妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第26話 晴れのちくもり -side.Kanna-

連れて来られたのは、住宅街の外れにあるバッティングセンター。
「こんなところにバッティングセンターが……」
「ここ、“月島つきしまバッティングセンター”は少し変わっていてな。まぁ、入ればわかるよ」
月島……? なんか聞いたことあるような……。でも、思い出せない。


「いらっしゃい。あれ、ケイちゃんじゃない。久しぶり〜」
入るなり、監督は受付のおばさんに親しげに話しかけられた。
「お久しぶりです」
なるほど、知り合いのお店だったのか。監督も昔は球児だったわけだし、何も不思議ではない。
「そっちのかわいらしい子は? 彼女さん?」
なんて、からかうような視線を投げかけられる。
「違いますよ。ちょっと色々あって。奥借りてもいいですか?」
「いいよ」
私はおばさんに軽く会釈して、監督の後について奥へ進んでいく。


「……お知り合いなんですか?」
「中学まではこの辺に住んでたんだ。それでよく遊びに来てたってわけ」
「そうだったんですか」


奥はどうやらフリースペースになっているようで、グラブとバット、ボールが用意してあるだけで、マシンはない。
プレートのある位置も少し隆起している。さらに、ルールに合わせてホームプレートの位置を変えて、距離を調節できるように、目安の位置がラインで地面に引かれていた。


「バッテは持ってきてくれた?」
「はい」
私はポケットから自分のバッティンググローブを取り出し、手にはめる。
「オレは投げられないから助っ人を呼んである。けど、まだ来てないみたいだから、トスでアップといくか」


私は軽くストレッチをしてからバットを構えて左打席に立つ。と、監督がボールをトスしてくれるので、タイミングを合わせて勢いよく振り抜いた。
トスでは何も問題ない。ランナーがいない時も同じように打てる。得点圏になると打てないなんて、技術の問題じゃない。それはわかっている。
どうして……。そこまで考えた時だった。


「緩奈、あのさ、…………胸、邪魔に感じたことない?」
「な、何をいきなり……」
邪魔に感じたことなんて……よくあるけど。
「だって、スイングするたびにめっちゃ揺れてるから……」
「どこ見てるんですかっ。最低ですっ」
「しょうがないだろ……。ほら、構えろよ」
私はできるだけ気にしないように、バットを構え直す。
さっきと同じようにタイミングを合わせて……振り抜いたつもりだったが、打球はボテボテのゴロになった。
「あれ……」
気にしないようにしていても、スイングは正直らしい。
「どんどんいくぞ」
数をこなすうちに、コンパクトなスイングでも前に飛ばせるようになってきた。
すると、またしても私の集中を乱そうとしてくる。
「緩奈はしっかりしてるし、可愛いし、おっぱい大きいし、最高だな」
彼の狙い通り、気が散って思わず空振りしてしまった。
「トスで空振りなんて、まだまだだなぁ」
私が睨みつけても、彼は意地の悪い笑みを浮かべるだけ。
深く息を吐いて、構え直す。が、腕に力が入らない。
……じっと見られている。……集中できない。


「あの……、集中できないので、やめてください」
いい加減、そう声を漏らした。これはギブアップと捉えられても仕方ないけど、このままじゃ、いつも通りに打つなんてとてもできない。
「別に見るくらいいいだろ? 触ったりはしないからさ」
「それは当たり前ですっ」
あわよくば、なんて考えてたわけじゃないでしょうね……。
「……チャンスの時のプレッシャーも、オレにいやらしい目で見られてる羞恥心も、バッティングに影響するのは同じだろ?」
「そう、かもしれませんが……っ」
ただいやらしい目で見たいだけじゃないのだろうか。


「そのくらいにしてあげなよ、ケイちゃん」
不意に後ろから声がして、振り返ると、見覚えのある顔と目が合った。
「月島……真心こころさん」
高卒ドラフト一位で山形キルシュに入団した、現役の女子プロ野球選手。
「あ、私のこと知ってるんだね。ありがとう」
彼女の差し出した手を取って、握手を交わす。


「遅かったな。今日はオフだっていうから来てやったのに」
「ごめん、さっき起きたところだから」
女子プロ野球は毎日のように試合があるわけではなく、毎週末に三連戦があるだけだ。
女子も高校野球は盛んになってはきたけど、プロ野球はまだ五チームしかなく、まだまだ発展途上なのだ。
「この子の相手をしてやってほしいんだ。手加減すんなよ?」
「はいはい。君も大変だねぇ……」
「あ、いや……」
月島さんは今年で三年目。それも、二年連続で開幕投手を任されているチームのエース。
私が敵う相手じゃない。
「緩奈、プロレベルの投手と対戦する機会はそう多くない。けど、全国に行けば、必ずある。相手してもらって損はないと思うぜ?」
赤羽大附属の一条さん、白峰の伊ヶ崎いがさきさん、そして駒越こまごえ永妻ながつまさん。確かに、うちのチームで彼女らの相手になるのは絢郁くらい……って、それじゃダメなんだって、さっき言われたばっかりなのに……。


