魔法世界の例外術者《フェイク・マジック》 - 魔力とは無力である -
夏休みといえば:お盆1
それから数日後のこと。
「なあ三縁。確か今日でみんな実家に帰るんだっけ?」
「うん、まあ元々ここが地元の優梨っちやみさとっちはいるけどね」
俺はペースを乱す事なく走りながら、先頭を走る三縁と会話を続ける。
「という事は京香も帰省中なんだな」
「うん、そうだよー。なになに? 未来のお嫁さんが自分の近くから離れるのは、寂しいの?」
「いや、そんなんじゃねえよ……。京香は実家に戻る事を嫌がってたなって思い出して」
「ああー……なるほどね。でも叶子っちがいるから、絶対帰ることになるでしょ?」
「……だろうな」
京香も昔は色々あったみたいだから、夏休み中は優梨の家に泊めてもらうようお願いしていたのだが、まあ妹のような存在にせがまれちゃ断れないのだろう。
「もし叶子っちがいなかったとしても、京香っちの両親が帰ってくるように言ったと思うよ?」
「そりゃそうか。どっちみち、京香は一旦帰省する羽目になったということか」
「まあ夏休みだからねー。それに京香っち自身も帰る予定はあったらしいし」
京香の両親も自分たちの娘のことが心配だろうから、長期休暇になると一度でもいいから帰ってきて欲しいと思うだろうし。
「そういえば、豊岸はここらへんが実家じゃないらしいけど……どこに住んでたんだ?」
「ああ、東北の方だよ。まあ、ここからだと少し遠くなるかな。前に交通が不便で困るって愚痴ってたよー」
「へえ、そうなのか」
「あと、ケンジくんが不便で困るって愚痴ってたよー」
「それは愚痴らなくていい。不便ってなんだ、不便って」
「昼ごはんを買ってきてあげたり、代わりにノートを取ってあげたりすると便利とかじゃないのかな?」
「ただのパシリじゃねえか……」
俺をパシリ前提で扱うなよ。
「みさとと優梨はここが地元なんだって?」
「そうそう。特に優梨っちの家はここら辺に住んでいる人なら有名な家系らしいね」
「へえ、そうだったのか……全然知らなかったな」
「まあ地元じゃないからねえ、私達」
あはは、と笑う三縁。いつもの優梨の様子からじゃ、全く想像がつかないからな。
そうして話しているうちに、いつの間にか三縁の家の近くまで戻っていた。
「じゃあ今日はこのくらいにしておこうか」
「……そうだな」
一周を走り終え、俺たちはゆっくりとした歩きになる。
「どうだ三縁。最近はお前のペースについてこれるようになったぞ」
と少し自慢げに言う俺に、三縁は素直に拍手をしてくれる。
「おおー、ケンジくんも成長したねえ」
「そうだろう? 体力なら三縁に負けないかもだぜ?」
「……へえ」
思わず言ったその言葉に、三縁の目が怪しく光る。
「そんなに自信があるんだねえ、ケンジくん」
「ん? いや、そうでもないが……。まあ普通の女子には負けないと思うだけで」
「へえ、そうなんだ。ふーん……」
「……三縁?」
少し様子がおかしい三縁に俺は首を捻る。どうかしたのだろうか?
と、三縁はニッと笑い俺の手を掴む。
なんだろう、すごく嫌な予感がする。
「なら、もう一周できるよね?」
「えっ?」
「じゃあもう一回行くよ!」
言うが早く、俺の手を引いたまま再び走り出す。
「お、おい、三縁!?」
「おやおや、ケンジくんはもう限界かな? 三縁っちさんはまだまだ行けますぞ?」
「むっ」
「あれれ、体力なら私に負けないんでしょ? それなら、当然もう一周できるよねえ?」
「……いいだろう」
俺は三縁の手を振り払うと、自分から走り出す。
「もう一周してやるよ!」
「そう来なくちゃね!」
あそこまで言われて黙っていられるか! 絶対、ついて行ってやる!
* * *
「はあっ……はあっ……」
「……よし、もう一周する?」
「ご、ごめっ……もう、無理っ……!」
更に一時間後、路上で膝をつく俺の姿がそこにあった。
そんな体力が切れている俺とは対照的に、三縁はまだまだいけるといった感じである。
くそう、負けた……!
