皇女殺しのしーるどがーる
001 そう答えると思っていたよ
手に残る感覚を、体の緊張とともに解凍していきながら、目の前の現実をゆっくりと受け入れる作業に入る。
「ルナ?」
返答は無い。眼前で横たわる血塗れの皇女は、たった今、死亡した。
自分の機械剣によって。
第二の脳――セカンドブレインが、黒い戦闘衣に見を包んだ少女の頭の中で、人間性の滲み出た口調で警告する。
『五分後、隠密部隊があっしらを抹殺するぞ。ルートAから逃げよ――更新。ルートA、制圧された! ルートBに変更――更新。ルートB制圧! ルートCに――更新!』
次々と情報の濁流を脳内に流し込むセカンドブレインを無視し、隠密部隊の『盾』を担当するサイナ・ディアナイトは、自分の犯した罪を受け入れられずにいた。
――そんな、私は、やってない。やってなんかいない。やるはずがない。友達だった。子供の頃から、ずっと。そんな……だって。
『退避推奨。ヤバイ。よそ見危険。皇室玄関、一体の生命反応確認――飛べ!』
知れず、体は動いていた。
地上百メートルの皇室を、サイナは窓を蹴破り屋外へ飛び出した。
これは本人の意思ではない
優秀な第二の脳、通称セカンドブレインと称する二つ目の人格がもたらした行動選択である。
セカンドブレインを内包する、人工的に作り出された立体型論理的思考媒体、『キューブ』による判断は概ね持ち主の思考レベルを凌駕する。それは常に最適な判断を提供する優秀な〝第二の脳〟である。
国民たちは、キューブを利用して私生活の向上と政治的意思統一を実現させ、これまで内部での争いなく国力の発展を続けてきた。
――今回も、何事もなく皇女を守り通して終わるはずだった。
サイナの役割は、皇女であるルナ・ルクスィーヴァの護衛を任される盾である。年の終わり、国全体が就寝する頃、国全体を統括するキューブを持つルナはある儀式をする必要があった。
清めの義。所謂、再構築である。
年度末の問題を修正し、翌年の糧とする。解れた糸を結び直す作業だ。しかしこれには一度、全ての権限を停止する必要があり、国内の何者かがその穴を狙っている場合の最終防衛ラインをサイナ含める隠密部隊――セキュリティは担当していた。
しかし。
なぜ、私がルナを――。
その思考は無意味だと、脳内に住み着くセカンドブレインは言う。
『転落防止ネットまで五秒。勢いを殺したら切り裂くといい。逃走経路はあっしが二〇パターン用意した。好きなの選べい』
少し男前な言い方で選ばせてくる。セカンドブレインに感情というシステムは存在せず、主人の行動を最適化できるように仕組まれているのが一般的なタイプだ。が、サイナのセカンドブレインは他者とは少し気色が違った。
黒髪を靡かせながら、サイナは冷たく返す。
「ありがとうフール。少し黙ってて」
人間のように振る舞おうとするその姿は実に滑稽で、サイナは自分のセカンドブレインを皮肉を込めて『賢い愚か者』と呼んでいる。
性別はもとより無いが、サイナは人間性を持つこの人格が男だと不快なため、敢えて彼女とルナ達には紹介するようにしている。
変に人の真似事を意識しているため、やや子供っぽい言い方を多用する傾向がある。サイナは自分より優秀な思考回路を持つフールを年下の妹のように扱っていた。
自由落下により加速する体を広げる。視界をデータとしてアシストするセカンドブレインの警告は下方。ネットに掛かり鋭い刃を向ける硝子片が見える。
夜の街が緑がかる。自身に危険を及ぼす要素が赤いサークルで囲われ、このままの落下体勢では各部位に裂傷を負う可能性を視覚化した。
上体を捻り、腰から二本、小ぶりの軍用機械剣を引き抜く。同時に刀身が鋭く唸り始めた。
――超音波による切断抵抗の軽減。それを戦闘用に改造した超摩擦の熱切断装置である。
『防御オススメ。ダメージ覚悟せい。更新、突風が』
「――うらぁッ!」
硝子の煌きが僅かにズレた。突風である。フールの視覚アシストのみに頼り、警告音声をかき消すように叫ぶ。全身を逸らし、顔を横に向けたままネットに体を沈めた。怪物の牙が閉じるようにネットに沈んだサイナを中心として、硝子の刃が迫る。瞳を切り裂く直前、機械剣の摩擦でネットを灼き斬った。
クモの巣が壊れるようにユラユラとネットが揺れる。切断面が焦げているところまでコマ送りに捉えられた。
黒いシルエットは少量の硝子と共に地上へ迫り、膝のクッションで勢いを殺しながら硝子を飛び越え前へと転がった。
立ち止まっている暇はない。
『セキュリティの一人があっしらを捕捉。逃走ルート三つまで厳選。十分以内に戦闘へ突入する可能性濃厚だべ。静かなとこ行こ』
「ルートB選択」
『了解。転ばないように気を付けようね』
「暗視モード」
