妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第8話 体幹トレーニング -side.Yuki-

練習の後、私は監督の部屋に呼ばれた。
嫌なら無理に来なくてもいいと言われたが、用件はわかっていたので、私はジャージに着替えてから、監督の部屋を訪れた。


「その辺に、うつ伏せに横になって」
私は言われた通り、床の空いているところにうつ伏せになった。
監督は事故の後遺症で力が出せない。結衣さんですらどかせなかったんだから、大丈夫、襲われても逃げられる。信用しようと思っているのに、そんなことを考えてしまう。
「じゃあ、まずは軽めのやつからいくか。手を顔の辺りに置いて、右腕と左足をまっすぐ伸ばして軽く持ち上げてみて」
「こ、こんな、感じ?」
「そうそう。腕は肩の付け根、足も股の付け根あたりから上げて、対角線に伸ばすイメージで」
と、監督の手が私の左太腿に触れる。私が正しい姿勢を取れないから、手伝ってくれてるんだ。わかってる。でも……。
「……触んないで」
「あ、ごめん……」
「……それで、この後は?」
「それを交互に……そうだな、左右十回ずつやってみようか」
「わかった」


やり方自体はそんなに難しくないものの、思ったよりきつい。今までサボっていたツケが回ったんだ。
「どう? きついか?」
「大丈夫、まだやれるよ」
「練習の後なんだし、無理はするなよ?」


続いて、肩の下に両肘をつき、腕立て伏せのように体を浮かせる。体幹トレーニングといえば、真っ先にこれを思い浮かべるだろう。
「身体が一直線になるようにな。肩や腕の力で支えようとしないで、腹筋を意識して。じゃあ、三十秒その姿勢を維持」
すぐに身体が震えてくる。無駄な力が入っているのが自分でもわかる。眼下に置かれたタイマーを見ると、まだ十秒も経っていない。
「お尻が上がってるぞ。もっと腰を落として」
わかってる、けど……。自分の体幹の弱さを改めて自覚する。
時間を知らせる音に、私は気が抜けたように崩れ落ちた。
「まだ終わりじゃないぞ」
「ちょっと休ませてよ……」


私はうつ伏せに倒れたまま、息が整うのを待つ。
「いいよ、続き」
「わかった」


次は仰向けになって、足を九十度に曲げた形で上げる。手は頭の後ろに置き、対角線の肘と膝をつけるように上体を起こす。
「これは左右十回ずつにしようか。ゆっくりでいいよ」
だが、これもすぐにバテてしまう。
「大丈夫か?」
「大……丈夫」
全然大丈夫じゃない返答になってしまう。これでは余計に不安を煽るだけだ。


「練習の後だからな。慣れるまではもう少し回数減らすか。今日はもういいぞ。明日からまた、練習の後にやるからな」
「は、はい……。ありがとう、ございました……」
私はふらふらになりながら自室に戻り、明日に備えて早めに眠った。



翌練習、絢郁を打席につけて変化球の投げ込みをさせてもらった後、私は律儀にも監督の部屋へ向かう。
「よし来たな。昨日はあんな感じだったし、今日は来ないんじゃないかと思ったよ」
「昨日があんな感じだったから、今日も来たのよ」
それに、今のままじゃダメなこともわかってる。だから、逃げ出すわけにはいかない。


早速、昨日と同じトレーニングを始める。
昨日よりは、長くできたと思う。とはいえ、まだまだ未熟なことに変わりはなく、終わったあとは相変わらず疲れきってしまっていた。
「よく頑張ったな。昨日よりは、マシになってるぞ」
「それはどうも……」
「ご褒美をやるよ。そのまま寝てろ」
そう言って、彼の手がうつ伏せに横になっている私の肩に触れる。
「ちょっ、何するの!?」
私は思わずそれを振り払うと、彼はその反動で突き飛ばされたように倒れてしまう。
そうだ、彼は……。
「あ、ごめん……」
「ってて……。いいよ、何も言わなかったのはオレの方だからな」
「何しようとしたの?」
「マッサージしてやろうと思ったんだよ。これでもオレは、健康科学科の学生だからな」
そういえば、監督って言っても大学生なんだっけ。
「それならそうと、先に言ってよ」
私は再び横になり、彼を受け入れる意思を示す。
「だから、悪かったって」
彼も、再び私の肩をさすり、徐々に疲れ切った私の筋肉をほぐしてくれる。
「痛くはないか?」
「大丈夫。もっと強くてもいいよ」
結構気持ちいい。あまりの心地よさに、時々声が漏れてしまうのが少し恥ずかしいけれど。
肩からだんだんと、背中、腰をほぐしてくれる。彼の手がお尻に触れても、私は何も言わなかった。
「ふぅ、こんなもんでどうだ?」
「ありがとう……。すごく気持ちよかったよ」
「どういたしまして」


