ハーフ・ゴースト

島流十次

ぼく/??? 1:「アペアスポイル社」

 このほんの数年の間でニューヨークの街並みは日本――東京――に勝るほどの近未来都市となった。

 やたら背の高いスタイリッシュなビルたちは、街を歩くニューヨーク市民を見下ろすやたら高貴な神々のようだと思い、ぼくはその神々を見上げた。愉快ではない。

 そんな神々たちよりも一層目立つ神がぼくの目の前にいる。

 まるで白い粘土をそのまま長細く固めたかのような、ある意味洗練されたスタイルのビル。こちら側からみれば窓ガラスなど一切なくただただ正面玄関があるだけの不気味でアーティスティックなデザインのそれだが、あれは大体マジックミラーと同等の仕組みをしていて、ビルの内部へと身を移入させれば、ニューヨーク全体が一望できるような素敵なオフィスになっている。

 そろそろぼくも「大人」に分類されてもいい年齢のはずであるものの、このビルへ入って行く他の人々と比べればぼくはある程度浮いていたし、自動ドアのガラスに映る自分を一瞥してみると、やはりその姿はまだ子供のようだった。ブロンドヘアーに、少し調子に乗ったサングラスに、黒いチェスターコートに赤いタートルネック――どう見ても大学生だ。

 こんなところに来るのは滅多にないので、何をどうすればお目当ての部屋にたどりつけるのかがいまいちわからない。エントランスのホールの天井を見上げる。それは一面がガラスになっていて(もっとも、上空からみればそれもただの純白な粘土にしかすぎないのだろうけれども)青い空を眺め、冷静さを演出するには十分だ。
 そんなぼくの姿を視界に捉え不審に思ったのだろう、端正な顔立ちをした受付の女性がハイヒールの音をかつかつと鳴らしこちらへと不機嫌そうに歩み寄ってくる。ヒールの音は上品だった。

「ずいぶんとお若いようですが、社員の方ですか?」彼女は眉間にしわを寄せてそう尋ねた。
「ああ、いや」
 空から彼女へと視線を移す。
 そして、彼女がぼくの顔を確認できるようにサングラスを取って返答した。

「呼ばれたんだ」白い歯を見せて、好かれるような笑顔を作ってぼくは言う。「エイブラハム・アップルヤード社長にね」

 ぼくの顔を一秒見つめた彼女の機嫌は少し良くなったようで、表情が多少柔らかくなったのがわかる。もっとも、それでも冷たいことには変わりなかったが。彼女はぼくのつま先から頭のさきまでをじろじろと観察してから、「入社許可カードはお持ちで?」

「これのこと?」

 コートの内ポケットから、名刺サイズのカードを取り出して彼女に差し出す。社長があらかじめぼくの自宅まで郵送してくれたカードだ。それはまるでただの透明フィルムのようなものにすぎず、何も表記されていないし、もし何も知らない人間がこれを名刺だと言われて渡されたとしても、ゴミを渡されたと立腹し後でこっそりとゴミ箱に捨てるだろう。
 彼女はそれを受け取り、腕時計の文字盤にそれをかざした。

 するとカードにぼくの顔写真や名前などの簡単なプロフィールが浮かび上がる。

「ハロルド・エヴァンズさんですね」彼女の口元がわずかにゆるんだ。「お話は社長からきいております」
「ああ、本当に? それにしても、ずいぶんとクールな代物だね、それ。あなたの時計とリンクしているんだ。興味深いな」「部屋へ案内します。どうぞこちらに」

 わざと子供のように無垢に笑ってそんなどうでもいいことを言ってみせたのに、彼女はまだなかなかに冷たい。ぼくに好意があるのかそれとも好意など皆無なのか非常にわかりにくい。

 彼女の案内付きで、社長に指示された部屋へと向かう。カツ、カツ、とリズミカルかつ軽快なヒールの音がこのオフィスビルに響いてゆく。彼女の乗ったエレベーターはこのビル同様、白だった。もちろん、エレベーターのみならず、このビルの内部は外部と同様細部に至るまでが白を基調としてデザインされており、ここの白はまるで虚無感というものを持ち合わせていないようで、なんとなく生き生きとした雰囲気を感じた。この会社のやっていることを踏まえてその「生き生きとした」ものを感じ取っても、あまり笑えないといえば笑えないのだが。

 オフィス内は広々とした迷路のようだと思ったけれども、ぼくが案内されている部屋までの道が複雑なだけかもしれないし、あるいはその部屋まで簡単に到達できないようになっているという可能性もあった。

