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星月夜の小夜曲

エルトベーレ

序話 春の訪れ

もう太陽があんなに低いところにある。もうすぐ日が暮れる。
まったく、母さんも人遣いが荒い。この程度の買い出しくらい自分で行けばいいのに。この辺はそんなに都会でもないから、買い物するにも隣町まで行かなきゃいけない。
まぁ、運動不足の体を久しぶりに動かせたし、良しとしよう。この河川敷も桜とか生えてれば、景観ももっといいだろうに。


僕は中学で野球をやっていた。いや、正確に言うと中学の途中まで野球をやっていた。僕は姉ちゃんみたいにはなれない。そう思ったら、なんか急にみじめになって、チームを辞めてしまった。
高校に入ったら、何か変わるのかな。変われる……のかな。なんて考えていた時だった。


不意に足元に何か飛び出してきたのだ。思わず飛び退いて、しかしそれの正体を見たら、とっさに掴み取っていた。河川敷の下から飛んできたのか……?
下に視線をやると、目が合った。
サファイアのような深い青の瞳に、太陽の光を纏ったような金色に輝く長い髪。そのくせ肌は雪みたいに白い。この子がこれの持ち主なのか……?


「すみませーん! 取ってくださーい!」
思ったより日本語上手だな。でも何かアクセントが変だ。ハーフだったりするのかな。
ただ投げ返してやれば良かったのに、僕はわざわざ階段を降りて彼女に手渡しに行った。
健康的な白のスポーツウェアに身を包み、それを押し上げる豊かな膨らみについ目がいってしまう。視線を下げれば、長くて美しい脚が目に留まる。
近くで見ると、尚更その完成された美しさに惹きこまれていくようだった。歳も近い気がする。


「危ないだろ、気をつけろよな」
「ごめん。当たりどころが悪うて、飛んで行ってしもーた……。次から気ぃ付ける」
……え?
「なら、いいけど……。君、野球好きなの?」
「うん、バリ好きっ! 君も好いとーと?」
えっと、僕も好きかって聞かれてるんだよな。……僕は野球、好きなのか?
「……ふつう、かな」
「そっか。ねぇ、せっかくやけん、キャッチボールせん? そんならボールも飛んで行かんで済むし」
キャッチボール、か。それくらいなら、してもいいかな。
「いいよ。でも僕、今グローブ持ってないけど」
彼女はわかってると言わんばかりに、側に合ったカバンからゴムボールを取りだし、にっと笑った。
僕は適当に距離を取った。あんまり遠いと、投げられた球を捕れないかもしれない。なにせ少しブランクがあるからね。なんて内心言い訳をする。バカみたいだ。


「いくよー」
彼女は左手にボールを持ち、ふわっと投げる。ノーバウンドで、見事に僕の胸元まで届いた。
よーし、僕も……。右手で力を抜いて投げる。山なりでわずかに届かず、彼女は右手を差し出してすくい捕った。
「ごめん……」
「よかよ」


こんな調子で何球か続けているうちに、辺りはオレンジの光に包まれていく。
そこでふと思い出す。そういえば、母さんに買い物頼まれてた帰りだった。やっべ、怒られる……。
「えっと、僕もうそろそろ帰らなきゃいけないんだけど……」
「あっ、引き留めてごめん!」
「いいよ。楽しかったし。またやろうよ」
野球はもうしない。そう思ってたんだけどな。やっぱり野球が好きだったのかな、僕も。
「うちはいつもここしゃおるけん。また来んしゃいね」
今春休みだもんね。でも、どこかクラブチームとかでやってたりしないんだろうか。
「あ、そうだ。僕は高妻たかつま向葵こうき。君は?」
「うちはシャルロッテ・エルンベルク。そやけど、日本育ちやけん」
名前はめっちゃ外人だけど、方言で喋ってるしね。どこの方言なんだろう。
「今度はちゃんとグローブ持ってくるよ」
「ありがと。またね~」
夕日を背にする彼女は、太陽の精霊のような温かみのある笑顔を浮かべていた。



家に帰ると、遅いのなんのって散々怒られた。しかしまぁ、怒られてる間も彼女の姿が頭をよぎって、半分以上話を聞いていなかったけど。
見た目は思いっきり外人なのに、喋ってるのは方言かぁ。……可愛かったな。


「向葵ー、お風呂空いたよ」
姉ちゃんが開いていた僕の部屋の入口から顔を出す。
「はいはい。あ、姉ちゃん」
姉ちゃんなら、もしかして知ってるかもしれない。そう思って聞いてみた。
「何?」
「“好いとーと?”ってどこの方言?」
もっと他にあっただろ。っていうのは言ってから気付いた。
「えっ、何? 急に。言ってほしいの?」
「ち、ちげーよ」
「んー、どこだっけ。九州の方じゃなかったかなぁ」
「ふーん」
そうなんだ。姉ちゃんもよく知ってるな。
「……好いとーよ」
「え」
「家族としてね。おやすみ」
なんだよ、からかわれただけか……。



