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ハーフ・ゴースト

島流十次

6 半悪魔

 次に聞こえてきたのは、やはりライオンの声だった。

『おい。十秒も俺を待たせるな。早く起きろ』

 これまでの事が全てぼくが一夜に見た夢だったら、ぼくはどうすればいいのか。そんな不安に苛まれたものの、それは一瞬だったし、一瞬でよかった。ぼくは床に座り込み、脚をのばし、ライオンが閉じ込められているガラスケースに背を預け、どうやら先ほど彼がぼくに言った通りぼくは十秒ほど眠っていたらしい。

「ほんの十秒じゃないか……」目を擦る。

 このままここに座り込んでいてはもし誰かが通りがかったりしたら厄介なので、すぐさまぼくは立ち上がった。
 が、まずはじめにぼくを襲ったのは激しい不快感だった。胃から何かがせり上げてくる感覚。

 声にならない声を漏らし、右手で口を、左手で腹を押さえる。なんとか耐えようとしたが、無理だった。ここで身体に任せ胃の中のものを全て吐瀉するのはどうしてもぼくのプライドが許さなかった。反射的に駆け出し、すぐに目についたトイレに駆け込む。

「ウッ……ぐっ……」

 便器に向けて全てを嘔吐し、そしてそれをすぐに流し、洗面台のほうへ行き、不快感を拭うためにも冷水で顔をバシャバシャと強引に洗った。話はそれからだ。

「クソッ!」

 腹の中か、頭の中か。それは知ったこっちゃないが、とにかくあのライオンの中にいた魂は今やライオンの中ではなくぼくの中にいる。となると、どこを向いて話せばよいのかわからなかったために、ぼくは怒りを露わにしながらここの中心に立ち、全体を見渡して感情を奴にぶつける。

「嘔吐はデメリットに入っていなかったはずだ!」
『吐いたら楽になっただろ? その程度のことを言っておいてどうする』
「クソ……簡単に信用できないライオンだな」
『おい、俺はもうライオンじゃない。俺のことをライオンだとか呼ぶな』

 声は、ぼくの身体からきこえているわけではない。とは言え、具体的にどこから聞こえているというわけでもなく、ぼくのいるこの周り全体に静かに響くようだった。それに恐らく、ぼく以外の人間にはきこえないのだろう。ヘッドフォンか何かで立体音響の音声をきいているようだ。

「きみには他に名前があるのか?」
『いや。あるわけではない』
「なら、エックスにしよう」
『適当だな――まあいい――ライオンと呼ばれるよりは』それから、Xは一拍置き、『それよりも、ハロルド。お前、力使ってみろ』
「あー、そういえば具体的にどんな力なのかも使いかたもきかされてなかったから、いきなり使ってみろと言われても困るな」
『だったら、あれだ。まずあれを見ろ』

 Xにそう言われると、ぼくの頭は、ぼくの意識無しに勝手に動き、顔を窓のほうにむけられた。Xはぼくの身体を使うこともできるのだろう。しかし、いつもこう勝手に使われては困ることが山ほどあるな……そう思いつつ、窓際に置かれた花瓶を見る。花瓶に刺さっているのは、造花だ。

「花?」
『いや。花瓶のほうだ。花瓶が割れるイメージをしろ。いや、自らそれを割るイメージだ。手でぐしゃりと潰す? 叩きつける? なんでもいい。自分でそれを割るイメージなら、イメージの中の手段はなんでも』
「難しそうだな」

 とは言いつつも、ぼくには簡単にできる自信があった。

 花瓶とぼくの間は大体二メートル。手をゆっくりと上げ、花瓶の方に伸ばす。勿論、花瓶に手は届かない。
 Xに言われた通り、脳内で思い描く。
 ぼくの手によって激しい勢いで潰され、ただ割れるだけではなく、粉々になってはじけ飛ぶ、感情も思考もなにも持ち合わせていない花瓶というただの物体が、花瓶ではなくなっていく様を。

 そのとき胸に浮かんだのは、「壊れろ」という言葉ではなかった。

 ――死ね。

 伸ばした手が拳になり、その言葉がぼくの胸、そして頭の中ではじけ飛んだと同時に、パン、と意外と軽い音を立て、花瓶もはじけ飛ぶ。

 花瓶は、ただガラスの破片へと変身したのではない。
 それは破片というよりは、粉に近かった。
 バサ、と、身を宿す場所を失った造花が、床に落ちた。 握った拳が震える。興奮して息は荒い。

「やった……!」思わず歓喜の声が漏れ、顔が綻んだ。
『一発で成功か。才能有りだな。まあまずは小さい物体から挑戦してみるといい』
「要するに、力っていうのは、直接手を加えず破壊できる力なのか?」
『破壊だけじゃない。歪めることもできる。飛ばすこともできる。大体はお前の想像通りに』
「対象は物体だけ?」
『後からお前も試してみるといい。物体だけじゃない。たとえば、俺がさっきまで閉じ込められていたあの犬っころの剥製でもなんでもさ』

 息を整えようと、洗面台に手をつく。やたら体力を使ったようで、まるでグラウンドを一、二週走ったあとのような疲れが全身を覆う。

『それから人間もな』
「人間……」

 あまりよくない想像がぼくの脳裏をよぎったものの、それは洗面台の鏡に映った現実によりすぐに薄れていく。

 ほんの少し変貌を遂げたぼくの姿。
 自慢だったブロンドの髪は、色素がすっかり抜けた雪のようなホワイトの髪に。見る人全てが綺麗だと評してくれたアイスブルーの瞳は、血塗られたような鮮やかな紅の瞳に。

 危うく発狂しかけたところで、Xからの声がかかる。

『安心しろ。これからいつ何時なんどきずっとそんなビジュアルってわけじゃあない。俺の力を使う時――使った時――だけだ。今はまだ身体が慣れてないからか長引いているだけで、あとちょっとすりゃ元に戻る。あのライオンが何故白いかわかったか?』
「なるほどね。にしても、あと少しで舌を噛み切って自殺しているところだったよ」
『そんなに嫌か。似合ってると思うが』

 言われ、今一度じっと鏡を見る。白髪はくはつ赤目のぼくも溜息が出てしまうほど美しかった。

 前髪をかきあげ、「悪くはない。ぼくはなんでも似合うんだ」
『そりゃよかったな』
「ただ、誰かに見られたら困るけれど……まあ、知り合いじゃなければいい」

 髪を手櫛で整えていく。すると、髪も目も、ゆっくりと元の色へ戻っていった。

「さて、とりあえず、ここを出よう」小声でぼくは言う。「それに、もっとこの力を試してみたい」
『気に入ったみたいでよかった』
「さ、行くぞ」
 足を進めながら、顔は出入口のほうを向きつつも左側に設置された洗面台の鏡三つを順番に指差していく。

 ピ、ピ、ピ、と指さされた鏡は、

 パン、パン、パン。

 軽快なリズムで割れていく音を聴いたのは、ぼくがトイレを一歩出たあとだった。

 上機嫌だ、ぼくは。

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