ハーフ・ゴースト

島流十次

2 レベッカ・ヒルトン

 レイノルズ家では、シリアルでの朝食は卒業した。なぜなのかというと、それはシリアルだけで済ませる朝食よりも簡単な理由で、ただ単に健康によくないからだ。いくらミルクが骨なんかにうれしい飲料だとしても、毎朝チョコレイトのシリアルだなんて絶対身体に悪いに決まってる。それに、太る。こういう、ある種の国の伝統的・一般的な朝食をパスして健康的な食生活を選び、朝にシリアルは御免だ、太りたくない、ということで、非国民だと言われることはまあないだろうと信じたい。アメリカ国民の三人に一人の程度でコカ・コーラ/ピザ/ハンバーガーの食べすぎまたはこうした不健康ズボラスタイルでブヨブヨのデブだと思ってもらっては困る。ひょっとしたら三人に一人がデブだってのは間違いないのかもしれないけれど(実際のところの事実がどうなのかは僕は知らない、知ったこっちゃない)そう思ってる外国人がいるのだとしたらそれは偏見だと言ってあげたいな。日本にニンジャがいまでも存在すると信じてたまにワクワクしてる僕が言えたことではないが。

 というわけで、僕は毎朝父の作る朝食で胃を埋めている。我が家がシリアルを卒業したという理由は「不健康だから」という理由で間違いはないのだけれど、実は、裏にはもっと違う理由もあって、それはやっぱり、僕の母の死のことだ。 例のごとく母はシリアルの皿に顔をぶっこんで死んだ(不謹慎ではあるけれど、やはりこの言い回しにはどうもインパクトがありすぎる。過去に起きた事実だから、しかたのないことだが)ので、僕はもうあまり気にしてはいないものの、父の目の前でシリアルの盛られた白い皿を出せば、それはもう大変なことになるからだ。

 うちがシリアルの朝食を卒業したのは母が死んでから次の日からだった。そのうち、久々にそれが食べたいと思った数か月後の僕が皿にシリアルを盛り牛乳を注ぎかつての朝食で朝いちばんに胃に挨拶していたところ、それを見つけた父が母のことを思い出したのであろう、失神し、そのままぶっ倒れ、母のようにシリアルの皿に頭を突っ込むことになったのだ。父の場合は目がけた皿が僕のものだったから、正直あのときの二倍はびっくりした。失神しただけだったし、そこで父は死なずに僕に揺さぶられて数十秒後に目を覚ましたのが幸いだったけれども、また父がこうなってしまったら僕だってもっと気がおかしくなるし、父だって当然嫌だろうから、こういうこともあって、もう二度とレイノルズはシリアルを摂らない。

 父は、タフそうに見えて、非常にナイーブだ。
 僕以上に、母の死をいまだ引きずっているから。

 父がサラダを用意しているのを横目で見てから、なにげなくテレビをみはじめると、ポケットに入れておいた携帯電話が震えた。 開いてみると、メールがきていて、更にそれはニコラスからであることがわかる。
 内容は一言で「GM! 起きてるか?」とただそれだけだった。嫌な予感がしたが、とりあえず。「起きてるよ」とだけ返した。

 すると今度は電話がかかってくる。もちろん、ニコラスだ。すぐに通話に応じた。

 ニコラスが何か言ってくるより先に、僕は口を開く。
「きみはいつから僕のガールフレンドになったの? 頼んでもないのに、モーニングコールをよこすだなんて。それに、起きてるよ」
『起きてんのか。それなら話がはやいな。てっきり俺はお前が今日は休日だからって昼間まで寝てるんじゃないかと心配で心配で……さて、今日、来るよな?』
「いや、この間も言ったように、僕はきみが思ってる以上に乗り気じゃないんだ。わるいけども」『アル。これは預言だ。お前は来る』
「…………」
『お前が行かないっていうから、他の奴らを誘ったんだ。でも、コンテスト自体には興味がないから、後夜祭だけに行くって。俺はコンテストのほうにも興味があるんだ。でも、ひとりでぷらぷらしてるのも、つまらないだろ。だから頼む、きてくれ。他の奴らがきてくれるまででいいんだ』

