海の声

漆湯講義

187.君への橋

俺たちはポタポタと流れ続ける涙を床へと零しつつ支度を進める。
胸が締め付けられるように苦しい。そして喉から耳にかけてもギュッと握り潰されるような、そんな苦しい感覚に悩まされた。

俺たちは、予め決められたスケジュール通りに動くかのように、黙々とその手を進めると、部屋のドアの前に立ちお互いの視線を重ねた。

フェリーの運航の回数が増えたおかげでなんとか船には間に合いそうだ。
はやる気持ちを抑えて俺たちは足早に港へと向かう。
そんな時だった。横を歩く美雨の手がギュッと力強く俺の手を握った。
俺は横を見たが、美雨は視線を斜め前に下げたまま俺の方を見ることは無かった。
未だに頭の整理が追いつかない突然戻った俺たちの記憶…美雨が困惑するのも無理はないが、そんな事を考える余裕すら今の俺たちには無いのだ。"とにかく、海美に会わなければ"そんな想いだけが俺たちの足を進めていった。

港へと着くとチケットを購入し、船を待った。
夏の日差しに光り輝き、静かに波打つ海原にすら焦りを感じる。
そして遠く水平線に微かに姿を見せた船を見つけると、俺は立ち上がった。

『焦ったってイミない』

俺の横で美雨が小さく呟く。
「分かってるよ…」と言いつつ、俺は水平線の船を待った。

潮風に吹かれつつ段々と大きさを増していく船を眺めていると美雨が少し暗い顔になって言った。

『何で今まで思い出せなかったんだろ…』

「そんなん俺にも分かんねぇ。だけど、海美は生きてる。そうだよな?」

『うん、ボクはお見舞い行ってたからね…』

そう、美雨は"お姉ちゃん"のお見舞いに行くと言っていた事が何度かあった。しかし、お見舞いから帰ってきても、その"お姉ちゃん"の話をしようとしない美雨に、きっと話したくない理由があるのだと、俺から聞くこともしなかった。
今になればその理由だって説明がつく。だって目覚める事のない"お姉ちゃん"のお見舞いの話なんて、何て話せばいいか分からないから。
船がその姿を俺たちの視界に広げていく。
そして前面のガラスに映る人の顔がぼんやりと見え始めた頃に、美雨がゆっくりと俺の手を握った。

『セイジはこのままだよね?』

元気の無い声が船の音にかき消されそうになりつつも俺の耳へと辿り着く。

俺はギュッと手を握りしめると「当たり前だろ」と美雨の手を引き上げた。

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