「あはは、私には負けないんじゃなかったの?」
「い、いやっ……すみません、でしたっ……」
「はっはっは、まだまだだね少年よ! もっと鍛えないと!」
「ぐっ……!」
俺は何か言い返したくても言い返せずに、視線を地面の方へ向けたままだった。
というかこのやり取り、夏休みが始まったばかりの時もした気がする……。
「でも、ここまでついてこれたのは本当に凄いなあと思ってるよ!」
「ついてこれない前提で走ってたのか……。ちなみに、もし俺がついてこれなかったら?」
「置いていったよー!」
「だろうな……」
そんな残忍な事をそんな笑顔で答えないで欲しい。
「さてと、余分にもう一周しちゃったから早く朝ごはんにしようか」
「……そうだな」
ぐっと大きく伸びる三縁。俺は立ち上がると、歩き出した三縁についていく。
「今日の朝は白米に鮭の塩焼き、それに味噌汁のザ・和食だよ。いやあ、朝食と言ったらやっぱり和食ですね!」
「昨日はトーストだったような気がするんだが」
「気のせい、気のせい。それはきっと、こねた小麦粉焼きっていう和食だよ」
「パンを日本語風に言うと、美味しくなさそうになるな」
「新しい発見だね!」
「嬉しくないけどな」
* * *
「はーい、お待たせー!」
三縁が主食とおかずをお盆に乗せて持ってくる。
「おお、美味そう」
「でしょう? じゃあ、食べようか。いただきます!」
「いただきます」
三縁は手を合わせ、俺もそれに続き、箸を伸ばして白米を掴む。
だがさっきから気になっていたことがあり、俺は食べるのを一旦止める。
「……そういえばさ。三縁はいいのか?」
「んん? 何が?」
三縁はご飯を口に運びながら、首を捻る。
本当はあまり進んで聞いてはいけないことだと思う。なので何も聞かなかったが、普段通りの三縁にどうしても聞きたくなってしまったのだ。
この時、俺の行動は軽率だった。
あまりにも軽く見すぎていたのだ。
この違和感を、問題を。
秋原三縁という人格を。
「いや、みんな実家に戻ってるだろ?」
「ん? そうだね」
「それで、三縁はいいのかなって思って」
「え?」
「だって――今日はお盆だぜ?」
* * *
お盆とは、先祖や亡くなった人たちの霊を祀る行事のことである。
旧暦だと七月十五日前後らしいが、今現在では八月十三日から十六日までの四連休になっている。
俺たちのような学生たちとしては、ただお墓参りをして家族で集まるようなものだ。
元々、夏休みという長期連休の最中なので、俺は休日という気分は全く感じないが、社会人としては重要な夏の連休である。
当然、俺もその行事に倣うべく顔の知らぬ両親の墓へ行くべきなのだろう。
しかし、不思議なことに俺に関するデータは全て抹消されていて、自分がどこで生まれたのかすらわからない状況である。その為、行きたくても行けない。
だが、三縁の場合は違う。
ちゃんとした記憶があり、ちゃんとしたデータがある。
俺とは違い、行きたければ行ける状況なのだ。
「……あはは」
はたして秋原三縁は。
笑顔で俺にはにかむのだった。
「うーん、それもそうだね。私も行った方がいいかな?」
「それもそうだねって……」
「ほら、私ってこういう性格じゃん? 計画性がないっていうか、適当っていうか」
「いや、そういうことじゃ」
「そういうことなんだよ。……私って人間は」
どうしようもなく狂ってるんだよ――と三縁。
「聞かせてあげようか? まあ否定しても話すけどね、三縁っちさんのお話を」
* * *
「『君のお父さんとお母さんには、もう会えないんだ』。
「開口一番、それが親戚のおじさんの台詞だった。
「今思い返すとなかなか残酷な言い方だよね。
「まだ七歳になったばかりの女の子に言う台詞がそれだよ?
「ピカピカの小学一年生になって、新しい友達も出来て、今までとは違う環境になって、希望で満ち溢れてる子に。
「両親が死んだとかいう希望の欠片もないような現実を突き立てるだなんて。
「そんなのを、受け入れられないことなんて目に見えてるのに。
「私と両親の仲は良かったよ。
「そりゃもう仲良しで、近所では有名だったくらい。
「お母さんもお父さんも優しくて。
「私は大好きだった。
「時には厳しいお母さんも。
「時には仕事の話をしてくれたお父さんも。
「当時の私にとって、両親はかけがえのない存在になっていた。
「だから、両親にもう会えないと聞いた時。
「私は当然のごとくその現実を受け入れられずに、その場で取り乱した。
「……と、思うでしょ?
「『そうなんだ』って。
「当時七歳。
「小学一年生というまだまだ幼い女の子。
「秋原三縁は。
「その一言で全てを受け入れたんだ。
「おかしいよね。
「だって自分の肉親が死んだっていうのに。
「それを笑顔で返せるんだよ?
