ハーフ・ゴースト

島流十次

4 殺傷欲

 人間に備わる三つの欲。

 食欲/睡眠欲/性欲。

 けれど、当時のぼくに備わっているのは、その三つだけではなかった。

 ぼくは、そのもう一つの欲求を解消させるためだけに、時にはナイフを握ったし、時には金槌、時にはバールを握って草陰に忍び込んだ。そしてそのたびに、草陰でたまたま出会うことのできた野良猫や野良犬、ねずみなどを傷つけたり、殺したり、または、解剖したりした。動物では物足りないと感じた際には、殺すまでには至らなかったものの同じ孤児院で生活をする少年に暴力をふるったりもした。――《殺傷欲》、とでも言おうか。

 あの日、昼食を済ませたのは誰よりも早かった。他の子供たちが食事を終え小さなグラウンドに飛び出して、そこで目いっぱい遊ぶのよりも先に、ぼくはグラウンドに飛び出したのだ。シスターたちにも見つからないような場所に隠してあるナイフを取り出して。

 そのナイフの刃はぼろぼろだった。ぼくが使ってきたから、そうなったわけではない。孤児院から少し離れたゴミ捨て場から拾ってきたときから、そんな有様だった。ナイフには名前があり、ありきたりだがぼくはそのナイフのことを「ジャック」と呼んでいた。「ジャック」は使うたびにぼくと会話をしたがり、しばしばぼくに話しかけてくる下品な奴だった。

 野良猫や野良犬と遭遇できるのはそう頻繁にではなかったので、殺生をしている時間よりも、殺生の対象を待ち伏せしている時間のほうが長かった。グラウンドから少し離れた草むらに伸びた太い木に寄り掛かって、ポケットにはナイフを忍ばせ、腕組みをし、あたりを見渡してぼくに殺されるべき生き物の登場を待っていた。

 その日はすぐに現れてくれた。

 ぼくの足にすり寄ってきたのは、一匹の子猫だった。毛は汚れていて、体はガリガリ。目はうつろで、どことなく悲しげで、腹を空かせていたに違いない。愛情にだって飢えていたのだろう。子猫はしばらくぼくの足に身をすり寄せてかまってほしそうにしていた。

 子猫を抱きかかえると、やたら軽かった。 ぼくは、この孤児院に来る前、猫を飼っていたのを思いだす。上品な顔立ち、そして毛並をした、ブルーの瞳のシャム猫だ。 あの猫もぼくに懐いて、とてもかわいかったっけ。
 そう思いながら、ぼくは子猫の首を絞めた。

 子猫が死ぬにはすぐだった、ぼくの手の中でするすると力が抜けて、「ああ、死んだんだ」とぼくはそれだけ思う。ぼくと出会ったのだから、いずれにしろ猫は死ぬ運命にあった。

『おい、もうやっちまったのかよ』

 ここでジャックが喋り出す。

「ああ、つい……でもきみの出番はこれからだ」

 子猫を地面に放り投げ、ポケットで眠っていたナイフを取り出し、振り上げ、振り下ろす。横たわった子猫の腹にナイフが刺さった。ブス、と軽く音がしただけで、大した手ごたえはなかった。

『なんだか今日はシケてんなあ』

 確かにそれはそうだった。
 が、ぼくはいつも通りの作業に移る。対象が猫でなくてもそうだ。胸、腹を裂いて、確認・・する作業。

 だが、今回も――

「――無い」
『だろうな』

 この子猫にもないのだ。
 魂というものが。

 当時、ぼくには、人間を含むすべての生き物がなぜやがては死にゆくのかまったくわからなかった。そして、なぜ生き物は息をし、生活できるのかも。ぼくの頭の中には、生き物には必ず魂が存在する、という考えがあった。それは生き物に対する期待だった。ただ肉と骨だけで形成されているという現実を受け止めるのが困難で、そして怖かったのだ。

 勿論なにかを殺傷するということが快楽に繋がらなかったわけではない。ただ、正直に言うと、快楽よりもぼくが求めていたのは――殺傷することによる探究、発見、そしてぼくを満足させる「現実リアル」以上の「現実リアル」!
 結局、数々の殺傷の中でぼくが得たのは、快楽と欲求の解消のみだった。 この子猫の件で、小動物の殺害は大体二十回目くらいだった。

