海の声

漆湯講義

170.カミサマの儀式

「ムカエミズ?何すんの?」

いくら暑いからって水掛けられたりなんて儀式は嫌だからな。
だがそんな不安を他所に、なんともまぁ、如何にも儀式らしい"ムカエミズ"なるものの内容が美雨の口から語られた。

『神様が入った海の水を、焼いた鉄で蒸発させて神様を神社に迎え入れるんだよ。だから迎水ッ』

なるほど、それなら別に被害は無さそうだ。まぁ、あんな綺麗な浴衣まで着てるんだ。美雨がそんなトコ行く筈ないか。
そして俺たちは本殿の表側へと移動して、人だかりの輪の外側、本殿に向かって左側に並ぶ腰の高さ程の大きな丸い岩の上へと腰掛けた。この位置からは本殿の正面に備え付けられた子供用のプールくらいの中華鍋…みたいな鉄の器と、その両サイドに轟々と燃え盛る松明が頭を覗かせているのが見える。その鉄の器の下にも焚き火がされているのだろう、火の粉がパチパチと音を立て、空へと舞い上がっている。
俺たちはその様を見つめながら儀式が始まるのを待った。
しばらくすると突然"チーン"というトライアングルのような音と、尺八みたいな縦笛の音が一斉に境内へとその音色を響かせ、周りの雰囲気を一瞬にして厳粛なモノへと変えた。

そしてゆっくりと本殿の扉が開いたかと思うと、幼稚園児くらいなら楽に入れてしまいそうなくらいの、綺麗な木の箱を持った4人の白装束を身に纏った巫女さんらしき人たちが鉄の器の前へと一歩、また一歩と、もどかしくなるような速度で足を進める。
そしてその人達が器の目の前で歩みを止めると、祝詞というものだろうか…人混みに隠れて見えない所で、男の人の、俳句を詠むような、ゆっくりと、静かなのに松明の燃え盛る音などに決して負けないくらいの透き通った声が、呪文を唱えるかのように響き始める。
こうして辺りは一瞬にして静寂へと変わり、騒めいていた樹々までもがその葉音を隠しているかのように思えた。

『もうすぐカミサマが降りてくるぞッ♪』

パレードの主役が現れるのを待つかのように瞳を輝かせながら美雨が言った。
そして海美は、ニコニコとその様子を眺めて俺に軽く微笑んだ。

男の人が余韻を残すように祝詞を読み終えると、先程の木の箱から鉄の器へと勢いよく海水が注ぎ込まれた。
"ボシャーンッ"
想像以上に大きな、爆発音にも似たような轟音を響かせて真っ白な蒸気が空一面へ広がっていく。それはまるで、巨大な龍が鉄の器から現れ、空へと勢い良く昇っていくかのようだった。
時を同じくして湿った温かい空気が俺たちの元へと届く。海水の少し生臭い海の匂いが俺たちを包み込み、俺はふと目を閉じた。

その瞬間、瞼の向こう側に閃光が走る。俺は咄嗟に薄く目を開いたが、驚く事に先程と特に変わった様子は無かった。

「美雨、今なんか光ったよな?」

『えっ、なにも?ボクずっと見てたけどフツーだよ?何?カミサマでも見えたとか馬鹿なコト言わないでよ?』

「バカゆーな!そんなんじゃなくてさぁ、海美は見え…」

そう言って海美を見た俺は言葉を失った。俺の目に映りこんだモノ。それは、呆然としたまま遥か遠く…いや、遠くなんてモノじゃない、何処か別の世界を見つめ続けるかのような瞳から、頬を伝って零れ続けている…海美の涙だった。

『どうか…した?』

美雨がそう訊ねるも、俺はそれに答える余裕もなく、ただ海美を見つめた。






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