妹のいるグラウンド

エルトベーレ

第1話 妹のお願い

突然の振動音に飛び起きた。大学の課題をやっていたはずだが、いつの間にかうたた寝していたらしい。
しかし、バイブレータの音でも目が覚めるもんだな……。なんて唸りつつスマホの液晶を見れば、そこには珍しい名前が表示されていた。
「あー、もしもし。どうした?」
『その……お願いがあるんだけど……』
少し前まで同じ家に住んでいた彼女の声は、聞いたこともないくらい落ち着きをなくしていた。それに、普段のあいつは“お願い”なんて言葉を使わない。様子がおかしいことは明白だった。
「オレにできることなら力になるよ、絢郁あやか
『ありがとう……兄さん』


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「それで、どうでしょう。引き受けてくださいませんか?」
オレは眼前の年齢不詳の女性を見据えながら、情報を整理する。
女子野球部が廃部寸前なので、その監督とコーチをしてほしい。簡単に言えばこんな話だった。


絢郁が呼び出すから何かと思えば……野球、か。ただ、彼女に大見栄を張った手前、簡単に断るわけにもいかない。しかしながら、責任重大だ。結果次第では廃部になってしまい、部員の、絢郁の夢を絶ってしまうことになるのだから。


「女子野球部存続のために、どの程度の実績が必要なのでしょうか」
「難しいことは言いません。全国出場くらいで構いませんよ」
今年度全国に行かないと廃部……。充分難しいんですが、それは……。
「もちろん給料はきちんと支払います。……多いとは言えないかもしれませんけれども」
参考までに金額を聞くと、しがない大学生のオレでは持て余してしまうようなとんでもない金額だった。さすがは私立のお嬢様校だ。


「引き受けて、いただけないでしょうか」
オレが決めかねていると、理事長は頭を下げた。元々は強豪だの名門だのと呼ばれていた学校だ。この学校にとって、女子野球部の存亡はそれほど大事なことなのだろう。でも、それなら……。
「どうしてオレなんですか? 部を立て直すなら、もっと専門の人を頼った方が……」
理事長はさも言いにくそうに、か細い声を絞り出す。
「実は、ことごとく断られてしまって……」
「それは、どういった理由で?」
「給料が低いとか、野球部として成立していないような部は持てないだとか……」
「野球部として成立していない……?」
理事長は口を滑らせたとでも言わんばかりに、はっとして目を逸らした。
まさか……。不安になって、思わず聞いてみる。
「現在の在籍人数は……?」
「……七人です。人数不足で、昨年の三年生は一度も公式戦に出ないまま引退してしまいました……」
やっぱりか……。そんな状況で全国に行けなんて、やりたくないよなぁ、普通。でもオレは、絢郁と約束したんだ。今度はオレが、あいつの力になるって。
「わかりました。引き受けましょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとう、ございます……っ!」
今にも泣きだしそうだった理事長の顔がぱあっと明るくなる。
いくつなんだ? この人。


手続きなど、詳しいことは後日行うとのことで、オレはグラウンドに顔を出すことにした。今日のことを、絢郁に報告しておきたいしな。



ここ、あすみヶ丘高校は、一昔前は強豪私立だったこともあり、設備はかなり整っていた。夜間照明はもちろんのこと、練習用グラウンドに屋内練習場、広いスタンド付きの試合球場は天然芝で、確かに、こりゃ経費の無駄遣いと言われても仕方ないのかもしれないな。


広大なグラウンドを見渡してみる。各々が思い思いの練習をしているようで、統率性もなければまとまりもない。この時点ですでにレベルは怪しい。
もう少し注意深く見ていると、バッテリーだろうか、投球練習しているペア。遠投をしているペア。ランニングしている子。ボールを磨いている子
……あれ、六人しかいないぞ? 確か部員は七人のはず……。


すると、絢郁がオレに気付いたのか、こっちに駆け寄ってきた。
「兄さん!」
「練習の途中じゃないのか?」
「そんなことより、監督の話。引き受けたの?」
「ああ。手続きはまだだけどな」
オレの言葉を聞くなり、絢郁は心底ほっとしたようにあたたかな笑顔を見せた。この笑顔が見れただけでも兄冥利に尽きるってもんだ。


「絢郁ー、どうしたー? って、男!?」
さっきまで絢郁と遠投していた美しい黒髪の少女が、オレの存在に気付くなり、汚らわしいものでも見るような目に変わる。ここは女子校だ。こうなることはわかってはいた。だが、思ったより傷つくな……。
「私の兄さんだよ。こう見えてもすごいんだから」
どう見えるんだよ……。
「オレは佐藤さとう景太けいた。後でまた自己紹介することになると思うけど、よろしく」
言葉も交わさず、そっぽを向いて行ってしまった。
……随分な挨拶じゃないか。
結祈ゆきちゃんはああいう子だから、気にしないで。じゃあ、みんなを集めてくるね」
そう言って、絢郁はまたグラウンドの方に駆けていった。


