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ハーフ・ゴースト

島流十次

5 白き獅子に眠る


 痩せた子猫から吹き上がる鮮やかな血。
 かわいそうなルーシー・アビントンの悲しそうな瞳、声にならない声。

 古びているのにも関わらず、未だ物を切り刻みたがるジャックの銀の刃。
 まるで人間の手によって緻密に作り上げられたリアルな人の仮面のような顔を見せるジェイ・エヴァンズ、そしてぼくに差し伸べられる彼のそのぬるい手。

 それらすべての光景がミキサーにかけられたかのようにぐちゃぐちゃと混ぜ合わさり、そして、はじける。

 はじけた、と自覚した頃には、ぼくの意識は掃除機で吸われるような感覚と共に舞い戻り、うつろだったものが明確になり、そしてぼくはすぐに目を開ける。

 冷や汗。息は荒い。
 悪夢から覚めたばかりの気分だ。

 あたりを見渡す。大丈夫だ、ここは、アペアスポイルのオフィス内――それも、エイブラハム・アップルヤード社長が目の前にいて――ぼくは、「本部の中の本部」にいるのだ。間違いない。これが現実だ。

 それにしても、なぜ急に思い出す必要のない記憶/意識の中に飛び込んだのか。いや、飛び込んだというよりは、ぼくの意思無しになにか他のものに強制されて飛び込んだのに近い。
(まさか、『魅入られた』……?)

「ハル、どうした? きいていたか?」

 いや、きっと魂に『魅入られた』のではない。もしそうだとすればぼくは今頃もっと大変なことになっているに違いないし、エイブ社長だって、ぼくが魅入られたことに気付いて慌てるだろう。 ならばさっきの感覚は一体なんだったのか。

「いえ……少し体調が悪いみたいで。ぼうっとしていて、社長の言葉は耳から耳へ……すみません」
「体調が悪いだって? 風邪か?」
「そうかもしれません。でも、大丈夫です。ぼくのことは気にせず、話をまた――お願いします」

 ぼくがそう言うと、彼は「そうか」と顎をさすった。「君には、これからの話をしたい。ここまで君にありとあらゆることを話し、見せておいてなんだが、君の意思を尋ねておきたいからね。それは、君に、我々についてくる気があるのかないのか、だ」

 冷静な判断ができるよう、先ほど彷徨っていた意識を払拭するようにぼくは頭を一度振って、前髪を軽く直した。

「逆にお尋ねしますが。ここで社長からの全てを断ったら、ぼくは一体どうなるのでしょう?」
「ハル、それはもちろん」

 社長がぼくへ一歩近づいた。
 義手の親指をぼくの首のほうに突きだし、そのまま左へすっとスライドさせ、ぼくの首を切るようなアクションを見せる。

 ぼくは微動だにしなかったし、驚きもしなかった。そのまま無表情で、社長と目を合わせた。 緊張はしていなかった、と言えば嘘にはなる。

「殺して君を消すとでも? 冗談さ、ハル」

 高らかに彼は笑う。「まあ、そうなってもおかしくはないくらいに、君は我が社の本質を知ってしまった。しかし私はお気に入りのものを簡単にこの世界から淘汰してしまうほどの人間ではないのだ」

 彼がぼくの首元から手をおろしたので、ぼくは脱力したふりをして溜息をついた。

「驚かせないでくださいよ、まったく」
「それは悪かった。ところで、ハル、君は、ジョセフ・プリント・コーポレーションという会社は知っているかね?」
「ええ」即答だ。「アメリカの大手印刷会社ですね」
「そこでは、今、印刷プリント以上のビジネスが行われている。これもひょっとしたら君も知っているかもしれないが……それは、記憶のデータ化だ。ざっくばらんに言うがね。その人間の脳にある記憶をマイクロチップだのなんだのにコピーし、好きなときにその記憶をインストールでき、他人とも共有できる画期的なビジネスであり技術でもある。結果、君にどういうことが言いたいかはわかるかな?」

 頷きもせず、首を振らず、ぼくはただ黙って話をきく。

「君に施させてもらうのは、記憶のコピーし、データ化するということではない。私が君に与えた我が社についてのことを含む記憶をなんらかの媒体メディアに『移し』、そしてそれを我々が厳重に管理する、ということだ。要するに、周りには知られてはならないような我が社の事柄のきみの記憶を、君から盗み、こちらで預かる、ということだ。君がメンバーにならないのならば、私は君にそういった処置をとるしかない。いいね?」

