妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第14話 90フィートの駆け引き vs青葉台女子⑤

「セーフ!」


「ナイスラン! 絢郁ー!」
「絢郁、カッコいい〜!」
審判のコールにベンチがどっと湧く。
さすがは絢郁だ。タッチを掻い潜る技術も並外れたものがある。
「このチャンス、大事に行こう!」
「はい!」


一アウト三塁。続くバッターは香撫ちゃん。
振らせても、当たりによっては一アウト無駄にすることになる。この場面ならスクイズが妥当か。
オレはスクイズのサインを出すが、絢郁の方からあるサインが返ってきた。緩奈ちゃんと絢郁にだけ許可した特殊なサインその二、"拒否"のサインだ。
普通ならベンチの指示は絶対だ。逆らうことなど許されない。でもオレは、グラウンドで直にプレーする選手だからこそわかることもあると思ってる。彼女らの経験、判断力を信じて、オレはこのサインを託したんだ。
それを早々に使ってくるとはな……。


「タイム、お願いします」
絢郁がタイムを要求して、香撫ちゃんと何かを相談し始めた。
何か策を考えついたんだろう。面白い。ぜひ見せてもらいたい。


「プレイ!」


香撫ちゃんが再びバッターボックスに入る。立ち位置は真ん中の前寄り。
この場面でアウトを無駄にせずにできることと言えば、スクイズかホームスチール、それか犠牲フライ。どれでも成功すれば一点入る。
前の打席でバントを見せてるし、相手としてはスクイズ警戒だろうか。


そしてピッチャーがモーションに入るとほぼ同時に、絢郁はスタートを切った。盗塁を決めたときも今回も、絶妙のタイミングだ。
それにつられてサードも前に出て、ショートが三塁に向かう。


一方の香撫ちゃんはバントの構えを見せたが、外されたボール球だとわかると、ギリギリでバットを引いて、ストライクは取られなかった。
絢郁の方は、手から帰ってなんとかタッチアウトは免れた。
「危ねぇ……」
「今のは監督の指示ですか?」
「いや。あの二人が自分で決めてやったことだよ」
「それじゃあ今のは失敗ですかね。それとも……」
緩奈ちゃんがネクストにいるため暇なのか、遥奈ちゃんがオレの隣で何やら意味深な呟きを漏らす。
「わざとってことか?」
「どうかな。絢郁の走りも、盗塁の時のそれと変わりなかったし」
結祈までもがオレの隣にやってきた。
「じゃあ、バスターって線もあるかな」
「絢郁のことだから、案外ホームスチール狙ってるかもね」
「うわ……、ありえる。ディレードスチールとか得意そうだし」
この二人、投球の話以外だと案外仲いいんだな。オレのことも無視して話し込んでるし。
それにしても、チームメイトからも絢郁は高く評価されてるのか。この場面、一層彼女に期待したい。


少し間を置いて、伊淑さんは二球目を放る。やや高めに外してきたが、二人に動きはない。
相手バッテリーとしては、そろそろストライクが欲しいはず。次は変化球で厳しいところを攻めてくるだろう。


三球目。インコースへスライダーを放ってきた。この対角線投球、左打者にはボール球に見えるだろうこのボールは、しっかりとストライクゾーンを通過してミットに収まる。
香撫ちゃんはバントの構えこそしたものの、すぐに引いて見送ったし、絢郁もスタートを切らなかった。
「スクイズではないのかな」
「どこでスタートするだろうね」
今のは相手バッテリーにどう映っただろうか。本命はスクイズじゃなくて、フォアボールを誘うこと。その線もチラつき始めてると思うけどな。


そして次の一球、ピッチャーがリリースするのとほぼ同時に、絢郁はスタートを切った。香撫ちゃんもバントの構えを取っている。
「あれ、普通にスクイズなの!?」
「でもタイミングは微妙よ。絢郁ならもっと早くスタートが切れたはず」
確かにそうだ。だがこのタイミングでは、伊淑さんはボールを逸らすことはできずに、狙っていた真ん中外に放ってしまう。
香撫ちゃんが上手く当てたボールは、前進してきたサード、ピッチャー、キャッチャーのちょうど真ん中あたりに転がり、一番体勢のいいサードが拾い上げた。


