一人が好きな俺が自転車サークルに入った結果。
追憶と前進4
「さっきインターホン鳴らしても誰も出なかったのに」
「掃除して汚れたからお風呂に入ってたのよ。リクの部屋も掃除しておいたから。綺麗になっていたでしょう?」
風呂か。
確かに、長く伸びた黒髪が水で濡れているし、肩にはタオルがかかっている。どうやらつい今風呂から出てきたようだ。
ん?そういえば、今気になることを言ってたな。
「なあ、俺の部屋も掃除したって言ってたけど…もしかしてプラモの箱を動かしたのって…姉ちゃんか?」
「ええ。でも安心して?中身は見てないから」
お姉ちゃん分かってるから!と言わんばかりにウィンクをする姉ちゃん。
いや、絶対嘘だろ。見やがったな。
しかし、ここで追求して痛手を負うのは俺だけなので、何も言わないでおく。
「はぁ……。掃除ありがとな。けど、今度からは自分でやるよ」
俺はそう言い、玄関から廊下へと進もうとするが……姉ちゃんの細い腕に行く手を阻まれる。
行動の意味が分からず顔を覗くと、鋭い紫紺の瞳が俺を捉えていた。何やら理由があるらしい。
「待ちなさいリク。お姉ちゃんは別に恩着せがましく、部屋を掃除したことを報告する為に玄関にこうして立っていた訳じゃないの」
「…まあ、別に恩着せがましいとかは思ってないけど…じゃあ何で玄関に立ってたんだ?」
「それはね……」
ビシッと姉ちゃんが俺の顔の中心を人差し指でさす。俺よりは背が低い姉ちゃんな訳だが、頑張って腕を伸ばしている。
胸を張り、威厳ある態度をとりながら。
「さっきの娘との関係を聞くためよ!」
「ああ、見てたのか」
「ええ見てましたとも。どうして他人と関わろうともしなかったあなたがいきなり他人を…しかも女の子を家に招くのよ!」
姉ちゃんが声を荒げて言った。どうやら怒っているらしい。
顔も怒りの色に染まっているが……童顔だからかそんなに怖くない。
「……借りてた本を取りに来てくれたんだよ」
余計な詮索はされたくないので、ありえそうな理由で答える。
しかし――
「じゃあ何で私が買ってあげたロードをあの娘にあげちゃったの⁈なんで私が知らないサイクルウェアをリクが着てるの⁈なんで玄関に知らない自転車があるの⁈」
「………………」
怒涛の口撃に俺は言葉を失う。
容姿は全く似てないが、姉ちゃんと神無って似てるな…鋭いところとか。
まあ、俺のツメが甘いってのもあるけど。
「じゃあ…正直なことを言っていいか?」
「ええ、正直に!ハッキリと言いなさい!」
腰に手をやり、俺を威圧的に睨む姉ちゃんは、どちらかと言えば俺の奥さんのようだ。
仕方ない。――覚悟を決め、口を開く。
「俺、自転車サークルに入ったんだ」
「………は?」
「そんで今度レースに出るんだ」
「……へ?」
「さっきの彼女の名前は神無ミドリ。自転車サークルのマネージャー兼メカニックだ。俺のロードを調整してくれると言ったからさっき、神無にロードを預けたんだ」
「…………」
途中まで驚愕の声を出していた姉ちゃんだったが、遂に言葉が出なくなった。ただただ唖然とした表情で俺を見つめている。
「これは嘘じゃない。本当のことだ」
「……っ。な、なんで?だってリクは一人が好きって…一人で自転車頑張るって…そう……」
「っと、危ない…」
重量に身を任せ、床へと崩れる姉ちゃんの肩を咄嗟に掴む。どうやら脱力してしまったようだ。
まあ、それも無理ないか。
初レース後、姉ちゃんは俺を必死で慰めてくれた。一人で自転車を楽しめばいいと、そう言ってくれた。
それなのに、俺が自転車サークルに入ったなんて言ったから……姉ちゃんは大きなショックを受けたんだろう。
「悪い、姉ちゃん。けど…もう1度…もう1度だけでも頑張ろうって…そう、思ったんだ」
「――!また、辛い思いをするかもしれないのよ?」
「……それでも、あいつらの為に、俺は走りたいんだよ。それに、言ってくれたんだ、神無が 『守るから』って」
姉ちゃんに安心して欲しくて、俺はぎこちなくだが微笑んだ。
そんな俺の珍しい表情を見てか、姉ちゃんが目を見開く。そしてユックリと笑い――
「……やっと、友達が出来たんだね」
少しだけ、涙を流した。
「ああ」
「そっかそっか…」
そう言い、姉ちゃんは体に力を入れ、再び姿勢を戻す。
「じゃあさっきの娘……ミドリさんだったかしら?彼女はリクの恋人ではないのね?」
「え?あ、ああ。そうだけど」
「そう。ならいいの」
満足そうに笑う姉ちゃん。
それにしても、予想外の質問をされた。何故ここでそんな事を聞くんだろうか?
