野生でもお嬢様は育ちますか?

石堂雅藍

エントの泉

 やっと我が家に帰れた。
 愛する我が子がひどい怪我を負い、更にはもう一匹子供を連れてくる羽目になってしまった。さて、ここからは時間との勝負だ。チルチルも人の子もいつ事切れてもおかしくないのだから。
 着いてすぐさま入り口に子供達を寝かせ、自分は急いで奥へと進みガラクタが散乱した物置へ駆け込んだ。ここにある物はガラクタも多いが、実はそうじゃないのも幾つかある。三百年という長い月日の中で集めたものばかりで、例えばこの狼の意匠が施された巨大な斧なんかは、人の町で暴れた時の戦利品だ。奪ってからよくよく考えてみれば、そもそも狼であるワタシに斧なんてものは必要ないのだが。こんな感じで何も考えず拾ってきてしまって、今では物で溢れかえり収拾がつかなくなっている。

「確かこの辺にしまった筈なのじゃが…何処に置いたのじゃったか……おぉ!あったぞ、これじゃこれじゃ!」

 緑色の汁がたっぷり詰まったツルリとした見た目の果実となんの変哲もない蔦で編んだ大きめの籠。ちなみにこの籠も戦利品で、なんで拾ってきたかと聞かれると分からないと応える他ない。ガシャンガシャンと音をたてながらガラクタたちを蹴散らし、目当ての物を探し出して急いで子供達の下へと走る。戻るや否や、籠の中に果実と一緒にチルチルを寝かせて持ち手を咥え、人の子もまた背に乗せて、緑深い森の奥へと駆け出す。目指すは、エントの泉だ。この美しい森も、こんな時でなければ食べ物も豊富で良いところなのだが、今は只々鬱蒼と生える草木が邪魔だ。道中、何故かずぶ濡れのゴブリン達とすれ違った。

「あっ!賢狼様だ!おーい!」
「ほんとだ!タルフェ様~!そんなに急いでどうしたんですか~?」

 ゴブリン達が無邪気な笑顔で手を振りながら問いかけてくる。
 ゴブリン族とは、緑色の皮膚に尖った耳をしており、体格は人間よりも少し小さい生き物で魔物の言葉を話す。が、彼等は魔物や蛮族等ではなく高い知性と文化を持ち合わせた歴とした亜人である。
 亜人とは、自らの体内でマナを生成し魔法などを駆使する人種であり、魔物もまた自分でマナを作り出し生きている。
 マナとは、魔力エネルギーのことであり、亜人以外の人種は、体内でマナを生成することが出来ず、空気中に漂う微量のマナを利用して魔法を扱う。なので、人間は亜人や魔物に比べて力の弱い魔法しか使うことが出来ないが、好戦的で知性が高く適応能力があり、様々な物を創造し繁栄している。
 話を戻そう、元々ゴブリン達は少数の集落を築き農耕を生業とする気性の穏やかな平原の民であったが、野蛮な人間たちによる迫害や奴隷化によって住処を追われ、百年と少し前ほどに森へとやってきたのだ。最初は森での生活に戸惑い怯えていたが、彼等が森に住むお祝いということで肉やら木の実やらを差し入れしたところ大変喜び、今では魔物であるワタシとも良き隣人として気軽に接してきてくれる。

「おぉ!おぬし達か!すまぬが、今は立て込んでいてな。子供達が怪我をしてしまったので、エントの泉へ向かっているところじゃ。それではの!」

 すれ違いざまにそう言うと、速度を緩めることなく真っ直ぐにエントの泉へ向かい、タルフェの急いでいる様子を見たゴブリン達は、何事かと少し考えてから互いに顔を合わせ、急いで集落へと帰っていった。


 先程まで雨雲に覆われた空には、いつの間にか太陽が出ている。ギラギラとした太陽が頭上に差し掛かる頃、タルフェはエントの泉に到着した。
 エントの泉は、ウベスクの森の丁度中央に位置しており、木々の深い影が抱くように覆っている泉で、苔生した岩や石が其処彼処にあり、葉が繁り天を覆い尽くしている。天井からは薄っすらと光の線が差し込み、青く透き通った水面をキラキラと輝かせていて、とても神秘的な場所だ。この泉が何故エントの泉と呼ばれているのか、それはこの場所がエントの住処であることが所以で、泉の中央に数本の木々が生えており、その中に一際大きな巨木が佇んでいる。それらこそがエントという魔物だ。