 今度は、ぼくは頷いた。「だから安心してほしい。君が私に答えを出すまでのあいだ、どこかに君のその脳天をスナイプしようとしている者が常に潜んでいるようなことはない。ただ、私は、君の答えを待っている。できれば早めが喜ばしいが……」

 私からはそれだけだ。と、彼は言った。

「メンバーになると君が決めたら、また君に話したいことがある。それは死者蘇生の先にある我々の目標、死者蘇生学の現状……答えを出すのは今でなくてもいい。しかし、待ち遠しいとは言っておこう」

 ほんのすこし口を開くのにためらったものの、ぼくは言葉を発した。

「よくよく冷静になってみれば、ここで、すぐに社長に笑顔でついていけるほど、ぼくはこどもでいられる環境におかれていないんです。もう少しだけ、考えてみます。なぜなら、エヴァンズのことがあるからです。ぼくは父に養子――息子――にしてもらった以上、エヴァンズ社について考える必要がある。ぼくがアペアスポイルのメンバーになれば、エヴァンズを、ある程度は捨てるということだ。そもそも父がぼくを養子として迎え入れたのは将来的には自分の跡取りにしたかったからです。ならばぼくはそのことも視野に入れないといけない。
 でも、ぼくは。この会社を、父の会社よりは魅力的だと思っている」

 与えられる時間は、ほんの少しでいいです。

 ちょっと考えたら、すぐに答えを出しますから。
 ぼくがそう言うと、エイブ社長は「そうか」と息子を見るような顔で優しく微笑んで答えた。 正直まだ悩んでいるようなぼくにはこれ以上この部屋の奥に行く権利はない。社長に背を向け、自然に部屋を出るように足を進めると、「ハル」 と後ろから社長の声がかかったので、ぼくは振り向く。

「その連絡は、メールでもいいぞ。DMダイレクトメールでも、なんでも」

 ぼくは部屋を後にした。頭の中はあえて空っぽにして。何故かって、考え事をしながらこのビルの中をうろついたら、また迷子になってしまいそうだったからだ。今日、わかったことは、実は自分は方向音痴だということ。

 しかし悩みやぼくの選択すべき人生においてのルートは、なかなか一旦消し去るということはできなかった。この最上階の広い通路にひとりぼっち、ぼくは中央に立って、顎に手をやる。
 ぼくは、どうしたらいい? エイブラハム・アップルヤード氏の誘いに乗り、アペアスポイルの暗部の一員になるか。それとも、その誘いをきっぱりと断り、記憶を抜かれ、父の望み通りエヴァンズの次期社長としてこれからを過ごすのか。どうしたいのかと言えば、明らかに前者だ。しかしながら、どちらがぼくとぼくの人生においてベストなのか、それはぼく自身でもまるで見当がつかなかった。

 そもそもぼくが論文を書いて社長に提出したのはアペアスポイルについて気になっていたからだったし、ただ、うちの会社の人間になるよりは、社長のお気に入りになるほうがぼくとしては満足だと思ったからだった。

 けれども――

『おい、坊主』

 ぼくが必死に思考を巡らせていたところで、地の底から這い出てくるような低い男の声があたりに響いた。

 驚愕。なぜなら、ぼく以外にはこの通路に誰もいない。それに、誰かがここにいたとして声を発したところで、こんな風に声が響くなど有りえないのだ。

 辺りを見渡すも、当然ながら周りには誰も立っていない。 ならば声はぼくの幻聴で、疲れ気味のサイン……いや、ぼくは疲れてなんかない。

「誰だ?」

 そんなことをするだなんて阿保だとは思いつつも、念のため、ぼくは声を発して先ほどの声の主に尋ねた。
 すると。

『誰って、ここにいるだろう。俺だ、俺』

 まさか。振り返る。

 そこには、大きなガラスケースの中に展示されている、あの、白化アルビノのライオンの姿。

「お前が? 冗談だろ? ライオンが、まさか」
『俺に向かって《お前》だと?』

 ライオンから声はするものの、口は動いている様子もないし、その身体でさえも動いているわけではない。ピクリともしないただのその剥製の動物から、声がしているだけだ。

「……訂正しようか。きみが……しゃべっているのか?」
『そうだ。厳密に言うと、喋ってるのはこの犬っころじゃなくてこの犬っころの中の《魂》だがな。色々あって、この犬っころの中に俺は魂を預けている。要するにこの犬っころは器だ』
「ライオンは猫科だ」
『ただの例えだ』
「にしても、ライオンから声がするだなんて。やっぱりぼくは疲れているのかもしれない」『俺を幻扱いするな。まあいい。ハロルド・クラーク……お前に話しかけたのは、気まぐれでもあるが、お前と交渉したいことがあるからだ』