というか、俺の恋人って……。
「御影だよな…」
「ん?御影…さん?かしら。その人も友達なの?」
「ああ。てか、彼女だ」
「え⁈」
姉ちゃんがいきなりヒビ割れた石のように固まる。
顔を驚愕の色に染めて。
「どうした?姉ちゃん」
「い、いえ…まさかリクに彼女がいたなんて…も、もちろんお姉ちゃんに紹介してくれるのよね?」
何やら引きつった笑みを浮かべているが……それはどういう意味なんだ?
てか、恋人紹介しろって…それは親とかが言う事じゃないのか?彼女側の。
「姉ちゃんに紹介するのはな……」
「んなっ⁈だ、だったら……リクの薄い本、捨てとくからね!」
そう言い、姉ちゃんは目を潤ませながら俺に背を向け、一目散に階段を駆け上がっていった。
え?まさか今から捨てるわけじゃないよな?そんなことしたら姉ちゃんだけじゃなく母さんや父さんにもバレるんだが……。
と、とりあえず。
「今度…レースが終わったら紹介するからさー。俺の部屋には入らないでくれよ〜」
少し大きめな声で言った。
返事は…無いが。聞こえただろうか?
まあどちらにせよ、姉ちゃんには今度紹介するとするか。あちらが良ければ……――俺の大切な人達を。
そんな事を考えながら、俺も階段へと足を進めた。
◇
6月14日 日曜日。本日も快晴である。
と、思うが…やっぱり朝だと暗くてよく分からない。しかし、この雰囲気は好きだ。
明るさと暗さの中間、人々が動き出すより少しだけ前の時間。交通量も少なく走りやすいし、若干明るいという珍しい光景が、不思議と気分を上げてくれる。
そんな実に俺好みの空間を、俺はロードで駆け抜けていた。
昨日は学校にママチャリを置きっぱなしで帰ってしまった為、大学初のロードバイク登校だ。
まあ、練習で使うんだからどちらにせよ乗っていかなきゃダメな訳だが。
「ふぅ。やっぱりロードだといつもより早く着くな」
大学に到着し、俺は部室に行く為にロードごとエレベーターに乗り込んだ。
少し狭い。
エレベーターが再び開いた瞬間に、素早く降りる。
ロードが扉に挟まったら大変だからな。
「さて、今日も一番乗りかな…と?」
部室から明かりが漏れている。
誰か先に来ているようだ。神無か?これでも昨日より早く着いたと思ったんだが…。
俺はユックリと部室のドアのドアノブを捻る。
(ガチャリ)と、独特の金属音が鳴る。鍵も開いているようだ。
ドアを開き、中を確認する。と。
俺の目に最初に映ったのは、白く綺麗に輝く髪を有している少女だった。
――御影が一番早く来ていた。
「……やっぱり、待つのって苦手だなぁ。寂しいし…」
「御影…」
苦笑いで俺を出迎える御影。
いつから待っていたんだろうか。
「リクくんが一番に来たら…寂しい思いをするだろうし…話がしたかったから、早く来たんだ。ボクが早く来るなんて、不思議な感じだけど エヘヘ」
照れ笑いをし、御影が自らの後ろ髪を撫でる。
どうやら、俺の為に待ってくれていたらしい。
この時、俺の脳裏に、ふと神無の言葉が過ぎった。
『…大切にしてあげてね?あの子、桜島くんのこと…きっと本気だから』
“本気”。神無の言った通り、御影は本気で俺を大事に思ってくれていて、本気で心配してくれている。
そんな優しい御影に……大切な彼女に、俺が掛けるべき言葉は…一つしかないだろう。
「御影」
「ん?どうしたの?真面目な顔しちゃって」
「ありがとな。心配してくれて」
「えっ、なっ…」
意外と言わんばかりに御影が言葉を詰まらせる。目をキョロキョロとさせて、どうしたらいいか分からない様子だ。
混乱してる所悪いが、続けさせてもらう。
「そして…ごめん。心配かけて。昨日、突然帰ったりして。もう大丈夫だ。本当に…心配をかけた」
