ハーフ・ゴースト

島流十次

6 博士と半欠陥

 一歩入るとそこは、廃墟ではなかった。 呆然としながら、自称「アームストロング博士」にリビングに案内される。

 廃墟とは思えない。

 どこも崩れていないし、ホコリ一つ見当たらない。丁寧に磨かれた大理石の床。円型のガラスの食卓の上には、白い花瓶と、そこに生けられた赤い花。椅子は一応4人分何インチあるのだろうか、大画面のモニターに、それから大きなL字型のゆったりとした白いソファ、ローテーブルの上には、菓子類が盛られたバスケット。柔らかなラグ。ワインラックなんかもあって、僕が知る由もないような高級そうなワインが何本も並べられている。

 我が家のものよりも大きい冷蔵庫が目立つ、整理されたシステムキッチンにはひとり、女性がいた。

 目が合う。女性は、目を丸くし、僕を見ながら数回瞬きをして、「博士……彼は?」

 と聞いた。

「ああ、なんというか、後輩だな」

 ちゃんと『博士』と呼ばれた彼は彼女に返事をして僕を一瞥し、「まあ適当にどっか座ってくれ」

 言いながら、ソファに腰掛け、足をローテーブルの上に置いてだらしない格好をした。

「あ、はい……」

 彼と少し距離をとるように、僕もソファに腰掛ける。

「何かご用意しますか?」

 キッチンにいる彼女が、僕たちを見つめてそう言った。

 それにしても、彼女はだいぶ顔色が悪い。顔色のみならず、青いニットの袖口から覗く手でさえも蒼白で、目の下のクマがある。目もぱっちりとしていて、顔立ちも美しく、肩あたりで切りそろえられたブロンドの髪にも艶があるのに、肌の色のせいでだいぶ彼女はやつれているように感じられる。ざっくりだが、十八歳〜二十歳くらいだろうか。

「なんか飲むか?」

 目の前のバスケットに入っていたチョコレートの銀紙を剥がしながら、博士は僕に言った。

「えっと……コーヒーとか?」
「じゃ、コーヒーふたつ」
「わかりました」顎を引き、彼女はコーヒーメーカーに手をつける。

 なるべく彼女にはきこえないように、僕は博士にたずねてみた。

「あの……彼女、大丈夫なの?  具合が悪そうだけど」
「ああ、ニナはしかたないんだ」博士は相変わらず無表情だ。「前々からああでね。なあ、ニナ」
「はい」

『ニナ』と呼ばれた彼女は、愛想よく僕に微笑み、透き通った優しさのある声で言う。

「わたし、半欠陥ハーフ・ラックなんです。半欠陥は初めて見ましたか?」
「いや、こいつ……アルは、半欠陥は初めてどころか説明もしてないから名前も今きいたばっかりだな」

 博士は、腕組みをしながら言った。
 僕には彼らの話していることが何が何だかわからない。

「こいつとは、さっきうちの前で会ったんだ。というより、再会した。こいつ、オレと同じ身体になっちまったみたいだから、そうなったらもうオレがどうにかしてやるしかないからな。こいつは近所に住んでるアルバート・レイノルズ。大学生」
「アル……わたしは、ニナと言います。よろしくね、アル」
「あ、よろしくお願いします……」

 謎な状況だが、ちゃんとした挨拶をされたらちゃんとした挨拶で返すしかない。ニナがぺこりと頭を下げたので、僕もすぐに頭を下げた。

「奥さん?」

 僕が博士にきくと、博士は何個目かのチョコレートを咀嚼しながら首を振る。

「いや、違う。ニナは使用人というか、秘書というか、なんというか、家事手伝いというかそんなかんじだな」

 それにしても、この近隣で日常を過ごしていて彼女のような女性を一度も見かけたことはないが、普段、どうやって彼女は生活しているのだろうか。いや、彼女に限った話でもなくこの博士においてもそうなのだが。外出は一切しないのだろうか。買い物は?  ネットで済ませているのか?  だから普段僕が彼女(と、少年に戻ってしまったらしいこの博士)を見かけることはなかったのだろうか。まあ、この豪邸じゃ、何一つ不自由は無さそうだけど。

 しばらく僕たちの間に無言の時が流れたのちに、ニナによってローテーブルの上にいい香りのするコーヒーが注がれたカップがふたつと、角砂糖の盛られた皿が用意された。

 博士が角砂糖をつまみ、片手に置いていく。 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

「さて」

 すべてを一気にコーヒーに入れ、ニナに渡されたスプーンで中をかき混ぜる。

「どっから話すか」

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