じゃあ、勝負しませんか? もし先輩が僕の提示する勝負に負けたら、僕の目標を、本気で目指してくれませんか?」
「……もし私が勝ったら?」
「その時は、僕はみんなのパシリになりますよ」
想像もしたくないけど。
「ふーん。で、その勝負っていうのは?」
興味は持ってくれたみたいだ。
「十球勝負です。僕が紹介する投手から、先輩が内野を抜くことができたら、先輩の勝ちでいいです」
「つまり向葵くんは、私がその投手からヒット性の当たりを打つことはできないと思ってるってことね」
……いや、できるかもしれない。でも僕は信じたいんだ。彼女の持つ可能性に。
「じゃあ今日の放課後、連れてきますので」
「わかったわ」



「……というわけなんだ。お願いできないかな、シャル」
厚かましいのはわかっているが、これには彼女の協力が必要不可欠だ。
「なしてうちがそげなことに巻き込まれなきゃならんと?」
「そうだよね……。ごめん」
「なーんて、冗談っちゃ。うちん球が通用するか、うちも試してみたいし」
「ありがとう」
無事シャルの協力を得られたところで、緒倉さんが不安を口にする。
「でもそんな約束しちゃって大丈夫なの? 星空さんは軟式時代、打率五割超えの打者だったんだよ? 県大会にも行ったし」
それはすごい。僕はシニアの方しか知識がないから知らなかった。確かに上手いなぁと思ったが、紺野先輩はそれほどの人だったのか。
「大丈夫だよ。シャルの球なら打たれない」
「だといいけど……」



そしてついに、約束の放課後を迎えた。僕は運動着に着替えたシャルを連れて、女子野球部の部室に訪れる。
と、危ない危ない。ノックしないと殺される。
ノックをすると、みんな準備ができていたようで、ぞろぞろとグラウンドに出てきた。そして、この前と同じように守備につく。
「その子が向葵くんが連れてきた投手?」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
なんだ、普通にしゃべれるんだ。


僕は念のため防具をつけて、ミットを構える。と、マウンドに上がったシャルも、足場を確かめて、構える。そのままいつも通りのフォームで、ゆったりと、それでいて鋭い真っ直ぐを放った。
よかった。変に力んだりしていない。マウンドも違和感はないようだ。
「大丈夫です。お願いします」
「こちらこそ」
先輩はそれだけ言うと、右バッターボックスに入って構える。
あれ、この前の練習の時は左で打ってなかったっけ。まさか、両打ちなのか?


散々姉ちゃんの球は受けてきたけど、僕がリードしたことはなかった。でも、いろんな場面を想定した投球練習にも付き合ってきた。その時の姉ちゃんの配球と、シャルの持ち球、彼女の今日の調子を総合的に考えなきゃ。やっぱり捕手って大変だな。


最初は彼女の一番の武器ともいえるストレートを、真ん中低めに。これの対応によって、勝負の行方は決まる。
シャルはゆっくり振りかぶって、力強く踏み出し、全身をムチのように使って白い弾丸を撃ち出した。それを見て、紺野先輩も踏み込んで迎え撃つ。しかし、静けさの中にとどろいたのは、金属音ではなく、乾いた音。
「ナイスボール、シャル!」


一球目は、空振り。
今のは完全にタイミングが遅れていた。しかし、あのストレートに合わせられるとマズい。ここは慎重にいこう。
シャルは僕のサインに頷き、二球目を振りかぶる。同じフォームで、山なりの緩いボールが放られる。大きな弧を描きながら、外側から内側に曲がる、スローカーブ。ストレートとの球速差はどれくらいだろう。ストレートのタイミングで振り出したら、ためて待ちきれないほどの遅さだ。
案の定、紺野先輩はタイミングを外されたが、わずかにバットの先に当てた。当たっただけのボールは蓮見先輩の方へ勢いなく転がり、あえなくファーストゴロに留まった。


今のスローカーブはタイミングを外せれば強力な武器になるが、球威がない分狙われると内野を抜かれる可能性がある。次は球威重視で、打ち損じを狙う。
この球は姉ちゃんの得意球でもあった。姉ちゃんがよく狙っていたのは、インコース。
先輩はこれには手を出さず、見送り。
「今の、ストライクですよね?」
「……わかってる」
手が出なかったんだ。仰け反りはしなかったけど、対角線投球でインコースに来ると、ボールが自分に向かってきているみたいに見えて、結構怖いからな。


さて、ここまでは完全にこっちのいいように振り回してる。シャルの持ち球はあと二種類。
ここで一球、ストレートを挟めるか?
シャルは頷いて、再びあの白い弾丸を撃ち出した。紺野先輩も振りにいくが、さっきよりタイミングが早い。……打たれるっ!
しかし、ボールはしっかりと僕のミットに収まった。タイミングはぴったりとは言わなくてもそこそこ合っていた。だが、先輩のバットはボールの下を振っていた。
これで、ストレートはまたも空振り。


五球目か。あと二つの変化球はまだもう少し温存しておきたい。緩急つけるか、それとも……。
僕のサインに、シャルはまたすぐに頷いた。僕を信じてくれるのはいいけど、嫌だったら首振ってくれていいんだぞ。
ストレートよりも若干球速が落ちるが、十分なスピード。そして手元でインコースからさらに食い込んでくる。カットボールだ。先輩ならタイミングは合わせられるだろう。上手く芯を外せればいいが……。
ところが思いの外、先輩はタイミングも遅れて根元で当てただけになった。跳ね返ったボールはピッチャー前に転がり、シャルがそのまま拾い上げる。先輩の読みを外せたんだろうか。
とりあえず、五球目はピッチャーゴロ。