「ぼくはもう、クラークじゃない」いや、まてよ。「……なんでぼくの名前を?」

『俺は何でも知っている。いや、なんでもわかる。お前は今はエヴァンズだ。ハロルド・エヴァンズ。ジェイ・エヴァンズの息子――養子――だ』
「ご名答。にしても興味深いな。きみは一体……」
『好きなものは甘い食べ物、年上の美人、映画、服、フレンチ、コーヒー、コミック、それから自分。やることがなくなれば鏡でひたすら自分を見る』
「もういい、もういい。きみがすごいことはこれでわかった。さて、きみは一体、何者なんだ?」

 誰かが通りすぎても訝しまれないよう、ライオンが展示されているガラスケースに寄りかかり、腕を組み、暇を持て余しているのを演じる。ライオンと話す際は、ライオンのほうを見ず、小声で。

『俺は何者でもない。お前のように、名前もない……しかし何かと言えば、俺は神でもあり、死神でもあり、また、悪魔でもある。しかし俺を知る者は俺を悪魔と呼んだので、俺も自分を悪魔だと思うことにしている』
「悪魔だって? 馬鹿馬鹿しい」

 数秒黙り込んだのちに、

「これ、会社が仕組んだドッキリか何かか? あとから社長とカメラマンがでてきて、全部ウソでした、それでは君の間抜け顔を見られる映像をここでリプレイ! だなんてことはないよな?」
『言っておくが嘘ではない。俺が存在するということは現実にすぎない。もっとも、なんだかんだで《科学》しか信用していないお前からしてみれば確かに馬鹿馬鹿しいことだろうがな』
「悪魔だなんて、科学でも証明しようのない、科学と対極の立場にある言わばファンタジーの代物だからね……」
『だが言っておこう。お前がこれまで見てきたものはそのファンタジーの代物である俺が存在したからこそ作られたものだ』

 顔だけライオンの方を見る。「ぼくが見たもの?」

『そうだ。お前はこれまで何を見た? 何を知った? 人工魂。死者の蘇生。それらは全て俺がいるからこそ出来上がった科学だ』
「……どういうことだ?」

 ぼくが睨むも、勿論、ライオンの肉体は反応を見せない。ただ声のみが淡々とぼくに話しかけるだけだ。

『詳しくは言えない。ただ、俺はエイブラハムと契約をし、物体の交換をした。エイブラハムは俺に、俺が欲していたある物を。俺はエイブラハムに、《魂の根源》を』

 思わずガラスに手をつき、落としていた声のボリュームを上げてしまう。

「待て。ぼくは察しがいい。まさか、きみが与えた《魂の根源》を使って社長は人工魂を生成している、と?」
『お前は確かに察しがいい。ああ、そうだ。その通りだ』
「そんなの……」

 目を見開く。ガラスにつく手に力がこもり、わずかに震えた。

「この会社における科学がすべて蔑ろになるじゃないか! いや、社長が蔑ろにしている。となると、そもそもあの魂は会社が作りあげたものではなく、半分はきみが作り上げたものじゃないか!」

『まあ、あいつが作ったという事実には変わりない。実際、俺は、俺が与えた《魂の根源》をどのように使ってその人工の魂を作り上げているのかわからない。全てを知っていたとしても、俺は科学には疎い。頭が古いからな。そのせいで、俺は、あいつがどのようにして俺をこんな犬っころの肉体に魂を封じたのかもわからない』

「きみは社長にここに閉じ込められたのか?」

『そうだ。恐らくあいつは俺を裏切った。交換が成立してから、俺を厄介に思ったのか……文字通りここに俺を閉じ込めた。そのせいで、俺は活動ができずに困り果て、仕方なくここで眠り続けていた。
 が、今日、さっき、お前が俺の所に来たことで、俺は確信した。俺はやっとここから出られる、と。それで、ハロルド。お前に話しかけたというわけだ』

「なんだかわけのわからないことばかりだな……」

 腕を組み、ライオンと対峙する。人の目を気にするのはもうやめた。
 自然と、自分の口元が緩み、なぜかぼくは笑っていることに気がつく。
 このライオン(の、中の魂)の話をどこまで信じてよいのかはわからないし、ひょっとしたらこいつのでたらめなのかもしれないが、こいつの話を信じるとすれば。(ぼくは社長に騙されている?)

