ハーフ・ゴースト

島流十次

5 アームストロング博士

「とりあえず、今オレがお前に教えたいことは二つだ」

 背後から声がして、僕は体育座りをやめて立ち上がり、振り返る。

 そこにいるのは、十四~十六歳くらいの少年だった。金色のロゴとラインがあしらわれたアディダスのジャージに、ジーンズ。同じく、アディダス――ジェレミー・スコットの、例の羽のついた金のスニーカー、それから黒のキャップ。ここまではそのへんにいるただの中・高生の装いだが、これにプラスして、なぜか彼の身体にはそぐわない大き目の白衣を身にまとっている。

「一つ。手入れされていない状態で言うのもなんだが、ここはオレの庭だし、強いて言うなら、この屋敷もまだオレのモンだ。カンフーごっこはともかく、オレの許可なしじゃあな」

 あまりにもおかしな状況を突き付けられ、はたまた理解しがたい発言をされた僕は、言葉を失い、彼の台詞を聞きつづけるしかなかった。

「二つ。その力は使い方次第」

 言い切ったあと、少年は、白衣のダブダブのポケットに両手を突っ込み、僕を見た。僕が頭の中を整理しているせいで、僕と少年の間にはしばしの沈黙が生まれ、少年のグレーの瞳がただただ僕を見つめる。

「久しぶりだな」

 少年が一歩僕の前に近づき、口を開き、ニヤリと笑う。

「アルバート」

 なぜだ? なぜ僕の名前を知っている? この少年と、会ったことがあるか?

「はは」僕はわざとらしく笑ってみせた。「ああ、えっと、君の庭……ということは、君はリヴァー・アームストロングさんの息子さん、はたまたお孫さんか何かかな? 悪いね、あまりにも手入れされていない様子だったから、僕が代わりに雑草でも狩ってやろうかと。それで眺めてただけなんで、別にカンフーとかは――あと、僕は君に会うのはこれで初めてだ。彼に名前をきいていたのかな?」

「リヴァー・アームストロングには孫どころか息子もいねえよ。おい、アル、オレの顔を忘れちまったか? ちょっと若返っただけだぜ? オレこそが、『アームストロング博士』だよ」

 一体何を言っているのだろうか、この少年は。

「おいおい、年上相手に馬鹿みたいな冗談はよせよ。彼は僕の父と歳が近い。君、どう見ても僕より年下じゃないか。ああ、君が本当に彼本人なのだとしたら、『博士』だたか、若返りの薬でも飲んだとか? んな馬鹿な」

 僕がそう言ったそのすぐ後。一秒も無かっただろう。

 ぶわ、となにかが空気を切るような音がし、僕の鼻先にあるのは、少年の拳だった。

 少年はたしかに、僕の数メートル先にいたはずだ。そう、さっきまでは。

「馬鹿な冗談はよせって?」

 少年が、どこか嬉々としたような声でそう言う。彼は拳を僕の方に突きだしたまま、笑った。

「そらオレのセリフだぜ。さあ、『修行』でもしようか。オレがてめえを最強にしてやる。力を使いこなしてえんだろ? おら、こいよ、『ハーフ・ゴースト』くん」

「ハーフ……なんだって?」

 いまいち状況を掴めていない僕に、少年は容赦なかった。

「あとで全部教えてやるよ。オレの腹にパンチ一つくらわせられたらの話だけどな」
「……わかったよ。君、ちょっと速く動けるだけだろ? 年下だけど、手加減無しでいいかな」

 率直に言ってしまえば、僕には喋ってる余裕なんてなかったのだ。

 僕が彼に掴みかかろうとするよりも早く、僕の後ろに現れたのはまるで冷蔵庫を開けたときに感じるような冷気と、それから少年だった。目の前には今にも消えかかりそうな煙がふんわりとそこにあるだけで、少年はもちろんいない。

「手加減だって?」僕の耳元で、声がした。「本気でかかってこいよ、タマ無しか、てめえは」

 ドス、と鈍い音が響く。背中を蹴られたのだ。僕よりも細いあの脚で蹴られたとは到底思えない。まるで、大きな鉄のブーツを履いているそれに蹴られた感覚だったけれど、確か彼が履いていたのは……

(金のジェレミー・スコットのスニーカーじゃなかったっけ……?)

 情けない話で申し訳ないが、蹴られた僕は当然、前側に顔面からぶっ倒れた。よろよろと起き上がり、確認したのは少年の足元。やっぱりだ。履いているのは、鉄のブーツでもスニーカーでもなんでもなく、ジェレミー・スコットのスニーカーだ。 少年がしゃがみこんで、僕の顔を覗き込む。

「隙を作るなよ。じゃないと……」

 下の方から顎に食らったのは、アッパー。

「すぐやられちまうぞ、お前」さっきの蹴りよりもだいぶ手加減のある攻撃だ。

「クソ、それなりに痛い……」
「軽めにしといたんだけどな。かなり。ああ、お前って、背が高いだけで、貧弱だったんだな……」

 顎をさすりながら、僕は立ち上がる。少年はあまりにも弱い僕に呆れたのか、これ以上攻撃してくる気はなさそうだった。

「お前、いや、君は……一体何者なんだ?」
「だから、言ってんだろ。オレはリヴァー・アームストロング。アームストロング博士だ。確かお前が中学に上がる頃だったか、オレが失踪したってことににしたのは……」
「んな馬鹿な! さっきも言ったけど、彼の年齢は僕の父と同じくらいだ。君はどう見ても中学生か高校生くらいじゃないか……まさか本当に若返りの薬を?」

 僕が大きな声でまくしたてると、少年は困ったように腕を組み、顔を歪め、それから腕を組んだ。

「そんな都合のいい薬、あるわけねえだろうが――オレがこうなったのは、薬なんていう簡単な代物のせいじゃない――まあ、信じられねえのも、しかたねえな。結局腹にパンチは食らわなかったが……とりあえず来い。オレの屋敷にな。お前には説明が必要だ。何も知らねえで、その力を使うよりはいいだろうよ。それに、指導者がいたほうが気らくだろ? 一人でやってくよりかはよ」

「――なぜ、君は僕と同じ力を? ハーフなんたらって、一体なんのことだ?」

 僕を無視して、少年は親指を屋敷のほうに指して「来い」と促し、僕に背中を向けて屋敷のほうへ歩き始めた。

 僕は、猫背気味になりながら未だ痛む背中から腰にかけてをさすりながら、必死で少年の背に声をかけ続ける。

「君もあの光を取り込んだの? 光が原因なのって僕だけかな? ああ、光ってなんのことかわかるか? 僕は光を見てから力を手に入れたんだ。君みたいに、強くはないけれど……」
「あれは光じゃねえ」

 屋敷の玄関の前にたどり着き、少年が振り向いて僕を見た。


「魂だ」

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