もう用は済んだ。明日も授業あるし、部屋に戻って寝ないと……。
でも、体が動かない。まだ、ここにいたい。
「どうかしたのか?」
やっぱり聞かれてしまった。用なんてないのに。
「……私、本当はわかってるんだ。遥奈は私なんかよりいい投手だって。なのに、ムキになってエース争いなんて……、本当、バカみたい」
「結祈……」
気が付いたら、押しとどめていた本音を吐露していた。
「遥奈ちゃんは確かにいい投手かもしれない。けど、それは捕手の力も大きいんじゃないか?」
「それもわかってるよ。でも、緩奈にしてみたら、私より遥奈の方に時間割きたいでしょ?」
遥奈の方も、いつも緩奈と一緒に練習してる。
あの二人の間に割って入るなんて、私にはできないよ……。
「それは、本人がそう言ってたのか?」
「え、いや、そういうわけじゃないけど……」
いちいち聞かなくたって、わかることだってあるじゃない。それに、はっきり言われたら、居場所を失ってしまいそうで怖かったから。
「じゃあ、緩奈ちゃん自身に聞いてみたらいいんじゃないか? 結祈はもっと緩奈ちゃんと練習して、自分の持ち味をたくさん気づかせてもらったらいいよ」
「でも……」
「なんだよ、意外と臆病なんだな。もっと自信持てよ」
自信……。遥奈ほどの投手を前にして、自分の弱さを自覚して……。どうしたら……。
「遥奈ちゃんはもって三回だ。残り四回は誰がマウンドに上がるんだ?」
「それは……」
「オレは、どっちがいい投手かなんて考えてない。どっちもうちにとって必要で、それぞれに違った魅力がある。どっちも、うちの大切なエースなんだよ」
彼の腕が私を包み込み、そっと抱きしめられる。視界が段々と滲んで、鼓動が逸っていくのがわかる。
私は幼い子供のように、彼にしがみついて、その温かい胸に顔をうずめた。



気がつくと、暖かな光に目がくらんだ。
私の身体は、彼の腕の中にあるままだ。もしかして、あのまま寝ちゃったのかな……。
なぜだかもう少し甘えたくなって、私は彼を抱きしめるように、さらに密着する。心音が短いリズムを刻んでいるのがわかる。この音は、私の……? それとも……。
「……起きたか?」
突然声をかけられて、身体がビクンとはねた。
起きてたんなら、もっと早く声をかけてくれればよかったのに……。自分のしていたことを思い出して、恥ずかしくなってくる。
「ごめん、寝ちゃったみたいで……」
「そう思うなら、とりあえず降りてくれないか?」
私は慌てて彼の体から飛び退いた。
「おはよう、結祈。気分は落ち着いたか?」
「おはよう……。……まぁまぁね」
落ち着いた、というのは昨夜のことか、それとも今のことだろうか。


「それはそうと、今日授業は?」
その言葉にふと時計を見ると、もう十時をまわっていた。
「……今日はサボる」
「そうかよ。まぁオレは教師じゃないから口うるさく言わないけど、赤点は取らないようにな」
……ピンポイントで私の一番の心配事を見抜くなんて、さすがは監督だ。
「気をつけます……」
「授業サボるなら、練習の時間までどうするんだ?」
確かに、グラウンドに行くわけにもいかない。
「じゃあ、ここにいる。監督は普段何してるの?」
「用具のメンテとか、グラウンド整備だけど。せっかくだし、オレも今日はサボるか」
そんなことしてたんだ。そういえば、以前はキャプテンがやってくれてたんだっけ。


「その……、色々と、自信持てよ」
「色々って何?」
「……いや、別に」
彼の視線は私の胸に向いていた。……ああ、そういうこと。
上に乗ったまま寝てしまった手前、非難はできなかった。それどころか、少し嬉しく思っている自分もいた。
「……帰る」
「あ、別に変なことはしてないぞ。誓ってしてないからな。あと絢郁には言うなよ?」
私はそれに返事をせずに、見つからないようにそっと部屋に戻った。
……自信、持とう。

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