 いや、騙されているというのは語弊があるかもしれない。しかし、確実に何かを隠してはいるし、科学の最先端に立つあの社長がぼくに散々科学はここまで来たのだと言っておいてこんなファンタジーな存在の奴の力に頼り魂を生成しているだなんて。ぼくは騙されたと言っても過言ではないはずなのだ。

『さっき言った通り俺は神でもあり死神でもあり悪魔でもある。要するに俺は魂を作り上げ、魂を支配することのできる魂だ。そこにエイブラハムは目をつけたわけだが……』
「ならきみは何故存在する?」
『それは知る由もない。ハロルド、お前は、人間はなぜ生まれたと思う? 言っておくが、俺は自分を神だと言ったが、それは《神に近い》という意味だし、彼らは俺が作ったわけではない。勝手に生まれ、勝手に生きる。 奴らに生きる理由なんてない。そうだと思わないか? その中で勝手に生きる理由や意味を見出すだけで、存在理由なんてない。俺もそうだ。気がついたらこの世界に生まれ、そして存在していた。が、活動したいとは思うし、俺はお前らのように固定された器(肉体)を持たないただの魂だが、やりたいこともあるし、やりたいことをやってきた。しかし、この状態ではなにもできない』
「そこで、丁度ぼくを見つけたってわけか」
『ああそうだ。お前が初めてここに来たときお前は他の奴らと同じく俺にとって使えない人間だった。だが今日、お前は使える人間になった』
「回りくどいな」溜息をつく。「何も知らないせっかちなぼくにわかりやすいように、簡潔に言ってくれるか?」『お前は今日、完全魂パーフェクトに魅入られた。それが俺にとって都合がいい』

「残念だけれど。そんなはずはない。もし魅入られてたら、社長が気がついていたはずだ……」

『奴は気がつかなかっただろうな。何故ならお前が魅入られたのは半分・・だけだからだ。今のお前の魂の半分は様々なことを受け入れやすくなっている。たとえば――俺の魂とかな』 ぼくは黙る。ぼくが魅入られていたのも半分だとすれば、社長が気がつかない可能性は多いにある(社長は、半分だけ魅入られることもあるということを知らないのだろうか?)。勿論これまで魂に完全に魅入られたことなど無いので勝手なことは言えないが、記憶を彷徨った果てに意識が回復するのがやたら早かったので、「半分だけ」と言われても妙に納得できる。

「ああ、ゾクゾクしてきた……大体わかったぞ。きみがぼくに何を交渉したいのかが。もう説明はいい。早くきみの望みを言え」
『ならばお前が言った通り簡潔に言おう。もうこの辺でお前も予想がつくだろうが』

 なんとなく、ぼくはライオンから一歩離れた。

『お前の魂、身体を半分だけ貸せ。少しの間でいい。もし別の器を見つけたら、すぐにそっちに移動してやるつもりだ。安心しろ、お前に入り込むことのできる俺の魂は半分だけだ。何故かはわかるな?』
「もう表面上のことは把握したよ。で? きみの魂を預かったところで、ぼくに与えられるメリットとデメリットはなんだ? そこを詳しくきいてからじゃないと、了承はできないな」
『メリット。お前は力を得る。デメリット。お前は力を得る。他には特にない。要するにその力はお前の為になるが時にはお前の仇となる。俺はお前の身体を使って活動でき、他の器を探せるし、お前は力を使える。お互いにとっていい話だ』
「その力っていうのは、どんな力だ……?」
『それはうまく説明できないな。俺を取り込んでからのお楽しみだ』
「まあ、悪くない。きみが言う限りでは他にデメリットもないようだしね。もしくだらない力だったとしても、まあ、いいさ。ぼくはきみに興味がある。しばらくきみとの共存を楽しんでみてもいい」『なら、交渉成立だな』

 ライオンは気が早いようだった。 快く了承するや否や、ぼくの力はすっと抜ける。
 視界は消えない。ただ、膝から崩れ落ち、ぼくはどさりと力無くその場に倒れこんだ。
 やがて視界がまるで霧がかかったかのようにじょじょにぼんやりとしていき、そして、ぼくの瞼は眠りを強制されるかのようにそっと下ろされた。

 何かが入り込んでくる感覚もなにもない。

 ぼくは、ほんの一瞬、その場で眠った。

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