俺はそう言い、謝罪の意を込めて礼をした。深々と、自分が出来る最高の形で。
「さ、最敬礼⁈リクくんが頭を下げてる⁈レ、レアっぽい…」
「……その感想は、どうなんだ?」
「い、いやぁ。あまりにも驚いちゃって…。あ、いいよいいよ!頭を上げて下さい旦那ぁ…」
「何か最後ドラマのセリフっぽかったぞ」
頭を上げながら俺は率直な感想を述べる。どっかで…何かのドラマで聞いたことがあった。
「ふふふ ちょっとパクってみた。それにしても……良かった。もしかしたらあのまま2度と会えないかもしれないって、そうも思ってたから」
「本当に、悪かった」
「ううん、大丈夫。東条くんに事情聞いて、納得はしたし…。彼、言ったこと後悔してたよ、アドレナリン出すぎてたって」
アドレナリンの問題なのか?それは。
だが…。
「あいつにも悪いことしたから…レース前には謝らないとな」
「うん、そうだね。あっちもきっと謝りたいと思うし」
「ああ。そんでもって、今度は全力で勝ちを狙う」
「お?やる気だね〜。何かあったの?」
…何かあったのか?……あったさ。お前達のお陰で、新たな考えが生まれた。
俺に今まで無かった考え方だ。ま、そりゃそうか、そういう生き方してたんだから。
「他人の為に、勝ちたいって思った。ただそれだけだよ」
「……っ!リクくん…」
御影の身体が急にワナワナと震え始める。
そして。
「ボクの彼氏超イケメンー!抱きついていい〜⁈」
俺に向かって思いっきりダイブしてきた。
この攻撃を俺は華麗なバックステップで避ける。
「あれ?何で避けるのさー!」
「いや、何かのプロレス技かと…」
「あら⁈前と同じ反応⁈」
がくりと肩を落とす御影。なんか、餌を貰えると思ったら貰え無かった野良猫みたいだ。
ま、餌は無理だけど…。
俺は御影の背中に手を回し、自分の方へと引きつける。
「え?ちょっ、ちょ――――⁈」
「別に、抱きしめる事くらいならいつでもするさ。お前が望んだんだからな?」
「う…うおぉぉぉお…デ、デレですか⁈これがデレですか⁈」
俺に負けじと抱きついてくる御影が意味不明な事を言ってくるが………まあ、いつも通りスルーで。
それにしても…ウン、思ってたより悪くない。何だか柔らかいし、いい匂いだ。凄く安心する。御影の体温が徐々に上がってきている気はするが…。
このままずっとこの状態でも――
「――朝からそんなに堂々とイチャつかれるのもねぇ…」
「むむ?」
「ミ、ミドリ⁈」
御影が勢いよく俺から離れる。俺も手を挙げ、振り向きながら一歩引いた。
ドアの方に視線を向けると、呆れた表情の神無がそこには立っていた。
幾度となく神無は絶妙なタイミングで部室に入ってくる。ムードブレイカー神無だ。
「ほら!長距離乗れるのは今日が最後なんだから!早く行くよー!」
「は、はい…」
「うぅぅ…幸せ空間がぁ…」
名残惜しそうにこちらを見てくる御影。何だか思い返すと恥ずかしくなってきたので、目線を合わせないようにしよう。
「今日は大学発で150km走ってもらうからね〜!覚悟すること!」
「中々にキツそうだな…」
「うわぁ鬼だぁ…鬼がいる〜!」
「はいはい!無駄口叩かずレッツゴー!後ろから車で煽るからね〜」
「ひー!」
御影が顔を青くしながらオーバーリアクションなポーズを取る。
まあ、気持ちは分かるけど。
「んじゃ、行くか。時間は有限だしな」
そう言い、俺と神無が部室から外へと出ると、後ろから――
「ま、待ってよー!」
慌てた御影の声が聞こえてきた。
◇
自転車に乗っていると、よく時間の感覚が狂い、今が何時か分からなくなるが、とりあえず、夕方になりかかっているのは太陽の沈み具合で分かった。
