ハーフ・ゴースト

島流十次

6 アデリア・ブルー

 ここで率直な感想をひとつ。洋服代は痛かった。 ワンピース一枚で、60ドル!
 女の子はお金がかかるんだなあと実感。それに、もっと高いブランドで購入するとしたら、こんなモンじゃないんだろう。ひょっとしたら彼女にとってはこんなワンピース、チンケなものなのかもしれないし。

 K大学から片道徒歩五分(もっとも、僕がかかった時間は全力のダッシュで行ったため5分もなかっただろうけど)の服屋は幸運なことにまだ営業中で、息を切らして焦りながら入店した僕はただの不審者だったであろうに違いないが、勘違いされたくなかった僕が事情を話すと、女性の店員は僕に笑顔で優しく接客してくれ、ついでになにがいいか一緒に選んでくれた。僕が迷わずレジで支払いを済ませ、服の入った袋を受け取り、また大学へと戻ろうとするのに多分10分もなかったと思う。 ワンピースの色は、ブルー。

 彼女の好きな色は知らないし、女の子の視点で、彼女に何色が似合うのかはよくわからなかったから、勝手ながら個人的な事情でそれを選んだ。個人的な事情というのは、僕の好きな色は青、ということと、せっかくだからかわいいワンピースにしよう、という考え。(キモがられるかな) 大学の門までついて、袋を目線の高さまであげてまじまじと見ながら、僕は思った。そしてそのまま携帯電話を取り出す。

 と、そうだった。彼女の電話番号は当然まだ登録されてなんかいなくって、さっき、彼女からメモをもらったんだっけ。僕はもらったメモを開く。
 このADELIAというのは、彼女の名前で間違いないだろうか。
 とにかく、服の購入を済ませ、大学に到着した旨を伝えるため、僕はメモに書かれた番号を打って電話しようとする。

 ――やたら緊張するな。

 女の子に電話したことなんかない。まあ、明日はどこへいこうかとか、今度はいつ暇? とか、そういったようなデートの話を彼女とするわけでもなんでもないし、ただ単に簡単に近況を伝えるだけだから、緊張する必用なんてこれっぽっちもないわけなのだけれど――そもそも、もう彼女とはこれっきりなのだろうし――(まだシャワー中だったりして)

 そう思いながら緊張して電話をやっとの思いでかけると、彼女はすぐに出た。通話に応じてくれたことがわかるや否や、僕はすぐに口を開いた。

「あ、あの……さっきの、えっと、僕――だけど――アデリア?」
『ええ、わたしよ。さっきシャワーから出て、ちょうどそっちに電話しようとしていたの』「わかった。もう大学についたから、すぐそっちに向かうよ」

 要件を言うのはもう済んだのに、電話を切るタイミングがわからず、僕がそのままでいるせいでお互い数秒黙っていると、アデリアのほうがさきに反応した。

『切っていいのに』

 アデリアがおかしそうに笑ってそう言った。僕の顔は熱くなる。「ああ、ごめん。すぐ行く」

 まずはじめに恨んだことは、自分が女の子とあまりかかわったことのない童貞であること。
 濡れた服の代わりに買ってこられたのがこんなので、アデリアはげんなりするだろうか。それに、「ついてない」と言っていて、僕と衝突してジュースのシャワーを浴びる前にもなにか嫌なことがあったようだし、もっと元気がなくなってしまったらどうしよう。いや、それとも、喜んでくれるだろうか? いやいや、怒るかもしれないし、怒ったらどうしよう。いやいやいや、彼女は、愛想のいい子で間違いがないから、内心では怒っても、僕にその怒りをぶつけることはないだろうけれど。

 その前に、これが、似合うだろうか。いや、似合うとは思う。彼女はかわいらしいし、なんでも似合うだろうから。

「――って、おかしいな」

 階段を登っているときに、足をとめ、ひとりつぶやいた。(なんでこんなにごちゃごちゃ考えているんだ)
 まるで彼女の恋人でもなんでもないのに、大事なプレゼントを渡す前のひとりの少年のようなことをずっと考えて。

 僕は頭を振った。

 それでも、思い浮かぶのは彼女のことだった。
 ただ心配しているだけかもしれないし、それに彼女をこんなことに巻き込んだのは僕だし、今、彼女との小さなアクシデントに直面しているからかもしれないけれど、そういうときに思い浮かぶようなことじゃない。僕の脳内をふわふわ取り巻くのは、彼女の金髪と、グリーンとグレーを混ぜ合わせたような不思議な色をした瞳。笑うと、なにか企んでいるような子供のそれみたいに緩む口元。