「一切、取り乱さないなんてさ。
「……気味が悪いよね、そんな女の子。
「怖いよね。
「まあ見方によっては、無理しているようにも見えるかも。
「でも、本当にそう思ってたんだよ。
「お母さんもお父さんもいない、って理解できた時。
「『ああ、そうなんだ』って、すっと受け入れられた。
「次に、ふいにお父さんがよく言ってた言葉を思い出したんだ。
「『何事にも笑顔を忘れるな、三縁。笑っていれば、大体は何とかなる』って。
「そしたら、自然と笑顔になっていた。
「たったそれだけなんだよ。
「だから、さ。
「私は両親が死んで『悲しい』と思ってない。
「いつも通りで、何一つ変わらなくて。
「周りからすれば、それは『悪いことだ』『間違っている』なんて言われるかもしれない。
「でも、よく考えてみてよ。
「受け入れられなくて取り乱したりするより、他の人に迷惑かかってないよ?
「誰かに危害を加えたわけじゃない、誰かを傷つけたわけじゃない。
「それは『悪いことじゃない』し、『間違ってはいない』でしょ?
「それなら、別にこのままでもいいかなって。
「私はそう思っているんだけど。
「ケンジくんは、どう思うかな?」
* * *
「…………」
俺は三縁の話を聞き終えるまで、終始無言だった。
別に今の話に何の意見もなかったわけじゃないし、気を使ったわけじゃない。
それよりも、三縁という人格に愕然としているしかなかったのだ。
「…………」
周りはやけにシンと静まり返り、聞こえてくるのは洗い場の水道管から垂れている水滴の音のみだった。
気がつくと、俺の体は小刻みに震えている。特に寒い、というわけでもないのに。
「……いや、違う」
その静けさを打ち破るように、俺はなんとか口を動かす。
「それは悪いことで、間違っているんだ」
震えながらも、必死に自分の意見を述べる。
すると、三縁は。
怒った表情をするわけじゃなく。
悲しい表情をするわけじゃなく。
驚いた表情をするわけじゃなく。
困惑した表情をするわけじゃなく、怖がる表情をするわけじゃなく。
不満そうな表情をするわけじゃなく、軽蔑する表情をするわけじゃなく、殺意が篭った表情をするわけじゃなく。
劣等感に浸った表情をするわけじゃなく、恨むような表情をするわけじゃなく、苦しい表情をするわけじゃなく、諦めた表情をするわけじゃなく、絶望した表情をするわけじゃなく、憎悪した表情をするわけじゃなく。
いつも通りの笑顔だった。
「うーん、やっぱりケンジくんもそう言うかあ。まあ、予想はしていたけど」
……もうやめてくれ。
「確かにおかしいのはわかるんだけどさ、それはいけないことじゃないでしょ?」
その笑顔を。
「だって誰にも――」
その笑顔を見せるのは、もうやめてくれ――!
「そういうことじゃねえんだよっ!」
思わず声を荒げてしまい、三縁はビクリと体を震わせる。
「確かに他の人に危害を加えているわけじゃないし傷つかせたわけじゃない、だけど!」
それは『誰かに危害を加えているわけじゃないし傷つかせたわけじゃない』ということじゃないんだ!
「お前自身に危害を加えていて――お前自身が傷ついているじゃねえか!」
三縁は三縁自身に危害を加え、傷つかせてるんだろうが!
「お前は自分をなんだと思っているんだ! お前は無感情の人形でも、命令以外のことは出来ない機械でもない!」
れっきとした感情をもつ人間で。
命令以外のことも出来る。
「お前は――秋原三縁だろうが!」
お前は、秋原三縁をなんだと思ってる!