 エント族は、賢木の魔物と言われており、ワタシよりも遥かに長い年月を生きていて膨大な量の知識を蓄えている。所謂、生きた大図書館だ。さらに、エント族には驚くべき力がある。癒やしの力だ。そもそもエントの植生は、住処とする泉の水底に根を張り、魔力を流し込むことで水を醸す。するとその水は生気を帯び、エント達はその水から養分を吸収することで、動かずして生きていけるのだ。基本的にはエント達が生きていく為に必要な水であるが、ワタシ達、他の生物が飲んでもなんの問題なく、どころか空腹を満たしたり成長を促進するといった恩恵が得られる。ただし、生気自体はすぐに大気中に散っていってしまう為、水を飲んだり浴びたりしても癒やしの効果は大して得られない。では、何故ここを訪れたのか。勿論、子供達の怪我を癒すためである。しかし、問題もある…。

「エントの長老よ!頼みがあって来た!聞こえていたら返事をせい!」

 返事はなく、閑静な泉にタルフェの少し大きな声が反響した後に、次いで静寂が響き渡る。
 そうなのだ。困ったことにエントという種族は、俗世のことに全くと言っていいほど興味が無いのだ。エントにとって俗世とは、自分達には無関係のものに見えるらしい。だが、こんな時の為の秘策がある。倉庫から持ってきた例の果実を鼻先で籠から押しやる。

「はぁ……相変わらず困った奴らじゃな。おーい長老や、タダでとは言わぬ。礼としてポタ……」
「何ぃ!?今なんと言った!ポタンの実かっ!?」

 礼の品を言いかけたところで、物凄く食い気味に反応があった。一体何なのだ。普段のエントからは想像できないアグレッシブさ。案外こいつらこそ俗世に染まっているだろ。
 ザワザワと木の葉がざわめき、中央の巨木に好々爺然とした顔が浮かび上がってくる。それを合図に周りのエントたちも一斉に目を覚ました。

「賢狼よ。先程の話は真か?」
「はぁ……まだ何も言っておらぬよ。」

 ここへ来て二度目のため息を付きながら、呆れを通り越して処置なしといった具合だ。

「ええい!焦らすでない、先ほど確かにポタンの実と聞こえたぞ!!!」

 長老が興奮しきったように言葉でもって詰め寄ると、周りエント達からも「聞こえた……確かに聞こえた……」「マジか……二百年ぶりか……」「ポタン……好きぃ」と静かな歓声が上がる。

「左様、礼の品としてポタンの実を持ってきたぞ。が、あくまでも礼の品じゃ。こちらの頼みを聞いてもらってからじゃ。」
「うーむ、意地悪を言うでない。まぁ良い、してその頼みとやらは?」
「ワタシの子供達を救ってやってほしい。ひどい怪我をしてしまって死の淵に瀕しておるのじゃ。」

 懇願するようにエントの長老に頼み込む。

「それは構わぬ。何と言ってもあの賢狼の頼みだからな。引き受けよう。して…その…あの……」
「それは有り難いが、なんじゃモゴモゴとはっきりせい。」
「そのだな……ポ…ポタンの実を見せてはくれんかの?」

 調子のいいヤツじゃと、落ちているポタンの実を咥え見せる。

「おお!たしかにポタンの実だ!では早速、子供をこちらに。確かおぬしの娘はチルチルといったかのぉ。」

 泉の中からエントの根がシュルシュルと這い出てきて、子供を受け取らんと揺りかごのような形を形成し、そこにチルチルと人の子を乗せる。

「はて?もう一匹なにかおるようだが?」
「ああ、チルチルと人の子じゃ。」
「あぁ、人の子ね。人の子!?何故人の子が!賢狼よ!我らエントは、人なんぞに関わらないと知っておるだろう!」
「解っておる。まぁ聞くのじゃ!一刻程前に平原でカラス共に襲われての。その時チルチルが、この人の子に助けられたのじゃ。見つけた時には、どちらもひどい傷を負っていての。只の人の子なら放置しても良いかと思ったのじゃが……助けられておいて助けてくれた相手をそのまま死なせてしまうなど……あんまりではないか……」
「なんと!?そんな話は初めて聞いたが、まさか人の子がのぉ……確かに、おぬしの娘は傷は酷いがそこまで深刻ではなさそうだ。だが、人の子の方は……すでに虫の息だな。体内の生気がかなり薄れてきておるようだ。」
「そういうことなので、すまぬがこの人の子も頼みたい。回復してからの面倒はワタシが見るのでエント族には関わらせないようにするのでな。」
「うむぅ。まぁ、そういうことであるのならば致し方ない。解った、引き受けよう。」
「礼を言う。」
「しかし、生気を戻して傷を治すことはできるが、おぬしの子も人の子もこの目だけは無理だな。無いものは治せん。それでも良いか?」
「ああ。それで良い。どうかこの子達を生かしてやってほしい。」

