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白球に夢を見て

エルトベーレ

第1話 開幕戦

「あ、おはよー、せんちゃん」
ミーティングルームの最前列に座る体格のいい女性が、小柄な黒髪の少女が入室するや、そう声をかけた。
「……その呼び方、いい加減やめてくれる?」
いや、彼女は少女ではない。身長も低く、見た目こそ幼いものの、れっきとした成人女性である。そして彼女は、女子プロ野球チーム、北海道アウローラの監督なのだ。
それ故にこうして、清潔なユニフォームに身を包んだ女性達の前に立っているのだ。


「今日は開幕戦だけど、特別気負わず、いつも通りよ。昨年は悔しい思いをしたけど、今年こそは絶対にうちが優勝する。これから七十二試合、私とともに頂点を目指す意志はあるかしら」
「はいっ!!」
そう、今日が開幕戦。シーズンの初戦である。ここから秋にかけて七十二試合を戦っていくのだ。
昨年をシーズン二位で終えた北海道アウローラの今日の相手は、昨年シーズン一位の山形キルシュ。その差はわずか一ゲームであった。だからこそ、監督だけでなく選手たちも、今年こそは、という思いは強く持っていた。
「いい返事ね。じゃあ、今日のスターティングオーダーを発表するわ」


一番 ショート 森津亜紗美
二番 セカンド 宮崎莉桜
三番 ライト 金剛寺愛亜
四番 ファースト 小武海さゆり
五番 サード 大塚眞帆
六番 ピッチャー 星崎愛天奈
七番 センター 峰明菜
八番 レフト 朝倉霜花
九番 キャッチャー 北条美琴


「試合の行方次第でベンチメンバーも使っていくから、いつでもいけるよう準備しておきなさい」
「はいっ!」


それから彼女は、選手たちに作戦を伝え、ミーティングは解散となる。各々がアップをしにグラウンドへ出ていく中、二人の選手は彼女の方へと寄ってくる。
「繊ちゃん、まだあたしを使ってくれるんだね。でも、気を遣わなくていいからね?」
最初に彼女に声をかけた体格のいい女性は、四番としてチームを支える、小武海こぶかいさゆり。
「……私が気を遣うと思うの?」
「そう言うけど、割と遣ってるよねぇ?」
「繊、無理しないでいいからね」
さゆりよりも一回り身体が小さく細い女性も、続けて彼女を心配する。
「無理なんて、してない。今年こそは優勝するんだから、経験豊富な選手を使うのは理にかなってるでしょ」
「あくまであたし達は、ただの選手ってわけね」
さゆりは繊を睨みつけるでもなく、自嘲気味に笑った。
「さゆり、繊だって信用してるから四番にするんだよ。確かに去年はあんまり振るわなかったけど、今年結果出せばいいんだから」
「わかってるよ、莉桜りさ。さ、アップ行こうか」
二人もグラウンドへ向かい、一人残された真田繊は、もう白球を放ることのできない右肩をさすった。


「……ごめんなさい、二人とも」



まだ試合までいくらか時間はあるというのに、ちらほらと観客はスタジアムに集まり始めている。試合だけでなく、試合前の練習にも、注目が集まるのだ。


「あ、アテナさん出てきたよ!」
「ホントだ! アテナさーん!」
「アテナ―! 今年も頼むぞー!」
ブルペンに姿を見せるなり大歓声を浴びるのは、北海道アウローラの不動のエース、星崎ほしざき愛天奈あてな。彼女は名門の駒越こまごえ高校を卒業し、一年目から三年連続でシーズン最多勝利投手に輝いている女子野球界屈指の左腕。


対して山形キルシュのブルペンにも、大歓声と注目が集まっていた。
真心こころさーん! がんばってー!」
「真心ちゃん、楽しみにしてるよー!」
月島つきしま真心。一年目から開幕戦投手を任され、今年で三年目。昨年は愛天奈を抑えて最優秀シーズン防御率の座を獲得した、本格派右腕。


開幕戦を飾るに文句の付けどころのない好カード。投手戦の様相を呈すだろうことは予想に難くないが、山形キルシュは打線でも抜群の得点力を誇るチーム。それをどこまで抑え込めるかが、北海道アウローラにとっての活路だった。



初回の攻防。先攻は北海道。


亜紗美あさみ、わかってるわね?」
「はい。任せてください!」
勝敗を分ける大きなポイントは、まずこの初回。どんな投手だって、立ち上がりは万全じゃない。シーズンの初日となる開幕戦なら尚更だ。そこを打ち込んで、投手のリズムを崩し、こっちのペースに持ち込む。
これが、試合中に何回かある大きなチャンスのうちの一回。
実際、昨年も北海道は初回に得点し、その後の回も得点を重ねることが多かった。それが繊の野球なのだ。
先頭打者の森津もりつ亜紗美は、粘った末にレフト前ヒットで出塁。彼女は昨年の首位打者であり、最多安打のタイトルも獲得したスーパールーキー。その技術は二年目となる今年も絶好調である。


続く二番は、昨年の盗塁女王、宮崎みやざき莉桜。犠打によらない攻撃的二番として、昨年は高い出塁率を記録した。
彼女は追いこまれてから送りバントを選択。確実に前に転がし、亜紗美を二塁に進めた。


三番の金剛寺こんごうじ愛亜めあは、昨年打点女王に輝くも、最多失策の汚名も被っている。得点圏にランナーがいるといないでは、打率が大きく変わるのも特徴の一つだった。
「メアー! 初回から行けー!」
「メアちゃーん! 今年の初打点もぎ取ったれー!」
昨年の活躍もあり、ファンからも大声援を浴びる。昨年は自らの失策による失点を大きくカバーするだけの打点を、彼女は積み上げたのだから。この打席にも当然期待がかかる。
しかし、さすがに相手も開幕戦を任されるチームのエース。そう簡単に先制点は許さない。真心はセンターへの凡フライに打ち取って、二つ目のアウトを取った。