150kmを神無が設定したルートに則り走りきった俺と御影は、帰りは神無の車で休んでいた。
それにしても、県を二つも跨ぐとは、中々にハードなコースだった…。基本的に平坦路だったが、やっぱり距離的に疲れる。
そしてそれは俺だけでは無かったようで。
「うぅぅ…死ぬぅぅぅ…」
御影もかなりヘタれていた。このままほっといたら溶けるんじゃないか?と思うくらいにグテ〜っとしている。
「明日からはローラー台練ね〜。ベストコンディションになるようにちゃんと調整していくから。覚悟しといてね〜」
「今は明日のことは考えられない〜…というか、ローラー台練はあんまり好きじゃないんだよね…動かないし」
まあ、ローラー台ってそういう物だし。
ローラー台というのは、自転車を進めないで漕げるように作られた、トレーニング機械である。
三本のローラーや固定されたローラーなど、様々なモノがあるが、どれも疾走感は味わえない。
しかし、一人でもトレーニングが出来る画期的な道具なので、俺は好きだ。追い込むのには最適。
「勝つ為にはベストを尽くすべきだからな。まあ、頑張ろうじゃないか御影」
「むむ?何かポジティブだし機嫌がいい?」
怪訝な顔で俺を見る御影。
いけないいけない、重度のローラー好きがバレてしまう。
「桜島くんの言う通りだよ〜。後一週間、本気で…だけども疲れを残さないように頑張らなきゃね」
「うぅむ……よーし!じゃあほどほどに頑張ろー!」
「ほどほどなのかよ」
俺が呆れ口調で突っ込むと、御影は楽しそうに『エヘヘ』と笑う。
そんな眩しい笑顔を横目に、俺は改めて、心の中で決意を固めた。
――絶対に、こいつらを勝たせてみせる。
窓に薄っすらと反射した自分の顔が、少しだが笑っているように見えた。
「掃除して汚れたからお風呂に入ってたのよ。リクの部屋も掃除しておいたから。綺麗になっていたでしょう?」
風呂か。
確かに、長く伸びた黒髪が水で濡れているし、肩にはタオルがかかっている。どうやらつい今風呂から出てきたようだ。
ん?そういえば、今気になることを言ってたな。
「なあ、俺の部屋も掃除したって言ってたけど…もしかしてプラモの箱を動かしたのって…姉ちゃんか?」
「ええ。でも安心して?中身は見てないから」
お姉ちゃん分かってるから!と言わんばかりにウィンクをする姉ちゃん。
いや、絶対嘘だろ。見やがったな。
しかし、ここで追求して痛手を負うのは俺だけなので、何も言わないでおく。
「はぁ……。掃除ありがとな。けど、今度からは自分でやるよ」
俺はそう言い、玄関から廊下へと進もうとするが……姉ちゃんの細い腕に行く手を阻まれる。
行動の意味が分からず顔を覗くと、鋭い紫紺の瞳が俺を捉えていた。何やら理由があるらしい。
「待ちなさいリク。お姉ちゃんは別に恩着せがましく、部屋を掃除したことを報告する為に玄関にこうして立っていた訳じゃないの」
「…まあ、別に恩着せがましいとかは思ってないけど…じゃあ何で玄関に立ってたんだ?」
「それはね……」
ビシッと姉ちゃんが俺の顔の中心を人差し指でさす。俺よりは背が低い姉ちゃんな訳だが、頑張って腕を伸ばしている。
胸を張り、威厳ある態度をとりながら。
「さっきの娘との関係を聞くためよ!」
「ああ、見てたのか」
「ええ見てましたとも。どうして他人と関わろうともしなかったあなたがいきなり他人を…しかも女の子を家に招くのよ!」
姉ちゃんが声を荒げて言った。どうやら怒っているらしい。
顔も怒りの色に染まっているが……童顔だからかそんなに怖くない。
「……借りてた本を取りに来てくれたんだよ」