フールの心配染みた音声には応えず、淡々とアシスト機能を起こしていく。
暗闇を厳選し、肉眼で負えないルートを高速で、しかしながら呼吸音や衣擦れを最小限に抑えることは怠らずに走り続けた。
サイナ・ディアナイトは特殊体質だとメンバーから言われている。
それは類稀な運動能力を指して言っているのではなく、セカンドブレインをキューブ無しで共存させている点にあった。
正確に言えば、キューブを体内に癒着させている。
元来キューブというのは、体外において、特殊なネックバンドに設置する事で起動する外部思考媒体の事を言う。故に、論理的思考を存在意義としているため、まともなセカンドブレインは、フールのように変わった口調で主人と対話しようとはしない。
「すとっぷ」
前方に刀身が刺さる。サイナの持つ小ぶりの軍用機械剣より射程の長い、機械的な施しを受けていない純正の日本刀だ。
暗がりの視覚補助を担う暗視モードでは、薄緑がかった路地の景色の中、声の主を映しはしなかった。直後、鋭敏な聴覚が砂とアスファルトの擦れる音を背後で感知する。確認を取るよりも早く、サイナは横に飛んだ。
流れる視界の中、突き立つ日本刀は既に引き抜かれた後であり、青年の姿がこちらへと追撃を仕掛けている光景を捉えた。
「――ッ」
地面を蹴り上げ、強引に上体を起こす。そのまま軍用機械剣を一振り、相手の方へ牽制の一撃を置く。相手は身を翻し、切り上げの動作を見せた。先の挙動の間に体勢を戻したサイナは、二本目を引き抜き相手の刀を捌く。お互い致命の一打を放つこと無く距離を取った。
「キョウヤ、私」
「何故殺したのか、訊いたほうがいいかな」
最早仲間だった頃の相手に対する声ではない。犯罪者を相手取る時の欠伸の出るような対話マニュアルを思い出した。セキュリティの一人として、皇女殺しのサイナを制圧しに来た様相だった。
「……私が殺したことは確定しているみたいね」
「その口ぶりだと。なるほど、〝言った通り〟なんだ」
「一体何を――」
応答の暇も無い。青年――入江キョウヤは、鋭い視線を流しながら一呼吸で距離を詰めた。刀は腰に深く。上体をやや傾ける。顎を引いた。
サイナはキョウヤの取るこの所作を知っている。
抜刀術だ。
「フールッ」
セカンドブレインはサイナの声を感知するよりも早く、発汗と体温の急激な上昇からその危険度を算出し終えていた。故に受けの動作は破棄し、キョウヤの懐へ飛び込んだ。ほとんどセカンドブレインに憑依されたような動きで、サイナの視覚情報の外側から危険予知を立ち上げ、左手を顔の横に持ち上げさせた。刀の柄が手のひらと衝突する。
息を短く吐ききる。側頭部への強打は免れたが、剣速に体捌きが間に合わず、首筋に電気が走った。顔をしかめながら衝撃を逃がすように飛ぶ。
「腕が鈍ったんじゃない? いつもなら足が無くなってるはずだけど」
「僕の役目は殺しじゃないよ」
努めて表情に余裕を含ませてはいるが、内心では一番戦いたくない相手だとサイナは思っていた。
男性用の筋肉質なラインを浮き上がらせる黒い戦闘衣。長い漆塗りの後髪を結った剣術の達人。赤い光を放つキューブ。ネックバンドの中心に埋め込まれたそれは、入江キョウヤの戦闘行為をアシストする凶悪なセカンドブレインであった。
彼はセキュリティの『刃』を担当する特殊部隊員。犯罪レベルの高い制圧任務の常連。戦闘のスペシャリスト。機械的な施しを受けない無銘の愛刀は、反乱組織の使用するセカンドブレイン支援妨害装置を素通りし得る唯一の同僚だった。
「サイナ、悪いことは言わない。僕に制圧されてくれないか」
「あなたの事はよく分かっているつもりだよ。私を殺そうとはしない。お人好しなところは相変わらずだけど、そんなキョウヤも悪くないと思ってる。でも、その言葉に甘えるのはできないかな」
「どうしても?」
「どうしても」
「仲間にも処分させないって約束しても?」
「約束しても」
「上に引き渡さないで、僕だけがキミを匿っても?」
「匿っても」
「命令じゃなくて、お願いでも?」
「ダメなの。ごめん」
キョウヤとは、今こうして相対するずっと前から共に行動する仲だった。『盾』を担当するサイナと『刃』を担当するキョウヤは、文字通り盾と矛のような関係で、作戦の際は互いの命を預けることもしばしばだ。だから自分も、相手も、互いの力量は充分に理解している。
自分ではキョウヤに敵わないことも。
「そう答えると思っていたよ」
詰められた距離、その初速はサイナの反射神経を遥かに凌駕した。悲しそうな同僚の顔が、サイナの判断を揺るがせる。自分を棚に上げられるほどに、自身もお人好しだ。愛刀に手をかける素振りは見せず、彼は詰めた間合いのまま、サイナの首を片手に掴んだ。圧力で声がひねり出される。
