妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第32話 乱調 vs川和シニア⑥

篠岡がモーションに入ると、ランナーは一斉にスタートを切った。というより、絢郁のスタートを合図に、二人ともスタートした。
「ランナースタート!」
緩奈の選択は、スクイズだった。
篠岡の投げたのは、高めからインコースに落ちるカーブ。もちろんストライクにならないコース。このコースはバントするのは難しい。当てられても、ファールになる可能性も高い。
しかも球速がない分、リリースからミットに収まるまでに時間があり、ファースト、サードがダッシュしてきてしまっている。
やはり打たせるべきだったか……。


ところが、緩奈はバットを引いて、このボール球を強く叩いた。
「打った?! あんなボール球を!?」
一塁カバーに入っていたセカンドの横をあっさりと抜けて、ライト前、フェアゾーンでワンバウンド。そのままファールゾーンへと転がる。
「やったぁ、長打コース!」
「みんな還れるよ!」
香撫ちゃんはもちろん、結衣もホームに還ってきた。
絢郁も三塁を回り、ホームに突っ込むが、ライトの返球がわずかに間に合わない。滑り込んで、体勢の悪かった捕手のタッチをかわしての華麗なホームイン。
打った緩奈は二塁まで進み、結衣に続いてライト線へのタイムリーツーベースとなった。
「打った緩奈もすごいが、お前もよく走ったよ。ナイスラン、絢郁」
「あ、ありがとうございます……」
え、何で敬語……?
っていうか、わざわざスクイズのサインを要求しといてそれに逆らうとは……。これは指導が必要だな。


「タイム!」
バッテリーと内野陣がマウンドに集まる。
さすがに相手も間を取るか。この回四失点だし、ここまでで篠岡を変えてもいいだろうが、ベンチは動かない。
オレはその間に美憂ちゃんに策を授ける。策と言っても、オレのサインをよく見るようにと、ただそれだけだ。


「プレイ!」


篠岡は入念に足元をならして、初球を放る。
オレのサインは”待て”。
あれだけ派手にやられた後じゃあ、すぐには立ち直れないだろう。とはいえ、漫然と振りにいくのは相手を調子づかせる可能性もある。
まずは一球、様子見だ。


篠岡のカーブが低めに外れ、ベースでワンバウンドした。
カーブの制球も怪しくなってきたか。もう一球、”待て”だ。


二球目はストレート。これも明らかにボールとわかる球だ。
美憂ちゃんはオレのサイン通り、この球を見送ってカウント2ー0。
前の打席ではボールもストライクも全球空振りで三振だったし、ここまで打ち気がないと待球の指示が出てると思うだろう。実際出ているわけだし。そこでカウントを取りにきた棒球を叩く。
美憂ちゃんはオレのサインをちゃんと確認し、構える。
ここで読みを外してもまだカウントに余裕はあるし、安全に勝負できるはずだ。


相手バッテリーの選択は、やはり甘いコースの速球。狙い通りだ。
しかし、これは毒入りのリンゴ。食いつけば勢いを止められてしまう危険を孕んでいた。そうとも知らず、美憂ちゃんはオレのサイン通り、この球に手を出してしまう。
タイミングはどんぴしゃだったが、打球は詰まらされて、投手の足元、二遊間に転がっていった。


「緩奈、バック!」
二塁の緩奈は万が一を想定してリードを控えめに取ってくれていたので、最悪のゲッツーは免れ、ランナーも得点圏に残しておけた。
今のはたぶん、スライダーだったんだ。こいつにトドメを刺すカギは、どうやらこのスライダーにありそうだな。


一死二塁となって、打席には美聡。
確実性を考えれば、ここは送って次の結祈に任せたい。今日は八番に据えているものの、結祈の打順は本当ならもっと上位だからな。


美聡はサイン通り、綺麗にバントを決める。緩奈も問題なく進塁できた。
「ごめんな。打ちたかったか?」
「いえ、監督の指示通りにできただけで満足ですよ」
「それなら良かったよ」
美聡は遠慮がちなところもあれば、本当に欲がないときもあるということが最近わかってきた。
今回は後者の方だろう。そう思ってしまうのは傲慢なのか。


結祈はさっきヒットを打っているが、やはり心配なのはスライダーだ。微妙な変化なのが余計に厄介で、みんないまいち捉えきれていない。
「結祈ちゃんには打ってもらわないと、次は遥奈ちゃんだからね」
「ああ。ここで一気に畳み掛けたいところだけど……」
とは言っても、今日の一番打者は美莱ちゃんだ。一番が絢郁だったら、なんとか一番まで回せば……と思える。やっぱり、絢郁は一番がいい。
「兄さん、あと何点ほしい?」
「取れるんなら何点でもあった方がいいだろ。でも、そうだな……あと二点はあるといいかもしれない」
結祈はまだ無失点。だがこの裏、相手も二巡目に入る。さすがにそろそろ捕まるだろう。遥奈ちゃんだって、一発の危険がある。
「だったら、もっと強引にいってみない?」
「……いいだろう。試してみる価値はある」
その間に、結祈は初球の低めに落ちるカーブを見逃してワンストライク。
幸い、結祈はいつもピッチャー返しを心がけているようだし、うまくいくかもしれない。