気を引き締めて、バットを構える。
月島さんは緩く変化の大きい変化球を主体として、空振りを取っていくスタイルだったと記憶している。
まずは、じっくり球筋を見る。
「いくよー」
「よろしくお願いします……!」


初球、低めにストレート。
これが月島さんの球……? 遥奈より少し早いくらいの平凡なストレートに見えるけど……。
「今の、振らないのか?」
月島さんの球を捕球した監督にもそう言われる。ストライクだったし、好球必打でいくべきだったかもしれない。
でも、あれなら充分当てられる。


二球目は、膝下への緩いカーブ。外れそうと思ってバットを止めたけど、ボールはストライクゾーンのギリギリを通過していた。
「入ってるぞ」
「……わかってます」


三球目。今度こそは振る。どんな球が来ても、振らなきゃ何にもならない。
そう思って振りにいっても、掠りもしなかった。
最後の球は、最初に見たストレートよりも、もう一段速いストレート。……最初の球は、全力ではなかったんだ。
「三振、か。……緩奈、どうして前の二球は振らなかった?」
「いや、様子見を……と思って……」
でも結果的に、待たない方がよかった。


「だいたい、バッティング練習で打たない奴があるかよ」
その一言ではっとした。そうだ。私はなんてバカだったんだ。
最初の球だって、私に打たせようとしてくれていたのかもしれないのに、私は勝手に勝負だと思い込んでいた。
「次三振したら、明日一日、オレのことは“お兄ちゃん”と呼べ。いいな?」
「……わかりました」
呆れるような条件だけど、監督なりに気を回してくれたのかもしれない。
……絶対振りにいかないと。お兄ちゃん、なんて、呼びたくないしね。



「ありがとうございました……」
「いいよ。こっちこそ、楽しかったから」
かれこれ一時間近く投げてもらって、いい当たりも何本か打てた。それに、自分の苦手なコースもわかったし、今日は本当にいい勉強になった。
「明日が楽しみだな、緩奈」
「……うるさいです。最低です」
……三振も二つしてしまったのは、失態だったけど。


「本当に今日はありがとな。今度は絢郁も連れて来るよ」
「え……、できればあの子の相手はしたくないなぁ」
「仮にもプロだろ? 弱音吐いてんなよ」
監督と談笑している真心さんの視線が、再び私に向けられた。
「緩奈ちゃん、プロの舞台に来るの、楽しみにしてるよ」
「……は、はいっ!」


月島バッティングセンターを出て、学校へ戻る。
もう陽も傾き、辺りは茜色に染まっていた。
「緩奈、疲れてるとこ悪いが、もう少し付き合ってくれ」
「え? はい……」
何だろう……。


付いていくと、学校の最寄り駅までついた。繁華街と呼ぶにはお粗末だけど、この辺りじゃ栄えている方だ。
監督は駅前の中でもお洒落な喫茶店へと、私を連れていった。
「遠慮しないで、好きなの頼めよ」
「じゃあ、これで……」
「今日はどうだった?」
「……まぁ、楽しかったです。それと、監督が変態だということも、改めてわかりました」
「おいおい、そう言うなよ。でも、楽しめたならよかったよ」
注文した品が運ばれてきて、一旦話が途切れる。
私が頼んだのは、小さなパンケーキにバニラアイスが乗ったもの。イチゴも添えてあって、少し贅沢だ。
「今日は何か気晴らしになればいいなぁと思ってたから、どこか遊園地でも連れていってやろうと思ってたんだけど、楽しんでもらえるか不安だったからさ。こういう方がいいかと思って」
遊園地でもよかったけど、監督の中の私はそういうキャラではないんだろう。まぁ、そういう様子を見せていないから仕方ないけど。
それに、監督はどうも私は感情の起伏が乏しいと思ってたみたいだし。


「……どうして、ここまでしてくれるんですか? ……やっぱり胸が目当てですか?」
「やっぱりってなんだよ!? そうだな、チームのため、と言っておこうかな」
それって、本当は違うってこと……?
「もちろん、緩奈の将来が心配だったというのもあるけど、まずは野球部を潰さないことを考えないといけないからな」
……それが何故なのかは、言えないってことね。


「それと、もう一ついいですか?」
「ん、何だ?」
「真心さんとは、……その、付き合ってるんですか?」
思い切って聞いてみてしまった。どうしてこんなことを聞いたのか、自分でもわからない。聞けば後悔するかもしれない。どうしてか、そんなことも思っていた。
「昔、な。あいつとは小さい時からずっと一緒でな。中学の終わりの方から付き合うことになったけど、高校の途中で別れたんだ」
「どうして別れちゃったんですか?」
「プロ入りが決まる最後の夏に向けて、野球に集中したいって言ったら、自分も同じだって、別れることになったんだ」
それじゃあ今、また付き合おうって言われたら、断る理由がないってこと……。
それは言えなかった。
どうしてだろう。何なんだろう、この胸のモヤモヤは。せっかく監督に近づけたと思ったのに、また遠ざかってしまうような、そんな気がした。

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