妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第5話 プレーヤーとしては

翌日。理事長は引っ越し屋まで手配してくれたので、オレはほとんど何もせずに引っ越しが済んだ。重い荷物が持てないのを配慮してくれたのだろうか。今度会ったらお礼をしなくちゃいけないな。


ちょっと早いが、グラウンドに顔を出すとしよう。しっかり練習メニューも考えたし、今日から早速実践していこう。


昼前のグラウンドには、一人の少女の姿があった。
「早いな。どうしたんだ?」
練習着に着替え、バットを手にしているものの、彼女はただ、何をするでもなく呆然とベンチに腰掛けていた。
「そっちこそ」
オレは彼女の近くに腰掛け、ちょうど邪魔もいないこの機会に、彼女と話をしてみることにした。
「結衣は、練習嫌なのか?」
「嫌じゃない、と思う。でもね……」
オレは視線を彼女から離さず、続きを催促する。
「でも、練習してて、意味あるのかなって思う時があるのよ」
彼女の表情は複雑で、その心象はいまいち読み取れない。
「それはどうして?」
「それを発揮する機会がないから」
そっか、去年は試合できる人数じゃなかったんだっけ。
「じゃあその心配は無用だよ。今年は試合に出れる。出してやる」
「……本当に?」
彼女の眼は真っ直ぐにオレを捉えて離さない。期待してくれている。オレは、それに応えたい。
「本当だ。約束するよ。こんないい選手たちを、このまま埋もれさせとくのはもったいない」
「あぁ、一年生たちのこと? 四人ともシニア出身だって。すごいよね。何でこの学校に来たんだか……」
それはオレも知りたいところだな。もしかして、実力の違いを見せつけられて、やる気をなくしたとかなのか?
「結衣もいい選手に含まれてるからな?」
意外だったのか、反応に間があった。
「……あたしのどこが?」
「センスはかなりあると思うよ。少なくともオレは、昨日のスイングを見てそう感じた。体格にも恵まれてるし、他のスポーツでも大成できそうな気はするけど」
まぁ、粗削りではあるから、現段階では実力差が気になるのもわかるが、長い目で見ればシニア組ともさほど変わらないだろう。
「ふーん、そう」
意外にも満更でもなさそうだ。素っ気ない言葉とは裏腹に、口元が少し緩んでいる。
「昨日、何で打てなかったか、自分で気付いてるか?」
「練習不足って言いたいのかしら?」
「そうだよ。でも、安心した」
「どうして?」
「素振りしてたんだろ? 悔しかったんじゃないか?」
その、手に持ったままのバットがそれを物語っている。
「……まぁ、そうね」
「その気持ち、忘れんなよ。打てなくて悔しい思いをした分、打てた時のこみ上げるものはひとしおだぜ?」
なぜか呆れたようにため息を吐かれる。……オレ、何か変なこと言ったか?
「わかったわよ。毎日ちゃんと練習来るわ。これでいいのかしら?」
「とりあえずは、な」


やがて、離れて座っていたその距離を縮められる。
「な、なんだよ?」
女の子らしい、少し甘ったるい香りが鼻をつく。
「ねぇ、いくつなの?」
その嫣然とした上目遣いは、スポーツマンではなく、女の子としての好奇心からなのだろう。
「……二十」
「へぇ、四つしか違わないんだ」
相手は生徒。手を出してはいけない。でも、意識せずにはいられない。
「監督から見て、野球部で誰が可愛い?」
「はぁ? 絢郁に決まってるだろ」
「なんだー、つまんない」
オレがシスコンで助かったと、心底思った。即答できた自分を褒めてやりたい。
「……あたしは?」
そういって、オレの肩にもたれかかってくる。が、バランスを崩して二人ともベンチの上に倒れてしまう。
「もう、だらしないなぁ」
「おい、バカ、降りろ」
倒れた時に、ちょうど結衣がオレに覆いかぶさるような体勢になってしまっている。
「こんなとこ見られたら、どうなっちゃうだろうね」
そんなことわかりきっている。間違いなくクビだ。いや、それだけで済めばいいが……。
「降りろって」
筋肉はついているんだろうけど、思ったより柔らかい……。いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。
「もう、せっかく美少女と密着してるんだから、少しはありがたく思ったらどうなのよ」
「自分で言うかよ……」
マズいな。そろそろ皆が来る頃だ。結衣は言うことを聞いてくれそうにないし、オレの力じゃ……。
なんて考えていると、事態は最悪の方向へと進む。


