一人が好きな俺が自転車サークルに入った結果。

沼口

練習会と青春ボーイ5

「ところで、何で霊譚学園の強豪さんが春生小屋エンデューロの…しかもハーレムカテゴリーになんかに出ようと思ったの?」

 微妙な空気の中、不意に神無が切り出す。

「ん?どゆこと?」

 何を言っているのかさっぱりだという顔で東条は言い、右手のオニギリを頬張ろうとする。が。

「“霊譚学園自転車競技部”2年東条シンラ。出場したレースでは5位以下になる事は無い、霊譚学園自転車競技部が誇る天才的エース。…まあ、噂程度だけど」
「……ふーん、知られてたんだ」

 東条が口に入りそうだったオニギリを下ろし、不敵に笑う。
 正直…ぶっちゃけ……――意味不明。空気が悪くなっていくような感覚はあるが、それ以外は特に分からない。
 なのでとりあえず蕎麦をすする。うん、美味い。

「あー‼︎思い出したよ!自転車雑誌の表紙になってた人だ!確か…生粋の女好きレーサー!」
「ぶご……っ」

 御影の言葉に思わずむせる。
 何だ生粋の女好きレーサーって?てか、何でそんな奴を表紙にして大々的によく分からん情報を広めてんだ?

「いや〜それほどでも〜」

 誰も褒めてないし。てか、隣の女子さん達は苦笑いだし、こいつはそれでいいんだろうか。

「それで?何でこんなホビーレースに出ようと思ったの?」
「うーん……名前?かな」
「は?」
「いや、だってさぁ!ハーレムカテゴリーだぜ?滅茶苦茶俺にピッタリなカテゴリーだなーって思ってさ。メンバー集めて即効でエントリーしたって訳!」
「………」

 流石の神無も渋い顔をしている。まあそりゃそうなるだろう。
 なにせ意味不明だからな。

「すみません。シンラ先輩は時々暴走することがあって、春生小屋エンデューロも合宿サボっての参加で……はぁ…私達の気苦労も知らず…」
「はははっ シンラはアホだからな〜!やりたい事をやる事しか考えてないんだよ!あんた方に昼飯の誘いをしたのだって目的あってっスよ。な!シンラ?」

 目的?嫌な予感しかしないんだが。
 そして、俺の予感はよく当たる。

「ああ、そうなんだよ。――リクさん、俺と勝負しねぇ?」

 歯を見せ、俺に笑いかける東条。やっぱり俺の予感はよく当たる。
 なに、答えなら決まってるさ。

「嫌――」
「良いよー!というか、ボクも入れてくれないかい?」

 俺の言葉は御影によって遮られる。
 こいつマジで俺の邪魔ばかりするな。覚えてろよ?

「おい御影。ここで闘うメリットは無いだろ?てか、俺の性格そろそろ分かれよ。いや、分かってください本当に」
「え〜。だって、結局タイムトライアルするんだし、相手がいた方が実践ぽくてよく無い?」
「……………」

 意外とまともな理由を叩きつけられたものだ。確かに、相手がいた方がタイムは出るかもしれないし、実践に近い。
 上手くいけば相手の研究もでき、弱点を探れる。まあ、それはあちらも同じだろうが。
 それ故によく考えなければならない。この勝負はすべきか、否か。
 そして最善の選択を――

「二対二の勝負ってことね〜了解だ!んじゃ、スタート地点に行こうぜ?」
「そうだね!」

 立ち上がり、既に臨戦態勢の2人。いや、もうちょい考えさせろよ。てか俺の意見は?

「桜島くん、ファイト〜」
「神無お前、とりあえず応援してるだろ。やりたく無いんだが」
「まあまあ、東日本最強の高校生と名高い東条くんと闘う機会なんて、そうそう無いよ?」

 東日本最強?あいつが?

「そんなに強いのか?ただのエロガキにしか思えんが」

 実際東条は今、同じ高校の先輩後輩の肩に手を回し、ニヘニヘと気持ち悪い笑いを浮かべていた。これをエロガキと呼ばずして何と呼ぼう?

「…強いよ。動画でしか走りは見たこと無いけど、このまま順当にいけば海外でも通じる選手になるだろうね。ちなみに、彼の走りを見た他の人は彼の事を――“魔王子デモニック・プリンス”…そう呼んでるらしい」
「…魔王子デモニック・プリンス…」

 何の事だか分からないし、誰がつけたのかも分からないその大層な異名を、俺はとりあえず呟いた。



 ◇



 人間が他の生物と比べて優れていることの一つは“言葉”であると俺は考えている。
 意思疎通がいとも簡単に出来る“言葉”。ほとんど人が“言葉”を発し、他人と交流をして生きている。

 だが、何故だろうか?何で俺の“言葉”は彼ら彼女らには通じないんだろうか?