「へんだな、僕は……」

 ごまかすように、肩をすくめてそう言っておく。

 このMMMの日、しかも後夜祭で盛り上がっている時間帯にシャワールームを使う生徒なんて、メロンクリームソーダまみれになってしまったアデリア以外いなかったので、僕は女子のシャワールームの扉を数回ノックするだけでよかった。

「開けても平気?」と僕がきくと、ドアの向こうからアデリアの「ええ」という返事が聞こえてきたので、僕はドアをあける。

 洗面台の前に、タオル一枚だけで身体を隠すアデリアがそこにはいた。もちろん僕は反射的にドアを閉めなおして「ごめん」と叫んだ。

「いいのに」ドアを開けてアデリアが言い、くすりと笑った。「わたしは気にしないもの。それに勝手にかりたこのバスタオルでなんにも見えないでしょ」

「でも、僕が気にするんだ……」

 アデリアの姿をなるべく見ないように顔ごとアデリアから反らしながら、僕はショッパーを渡す。

「これ……気に入るといいけど」
「わあ、わざわざありがとう!」

 アデリアが僕の顔をのぞきこんで礼を言う。

「きみ、困ってる僕を見て、楽しんでわざとそうやってるとかじゃないよね?」片手で両目を覆いながら僕は言った。
「楽しんでないといえば嘘になるかも」
「ついでに機嫌もよくなってくれたみたいでよかったよ。服を見てまた機嫌を悪くしないといいけど……」
「そんなことないはず。着替えてくるからそこで待ってて」

 再びドアがしまった。
 ワンピースだったので、着替えやすかったのか、アデリアはすぐにまたでてきた。

「こんなの――ありがとう。すごくうれしい。さっき着てた服の十倍は女の子らしくてかわいい。この青もとてもきれい」

 もう服をきているというのに、僕はアデリアから目を反らした。
 アデリアはくるりと身体を一周させる。「似合う?」

「ああ、きれいだよ、とても」
「ちゃんと見て。あなたが買ってくれたんだから」

 頬をつかまれて無理矢理顔を正面に向けられた。

「恥ずかしいよ――自分で買ったものだから」

 僕が思った通り、それは彼女にとても似合っていたし、彼女もこの服で気を悪くしたようではなく、心から喜んでくれているみたいなので、安心した。ただあまりにも似合いすぎて、ついでにかわいすぎて、僕は彼女を直視できない。

「ほんとうにありがとう。それから、ごめんなさい……えっと」
「僕の名前は、アルバート・レイノルズ。一年生」
「そう……改めて、わたしはアデリア・ブルー。あなたと同じ一年生」
「アデリア・ブルー」譫言のように、彼女の名前を口にした。「どうりで青が似合うんだ」
「名字もブルーだけど、それにわたし、青が一番好き。……高かったでしょう? これ。もちろん、お金は返すから」
「いや」僕は首を振った。「いいんだ。そりゃ、アメリカン・イーグルだとかそういうファストファッションでばかり服を揃える僕には少々の痛手だったけれど、別にいいんだ。お詫びだし、プレゼントだと思ってもらったらもっといいし、第一、きみにとても似合っていて満足だよ」「ありがとう……アルバート」

 アデリアがぽつりとそう言ったあと、僕とアデリアの間にはしばし無言の時が流れてしまった。僕はこういうときどうするのがベストなのかわからないのだが、なぜか口から出てきた言葉はこれだった。

「あ、あのさ」
「なに?」
「よかったらこのまま、そのー、うん、あれ」
「なに、あれって」アデリアがくすりと笑う。
「よかったらこのまま――いっしょにいない? なんというか、もっと、話がしたいというか。あの、僕、MMMははじめてでさ。ああ、きみもそうか。後夜祭がどんなのか見て回ってみたいし、僕は、いっしょに見て回る相手もいなくって」

 さりげない調子で言うつもりだったのに、僕の台詞はやたらぎこちなかったし、早口だった。必死なのがばれたら恥ずかしいが、こんなんじゃきっともうばれたに違いない。
 僕にそう言われたアデリアはわずかな間顔をぱっと輝かせたけれど、そのあとすぐに何かを思い出したかのように表情を曇らせた。

「うれしいし、せっかくだけど……ごめんなさい。わたし、その、もう恋人がいて。きょうも彼といっしょにきたの」

 ありとあらゆる内臓が悲鳴を上げて僕の身体から飛び出てくるかと思った。

「か、かれし」
「そう」

 アデリアが階段をゆっくりと降り始める。僕はその背についていく。

「あ、あ、でもね」

 彼女が階段を降りつつ振り返ってそう言った。よそ見をしたものだから階段から足をふみはずしそうになって、とっさに僕はそんな彼女に手をさしのべ、握り、バランスを取らせる。