「あ……」
「最低……っ」
見られた相手は高瀬さん。……最悪だ。はかない人生だったぜ。
高瀬さんはオレに言い訳をさせる暇を与えず、踵を返して去ってしまった。きっと、先生を呼びに行ったんだろう。
「見られちゃったね」
「いい加減降りてくれ、重い」
「重くないしっ!」


そして、目撃者その二が現れる。
「兄さん……」
やめてくれ。絢郁にまでそんな目で見られたら、本当に生きていけない。
「違うんだ、絢郁! こいつをどかしてくれ!」
絢郁は一瞬考えてから、オレの言わんとしていることに気付いたのか、駆け寄ってきて結衣を引きはがしてくれた。
「結衣さん、離れてください! 兄さん嫌がってますから」
「ちょっと、そんなに強く引っ張らなくてもいいじゃん。大体、本当に嫌だったら力づくでどかすでしょ?」
パァン、と痛々しい音が響く。絢郁が結衣の頬をはたいたのだ。
「何するのよ!」
「……兄さんのこと、何も知らないくせに」
結衣の表情は、驚いているようでもあり、怯えているようでもあった。結衣と対峙している絢郁は、いったいどんな表情をしているんだろう。


「兄さん、大丈夫?」
振り返った絢郁は、心から心配そうにオレを抱き起してくれた。……オレだって、起き上がるくらいはできるんだけどな。
「ああ、大丈夫だよ。ありがとうな」
「結祈ちゃんにはあとで言っとくから、心配しないで」
「でも、もう先生に言っちまったんじゃないか?」
疑惑がかかったというだけでも、オレを解雇するには充分なはずだ。


「言ってないわ」
その声に振り向くと、ベンチ裏から高瀬さんが姿を見せた。
「あの後、私は絢郁を呼びに行ったの。……そんな人だと思いたくなかったから」
「ありがとう、高瀬さん」
「か、勘違いしないでよ? あなたが不祥事を起こしたら、絢郁の評判だって下がるんだから、真実を確かめてもらっただけよ。別にがっかりしたくなかったとか、そういうことじゃないから」
えらく饒舌になったな……。そういうことにしといてやるか。


「それで、お兄さんのことを何も知らないあたしに、教えてくれないかしら」
叩かれた頬をさする結衣は、ちょっと目元を潤ませている。いつも余裕を崩さないのかと思っていただけに、少し可愛く思えた。
「結衣は中学では野球やってなかったんだっけ?」
聞かれたのは絢郁だが、オレは自分で答えようと絢郁を制して切り出した。
「そうよ」
「じゃあ、高瀬さんなら知ってるか。三年前の夏の甲子園優勝校、覚えてるか?」
「えっと、常盤高校でしたっけ?」
私立の名門校で、甲子園の常連校だ。その勢いはまだ健在なようで、ニュースでも時々その名を聞く。
「そうだ。オレはそのチームの三番ショートだったんだ」
「あ、思い出した! ドラフト二位だったけど、確か交通事故で大怪我して契約取り消しになったって……」
「そうそう。よく覚えてるな。今じゃ、投げれないし走れない。打つのは……厳しいかな。バットすっぽ抜けそうだ」
そういえば、ノックどうしようか。バントシフトならできるかもだが、他は誰かにやってもらうしかないな。
なんて場違いなことを考えていると、結衣が泣きながら頭を下げた。
「ごめんなさい! あたし、知らなくて……」
「いいって、大事にはならなかったんだし」
「あたしのこと、好きにしていいからっ!」
いや、だからそれはダメだっつーの。


「あの、私も……、男性だからってくだらない理由で毛嫌いしてました……。ごめんなさい!」
高瀬さんにも頭を下げられてしまった。なんか、逆に申し訳ないことをしているような気分になってしまう。
「いや、オレも、急に馴れ馴れしくするなんてデリカシーのないことしちゃったし」
「あ、えっと、好きに呼んで構いませんから……」
「じゃあ、結祈ちゃん、改めてよろしくな」
「は、はい……」
結祈ちゃんは返事だけしたものの、恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
「結衣も、練習ちゃんと出てくれればいいからさ」
「はい……ごめんなさい」
結衣の方は簡単には立ち直れない、か。
「絢郁、皆を呼んできてくれ。練習始めるぞ」
「あ、わかりました」
雰囲気からか、絢郁まで敬語になっちゃってるし……。変に気を遣われても困るし、黙っとけばよかったか……?

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