 さっきまで右側のキッチンでゆっくりとしたリズムで刻まれていた野菜を切る音が止まったので、僕は父を見た。父も僕を見ていた。凝視していた。
 しかたない。

「わかったよ。行くよ」
『本当か? なんか、あっさりしてんなあ』
「ひとりでイベント中にふらふら女の子を探しながら歩くきみを想像したら、急に同情心がわいてきちゃって……」半分嘘だ。
『なんだ。よかった』電話越しだったが、笑顔になるニコラスを想像できた。『なら、校門前で待ち合わせにしよう。バックレは無しで頼むぞ。それじゃ、あとでな!』

 すぐに電話は切れた。

「行くのか、よかったな」
 止めた手を動かし、のんびりとした準備を再開しながら、父はそう言った。彼は料理をするのが遅い。何年経っても慣れた様子は見られない。
「今から着替えて、朝食を食べたら、すぐに行くよ」

 まあ、登校して授業を受けるわけでもないし、せっかく早起きをしてしまったのだからまたベッドに戻ってだらだら寝て過ごすよりは有意義だと思うことにしよう。
 僕は父に言ったとおりすぐに着替え、身支度を済ませた。それから、丁度朝食の用意が済んでいたので、僕はシリアルではない、比較的健康的な朝食をも済ませ、家を出た。

「俺の預言が当たったな」
 僕より先に着いていたニコラスは、無事校門前で僕と落ち合ってすぐ口を開いてそう言った。 僕は笑って、「きみはモーセの生まれ変わりなのかもしれないな」と適当な冗談を言う。ニコラスも笑って、僕の肩を軽く小突いた。

 校門とそれから本校舎であるこの大学の棟の中で一番広大なA棟までの一直線の道のりでは、普段ここでたむろする学生の数倍くらいの人数の学生が群がってなにやら騒いでいた。クリスマスシーズンを迎えたカリフォルニアのディズニー・ランドを思い出す。今日は天気もよく、太陽が輝いているけれど、こうやって楽しそうな人たちだって太陽に負けず劣らず輝いている。僕はぼんやりとした。

「そこの男の子たち! 投票相手はもう決まったかしら?」

 声をかけられてニコラスと共に声のしたほうを見ると、そこには赤を基調にしたセーラー服姿の女の子たち(十人くらいだ)が立っていた。まだ高校生だったとき、友達と観光したアキハバラでこんなかんじの恰好をした女の子がいたっけ。

「いや、まだです」

 女の子たちのスカートから伸びるすらりとした生脚に視線が釘づけになったニコラスがなにも言わなかったので、僕がかわりに答える。
 すると、女の子たちが一斉に僕たちに向かって何かを差し出してきた。

「ぜひ、レベッカ・ヒルトンに愛の一票を!」

 差し出されたのは、ビラだった。僕とニコラスは断ることもできず、それぞれ一枚ずつ自然と受け取るかたちになる。
 レベッカ・ヒルトン、と赤色でプリントされた洒落た字体の名前の下には、女の子の高画質な顔写真が載っていた。顔は少し左側を向いているが、目線は正面にあり、表情はどこか得意げだ。金糸のような髪は一本一本が艶めいていて輝かしく、ゆるいウェーブがかかっている。燃えるような炎の赤のルージュに、磨き上げられたエメラルドのように光る瞳、長く上へとのびる睫、なんの歪みのない美しい鼻筋、どこかあどけなさの残る顔立ち――

「レベッカ・ヒルトンか」ニコラスが言う。「かわいいなあ。美少女じゃないか! どっかのお嬢か何か?」
「うん、かわいい子だね」

 裏面には彼女の簡単なプロフィールやアピールポイントが書いてあったけれど、僕は特に読み込むことはしなかった。

「お前を誘っておいて悪いんだが、俺あんまりこのコンテストについて理解してないんだよ。要するに、こうやって前半は票を集めてるってことでいいのか?」
「そのとーり!」

 僕が言うよりも先に、少し奥からした甲高い声がそう答えた。

 僕もニコラスも、すぐさま振り向く。
 まず、高級そうな赤のハイヒールが目についた。
 そして、彼女の身体にぴっちりとフィットし、豊満な胸を主張する赤のスプリングニットに、黒のタイトスカート――ビラ配りの女の子たちと比べてシンプルなファッションなのにも関わらず、彼女はだれよりも目立っている――長い手足は、彼女の胸元で光る大粒の白いパールのネックレスと同じくらい白い。(もしかすると、僕よりも身長が高いんじゃないか?)