「ねえ、あれはなに?」

 最上階に着いてエレベーターから降り、そのすぐ正面にあった広い通路で大き目のガラスケースの中で展示されているものに気が付いてしまったぼくは、ぼくの目の前を早足で歩く彼女の腕に軽く触れ、彼女を足止めした。
 振り向いた彼女は面倒臭そうな、呆れたような表情で振り返る。

「わかるでしょう? ライオンですよ、ハル坊ちゃん」

 皮肉なのかそれとも単にぼくとの距離が縮まっただけなのかはわからないが、坊ちゃん、と呼ばれたのでつい反応してしまう。

「あなたがぼくについてどれほど詳しいのかはその呼び方でわかったよ。けど、それについて今はどうでもいい。そう、ぼくはあのライオンに興味があるんだ。ああ、ライオンだってことはもちろんぼくにでもわかる」

 展示されているのは、ライオンの剥製だった。ただし、普通のライオンとは違い、それは神々しい純白の毛並をしている。

「アルビノのライオンだなんて、生で見るのははじめてだ」

 興奮しているふりをしているわけでは無かった。実際、その純白のライオンの神々しくも雄々しい立ち姿は、ぼくの少年心をくすぐったのだ。

「いいえ坊ちゃん、あれはアルビノでも劣性遺伝でもありませんよ」 どういうこと? ぼくがそう尋ねる前に、彼女は言った。「あれは我が社の作品・・ですから」

 やがて部屋の前に到着し、部屋には掌の静脈認証を鍵の代わりにして入室した。社長のほうはまだここに来ていないが、もうじき来るのでここで大人しく待っていてくれと簡単に彼女に説明され、彼女は部屋から出て行き、ぼくはようやくたどり着いたこの部屋に一人取り残されることになった。

 中央には白いソファと白いテーブル。それを囲むように設置されたカウンターには、美しく整理された書類や分厚い書籍が何冊がずつで積み上げられている。一度ソファに勝手に座り、その目前にあるテーブルにご丁寧に置かれたチョコレイトのマカロンもこれまた勝手に一つを一口でいただいたが、どうも落ち着かない。すぐに立ち上がり、カウンターの上にある書籍を適当に一冊手に取ってみる。ぱらぱらとめくるとそこには見慣れない文字が羅列してあり、読解してみようと思うも無論無理だった。それはロシア語で書かれていた。ぼくは、英語は勿論、ドイツ語/フランス語/イタリア語は習得しているがロシア語は全くもってわからない。

 たまたまその書籍がロシア語でつづられていただけで、他の書籍はざっと軽く目を通したところ、英語での内容の物が多かった。内容は特にぼくの興味のあることとは違ったことなので、ここはどうでもいいような簡単な応接間にすぎないのだ、ということがわかった。

 社長はぼくが楽しめるようなものを見せてやろうと言ってここに招待してくれたのに、これではあんまりじゃないか、とぼくは肩を落とす。しかし、別のものが用意されているのではないかとなんとなく期待し、そして予期してみながら、ぼくはまた柔らかい高級層な白いソファに座って悠々とマカロンを口にする。

 ぼくが五つ目のマカロンを咀嚼していると、部屋のドアのロックが解除される音がした。ぼくはドアの方へ顔を向ける。

「やあ、ハル」

 ぼくのことを愛称で呼び、現れたのは、黒いスーツに身を包んだ六十代ほどの男性だった。普通の中年男性といった風貌で、きっとこの人が街を歩いていてもまさか誰も彼のことを大きな会社の社長だとは思うまい。 一見して何も特徴がないような人物に見えるが、すぐにぼくに向かって差し出された右手はギラギラと輝く銀だった。

 義手だ――無論、彼のその右手がなぜ/いつ義手になったのかはぼくにはわからないし、予想もできない。内心では彼が義手であることに少しだけ驚いたのは確かだが、ぼくはその義手を見て格別それについて何も思っていないような素振りを見せた。

「私がエイブラハム・アップルヤードだ」彼の低い声が部屋に響く。話し方からは活気を感じられ、まだまだ若者となんら変わらぬ生命力を感じさせられる。「メールや手紙では何度も連絡をとっていたが、こうして対面するのは初だな」

