海の声

漆湯講義

181.再会

『海の声は聞けたかい?』

海の声…俺はそんなフレーズを聞いた事がある気がする。でも、記憶が曖昧で、いつ聞いたのかという事が思い出せない。
そんな俺を見て村長はこうも言った。

『そうか…もしや…あぁ、君は渡し子の役目を渡してしまったからか…可哀想に』

そこで俺はふと思ったのだ。
渡し子の儀式…俺はそれに何か強いこだわりがあった気がする。そして、祭を台無しにしてしまった罪悪感も相まって、自分勝手だとは思ったが、俺は村長にこう切り出した。

「あの…すいません。渡し子の儀式…まだ間に合いますか?」

すると俺の背後で溜息が聞こえたかと思うと苛立ったような声が響いたのだった。

『何よ今更ッ…それなら私がやったわよ!感謝してよねッ、ホント、突然逃げるなんて卑怯者ッ!』

その声に振り返ると、そこには村長の孫だと言っていた"サクラ"の姿があった。
ただ、綺麗に結われた髪のせいか、先程見た時と雰囲気が違うように見える。


「あ…えとサクラさん?ほんとごめん」

『それにしても酷い格好ね…何してきたのよ?』

「いや…それが自分でもよく分からなくて」

『変なのッ!』

この子には迷惑をかけちゃったな、とは思ったが、代役を務めてくれたお陰で祭に支障が無かったのだと知って安心している自分がいる。だって何で逃げたのかも分からないまま祭が台無しになったんじゃぁアイツが悲しむし…

…アイツ?
自らの言葉に疑問を抱いた。いま確かに俺は誰かの事を想った。それなのにその"誰か"が、幼い頃の記憶のように思い出せないのだ。

そんな変な気分のままに着替えを終えると、俺はもう一度深々と頭を下げて社務所を出た。

「ホントすいませんでした」

出たところで振り返ってもう一度頭を下げた。
そして肩の力が抜けたところで前へと振り向くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

「お…お前…何で?」

『よっ…久しぶり…』

そこに立っていたのはあの"タクヤ"であった。
変わらないその姿に、あの日、俺の歯車が音を立てて欠けてしまったあの過去の出来事が蘇る。
だが、意識不明で入院していた筈のタクヤが何故ここに居るのか、そして、俺を恨んでいる筈のタクヤがあの頃のように普通に言葉を投げかけてきた意味が理解出来ない。

「大丈夫…なのか?」

『いや、見ての通りまだ松葉杖無いとキツい。だけど医者もしばらくすれば元のように動けるって言ってたからさ。』

タクヤは少しの沈黙の後、俺の足元へと視線を移して頭を掻いた。

『その…ごめん。あん時は』

突然現れた過去の親友の想像もしなかった発言に俺は耳を疑った。
俺の事、恨んで無いのか…?
安堵と疑問が入り混じる気持ちに翻弄されつつも「いや…だってアレは」と、俺は下を向いた。

すると、コツコツという音が俺へと歩み寄ってくる。そして俺のすぐ前でタクヤが溜息をつくのが聞こえた。

『いや、俺が悪かった。俺、杉田の事、お前にハッキリとも言わないで、全部分かってくれてるもんだと思い込んでた。アレから意識戻った時にはお前、もう学校きてないって知って、謝ろう謝ろうって思ってたら転校しちまうんだもん。俺さぁ、ずっと…謝りたかったんだ』

視界が透明なモノで歪んでいく。ずっと…ずっと俺の心に溜まっていた黒いモノが、タクヤの言葉の雨に流されて薄れていくのが分かる。

「俺は…俺はさ、ずっと後悔してたんだ。お前が死んだらどうしようとか…お前に後遺症とか残ったらどう責任取ればいいのかとか…もう…謝れないのかなって」

『バカゆーな、俺は死なないし、天国だろーが地獄だろーが、どんな世界だってお前に会って謝ろうって決めてたんだ。アレは事故なんだし…お前が謝ることねぇよ』

"どんな世界だって俺と美雨だけは居るからさ"

不意にそんな言葉が脳裏に浮かんだ。
誰に対して言ったモノかは分からない。だけど、いつの日か確かにそんな事を言った気がしたのだ。

『聞いてんのか?まぁ、こうやってお前に会えて謝れて…ホント良かった』

何だよそれ…俺だってお前に会えて、謝ることが出来て、お前の気持ち聞けて良かったよ。

「俺も…ほんとごめん。ってか何でここに居るって分かったんだ?」

『お前の母ちゃんから連絡来たんだよ。お前の写真が展覧会に出てるから見てあげて欲しいって』

俺は母さんを横目で睨む。が、そのおかげで今があるんだと思い直して"ありがと"と呟いた。

『そんで写真見て誠司が居るとこ行ってみたいなぁって思ってさ、来てみた』

「なんだよそれ…ありがとな」

すると、不意にタクヤの指先まで真っ直ぐに伸びた手が俺の前へと差し出される。

『早くしろよ、俺も杖なしじゃ結構キツいんだ』

俺は少し照れくさく思いつつも、伸びたその手をグッと握った。



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