 愕然としたぼくが、また今回も大した成果が得られなかったということに今度は憤慨し、子猫を蹴り飛ばしたそのときだった。

「ハル?」

 ぼくの様子に気が付いて、こちらへやってきて声をかけてきたのはルーシーだった。

 ついルーシーのほうを振り返ってしまったのがよくなかったのかもしれない。ぼくの顔か服についた血、それから足元に転がる子猫の無惨な死体を見た彼女が、目を見開き声は出さずに口に片手をやった。そして、脱力したもう片方の手から持っていた布製の人形を地面に落としてしまった彼女は、慌ててどこかに走っていく。

 それからは早い話だ。シスター数名が困惑した顔でやってきて、小さな死体はそっと回収された。そして、血まみれのジャックも。去り際のジャックの最期の言葉は、『あばよ、間抜けチンポ野郎』。これ以上他の子供に気付かれないよう、ぼくも静かに連行され、そのあとはシスターたちからいろいろ話をされたり、話をしたり。ルーシーはどこかで軽くカウンセリングか何かを受けたのだろう。

 エヴァンズ夫妻がぼくのもとにやってきたのは、丁度それから五日後のことだった。
 彼らがやってくる前、書庫や、いつもぼくが絵を描いたり個人的なことをするときの部屋を確認したが、ご丁寧にバールも金槌もひっそりと回収されていた。まあ、またどこかへ足を運んで、こいつら以上に優れたものを買うだの拾うだのすればいいと思ったし、あのナイフ――ジャック――もぼくが奴の所有者だというのに態度も言葉遣いも悪かったから、もっと利口なナイフに変更するよい機会だ。と、思っていたのだが。

「きみはよく犬や猫を殺していたそうだね」

 シスターとエマ・エヴァンズが席を外し、ぼくと二人きりになったジェイ・エヴァンズは唐突にそう言った。ぼくと二人きりでの会話を希望したのは、彼からだった。

「うん」何も偽ることなくぼくは頷き、「そうだけど」「今でも殺したいと思う?」 彼に問われ、ぼくは数秒間黙った。

 それは、殺したいか、殺したくないか、自分がどちらにあるのか考えていたからではない。どちらにあるのかはハッキリしていた。「殺したい」ほうだった。彼からの問いかけに正直にイエスと答えるか、これにおいては偽りをもってノーと答えるかで迷っていたのだ。

「ハル、僕の前では本当のきみであっていいんだよ」

 彼がそう言ったので、そのときだけはぼくはこどもでいるのはやめた。

「だったら、イエス……ぼくはまだ、生き物を殺し足りない」
「殺すことで快感をおぼえるから?」
「それはそう。確かに、生き物を殺すと、ぼくは今目の前で死んだ弱い生き物とは違って、ぼくは生きているんだと自覚できて、きもちよくなる。そしてぼくの存在意義でさえも、ぼんやりとだけれど、わかった気になれる。でも真の目的は違う。ぼくが生き物の殺害を繰り返すのは、ただ、ぼくの探している答えを見つけたいからだ」
「きみが探している答えは、生き物は『死んだらどうなるのか』ということに対してのものだろう?」

 言い当てられたぼくは、思わず目を丸くしたが、「そう……」 頷いた。

 すると彼はぼくの肩にやさしく手をやった。

「殺生によって自己に気付く。それはきみがどんなにここでたくさんの子供たちと共同生活をしていようと、きみが本当に深く孤独だからだ。きっと、ここに来る前からね。自己に気付くための手段、自分の存在意義に抱かれるための手段は、殺生じゃなくていい。殺生がきみのアイデンティティだとしてもね。きみはもっと他の手段で自己に気付けるし、存在意義に抱かれることだってできるし、幸せになれる。
 きみが探している答えも、違う手段で、時間をかけて、見つけることができる」

 今思うと、このときのぼくはなぜかわりかし素直だった。それは、やがてぼくの父となる彼に、この瞬間から心を開いていたからかもしれなかった。

「ハル、僕の所に来たら、すべてを与えよう。きみが欲しかったもの、知りたかったもの、すべてだ。きみはここに一人でいてはいけない」
「でも、殺生による快感は与えてくれないでしょう……」
「殺しは我慢だ。それは僕が許さない。すべてを与える代わりにね」彼の手に力がこもった。「きみは寂しいだけなんだよ、ハル」

 こう言うと、きみは否定するかもしれないけれど。
 彼はそう付け加えた。

 寂しい、か。

 心の中で、ぼくは呟く。

「そうだね。寂しいと言ったら間違いではないかもしれない。でもあなたは――ひょっとしたらぼくの話をきいたのかもしれないけれど――どんな風にぼくのことをきいたのかはわからない。でもぼくは、寂しいと実際に感じたことは一度しかないんだ。