四番のさゆりは、昨年は最多三振と振るわず、打率も自己最低を記録した。彼女もまだ若いはずだが、次々に参入してくる新進気鋭な新人よりも衰えが目立つのはデータとして明らかだった。
それでも繊は彼女を四番に据えた。今年で六年目になる彼女にチームを支えてほしいという気持ちの表れなのだろうということは、さゆりにもわかっていた。だけど、身体がついていかない。彼女にとって、まだ二十四という若さでありながら自らの衰えを実感するのは、ひどく寂しいものだった。
さゆりの三振でスリーアウト。北海道の初回の攻撃は無得点に終わった。



気落ちしながらベンチに下がる亜紗美とさゆりに、繊はにやりと不敵な笑みを見せる。
「相手は昨年の一位。そう簡単にいくわけないし、そう簡単にいっても、面白くないでしょう?」
それこそが、若くして監督の座に就きながら最下位チームを二位までのし上げた、真田さなだ繊の強みでもある。
「そうだね。あたしは繊ちゃんの指揮を信じて従うよ」
「……その呼び方はやめなさい」



大きなチャンスになるのは自分たちだけではない。相手もまた、初回は大きなチャンスなのだ。それをしっかりと抑えなくては、この試合を制することは難しくなる。


山形の一番打者は、高卒一年目のゴールデンルーキー、澤入さわいり羅奈らな。昨年は駒越に敗れて惜しくも優勝を逃した新宮しんぐう女学院の、不動の一番。
強打者の揃う山形が高卒ルーキーを開幕戦から一番打者として起用するという異例の事態に、観客席からはどよめきと歓声、声援が飛び交う。
しかし、そんなスタジアムの喧騒すら一球にして鎮めてしまうのが、北海道のエース。昨年はWHIP(一回あたりにどれだけのランナーを出したかを表す指標)が0.64という、先発投手としては脅威の数値をたたき出した。
さすがのゴールデンルーキーと言えど、初対戦ではまるで敵うはずもなかった。
「アテナさーん! カッコいいー!!」
「その調子で頼むぞー!」
羅奈を三球三振に取ると、それまで山形に向けられていた声援を一身に浴びる。


愛天奈は、続く二番、三番もあっさりと三振に切って取り、快調な出だしを刻んだ。


「出だしはまずまずね。ここから均衡した状態が続くと思うけど、決して油断してはダメよ。相手が隙を見せたら、その好機を逃さず徹底的に叩きのめすのよ」
この圧倒的な攻撃的姿勢こそが、彼女のスタイル。そしてこれによって、最下位だったチームを二位まで浮上させたのである。



試合は硬直状態が続き、最終回までお互いに得点はなし。やはり、大方の予想通り、投手戦となった。
七回の表、先頭は四番のさゆり。今日はまだノーヒット。この回でも無安打では、四番としての示しがつかない。そんなこと、さゆりにもわかっていた。
だが、相手エースの前に手も足も出ず、三振。
「しっかりしてくれよー」
「今日三タコじゃねーか」
観客も、さゆりに容赦ない罵声を浴びせる。
観客の期待にも、繊の期待にも応えられなかったんだ。そんな自分への失望も、彼女の中には渦巻いていた。


悔しい表情でベンチに下がる四番の姿を見て、一層気合が入ったのだろうか。五番の大塚眞帆まほは、三遊間を抜くヒットで塁に出た。
さゆりと眞帆は同じ高校の先輩と後輩という間柄で、同じチームで全国優勝を経験した仲間でもある。彼女なりに、さゆりの仇を取ろうとしたのだろう。


続く六番はエースの愛天奈。彼女は投手と言ってもバッティングの腕も高い。故に、クリーンナップに次ぐ打順を任されている。
疲労が蓄積している身体を鞭打って、きっちりセンター前に打球を運んだ。
これでワンナウト、一塁二塁。


ここで繊は、思い切った采配をすることにした。
「主審、代打。夏越なごし夜月よつき


夏越夜月。昨年ドラフト一位で獲得した、あざみ野高校の三番打者。昨年夏の全国大会ではチーム一の打率を誇り、広角に打ち分ける高いバッティング技術を持ったルーキーに、この場を託すことにしたのだ。


真心だって、山形のエースを任される、女子野球界でも屈指の名投手だ。被安打率こそ高めなものの、失点にはつながっていない。だからこその最優秀防御率なのだ。


そんな二人の対決は、五球目で決着がついた。一球ボールを挟みながらも、三球で追い込まれ、四球目は粘ってファウル。それからの五球目だった。
夜月には読めていたのだ。山形の正捕手、仙北谷せんぼくや静花しずかの配球が。あらかじめ、繊からいつでもいけるようにと言われていたため、投手のデータと捕手のデータを分析し、昨年の試合の動画を入念にチェックしていたのだ。このデータの野球こそ、彼女の強みだった。
アウトコース低めに投げられたチェンジアップに、夜月はタイミングを狂わされることなく、ピッタリのタイミングで当ててみせた。打球はセカンドの頭上を越えて、右中間へと飛んでいく。
二塁にいた眞帆は本塁へ還り、愛天奈も三塁へ到達。打った夜月は二塁に進む、タイムリーツーベース。
これで試合が動いた。この一点はどちらにとっても大きかった。


結局、後続が打ち取られて追加点とはいかなかったものの、最終回の裏を愛天奈が抑えて完封勝利。
北海道は開幕初戦から、一点も失わずに勝利を収めた。

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