「それじゃあルールの確認ね〜。春生小屋エンデューロのコースを一周して、先にスタート地点に戻ってきた方の勝ち。相手を風除けには使っちゃダメ。ハーレムカテゴリーと同じルールで、男性陣がゴールを狙うのもダメ。最後は女性の一騎打ち…って感じで!」
「オッケー」
「了解っス」
「よくねぇ……………」

 俺以外が了承をし、俺が小さく否定したのを気にせずにビンディングシューズをペダルにハメる。
 うむ、見事に俺の意思は疎通出来ていない。

 仕方ないので、俺もビンディングシューズをハメる。

「じゃあリクくん、最初先頭よろしく〜」

 御影が俺の横で言ってくる。
 その横には東条、さらに向こうには高畑が並んでいた。あちらはそのメンバーでいくらしい。
 道路に横並び一列、実に危ないフォーメーションだが、他に誰もいないのでまあ良しとしよう。

 ※道路で横に広がってはいけません。

「最後は任せるからな」
「勝つ気で行くよー!」

 はぁ…適当に済ませるか。
 デュアルコントロールバーを握り、いつでも発進出来る体勢になる。

「それじゃあカウントダウンするね〜。5、4、3、2、1…スタート!」

 神無の合図と共に、俺達は反対側のペダルにもビンディングシューズをハメた。そして、加速――。
 俺と東条が一気に前に出る。
 どうやらあちらも俺らと同じで、東条を先頭に高畑を温存するらしい。
 まあ当たり前か。エースはアシストを風除けにして休む。レースの定石だ。

「んじゃまあ、行きますか」

 東条はそう呟くと、ダンシングをして、更に加速をする。
 何でもありのレースならば、ここは東条達の後ろにつき、風除けとするべきだろう。しかし、この勝負では相手を風除けには出来ない。なので俺がすべき選択は。

 シッティングのまま、ペダルにチカラを加え、加速する。

「お、来るねぇ。そんじゃこっちも」

 東条は更に間を開けようと、ダンシングを続ける。高畑もその動きに続き、ついていく。
 さて、離されると御影がギャーギャー言いそうだし、もうちょいペース上げるか。
 俺は一応振り返り、御影の様子を確認するが…その必要は無かったな。まだ随分と余裕そうな御影は、笑顔で正面を見ていた。本当に楽しくて仕方ないんだろう、こいつにとって自転車は。

 俺はギアを2段重くし、下ハンドルを握った。クランクが1時の位置で踏み込み、擦り付けるようにペダルを引く。単純な動作だが、速く走るには必要な技術だ。


「ふぅ…追いついた」

 再び東条と並び、俺は一息つく。
 が、東条は並んだ瞬間に再びダンシングを仕掛けてくる。こちらを休ませる気は毛頭無いらしい。
 ならいいだろう。とことん付き合おう。無難に、大事をとって。

「ハハッ!ついてくる!まあ当然かな?けど…この先は」
「……コーナーか」

 自分で置いたマーカーコーンが目に入る。第1コーナーに俺達はほぼ並走で突っ込んでいくわけだが、ここで少しマズイことが起きる。
 コーナーは右回り、俺達は東条達の右側に位置をしている。曲がる距離はこちらの方が短いが、その分急に曲がらなければならないのでスピードは落ちる。結果――

「おっ先ー!」

 東条達はスピードをあまり落とさず、大回りでコーナーを抜けていく。

「まあ、そうなるよな」

 俺と御影もコーナーを抜け、再び直線に戻るが、先ほどよりも差が出来てしまっていた。

「交代する?」
「いや、いい」

 後ろから聞こえてくる御影の提案を俺は即時に断る。
 これくらいが丁度いい。
 後ろになった事で俺達は次のコーナーの位置を自由に取ることが出来るようになった。無論、それはあちらも同じだが、それでも先ほどよりは有利に立ち回れる。

「ちょっと速度上げるぞ」

 俺はそう呟くと、徐々にコース左に向けて加速していった。
 次は左カーブだが、そこまで急では無いため、左寄りでも速度を落とさずに曲がれる。逆にあちらは…

 東条達がコーナーへと突入し、曲がっていく。今のスピードを落としたく無いであろう東条達は、ここで右寄り・・・になる。

 まあ、アウト側で曲がった方が安心だからな。しかし、これで左側に道幅が出来た。
 俺達もコーナーを曲がり、この隙に一気に加速する。そして再び、並んだ。

「マジかよ…確かこの先って…」

 並ばれた事に気がついた東条が苦々しい表情をする。あいつらも試走をしていたのだから気がついたんだろう。
 最後のゴール前カーブは180度の右回り、つまりは左側にいる方が格段に有利となる。