「うん、それで?」
「あまり具体的には話さないけれど――今日、そう、あなたとぶつかる前に、彼と喧嘩しちゃったの。喧嘩っていうかまあなんていうか。わたしが責められるようなこと。きっとわたしが本当に悪いんだけれど。それでわたしちょっと気が沈んじゃって。ショックで、飛び出してきて、そこらへんで、あのメロンクリームソーダを買って――」

 アデリアの声は、震えていた。彼女は前を向いているものだから、どんな顔をしているのかはわからない。

「人がわんさかいるのに、あんなものを持って、ぼうっと、ふらふら歩いて。そうしていたら、あなたとぶつかった――」
「なにかひどいことを言われたりもしたの?」

 僕が後ろからきくと、アデリアが階段の途中で立ち止まった。「アデリア」

 彼女の横に立ち、顔をそっとのぞきこむと、彼女の瞳は潤んでいて、いまにも泣きそうだった。「ごめんなさい」。彼女はそう言い、手で顔を覆って僕にそれを見られないようにする。

「付き合い始めてから、いつもいつも、彼とは喧嘩ばかりで……」
「喧嘩するほど仲がいいって、ありゃ嘘だと思うね、僕は」

 アデリアは曖昧に頷いて、涙を拳でぐっと拭った。「わたし、最低ね。自分からジュースをかぶるようなことをしたのに、優しい男の子に助けてもらって、おまけにすてきな服を買ってもらって、やさしく声をかけてもらったことに舞い上がって、そんでもって自分の事情ばっかり話して、あなたとは知り合ったばっかりなのにこんなふうに」

「そんなことないよ」彼女の背中を撫でた。「むしろせっかく知り合えたんだ。きみがよければ、なんでも、たくさん、話をきく」
「……ありがと。さっきから、あなたにお礼を言ってばっか」
「言わなくていい。当たり前のことだから」
「……ありがと」

 それにさきに笑ったのは僕だった。そう言ったアデリアも数秒経ってからにやにやしだして、それからげらげらと笑い出した。

「なんだかごめんなさい」
「いいんだ。あと、きみは笑ってるほうがずっと素敵だよ。泣いてる姿も、そりゃ、魅力的だとは思うけどさ」

 僕たちは一緒に階段を降りていく。

「アルバート、」
「アルでいい。みんなからそう呼ばれてるし、そのほうがこっちも楽で落ち着く」
「アル……あなたの彼女は幸せね」
「僕の何がなんだって?」
「あなたの彼女は、こんなに包容力があるひとにいっしょにいてもらえて、さぞかし幸せでしょうねって、そう言ってるの」
「ああ、残念ながら」これは神に誓って言う真実だけど。「僕には恋人なんかいないし、できたこともないんだ」
「そうなの? 意外」

 丁度B棟から出たころだった。そのまま、とくに行くあてもないので、自然と僕たちはB棟の入り口で立ち止まる。

「こんなに優しいのに」
「優しいってだけじゃなあ。だれにも簡単にできることだもの。逆に言うと、僕は人にやさしくすることしかできないだろうし、偽善だと思われたらどうしようって、内心で恐れながら誰か困ってる人や大変な人に手を差し伸べてる。まあもっとも、困ってる人や大変なに直面する機会はあまりないし、助けられなかったパターンもある」

 あれはどうしようもなかったことだけれど、たとえば助けられなかったパターンというのは、母と、それからステイルおばさんの例。この二つ。

「それにその黒い瞳も綺麗。うんと磨かれた黒曜石みたいでわたしをひきつける」
「そんなこと、はじめて言われたよ。まあまあ、僕のことは無理におだてなくったっていいさ」「無理なんかしてない」

 アデリアの口元がやわらかくゆるんだ。
 そこで僕ははっとして、視線をアデリアから校舎前でたむろするたくさんの学生の海へと移動させる。

「戻らなくていいの?」

 誰の所にって、もちろん、アデリアのボーイフレンドの所に、だ。どんなやつかは知らないし、彼女からきいた話はべつに詳しいものではなかったけれど、アデリアをあんなにしょんぼりさせたってことは、きっとその恋人のほうがアデリアをそうさせるまでのひどいことをしたのだと思うし、女の子にも反省すべき箇所があったという考えは持ちたくない。

「本当は戻りたくない……戻ってもまた同じことに違いないし、もう彼とは続けたくないの。何度も何度も別れようと思ってる。でも別れられない」
「別れを切り出せない理由でもあるの?」