 それは、母としての純粋な願いだった。片目がないなど、この先生きていくのにかなり不自由するだろうが今は……生きていてくれさえすればそれでいい。

 タルフェの願いに応じるかの様に、エントの根が分かれ二匹分の底の深い揺りかごを作り出し、それぞれの籠に子供たちを乗せて、小舟の様に水面を進んでいく。エントの泉で癒しの効果を最も良く受けるには、水面上に長時間漂う事で、数日或いは数ヶ月…長い時間を掛けて大気中に溶け出した生気を取り込ませ傷を治すのだ。そしてその間の世話をエント達がやってくれるという訳だ。さて、此処までくれば子供達は確実に助かる。ならば礼をしなければ。
 ポタンの実を、泉の岸辺に持って行き噛み砕く。すると、中から緑色の液体が爽やかな香りと共に飛び出し、水面に吸い込まれていく。

「キタキター!命がみなぎるぅ!」
「久しぶりのポタンマジサイコー!」
「なんだか千歳ほど若返った気がしますぅ!」
「フォー!!!」

 緑色の液体を摂取してハイになるヤバい奴ら(エント達)を尻目に長老に声を掛ける。

「では、また来る。子供達をたのんだぞ。」
「フォ…あっはい。まぁかしとけぃ!」

 大丈夫か心配になって来たな……
 余談だが、そのあとの数日間エント達はハイになり続けたが、子供達の世話は確りやっていた様だ。然し、あのバカみたいなはしゃぎっぷりは、本当に賢木なのだろうか。

 因みに、ポタンの実はウベスクの森の最北端にあるポタンという木から三百年に一度だけ採れる実で、この実には緑色の濃縮された生気が詰まっており、死者すらも生き返らせることができる。所謂、蘇生の実であり大変貴重なもので、人社会においても市場に出回ることはまず無い。生気を食らうエント族には物凄いご馳走である。濃縮された生気は適量であれば薬にこそなるが、いくら薬であっても摂りすぎてはいけない。まぁ、エント族はハイになる程度で済むので問題はないが。

 その日は一旦我が家に戻ることにし、腹も空いていたので道中で見つけたワイルドボアを狩り帰途についたのだが、家の前が何故か集まったゴブリン達で騒然としていた。その後、ゴブリン達に質問攻めにされ、落ち着くようにとチルチルが怪我をした経緯と無事なことを伝えて帰ってもらった。後日、礼を言いに村を訪れると、エントの泉に向かう道中ですれ違ったゴブリン達が、ゴブリン族の長に説教をされているのを見かけた。アレは一体何だったのであろうか?

 タルフェがエントの泉に甲斐甲斐しく通うことしばらくして、十五日目にようやくチルチルが目を覚ました。目覚めたチルチルは、私の胸で泣きじゃくりながら、独りになって心細かった事、怖かった事、痛かった事、そしてとても優しくて暖かい心に触れた事を話した。チルチルには、助けてくれたのが人の子であった事と、まだ生きていてエントの泉で休んでいる事を告げた。それを聞いたチルチルは、人の子と知って多少驚いてはいたが、すぐに助けてくれた者の下へ走っていった。

 それから毎日、チルチルとワタシはエントの泉を訪れた。「まだ起きない?まだ起きない?」と、聞いて来るチルチルを見る度に「あと少しだよ。」と諭す日々。エント達に聞いても「こればかりはわからない。」と答るだけで、少しずつ不安そうな顔になっていくチルチルを見ているのが辛かった。

「人の子よ、おぬしはいつ目を覚ましてくれるのじゃ」

 タルフェの小さなつぶやきは、森を吹き抜ける風にかき消されていった。




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