一人が好きな俺が自転車サークルに入った結果。

沼口

春生小屋エンデューロ《ハーレム》8

 

 白線をホイールが越える。その一瞬が、選手にとってはとても長く、時が止まったように感じられる。
 自分が勝ったのか負けたのか、横を向かずとも分かってしまう、そんな一瞬。
 そしてそれは、後ろから見ているアシストも同じことだ。

 御影と高畑、2人にはそれぞれ不利な点があった。
 御影は、俺が早く発射した為、高畑よりは力を温存出来なかった。高畑は、御影にリードされた差を縮める為に、御影よりも力を使って走ることになった。
 それぞれの不利な条件。その2人の不利がきっと、この結果を導いたんだろう。

『――ゴール‼︎実に!実に激しい最後のスプリントを制し!見事1番長い距離を最初に走り終えたチームは――』

 アナウンスが耳に入る。観客の歓声も……。
 けど、別に聞かなくても良い。結果は聞かずとも知れている。
 ロードレースではよく、エースが一位でゴールした時、アシストも手を挙げて喜ぶシーンがあるが……正直、俺にはアシストが喜ぶ気持ちが分からなかった。自分が勝ち取った訳でもない勝利に何故そこまで喜べるのか?それが、分からなかった。
 でも。

『ゼッケン番号2222番!チーム《ゴールドムーン》よー‼︎』


 ――今なら少しだけ、分かる気がするな。

 俺はゴールの白線の少し手前、近くに誰もいないその孤独の空間で、ユックリと、握った拳を突き上げた。
 この勝利の感覚を、俺はきっと……忘れない。

『おおおおおおおおおおおおおおお‼︎』
「スゲェスプリントだった!全然差無かったよな‼︎」
「ゴールドムーンって有名なチームか?実業団⁈」
「女子でもあんなに速いのかよ‼︎ヤバイなオイ!」
「勝ったあの娘、最後にもう一段階加速したぞ!もしや余裕の勝利だったんじゃないか⁈」

 ギャラリーからの声が耳に入る。
 外野じゃ分かんないだろうな、この大変さは。
 余裕の勝利?な訳無いだろ、踏ん張って、踏ん張って、それでも追いついてくる相手に、御影は心を折らず、更に踏ん張ったんだ。
 後ろからでも表情が分かる。苦しそうに息を切らし、脚を止めている。
 全力を出し切ったのだろう。勝者の特権である、手を挙げ勝利の空を仰ぐ事を忘れる程に。
 それでも。

 御影が振り返り、その表情が見えた。

 こんな時でも、全てを出し切った後ですらお前は――

「笑うんだな」

 少しだが、その楽しそうな笑顔に、俺も口が緩んだような気がした。



 俺もようやくゴールラインを抜け、レースが終わった。全体から見たら4位か……まあ、チーム戦だから個人成績は関係無いが……個人的には東条には負けたことになるのか。
 ま、悔いは無い。全力でアシストして、全てを使い切ったんだ。脇役が何位だろうが、関係無いだろう。
 それに…。

 脚を止め、ただただ自転車に身を任せている東条に、俺は追いついた。
 どうやら、俺を待っていたらしい。
 表情を見るに、個人的な成績などでの喜びは全く無いように見える。ただ、不機嫌な訳では無い。レース後の、全て出し切った者の表情をしていた。多分、俺も同じく。

「負けたよ。今度こそ、完敗だ。正直、横風凌げるからって、ずっと集団牽いてた人にパワー負けするとは思ってなかったんだけどな……」
「…別に、お前はパワー負けした訳じゃないさ。ただ、俺が一時的に若干速かっただけだ」
「……あの、俺を抜いた加速か?」
「ああ、俺の必殺技みたいなもんだ」

 自転車で使わない筋肉を意識し、常に負荷をかけた状態をキープする。自転車を漕ぐ上では使わないから、疲れはしない。
 しかし、その負荷を外した時、脚は一瞬、途轍もない軽さ・・を得る。
 例えるなら、途轍もなく重い荷物を持った後に、他の荷物を持つと軽く感じるような……そんな感じだ。
 そしてダメ押しに、合言葉を言う。師匠が言うには、必殺技ってのは言ったら言った分力になるらしい。

 アドレナリンが興奮して吹き出し、更なる恩恵を脚に与えてくれる。だから俺は速くなりたい時、いつもその言葉を口にする。

 加速アクセル――と。

「必殺技ねぇ……あーあ…ったく、ズリいよ。そんなもん出されたら死ぬだろ、必殺なんだから。マジでビビったんだぞ?物理的におかしな加速するからさぁ。更にはコーナー手前でエース発射って……予想出来ないっての」
「まあそう言うなよ。約束通り、全力でやったんだからよ」
「………ま、そうだな!本当だったら、乱に勝利をプレゼントしたかったんだけど。………何つーか、アイツと一緒にレースすんの自体初めてだったんだけど……。ま、最初がリクさん達で、良かったよ。負けたけど、スッゲェ楽しかったぜ!きっと、乱もな」
「……悔いは無いのか?」

 俺は、初めてのレースで、選手の勝利への異様なまでの固執を知った。
 東条や高畑にだって、それはある筈だ。そう、思った。

「悔い〜?ねぇよンなもん!勝っても負けてもレースが終わればそれで全部だ。過ちに対する後悔なんて思い返しても、なんも楽しく無いだろ?…だから、レース後は楽しかった事を考えるんだ!辛さとか、そういうのをひっくるめた、楽しい事をな。ま、今回は乱と一緒に走れた訳だし、そういう意味ではずっと楽しかったから、悔いなんてねぇよ」

 東条が少し照れながら笑った。
 真実は分からないが、きっと、東条が求めていたのは勝利という訳じゃ無かったんだろう。本人が気づいているかは分からないが、きっと、東条は欲しい何かを……ちゃんと掴んだ。

「……そういう考えもあるんだな」
「おうよ!基本ポジティブなのが俺だからな!……さて、ピットに戻ろうぜ?仲間が待ってることだしな!」

 そう言って東条は先にピットへと走っていった。

「仲間……か」

 俺は一人が好きだ。
 それはずっと変わらない。
 けど。だけれども、それは好きというだけのことだ。好きと、ずっとそうであれば良いという考えは別物だ。
 好きな料理の一品のみを、365日食わされたら、どんなに美味いモンでも流石に飽きるだろう。それは俺もだ。
 一人が好きでも、ずっと一人でいれば良いという訳じゃ無い。つまり…なんだ…その……。

「まあ二人くらい、仲間と呼べる存在がいるのも、悪くないよな……」

 俺がピットエリアへ入っていくと、そこには既に自転車から降りた御影と、ボトルを持った神無が笑顔で立っていた。

 俺の……大切な仲間達が――。

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