余計な詮索はされたくないので、ありえそうな理由で答える。
しかし――
「じゃあ何で私が買ってあげたロードをあの娘にあげちゃったの⁈なんで私が知らないサイクルウェアをリクが着てるの⁈なんで玄関に知らない自転車があるの⁈」
「………………」
怒涛の口撃に俺は言葉を失う。
容姿は全く似てないが、姉ちゃんと神無って似てるな…鋭いところとか。
まあ、俺のツメが甘いってのもあるけど。
「じゃあ…正直なことを言っていいか?」
「ええ、正直に!ハッキリと言いなさい!」
腰に手をやり、俺を威圧的に睨む姉ちゃんは、どちらかと言えば俺の奥さんのようだ。
仕方ない。――覚悟を決め、口を開く。
「俺、自転車サークルに入ったんだ」
「………は?」
「そんで今度レースに出るんだ」
「……へ?」
「さっきの彼女の名前は神無ミドリ。自転車サークルのマネージャー兼メカニックだ。俺のロードを調整してくれると言ったからさっき、神無にロードを預けたんだ」
「…………」
途中まで驚愕の声を出していた姉ちゃんだったが、遂に言葉が出なくなった。ただただ唖然とした表情で俺を見つめている。
「これは嘘じゃない。本当のことだ」
「……っ。な、なんで?だってリクは一人が好きって…一人で自転車頑張るって…そう……」
「っと、危ない…」
重量に身を任せ、床へと崩れる姉ちゃんの肩を咄嗟に掴む。どうやら脱力してしまったようだ。
まあ、それも無理ないか。
初レース後、姉ちゃんは俺を必死で慰めてくれた。一人で自転車を楽しめばいいと、そう言ってくれた。
それなのに、俺が自転車サークルに入ったなんて言ったから……姉ちゃんは大きなショックを受けたんだろう。
「悪い、姉ちゃん。けど…もう1度…もう1度だけでも頑張ろうって…そう、思ったんだ」
「――!また、辛い思いをするかもしれないのよ?」
「……それでも、あいつらの為に、俺は走りたいんだよ。それに、言ってくれたんだ、神無が 『守るから』って」
姉ちゃんに安心して欲しくて、俺はぎこちなくだが微笑んだ。
そんな俺の珍しい表情を見てか、姉ちゃんが目を見開く。そしてユックリと笑い――
「……やっと、友達が出来たんだね」
少しだけ、涙を流した。
「ああ」
「そっかそっか…」
そう言い、姉ちゃんは体に力を入れ、再び姿勢を戻す。
「じゃあさっきの娘……ミドリさんだったかしら?彼女はリクの恋人ではないのね?」
「え?あ、ああ。そうだけど」
「そう。ならいいの」
満足そうに笑う姉ちゃん。
それにしても、予想外の質問をされた。何故ここでそんな事を聞くんだろうか?
というか、俺の恋人って……。
「御影だよな…」
「ん?御影…さん?かしら。その人も友達なの?」
「ああ。てか、彼女だ」
「え⁈」
姉ちゃんがいきなりヒビ割れた石のように固まる。
顔を驚愕の色に染めて。
「どうした?姉ちゃん」
「い、いえ…まさかリクに彼女がいたなんて…も、もちろんお姉ちゃんに紹介してくれるのよね?」
何やら引きつった笑みを浮かべているが……それはどういう意味なんだ?
てか、恋人紹介しろって…それは親とかが言う事じゃないのか?彼女側の。
「姉ちゃんに紹介するのはな……」
「んなっ⁈だ、だったら……リクの薄い本、捨てとくからね!」
そう言い、姉ちゃんは目を潤ませながら俺に背を向け、一目散に階段を駆け上がっていった。
え?まさか今から捨てるわけじゃないよな?そんなことしたら姉ちゃんだけじゃなく母さんや父さんにもバレるんだが……。
と、とりあえず。
「今度…レースが終わったら紹介するからさー。俺の部屋には入らないでくれよ〜」
少し大きめな声で言った。
返事は…無いが。聞こえただろうか?