オレもベンチの方へ移動すると、練習着とは違う、ジャージに身を包んだ女の子が座っていた。
「あ、あなたが新しい監督さんですか?」
「え、あ、はい」
「お若いんですね~。私は顧問の早月さつきです。野球には詳しくないので、よろしくお願いしますね」
生徒じゃなくて教師だったのか。口に出さなくてよかった……。
「でも、なんで野球部の顧問を?」
「私は新卒で、いきなり実績のある部は任せられないからって言われて……」
なるほど。今年度の活動次第で廃部か否かが決まるわけだから、廃部になったら当然顧問に責任が問われる。しかし、彼女には新卒という"免罪符"があるってことで、この野球部を押し付けられたのか。理事長はこの部が大事みたいに言ってたけど、最初から捨てる気満々じゃねぇかよ……。



「兄さん、皆連れてきたよ」
練習着に身を包んだ少女たちは、身長も体格も様々だ。どちらかと言えば、小柄な子が多いか。
「ありがとう。えーっと、まだ正式に決まったわけじゃないんだけど、一応監督をやらせてもらうことになった、佐藤景太だ。よろしく」
さっきの結祈という子以外は拍手で迎えてくれた。


オレが自己紹介すると、茶髪の美少女が真っ先に名乗る。
「はいはいっ! 倉沢くらさわ香撫かなでっていいまーす! 脚には自信あります!」
一人でランニングしてた子か。それにしても、すげぇコミュ力高そうな子だな。
「えっと、ポジションとかは決まってるのか?」
「去年はショートやってました! けど、守備はそんなに得意じゃないです!」
さらっと不安になることを付け加えるなよ……。
「ってことは、二年生か?」
「はい! 二年生はもう一人いますけど、今日は来てません」
「その子は何で来てないんだ?」
「たぶん、サボりですかね?」
おいおい……、どうなってるんだよ。


「まあ、今はそのことはいい。じゃあ次、君」
と、ボール磨きをしていた子を指さす。身長も高く、落ち着いた雰囲気の子で、上級生じゃないかと思っていた。
「三年の、綾羽あやはね美聡みさとです」
少々間が空いて、オレは質問を入れる。
「えっと……、ポジションは?」
「あ、ごめんなさいっ。去年はピッチャーをやってましたが、キャッチャーとファーストもできます……」
「ピッチャーか……」
なんか、どうも気の弱そうな子だな……。ピッチャーを任せて大丈夫なのか?
「で、でも、私は守備の方が好きですから……」
何か遠慮しているような感じがする。最上級生なのに、どういうことなんだろう。


「私は高瀬たかせ結祈。ここのエースよ」
さっきは無視されたが、今度はちゃんと名乗ってくれた。この子がエースだったのか。
しかし、そんな彼女の言葉を鼻で笑う者が一人。
「こんなノーコンに、エースが務まるわけないでしょ?」
投球練習をしていた特に小柄な子だ。口ぶりからすると、彼女はコントロールを重視しているのだろう。
「あんな打ちごろの速球で、エースを名乗るつもりなのかしら?」
結祈ちゃんが負けじと挑発するように返した。
エース争いってわけか。でも、エースを争えるほど実力が拮抗した投手がいるのは嬉しい誤算だな。
などと微笑ましく見守っていると、技巧派の彼女とよく似た、いや、驚くほどそっくりな少女がオレの前で軽くお辞儀をした。オレもそれにつられてついつい会釈する。
福原ふくはら緩奈かんなです。あっちの騒いでるのは、双子の姉の遥奈はるなです」
なるほど、双子バッテリーだったのか。
「なんていうか、大変そうだな」
「ええ、まあ。あ、ちなみに私は捕手です」
それだけ答えると、彼女は二人の間に割って入り、争いを治める。
確かによく見ると、緩奈ちゃんの方が髪の色が若干茶色がかっているように見える。双子と言えど、違いはあるようだ。


しかし、恐ろしくまとまりのないチームだな。今のままだと、人数がそろっても試合にならないだろう。
「キャプテンは?」
「あ、私です……」
綾羽さんが控えめに手を挙げる。君がキャプテンだったのか……。この子にこれをまとめろというのは無理があるんじゃないか?


「わかった。自己紹介どうもありがとう。正式に就任したら、また来るよ」
「あ、兄さん、待って」
内心気落ちしながら帰路に就こうとしていたオレは、その麗しい声に思わず振り返った。
「ありがとう。本当に。……でも、無理はしないで」
「…………。大丈夫、無理してないよ」
オレはもう大丈夫だっていうのに……。本当に優しい子だな、絢郁は。

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