 ヒールの分を除いたとしても、だ。僕も、ついでにニコラスも、紙面を飾るスーパーモデルのような彼女に圧倒されてしまう。
 まさに、彼女こそがレベッカ・ヒルトンで間違いなかった。
 カツ、カツ、とヒールの音を立て、練習/計算されたのであろうモデル歩きで彼女はこちらに近づいてきながら、「なんだか何も知らなそうね。あんたたち、一年生?」

 澄ました表情でそうきいた。「あ、はい、俺たち、一年で」
「だと思った。いけすかないカンジだもん。とくにあんたの左」

 ニコラスが左を見た。僕も左を見る。

「あんたよ、あんた!」

 レベッカに頬をつねられる。

「いてて!」

 彼女はネイルまでもが赤で飾られていた。
「ワタシね、あんたみたいなのとコメディ続けてあげられるほど暇じゃないのよ」

 まあいいわ、とレベッカは金髪をかきわける。

「今日はキゲンがいいから、ボウヤたちに特別に教えてあげる。あんたたちも大体のことは知ってるだろうけど、このMMMでは大学の中から魅力的な学生の候補がいくらか挙げられて、さらにその中からグランプリを決めるの。なににおいて魅力的なのか? それはなんでもいいわ。たとえば、顔がハンサムでもいいし、かわいけりゃそれでいいし、ブサイクでも、スポーツや勉強ができればそれだけで魅力的だから、候補になって投票してもらえることもあるのよ。とにかく、なにかにおいて『魅力的な』点があればそれでいいの」

 レベッカが話してる最中に、日差しが更に強くなったからか、そっとうしろからさっきのビラ配りの女の子たちが日傘をさしてやったり、サングラスを手渡したりした。このひとたちは彼女のいわゆる親衛隊ってやつだろう。

 僕たちに顔をむけたまま赤い縁取りのサングラスを受け取った彼女はそれをかけて、「ワタシのプロフィールは読んでくれたかしら? ワタシは顔がかわいくてスタイルがいいだけじゃなくて、成績も優秀だし、スポーツもできるし、家がお金持ちだし、お料理もできるし、候補者の中でも特別なの。こんな魅力的でかわいらしい女の子、大学から外へ出たってなかなか見つからないはずだもの。 そりゃ、ワタシは知らないけれど、あんたたちにだって魅力はあるんでしょうね。でも、あんたたちはもう候補になれないわよ。なぜかっていうと、あんたたちが入学するよりも前に候補の推薦が行われちゃったから。MMMの推薦の時期は毎年そうで、新入生が入学するよりも一、二か月くらい前――ってことだから、毎年一年生の候補者はいないのよ。だから候補者は二年生から四年生まで。だから、ま、一年生はあきらめなさいってことよ」

 一年生が選ばれないということははじめて知ったので、「そうだったのか」とニコラスと僕は顔を見合わせた。別に、僕にもおそらくニコラスにさえも候補する気はなかったが。

 レベッカは髪をかきあげる。「で、今ワタシの票をみんなから集めてくれてるのは、ワタシの親衛隊の子たちよ。A棟裏では、ワタシのファンクラブの男の子たちがやってくれてるけど――自分のことを推薦してくれたひとたちに協力してもらってもいいし、単独で自分を売り込みにいってもいいの。 ワタシの場合はいろんな子たちに協力してもらって、このMMMに本気でかかっているけれど……あんたたちはMMMなんて正直どうでもよくて、後夜祭のことだけが気になってしかたがないんでしょうね」

 それから、途端に話すことがあきたとでも言うかのように、ま、いいわ、とレベッカは肩をすくめていきなり話を変えた。

「結局なにが言いたいのかと言うと、この誇り高く美しいレベッカ・ヒルトン様に一票を! ってことよ! Msグランプリは絶対にワタシなんだから!」

 そう言い残して、レベッカ・ヒルトンはまたハイヒールの音を鳴らし、親衛隊を連れて別のエリアへと自分の売り込みをしにここから去っていった。

「なんだったんだ、あのひと……」

 僕が思わずそう言うと、ニコラスも「ああ」と顎を引く。

「めちゃくちゃかわいいが、めちゃくちゃ難がある」

 あんなのが候補の中に普通にいるんじゃ、他の候補者のよっぽどすごいんだろう。

 正直少しこのイベントに興味を持った僕は、ニコラスともっとまわってみることにした。

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