まあどちらにせよ、姉ちゃんには今度紹介するとするか。あちらが良ければ……――俺の大切な人達を。
そんな事を考えながら、俺も階段へと足を進めた。
◇
6月14日 日曜日。本日も快晴である。
と、思うが…やっぱり朝だと暗くてよく分からない。しかし、この雰囲気は好きだ。
明るさと暗さの中間、人々が動き出すより少しだけ前の時間。交通量も少なく走りやすいし、若干明るいという珍しい光景が、不思議と気分を上げてくれる。
そんな実に俺好みの空間を、俺はロードで駆け抜けていた。
昨日は学校にママチャリを置きっぱなしで帰ってしまった為、大学初のロードバイク登校だ。
まあ、練習で使うんだからどちらにせよ乗っていかなきゃダメな訳だが。
「ふぅ。やっぱりロードだといつもより早く着くな」
大学に到着し、俺は部室に行く為にロードごとエレベーターに乗り込んだ。
少し狭い。
エレベーターが再び開いた瞬間に、素早く降りる。
ロードが扉に挟まったら大変だからな。
「さて、今日も一番乗りかな…と?」
部室から明かりが漏れている。
誰か先に来ているようだ。神無か?これでも昨日より早く着いたと思ったんだが…。
俺はユックリと部室のドアのドアノブを捻る。
(ガチャリ)と、独特の金属音が鳴る。鍵も開いているようだ。
ドアを開き、中を確認する。と。
俺の目に最初に映ったのは、白く綺麗に輝く髪を有している少女だった。
――御影が一番早く来ていた。
「……やっぱり、待つのって苦手だなぁ。寂しいし…」
「御影…」
苦笑いで俺を出迎える御影。
いつから待っていたんだろうか。
「リクくんが一番に来たら…寂しい思いをするだろうし…話がしたかったから、早く来たんだ。ボクが早く来るなんて、不思議な感じだけど エヘヘ」
照れ笑いをし、御影が自らの後ろ髪を撫でる。
どうやら、俺の為に待ってくれていたらしい。
この時、俺の脳裏に、ふと神無の言葉が過ぎった。
『…大切にしてあげてね?あの子、桜島くんのこと…きっと本気だから』
“本気”。神無の言った通り、御影は本気で俺を大事に思ってくれていて、本気で心配してくれている。
そんな優しい御影に……大切な彼女に、俺が掛けるべき言葉は…一つしかないだろう。
「御影」
「ん?どうしたの?真面目な顔しちゃって」
「ありがとな。心配してくれて」
「えっ、なっ…」
意外と言わんばかりに御影が言葉を詰まらせる。目をキョロキョロとさせて、どうしたらいいか分からない様子だ。
混乱してる所悪いが、続けさせてもらう。
「そして…ごめん。心配かけて。昨日、突然帰ったりして。もう大丈夫だ。本当に…心配をかけた」
俺はそう言い、謝罪の意を込めて礼をした。深々と、自分が出来る最高の形で。
「さ、最敬礼⁈リクくんが頭を下げてる⁈レ、レアっぽい…」
「……その感想は、どうなんだ?」
「い、いやぁ。あまりにも驚いちゃって…。あ、いいよいいよ!頭を上げて下さい旦那ぁ…」
「何か最後ドラマのセリフっぽかったぞ」
頭を上げながら俺は率直な感想を述べる。どっかで…何かのドラマで聞いたことがあった。
「ふふふ ちょっとパクってみた。それにしても……良かった。もしかしたらあのまま2度と会えないかもしれないって、そうも思ってたから」
「本当に、悪かった」
「ううん、大丈夫。東条くんに事情聞いて、納得はしたし…。彼、言ったこと後悔してたよ、アドレナリン出すぎてたって」
アドレナリンの問題なのか?それは。
だが…。
「あいつにも悪いことしたから…レース前には謝らないとな」
「うん、そうだね。あっちもきっと謝りたいと思うし」
「ああ。そんでもって、今度は全力で勝ちを狙う」
「お?やる気だね〜。何かあったの?」
…何かあったのか?……あったさ。お前達のお陰で、新たな考えが生まれた。
俺に今まで無かった考え方だ。ま、そりゃそうか、そういう生き方してたんだから。
「他人の為に、勝ちたいって思った。ただそれだけだよ」
「……っ!リクくん…」
御影の身体が急にワナワナと震え始める。
そして。
「ボクの彼氏超イケメンー!抱きついていい〜⁈」