 アデリアは黙る。あまり言いたくない様子だった。
 何を言おうとしたのかは自分でもわからないけれど、とにかく、僕はそれから何かを言おうとした。まず絞り出せたのが「僕は」という主語だったものの、述語も修飾語も接続詞でさえをもゆるさないやたらデカい声がそのあとを見事に遮った。

「アデリア!」
 その大きな声にアデリアは体を震わせた。
 そこには、ひとりの男子生徒がいた。
 僕の想像していた男とは違った。僕の想像していたそれは、僕やニコラスよりもずっと長身で、ガタイのいい、いわゆる悪役にぴったりな風貌の強面の男だったものの、彼はいたって普通の奴で、身長は大体ハロルドと同じほどで、体格も、ニコラスに比べれば劣るだろう。むしろハロルドよりもひょろりとしている。それに清潔感があって、パッと見、好青年だった。

「おいそこのクソ、なんなんだお前。お前だよ、お前!」

 口の悪さはニコラスに断然勝っているようだ。

「クソでもなんでもないけど……」
「アデリアから離れろ」

 ドン、と、僕は彼に肩を突かれた。思わず僕はそいつを睨みつける。僕は知らないヤツに肩を突かれても笑っていられるほどの善人ではない。

「スコット、やめて!」

 アデリアが割って入ってくれたけれど、無意味に近かった。

「お前今俺のこと睨んだだろ。なんだやるのか?」
「お前みたいなガリガリがパンチ一発で黙るところを想像したら、実際に見てみたくてたまらなくなってきたよ」

 僕が煽ると、彼も僕を睨みつけた。
 つかみかかってくるだろうな、と思って呆れたまさにその次の瞬間だった、「おっと」 と、誰かの声がし、それからその誰かがアデリアの恋人にちょうどよくぶつかり――彼の胸元にばしゃりと何かがかかる。

「おお、わりいわりい! そんなとこにいるもんだからさ、ぶつかっちまった。お前超濡れたな!」

 ニコラスだった。目の下はほんのり赤く、その口調からも酔っているのがわかる。右手に持っているのは半分だけ飲み物が入ったグラス(残りの半分は、ヤツにかかった)、そして左手には――女の子の腕。それにこの女の子、日本人とアメリカ人のハーフで、お茶会を開いていたあのエリカじゃないか。結局レベッカよりも票を獲得してミズ・マグネットになった、あの! ニコラスにしてはじつにタイミングよくアクシデントを起こしてくれた。ニコラスの酔っている様子からすると、わざととは思えない。とはいえ、ドリンクぶちまけ祭り第二弾を開始してくれたことに感謝。

「おい! てめえ! 弁償しろよ!」

 カクテルかなにかをぶっかけられた彼が憤怒するのはしかたのないことだしなにもおかしいことはないとは思うが、「あ? なんだてめえ」

 酔っているニコラスにはそれは通用しなかった。いや、酔っていなくても通用しなかったとは思う。「てめえがンなとこでつっ立ってたのがわりいんだろうよ。薄っぺらいから気づかなかったんだよ。俺よりひょろいくせにいきがりやがって」

 この、惚れ惚れするくらい清々しい逆ギレ。

「おいニコラス、それはさすがにきみが悪いんじゃないか」
「あ? てめえもやんのかくそったれ。――っておいおい、アルか。わりい俺酔ってて……きづかなかったよ」
「きみ、落ち着いたほうがいいよ」僕は親指で後ろを指差し、「きみにドン引きしたエリカが逃げて行ったぞ」
「ハッ? うそだろ、おい! くそ、てめえ、一発殴らせろ!」
「狂ってやがんな、おい!」

 ヤツが叫んだ。ニコラスに胸ぐらをつかまれ、その手をやっとのことでふりほどく。自分よりもガタイがよく、おまけにアルコールがまわっているやつには勝てないとすぐに察知したのだろう、応戦しようとはせずにニコラスから距離を取った。

「おら、行くぞ、アデリア」 と、強引にアデリアの手を引く。
 態度でも、声でも抵抗のできないアデリアは、そのまま引っ張られていくしかなかった。

 アル……と、振り返ってこちらを見たアデリアの口元が、そう動いたのがわかった。 僕は彼女のなんでもない。それに、彼女とあいつの関係について深く知っているわけでもない。要するに、僕はこのことについてなにかアクションをとる権限だなんて持ち合わせていないのだ。

 アデリアの瞳が悲しそうに震える。 僕はその場で立ち尽くした。 

(もう、これっきりなんだ)

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