 父さんはきれいな顔をしていて、とてもハンサムだった。ぼくは彼に似て生まれたんだ。対して、母さんは、女性として見るにはきれいだとは言いにくく、むしろだれから見ても醜い顔、姿だった。けれど母さんには誰にも劣らないほどの知識と教養があって、ぼくにいろいろなことを教えてくれたりもした。すばらしくおいしい料理を作れるひとでもあった。ふたりは釣り合わないように見えたけれど、二人は愛し合っていた。子供のぼくでもよくわかった。でも父さんはある日母さんを裏切ったんだ。父さんは、他の女とどこかに行った。母さんよりも美しい女と。

 母さんは狂ってしまうほどに父さんのことを恨んだ。それからぼくのことでさえも。ぼくが父さんによく似ているからって。母さんはぼくのことを殺そうとした。そう、何度も何度も。でも全部失敗したんだ。それは、心の底ではぼくのことをまだ愛していて、完全にぼくを恨みの対象にすることはできなかったから……ぼくのことは絶対に殺せないとわかった母さんは、自分が消えることを選んだ。母さんは家で首をつって死んだ。ぼくをひとりぼっちにした。家を燃やすだのなんだのして、ぼくを巻き添えにしてくれたってよかったのに。一人きりになったとわかったそのときにはじめて、ぼくは寂しいとかんじた」

「それからその『寂しい』はずっと続いているんだろう?」
「わからない――ぼくには――続いているのかどうか」
「でも僕にはわかる」

 彼が取り出した紺色のハンカチで頬を拭われてはじめて、ぼくは泣いていることに気づいた。

「さあ、行こうか」ジェイ・エヴァンズが明るい声で言う。
「行くって、どこに」
「うちにだ」

 ぼくは首を振った。「あなたが選ぶのはぼくじゃなくたっていいんだ。ぼくがぼくであるから、自分の所へ連れて行くんじゃない。他に理由があるからだ」

「違う」彼はポケットをしまい、「きみも思っていたんじゃないか? 僕たちは似ている、と」

 彼を見る。エメラルドグリーンの彼の瞳と、ぼくのアイスブルーの瞳の視線が重なった。

「家族というよりは、きみを仲間として迎え入れたい。救われない仲間を見ると放っておけないだろう? きみは違うのかもしれないけれど、少なくとも、僕はそうだ。僕も昔はきみと同じように――」言いかけたが、彼はその続きを語るのはやめた。「クラークを捨てて、エヴァンズの仲間入りをするのも、そう悪くはないだろう」

 変わりたくはないか?
 彼はそう言った。
 変わるつもりはあまりなかった。が、ずっとここにいるよりは、この紳士についていったほうが明らかに良いだろうという瞬時の判断が下った。それに、自分の中で忌まわしい物になっていた「クラーク」という姓とおさらばするのも、悪い話ではない。ぼくはなんらかの理由で彼に利用されようとしている可能性が少しでもあるには違いなかったが、別にそれでもここにいる他の子供たちよりも充実した人生を送れるならば満足だ。

 ぼくは椅子から立ち上がった。

「悪くない」そっと言う。「でも、変われないとは思う」
「嫌でも変わるさ。ハロルド・エヴァンズになればね」

 ジェイ・エヴァンズが差し伸べる手を握った。 彼は朗らかな表情だったが、ぼくの表情は、きっとその瞬間もまだ固いものだっただろう。

 結局、ぼくはエヴァンズ家の養子となり、ハロルド・エヴァンズになってから殺した/傷つけた生き物の数はゼロ。勿論最初の頃は幾度も欲求に襲われたが、ジェイ――父――による万全な体制とぼくとの間に交わした約束のおかげで、欲求にこたえることはなくなり、いつの間にかその四つ目の欲求は消え去り、他の誰とも変わらず所有している欲求の数は三つだけになった。 ちなみに余談だが、ルーシー・アビントンは、エヴァンズ夫妻と同時期に孤児院に来訪していたスペイセク夫妻の養子となり、晴れてルーシー・スペイセクとなった。スペイセク夫妻は、ルーシーを「心優しく野原に咲く花のような可憐な子」とルーシーを気に入ったのだった。

 こうして、ぼく――ぼくたち――は、だれよりもしあわせに暮らしたのでした。 めでたし、めでたし。

 で、終わるといいけど。

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