 差し出された義手を握りかえす。義手のひんやりとした冷たさは、すぐにぼくの右手に伝わった。

「ハロルド・エヴァンズです。改めて……よろしくお願いします」あどけなく、にっこりと笑ってみる。

 と、社長は、「君は――」と、呆気にとられたような顔をして、口を開いた。

「……君は、とても愛嬌がある。少年らしさもある。しかし、大人らしさや、高貴さ、落ち着きも身に着けている。さぞ、大人から愛されるだろう。君とのコミュニケーションを画面越しにしていたときの私は、正直、君はもっと気難しそうで地味な少年かと思っていたよ」

 おどけたように笑って、おおげさに肩をすくめた社長はひと段落ついてから、「さあ、座ろうか、ハル――ハロルド・エヴァンズ君」

 それから、テーブルに置いてあったマカロンが全部無くなっていることに気がついた社長は大きな笑い声をあげた。「すみません。甘いものには目がなくて、つい」

 恥ずかしそうな作り笑いを浮かべたぼくだったが、少しだけ頬が熱くなったのが自分でもわかった。

「さて、ハル……君が一番はじめに私に送付してくれた論文の、『死者蘇生』について話そう」

 ハロルド・エヴァンズはスイーツが好きだという事実を知ってしまった社長が携帯電話で先ほどの受付嬢に連絡し、わざわざここまで持ってこさせた大量のスイーツが並ぶテーブルにぼくが手を伸ばしたところで、社長が口を開いた。スイーツを運びに部屋に入ったあの彼女のぼくに向ける呆れたような視線を思い出し、ぼくは「はい」と社長に返事をする。そのついでに、ブロック型のホワイトチョコレイトを口に放り込んだ。ぼくは図々しくもあるし、態度も大きい。

「結局の所……君は『死者蘇生』という事柄を、信じるのかね? 信じないのかね? まずそれがはっきりしてから、私は君をここに歓迎したいのだ」

「率直に言うと」ホワイトチョコレイトを嚥下してから、ぼくは開口する。「馬鹿馬鹿しいとは思っています。人間、死んだら生き返るなんてことはありえない。ぼくは、たいして、クリスチャンでもなんでもないですからね、人間は、死んだら無にぶちこまれると思っている。しかし、この現代でサイエンスがこんなに進歩してしまった以上、ひょっとしたらありえることなのかもしれないし、ありえるのならありえるで、それでいいと思うんです。そして、興味が無いなんてことは決してないし、信じていないというわけでもないとはここで明言させてください」

 ところで、いや、えっと、ちょっと待ってください。ぼくは社長が言った先程の台詞を思い出して、いつでもスイーツをとれるようにテーブルに置いておいた手をおもわずひっこめる。

「エイブ社長、先程、『歓迎』と仰られたのは……」
「歓迎は、歓迎だよ、君」

 これはぼくがあまり予期していなかったことだった。

「君はとても優秀だ。あの一流大学に首席で入学し、今でも成績は常にトップにある。大手建築会社の社長の一人息子で、将来も有望なひとりの大学生――しかし」

 社長の視線が、ぼくの弱い部分を射抜いたような気がした。

「まだただの『ひとりの優秀な大学生』にしかすぎない。果たして、君はそこで終わりでいいのかね? それくらいの立場でいいのかね?」

 君はここに歓迎されれば、それだけでは終わらない。社長は言った。

「私も君という存在を見出したのだ。君に素晴らしい立場と権利、この世での評価、大げさに言うなれば、この世界の一部を与えたい。そのためには、君も我が社――科学グループ――の一員になるといい。ただの大学生になり、そうしてただの社会人になり、普通に結婚し、普通に子供をもうける。そんなありきたりなことは、君にはもったいない! 君自身、そう思っているところもあるのではないか?」

 社長はゆっくりと立ち上がって、ぼくを見て言った。

「君にはすべてを話そう。そしてすべてを見せよう。今日はそのつもりで君を呼んだのだ。そしてすべてを聞き、すべてを見てから、ここの一員になるか否を決めればいい」

 ぼくも社長に続いて立ち上がる。 社長は壁のほうへ歩き、そしてタペストリーなどが飾られたその壁に手をかざした。

 すると、壁の色が白から黒に一気に変わる。

 さすがのぼくもこれには呆気にとられて、「すごい」と思わず声を上げた。壁の中央には入口がひとつあり、これはいわゆる隠し部屋へのドアなのだと大体の予想はついた。

 どうしてもにやつきが止まらない。それに伴い冷や汗も出てくるし、握った拳が微震を見せる。ぼくは興奮しているのだ。人生の分岐点を目の前にして。

「この奥に、我が社の真の本部がある」

 ドアは自動で開く。 社長は怪しく笑う。

「ようこそ、アペアスポイル社へ」

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