しかし、この時すでに絢郁は三塁に帰塁を始めており、ショートのカバーが遅れた三塁には送球は間に合いそうにない。
一塁だけでもアウトを取ろうと、サードが一塁カバーに入ったセカンドに送球すると同時に、絢郁は踵を返してホームへと再度スタートを切った。
「えっ!? 絢郁、何してるの?!」
「あいつ、香撫ちゃんもセーフにさせるつもりだ」
「でも、これはちょっと無茶じゃ……」
バントに備えて前進していたファーストが、絢郁のスタートを見てサードの送球をカットし、ホームへ送球するも、絢郁はまたも三塁へ帰っていた。
もちろん香撫ちゃんはセーフ。フィールダースチョイスだ。


オレもそうだが、両隣の二人も言葉もなく呆気に取られている。
点差はあるんだから打者を確実にアウトにすればよかったのに、隙を突かれてホームを陥れられる焦りと、"刺せそう"だと思わせる絢郁の絶妙の位置取りが、青葉台女子の内野陣をものの見事に混乱させたのだ。
あれ、初回にも似たようなことがなかったっけ……。
「恐ろしいやつだ……。考えても普通やろうと思わないし、実際にできてしまうのがな……」
「格が違うわね」
「うん」
今のプレーは、結祈や遥奈ちゃんにもいい刺激になったんじゃないか?


ここで打席に入るのは三番、緩奈ちゃん。
男子野球ならホームランで同点の場面だが、女子野球ではホームランなんてまずお目にかかれない。初回に霞淑さんのホームランがあったが、あれは霞淑さんの体格や技術があってのものでもあるし、緩奈ちゃんに期待するのは違う。
緩奈ちゃんとしては、遥奈ちゃんの失点を少しでも多く取り返したいと思っているはずだ。幸いなことにランナーは二人とも俊足。二点は返せるかもしれない。
「緩奈……、頑張って」
遥奈ちゃんは祈るように、真っ直ぐに彼女を見つめている。
すると、絢郁がこっちを見ながら右ひじを軽く叩き、香撫ちゃんの方へ視線を向けた。
"香撫さんに盗塁のサインを出せ"、そう指示している。香撫ちゃんは盗塁の練習はまだあまりしてないって、絢郁から聞いてたんだけどな。
何を考えてるかは知らないが、絢郁様の指示に逆らうわけにもいかない。
オレは香撫ちゃんに盗塁のサインを出す。走るのは、牽制の次の一球。
……オレ、監督らしいことあんまりしてない気がするなぁ。


初球はインハイへのストレート。
きわどいコースには決まっているものの、緩奈ちゃんはまったく打ち気を見せずに平然と見送った。
伊淑さんはその見送りを不自然に感じたのか、一球牽制を挟んで間を取ってから、再びセットポジションで構える。
牽制の後、ここで盗塁だ。香撫ちゃんの足なら、リリースする手前からスタートしてもギリギリ間に合うだろう。


二球目もストレート。今度は内角低め、ストライクゾーンにも入っている。
香撫ちゃんは、やはり少し遅れてスタートを切った。このタイミングだと、ちょっと間に合わないかもな。
それを察したのか、絢郁がやや大きめにシャッフルリードを取る。送球を誘って、香撫ちゃんの盗塁をアシストしようとしてるんだろう。
「でもあれはさすがに大きすぎるよ……」
「いや、あれでいい」
「どうしてです?」
「戻る必要がないからだ」
緩奈ちゃんもやや振り遅れた空振りでアシストするが、捕球後、素早く三塁へ送球される。
送球される直前には三塁へ戻るように体を傾けたものの、いざボールが放たれると、絢郁はホームまで全力で駆け出した。
サードが捕ってまたホームへ送球し返しても、間に合わない。
「一点返した!」
「絢郁、すごい!」
さらにサードが軽率にもホームへ送球し返したことで、その間に香撫ちゃんは三塁まで進むことができた。
「ナイスラン、香撫さん!」


「タイムお願いします」
相手キャッチャーの倉田さんが、すかさずタイムを取って内野陣を集めた。
まずは一点返せたが、青葉台女子にとっては失点以上のものを背負うことになっただろう。
特にサードとファーストは、絢郁が幾度も掻き回したことで、判断力がだいぶ鈍っているように思える。とはいえサードは四番の伊藤さんだし、替えるわけにもいかないというのも実情だろう。
投手にとっても、これはかなり堪える失点の仕方じゃないだろうか。

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