 そして、今左側にいるのは――俺達だ。

「悪いが、先にコーナーを貰うぞ」

 そう言い、俺はアウトライン目一杯にコーナリングをする。ゴールまでおよそ残り100m…ここだろう。

 俺は横目で東条達の様子を確認する。と、あと少しで並びそうな距離にいるのが分かった。
 ここで御影を発射し、スプリントさせるのが無難な勝ちだが…。しかし。

「よしいけ!乱ー!」
「オッケー」

 東条が並ぶ前に後ろにいた高畑を発射する。そして高畑は東条の声に一瞬で応え、スプリントを開始する。
 さて、

「御影、スプリントだ」
「了解ー‼︎」

 俺は御影に合図を送り、御影もそれに一瞬で応え、加速する。
 丁度御影が出た瞬間、高畑と並ぶ。2人の差は全く無い状態でのゴールスプリント。

 ――うむ、上出来だ。

 ここからは爆発力のある方が勝つ純粋なスプリント対決。勝てるかどうかは御影次第だろう。

 おそらくだが、高畑も御影も“スプリンター”だ。
 スプリンターとは、平地を走る事に優れている自転車選手のことであり、主に最高速度が高い選手がこれに該当する。必ずしも 最高速度=強さ では無いが、この状況では最高速度が高い方が勝つ。
 そしてそれは――

「イェーーイ!」

 御影がガッツポーズを取り、高畑が悔しそうに俯いた。僅差ではあるが、どうやら御影が勝利したらしい。
 自転車レースの決着は分かりやすい。ゴールを取ったものは喜びに手を挙げ、敗れた者はただ辛そうに俯く。
 どんな小規模な勝負でもこれは変わらない。

「リクくーん!勝ったよー!おーいおーい‼︎」

 御影が俺から少し離れた場所で止まり、手を振ってくる。

「ったく、どんだけ嬉しいんだよ、お前は」

 俺はこの時、昔のことを思い出していた。ゴールした事に喜んでいた、無邪気な少年の事を。

「俺達の勝ちだな。これで満足か?」

 俺は横にいる東条に向かって話しかける。が、返事は無い。
 不思議に思い横を見ると、そこには今までの明るい表情の東条は無く、暗く何かに苛立っている様な表情だけがあった。
 そして、東条はおもむろに口を開く。

「…強いとは思っていたけど、こんなに舐められた事をされるとは…」
「ん?」

 東条の鋭い瞳がこちらを向く。

「リクさん…あんた最後の発射タイミングわざとずらしただろ?それだけじゃ無い、始めっから本気では走ってなかった…。んでだよ…なんで本気でやんねーんだよ!正々堂々と走りゃいいじゃねぇかクソッ‼︎」

 ハンドルを叩き、歯ぎしりをする東条。その目は怒りに燃え、体は屈辱に震えていた。

「…………………」

 何か、言うべきなんだろう。否定や…『君は強かった』とか。
 しかし言えない。きっと俺が今何を言っても、説得力は無いから。

 そして何より、東条が言った『正々堂々』という言葉が、俺の口を何か見えないもので縛っていた。
 きっと、過去の呪縛のようなものだろう。

「ん?どうしたのリクくん。東条くんも…何か様子変だよ?」

 御影が止まっている位置まで到着する。

「…悪い御影、俺は今日…帰る…」
「え…え⁈ど、どういうこと?」

 俺は力なく声を発した。
 御影は困惑しているが、俺はそれどころでなかった。最低最悪の気分だ。
 凄いイライラするし、やるせない感覚が付きまとう。この場から一刻も早く立ち去りたい。
 俺は方向転換し、来た道を戻る。振り返る事なく。何も言わずに。

「本番は…!本気でやれよ!じゃなきゃ……許さねぇからなぁ‼︎」

 後ろから東条の怒りの声が聞こえる。
 分かってる。彼は悪くない。正々堂々と走り、真剣に勝負がしたかっただけなんだろう。
 だが俺は、勝負で誰も傷つかないように安全策を取ってしまった。ゴールスプリントのタイミングを重ね、良い勝負を演出をするという、舐めたマネを。

 良かれと思ってやったことが、必ずしも相手の望みと重なる訳では無い。分かってはいたが…俺は少し、自分を過信しすぎたのかもしれない…。
 他人を欺けると、もしかしたら今なら誰も傷つけずに勝負が行えるかもしれない…と。そう、勘違いしてしまったのかもしれない。

 俺はきっと、あの頃から…一歩も進歩していなかったんだ――。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品