俺に向かって思いっきりダイブしてきた。
この攻撃を俺は華麗なバックステップで避ける。
「あれ?何で避けるのさー!」
「いや、何かのプロレス技かと…」
「あら⁈前と同じ反応⁈」
がくりと肩を落とす御影。なんか、餌を貰えると思ったら貰え無かった野良猫みたいだ。
ま、餌は無理だけど…。
俺は御影の背中に手を回し、自分の方へと引きつける。
「え?ちょっ、ちょ――――⁈」
「別に、抱きしめる事くらいならいつでもするさ。お前が望んだんだからな?」
「う…うおぉぉぉお…デ、デレですか⁈これがデレですか⁈」
俺に負けじと抱きついてくる御影が意味不明な事を言ってくるが………まあ、いつも通りスルーで。
それにしても…ウン、思ってたより悪くない。何だか柔らかいし、いい匂いだ。凄く安心する。御影の体温が徐々に上がってきている気はするが…。
このままずっとこの状態でも――
「――朝からそんなに堂々とイチャつかれるのもねぇ…」
「むむ?」
「ミ、ミドリ⁈」
御影が勢いよく俺から離れる。俺も手を挙げ、振り向きながら一歩引いた。
ドアの方に視線を向けると、呆れた表情の神無がそこには立っていた。
幾度となく神無は絶妙なタイミングで部室に入ってくる。ムードブレイカー神無だ。
「ほら!長距離乗れるのは今日が最後なんだから!早く行くよー!」
「は、はい…」
「うぅぅ…幸せ空間がぁ…」
名残惜しそうにこちらを見てくる御影。何だか思い返すと恥ずかしくなってきたので、目線を合わせないようにしよう。
「今日は大学発で150km走ってもらうからね〜!覚悟すること!」
「中々にキツそうだな…」
「うわぁ鬼だぁ…鬼がいる〜!」
「はいはい!無駄口叩かずレッツゴー!後ろから車で煽るからね〜」
「ひー!」
御影が顔を青くしながらオーバーリアクションなポーズを取る。
まあ、気持ちは分かるけど。
「んじゃ、行くか。時間は有限だしな」
そう言い、俺と神無が部室から外へと出ると、後ろから――
「ま、待ってよー!」
慌てた御影の声が聞こえてきた。
◇
自転車に乗っていると、よく時間の感覚が狂い、今が何時か分からなくなるが、とりあえず、夕方になりかかっているのは太陽の沈み具合で分かった。
150kmを神無が設定したルートに則り走りきった俺と御影は、帰りは神無の車で休んでいた。
それにしても、県を二つも跨ぐとは、中々にハードなコースだった…。基本的に平坦路だったが、やっぱり距離的に疲れる。
そしてそれは俺だけでは無かったようで。
「うぅぅ…死ぬぅぅぅ…」
御影もかなりヘタれていた。このままほっといたら溶けるんじゃないか?と思うくらいにグテ〜っとしている。
「明日からはローラー台練ね〜。ベストコンディションになるようにちゃんと調整していくから。覚悟しといてね〜」
「今は明日のことは考えられない〜…というか、ローラー台練はあんまり好きじゃないんだよね…動かないし」
まあ、ローラー台ってそういう物だし。
ローラー台というのは、自転車を進めないで漕げるように作られた、トレーニング機械である。
三本のローラーや固定されたローラーなど、様々なモノがあるが、どれも疾走感は味わえない。
しかし、一人でもトレーニングが出来る画期的な道具なので、俺は好きだ。追い込むのには最適。
「勝つ為にはベストを尽くすべきだからな。まあ、頑張ろうじゃないか御影」
「むむ?何かポジティブだし機嫌がいい?」
怪訝な顔で俺を見る御影。
いけないいけない、重度のローラー好きがバレてしまう。
「桜島くんの言う通りだよ〜。後一週間、本気で…だけども疲れを残さないように頑張らなきゃね」
「うぅむ……よーし!じゃあほどほどに頑張ろー!」
「ほどほどなのかよ」
俺が呆れ口調で突っ込むと、御影は楽しそうに『エヘヘ』と笑う。
そんな眩しい笑顔を横目に、俺は改めて、心の中で決意を固めた。
――絶対に、こいつらを勝たせてみせる。
窓に薄っすらと反射した自分の顔が、少しだが笑っているように見えた。
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