翌日、押入れの奥から以前使っていたグローブを引っ張り出す。
もう使わないと思ってたよ。もう少しだけ、僕の力になってくれ。
でも何だか、母さんや姉ちゃんには見られたくなくて、僕はそそくさと家を飛び出した。


言葉通り、彼女は今日もここにいた。相も変わらずキラキラと輝く長い髪を振り乱しながら、壁相手に一人投げ込んでいる。
振りかぶった左腕をゆっくりテイクバックして、力強く踏み込み、勢いよく腕を振り抜く。綺麗なフォームだ。全身を使って放られた弾丸のような白球は、タイルブロックに強く打ち付けられる。響く音が、タイルブロックの悲鳴にも聞こえる。
結構速い……。姉ちゃんの球は何度も見てきたが、それより数段速い。というか、たぶん僕でも打てないぞ、あれ。
なんて、僕はすっかり彼女に見入ってしまっていた。


「あ……」
ふとしたとき、目が合った。
「来とったんやったら、なして言うちゃらんやったと?」
よくわからないが、怒られてしまった……。見惚れてた、なんてことは言えない手前、素直に謝ることにした。
「ごめんごめん。でも、すごい球投げるんだね」
「そ、そうかいね……」


浅い川なので、僕はそのまま歩いて向こう岸に渡り、座ってグローブを構える。こうなるんだったら、ミットを持ってくれば良かったかな。
「投げてみてよ。さっきの」
「危なかたいね! 防具もつけんと……」
「大丈夫だって。姉ちゃんの球受けてたこともあるし」
僕が催促すると、彼女はしぶしぶ振りかぶった。
「ケガしたっちゃ、知らんけんねっ!」
彼女の指先から放たれた剛球は、呻りを上げて迫ってくる。銃で撃たれた時って、こんな感じなのかな。
気付けば、グラブには白球が収まっていた。心なしか煙が上がっているように見える……。
「ナイスキャッチー!」
速いというより、重い。っていうか痛い。
僕はシャルロッテにボールを投げ返し、もう一度構える。ボールを受け取った彼女は、僕の合図に気づいて、もう一度あの剛球を投げ込んでくれた。
乾いた革の音が高架の下に響く。手のひらがジンジンする。タイミングが遅れてる。うまく捕れていないんだ。


「変化球、投げてよか?」
彼女は自分の球を捕ってもらったのが嬉しかったらしく、目を輝かせてそんなことを言ってくる。そんな目をされたら、断れないじゃないか。
「いいよ。ただし、先に何を投げるのか言ってよ?」
「わかった。じゃあ、カーブから」
カーブか……。左投げのカーブは僕から見ると、左手の方に山なりに落ちる軌道……。
「いくよー」
シャルロッテの放った球は、さっきのストレートよりもかなり山なりに、僕のグラブを避けるように大きく曲がってくる。だけどこれは、しっかりとストライクゾーンに入っていそうだ。
キャッチするのが左手で助かった。逆手だったら追い切れなかったかもしれない。
「すごい曲がったね」
しかも、ストレートとの球速差はかなりある。実戦ならこの二つだけで空振りが取り放題だろう。
「そげなことなかって。次、スライダーったい」
今度はスライダーか。カーブよりも、左向きに横滑りするようなイメージかな。
ところが彼女の放った球は、真っ直ぐ来たと思ったら、急にストンと消えるように落ちた。僕はこれに反応できるはずもなく、とっさに体を逸らしてバウンドした球を避けた。
「ごめん! 大丈夫?」
「ああ、ごめん。大丈夫だから」
スライダーって、縦の方ね……。
「もう一球、今のいい?」
「ホントに大丈夫と……?」
「大丈夫、大丈夫」
僕の言うことを信じて、彼女はもう一度投げてくれた。真っ直ぐ来て……そう、ここで急に、落ちるっ! さっきのを見る限り、この球の落ち幅だと僕のグラブに届く前にワンバウンドする。僕はバウンドした球に上からかぶせるようにして捕った。
「すごかぁ~」
「いやいや、それほどでも」


こんな調子で、ほかの球種も見せてもらった。これらは野球経験者のお祖父さんから教わったそうだ。


「どこかクラブチームとか入らないの? そこでやった方が、もっとしっかり練習できるんじゃない?」
彼女は僕の返球を取り損ねた。慌てて球を追いかけるその姿は、ちょっと可愛い。
「うち、こげんやけん、目立ってしもーて……」
なんて、髪をふわっと持ち上げてみせる。綺麗な髪だ。
「やけど、別によかとよ。今は君が、おるけんねっ」
彼女の投げ込む鋭い真っ直ぐを、僕はしっかりと受け止めた。
彼女の笑顔は、温かい。

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