ここで紺野先輩はいったんボックスから出て深呼吸し、再びボックスに入る。
なんというか、さっきまでとは気迫が違う。
「あーあ、星空も本気モードってわけね」
成瀬先輩がそう言ったのも耳に届いていないようで、視線がシャルから外れない。なんて集中力だ。


「シャル、いい球を頼む!」
「任せときんしゃい!」
そろそろ使ってみるか。これは下手すると変なとこぶつけるかもしれないからな。気合入れて捕らないと。
力みのない綺麗なフォームから、ボールは真っ直ぐ伸びてくる。そしてここから、落ちるっ! 外側いっぱいの高速スライダーだ。
初見だというのに紺野先輩は、タイミングとポイントを合わせて振り抜いた。そう、もし真っ直ぐな軌道だったなら、簡単に弾き返されてしまっただろう。だが、バットはボールにかすることなく空を切った。


集中した先輩でも、今の球は打てなかったんだ。もう一球いけるか?
僕の出したサインをじっと見つめ、少し間が空いてから、シャルは頷いた。だから、無理なら無理って言ってくれればいいのに。でもきっと彼女は、最高のボールを放ってくれるだろう。僕がそう信じている限り。
今度はインコース。二球見せたカットボールと同じように、ギリギリを狙ってくれ。
シャルのリリースの瞬間にインコースだと見極めた先輩は、後ろに重心を残しつつ、体の軸をうまく回転させて、スライダーの落ち際を捉えた。それでも打球はゴロになり、セカンドの正面に転がった。緒倉さんが上手くキャッチして、これはセカンドゴロ。
さすがに完璧とはいかなかったものの、あれだけ捉えられるんじゃ、同じ球をもう一球続けるのはマズいな。


あと三球。あと三球抑えれば、こっちの勝ちだ。
三球の配球はどうする? 決め球をストレートにするなら、緩い球を使って緩急をつけておきたい。それか、いっそストレートで押して、最後にこのスライダーとか。あの球の使いどころはどうする?
ダメだ。僕ではうまい方法が考えつかない。姉ちゃんだったら、どうするだろう。


中一の時、シニアの紅白戦で姉ちゃんとバッテリーを組ませてもらったことがあった。硬球の扱いにも慣れてなくて、リードにも自信がなかった僕を、姉ちゃんはリードしてくれた。
実戦経験の少ないシャルは、配球なんてあまり考えたことないかもしれない。僕の頼りが姉ちゃんだったように、彼女の頼りは僕なんだ。少なくとも、今この状況では。
僕が、しっかりしなきゃ。


八球目は外低めのスローカーブだ。ギリギリストライクをかすめて、低めに落ちるやつを頼む。
今度はシャルもすぐに頷き、いつも通りのフォームで山なりのボールを投げ込む。
タイミングは外したはずだった。しかし、シャルの投げたコースはわずかに上ずり、簡単にバットに当てられてしまった。
打球は高く上がり、サードの神崎先輩が下がってなんとかキャッチした。
「ナイス、サード!」
僕がそう言って軽く頭を下げると、神崎先輩はウインクを返してくれた。本当に助かった。


狙われてたのか? ……いや、シャルの球を信じるしかない。
次も外側。最後をストレートにするなら、ここはこの球を使う。
シャルの投げたボールはまたも緩い球。だが、これはスローカーブじゃない。真っ直ぐ進んで、手元でふっと沈む。一見するとチェンジアップにも見える、スクリューだ。
タイミングを外し、体勢を崩したはずなのに、先輩はこれもバットに当てた。スローカーブほどブレーキがきいてない分、待たれたのか。
バットの先とは言え、金属バットだ。当てればそれなりに跳ね返る。勢いのあるゴロになって、ファーストの蓮見先輩の方へ。
大丈夫だ、これは捕れ……ない!? 蓮見先輩の差し出すグラブをすり抜けて、内野を抜かれたかに思えた。が、蓮見先輩の後ろに回っていた緒倉さんが飛びついて、何とか打球を止めてくれた。
「ナイスキャッチ、セカンッ!」
緒倉さんにも助けられてしまった。


初見だったのに打たれるなんて思わなかった。緩いボールを続けたのがマズかったのか。
何はともあれ、これで泣いても笑っても次がラストボールだ。渾身の一球を頼むぞ、シャル!
インコースにはカットボールを投げ込んできたが、ストレートは球威が違う。インハイのストレートで勝負だ!
シャルのゆったりとしたフォームから、急に撃ち出される白球。瞬きする間もなく、それは目前に迫る。たかだか女子高生の投げてる球だっていうのに、捕る方も結構怖い。そんな迫力がある。
先輩も負けじとバットを振る。タイミングは合っている気がする。このスイングとこの速球がぶつかったら、跳ね返って内野は抜かれてしまうだろう。


…………痛い。ああ、この痛みは勝利の痛みだ。ミットの中に、ボールの感触がある。
結局、紺野先輩はシャルのストレートに当てることはできなかったんだ。

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