「〝コマンドスペル〟――入江キョウヤ」
『承認』
無機質な音声がキョウヤのネックバンドから放たれた。声に合わせてキューブの赤い光が点滅を示す。その声を最後に、サイナの体は完全に硬直した。
意識の水没。
まるで溺れたように鼓膜を震わせる空気振動が鈍くなる。視界は歪み、光を通す瞳の機能は著しく低下。
事実上の体感時間の低下。
それでも目の前の歪んだ姿――入江キョウヤの動きは、恐ろしく速い。
サイナの額を掴み、更に足を蹴り上げる。そのままバランスを崩すと、仰向けに倒されていた。
「がっ――は」
体感時間が正常になる。
気がつくと、仰向けの状態のまま拘束されていた。
背中で両手首が鋼鉄のワイヤーで繋げられている。状況把握の前に、刀の切っ先が眼前へ向けられていた。
「二度は言わない」
見下す形でキョウヤは言った。ここから反撃をするなら、容赦はしないという意思表示。事実、その目は先ほど見せたモノとも、普段サイナに向けるソレとも大きく違っていた。
頷くしか無い。
サイナは観念したように目を閉じる。
キョウヤも理解してくれたようで、その切っ先から殺意は薄れた。
「――痛覚遮断!」
『御意』
「……ッ! サイナ!!」
背中で鈍い音がする。無理やり肩から指先にかけ、拘束を取るために最善となる関節を外していった。その一瞬の間。キョウヤの油断と焦燥。その二つの要素だけで自由に動ける空間と余暇をフールが算出した。
まだ諦めるわけにはいかない。
上体を反らし、股関節の最大可動域まで両足を広げる。キョウヤの足を狙った回し蹴り。相手はソレを察知し後方へ跳んだ。
同時に自身の拘束を外しながら戦闘スーツの応急処置機能を作動する。右腕を曲げられないように固定。スーツの形状を記憶させた。
遠心力で回る身体を強引に右手だけで支え、逆立ちの要領で体勢を立て直した。
キョウヤはそこを見逃さない。
回転の最中、一瞬外れた視線を狙いサイナの懐へ飛び込む。
「もう早くして!」
『迎撃パターンCを選択。ブチかませ』
「――ンッ!」
強引な体勢。ブーツから抜け落ちた、純正の軍用小型ナイフを目視せずに逆の踵で捉える。踵でナイフを回転。刃の向きをキョウヤに変え、そのままつま先へスライド。つま先と柄が触れる一点のみの絶妙なバランスを維持。キョウヤが抜刀に入るより速く、その額へ蹴り下ろした。
「――!?」
抜刀の姿勢を大きく崩し横に転がる。地に顔が着くと同時、彼の眼球と数ミリ差で切っ先が突き立つ。キョウヤの瞳孔が広がる。そのまま横へ転がり、すぐさま体勢を戻し切り掛かった。
その間でサイナは距離を取り、両側の関節をスーツの補助で嵌める。距離を取る過程で蹴り寄せていた軍用機械剣を拾い上げ、再度迎撃の姿勢を取った。
『主人、下がれぇえぃッ!』
瞬間。サイナはその意識をフールに完全譲渡した。自身の身体の使用権がフールへ移ると、視界は黒に染まり、腕を眼前にクロスする。後方へ大きく飛んでいた。
それは凶悪な放電性を持ち合わせた閃光弾だった。
遥か遠方から到来したソレは着弾と同時、傘の様に広がるユニットと化した。そのまま地を走る稲妻を形成すると、激しいスパークに続いて轟音、そして閃光が周囲を眩く染め上げた。
「チィッ!!」
間髪入れずに機関銃の激しい着弾音が向こうへ続く。キョウヤを狙っているのか、容赦無い断続的な音が次第に遠くなっていくのを確認する。
キョウヤの生体反応がだんだん薄くなっている事が、彼が撤退した証拠となった。
視界が次第に晴れる。
その時、妙な違和感がサイナを襲った。
急に身体が自由になった。普段なら『返すぜぃ』なんて言って身体の使用権を自分に戻すのに、なぜこんな唐突に返ってきたのか。
「フール……? フールッ」
「ボーイフレンドはお家に帰ったぜ。『セキュリティ』のお嬢さん」
「――――!」
フールの知覚範囲を素通りし、密着する距離で背中から掛けられたその声に、サイナは反射的に臨戦態勢を取ろうとした。
が、遅かった。
「んぐッ!」
高圧電流銃を首に押し当てられるという『セキュリティ』のメンバーでも絶対にやられない初歩的な不意打ちを食らってしまった。
意識が混濁する。
だが、理解した。
(フール)
あの放電ユニットはセカンドブレイン支援妨害装置を搭載している。故にフールから身体の使用権が戻った。
とどのつまり。
テロリストに捕らえられたということに他ならなかった。
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コメント
amegahare
バトルシーンの描写が凝っていて、楽しく読ませて頂きました。とても迫力があると感じました。壮大な物語が展開されていく予感がしました。