「タイム」


オレは絢郁を伝令に行かせ、結祈と緩奈に作戦を伝える。絢郁の話を聞いた二人はオレの方に視線を寄越し、頷いた。


「プレイ」


あの様子だと、二人はやる気になってくれたんだろうけど、一応ベンチに戻ってきた絢郁に二人の様子を聞く。
「大丈夫、きっと上手くいくよ」
結祈に対する二球目。篠岡がモーションに入り、ボールをリリースするとほぼ同時に、三塁の緩奈はスタートを切った。
ここで結祈が打てないと、緩奈は挟まれてアウトになってしまう。結祈がアウトになっても、点は入らない。
しかし、結祈は篠岡のストレートを見事に叩き、打球は低い弾道でピッチャー方向へ。篠岡は取れず、マウンドに勢いよくぶつかった打球はイレギュラーバウンドで二遊間を抜け、センター前まで飛んでいった。その間に、もちろん緩奈は生還し、結祈も無事に一塁へ到達。センターゴロでもう一点追加となり、これで五点目だ。
「ナイバッチ、結祈ちゃーん!」
「この回まだまだいけるよ!」
とは言っても、次は遥奈ちゃん。さすがに遥奈ちゃんに同じ真似はできないだろう。
それに、今日の篠岡は荒れてるから当てられるのも怖い。見送って、フォアボールになれば儲けものってところかな。


「ストライーック! バッターアウッ! チェンジ!」
さすがにそう上手くはいかないか……。


「……まったく、とんでもないことを考える人ですね」
防具をつけながら、緩奈が呆れたように言う。
「うまくいかなかったら、絶対文句言ってただろ」
「それはそうですよ。デタラメにも程があります。……でも、期待してますからね。全国に連れていってくれるって」
「……バカ、気が早えよ」



三回の裏。点を取った回の裏だ。しっかり抑えて、完全にこっちのペースにしてしまいたい。
先頭は二番の佐野。ストレートを二球続けてあっさりと追い込んだが、結局粘られて、歩かせてしまった。
「ランナー気にしなくていいよ! 一つずついこう!」
打席の後で疲れてるのか、変に力んで投げてるな。次はクリーンナップだし、少し冷静になってもらいたいけど。


三番の五十嵐の打席。
緩奈は初球の前に、一回牽制をさせる。と、これは美聡の頭上を越える大暴投。
「香撫さん!」
慌ててライトの香撫ちゃんがカバーに入るも、佐野には三塁まで進まれてしまった。
「タイム、お願いします」
「タイム!」


緩奈と内野陣がマウンドに集まり、恐らく結祈を落ち着かせようとしているんだろう。
だが、どうして急に制球が悪くなったんだ? 打席の後で疲れてるってだけじゃない何かがあるのか?


マウンドに集まっていた守備陣がそれぞれの位置に戻り、プレーが再開される。
状況は、無死三塁で、打者は三番・五十嵐凌介。内野ゴロでも、外野フライでも一点だ。……スクイズもあるか?
緩奈がちらとこっちを見たので、初球は外すようサインを出した。
しかし、結祈が投げたのは縦の高速スライダー。なるほど、ベースでワンバウンドするような球を無理に当てにいけば、打ち上げる可能性が高いというわけか。


案の定、結祈がリリースした瞬間に佐野はスタートを切り、五十嵐もバントの構えを取る。ところが、初回の打席のラストボールで見せたこともあってか、五十嵐はバットを引いた。
「戻れっ! 日向!」
バットを引くと同時に五十嵐がそう叫んで佐野を戻したため、ランナーは挟めなかったが、スクイズ阻止は上手くいった。


結祈の二球目は高めに浮いたストレート。これはボール。緩奈も咄嗟に立ち上がって捕球するほどだ。


三球目もボール。今度は縦の高速スライダーが低めに外れた。
「……ストライク入れないと、苦しくなるだけよ」
緩奈が返球時にそんな言葉を投げる。少しキツめの言葉だ。
「大丈夫、こっち来たらホームで刺すから。だから思い切って投げなよ」
絢郁はフォローするが、結祈は大丈夫だろうか。


四球目。速球だがストレートではない。これは真ん中めにいってしまい、五十嵐はためらいなくバットを振り抜いた。
打球はピンポン球のように飛んでいき、ライト側のフェンスを越えていった。
「ファール」
カットボールだった分、ポイントがズレたんだ。とは言え、流し方向なのに力だけであそこまで持っていくか……。
どうする……?


「結祈ちゃん!」
「打たせていいから!」
内野陣から口々に投げかけられる言葉も、彼女には届いているのだろうか。
結局、結祈は次のボールを外してまたもランナーを出した。緩奈の要求はストライクだったはずだ。結祈は、あのスイングに呑まれたんだ。
「ちょっと早いけど、仕方ないかな……」
「景太さん?」
オレはダグアウトから出て、タイムをかける。
それを見た結祈は、マウンドに立ち尽くしたまま顔を伏せた。


「ピッチャー、交代だ」

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