「…………」
今度は三縁が終始無言になってる番だった。
大声を張り上げて、感情を爆発させた俺をただ黙って俯いていた。
「…………ごめん」
やがて、俯いていた三縁から振り絞るような声が聞こえてくる。
と、急に三縁は立ち上がった。
「ちょっと、頭を冷やしてくるね」
「えっ……」
俺は何か言う前に――三縁はそう言うと、すぐさまドアを開けて出ていってしまった。
「…………」
部屋に残されていたのは食べかけだった朝食と、三縁のいない静かな空間のみだった。
「なあ三縁。確か今日でみんな実家に帰るんだっけ?」
「うん、まあ元々ここが地元の優梨っちやみさとっちはいるけどね」
俺はペースを乱す事なく走りながら、先頭を走る三縁と会話を続ける。
「という事は京香も帰省中なんだな」
「うん、そうだよー。なになに? 未来のお嫁さんが自分の近くから離れるのは、寂しいの?」
「いや、そんなんじゃねえよ……。京香は実家に戻る事を嫌がってたなって思い出して」
「ああー……なるほどね。でも叶子っちがいるから、絶対帰ることになるでしょ?」
「……だろうな」
京香も昔は色々あったみたいだから、夏休み中は優梨の家に泊めてもらうようお願いしていたのだが、まあ妹のような存在にせがまれちゃ断れないのだろう。
「もし叶子っちがいなかったとしても、京香っちの両親が帰ってくるように言ったと思うよ?」
「そりゃそうか。どっちみち、京香は一旦帰省する羽目になったということか」
「まあ夏休みだからねー。それに京香っち自身も帰る予定はあったらしいし」
京香の両親も自分たちの娘のことが心配だろうから、長期休暇になると一度でもいいから帰ってきて欲しいと思うだろうし。
「そういえば、豊岸はここらへんが実家じゃないらしいけど……どこに住んでたんだ?」
「ああ、東北の方だよ。まあ、ここからだと少し遠くなるかな。前に交通が不便で困るって愚痴ってたよー」
「へえ、そうなのか」
「あと、ケンジくんが不便で困るって愚痴ってたよー」
「それは愚痴らなくていい。不便ってなんだ、不便って」
「昼ごはんを買ってきてあげたり、代わりにノートを取ってあげたりすると便利とかじゃないのかな?」
「ただのパシリじゃねえか……」
俺をパシリ前提で扱うなよ。
「みさとと優梨はここが地元なんだって?」
「そうそう。特に優梨っちの家はここら辺に住んでいる人なら有名な家系らしいね」
「へえ、そうだったのか……全然知らなかったな」
「まあ地元じゃないからねえ、私達」
あはは、と笑う三縁。いつもの優梨の様子からじゃ、全く想像がつかないからな。
そうして話しているうちに、いつの間にか三縁の家の近くまで戻っていた。
「じゃあ今日はこのくらいにしておこうか」
「……そうだな」
一周を走り終え、俺たちはゆっくりとした歩きになる。
「どうだ三縁。最近はお前のペースについてこれるようになったぞ」
と少し自慢げに言う俺に、三縁は素直に拍手をしてくれる。
「おおー、ケンジくんも成長したねえ」
「そうだろう? 体力なら三縁に負けないかもだぜ?」
「……へえ」
思わず言ったその言葉に、三縁の目が怪しく光る。
「そんなに自信があるんだねえ、ケンジくん」
「ん? いや、そうでもないが……。まあ普通の女子には負けないと思うだけで」
「へえ、そうなんだ。ふーん……」
「……三縁?」
少し様子がおかしい三縁に俺は首を捻る。どうかしたのだろうか?
と、三縁はニッと笑い俺の手を掴む。
なんだろう、すごく嫌な予感がする。
「なら、もう一周できるよね?」
「えっ?」
「じゃあもう一回行くよ!」
言うが早く、俺の手を引いたまま再び走り出す。
「お、おい、三縁!?」
「おやおや、ケンジくんはもう限界かな? 三縁っちさんはまだまだ行けますぞ?」
「むっ」
「あれれ、体力なら私に負けないんでしょ? それなら、当然もう一周できるよねえ?」
「……いいだろう」
俺は三縁の手を振り払うと、自分から走り出す。
「もう一周してやるよ!」
「そう来なくちゃね!」
あそこまで言われて黙っていられるか! 絶対、ついて行ってやる!
* * *
「はあっ……はあっ……」
「……よし、もう一周する?」
「ご、ごめっ……もう、無理っ……!」
更に一時間後、路上で膝をつく俺の姿がそこにあった。
そんな体力が切れている俺とは対照的に、三縁はまだまだいけるといった感じである。
くそう、負けた……!
「あはは、私には負けないんじゃなかったの?」
「い、いやっ……すみません、でしたっ……」
「はっはっは、まだまだだね少年よ! もっと鍛えないと!」
「ぐっ……!」
俺は何か言い返したくても言い返せずに、視線を地面の方へ向けたままだった。
というかこのやり取り、夏休みが始まったばかりの時もした気がする……。
「でも、ここまでついてこれたのは本当に凄いなあと思ってるよ!」
「ついてこれない前提で走ってたのか……。ちなみに、もし俺がついてこれなかったら?」
「置いていったよー!」
「だろうな……」
そんな残忍な事をそんな笑顔で答えないで欲しい。
「さてと、余分にもう一周しちゃったから早く朝ごはんにしようか」
「……そうだな」
ぐっと大きく伸びる三縁。俺は立ち上がると、歩き出した三縁についていく。
「今日の朝は白米に鮭の塩焼き、それに味噌汁のザ・和食だよ。いやあ、朝食と言ったらやっぱり和食ですね!」
「昨日はトーストだったような気がするんだが」
「気のせい、気のせい。それはきっと、こねた小麦粉焼きっていう和食だよ」
「パンを日本語風に言うと、美味しくなさそうになるな」
「新しい発見だね!」
「嬉しくないけどな」
* * *
「はーい、お待たせー!」
三縁が主食とおかずをお盆に乗せて持ってくる。
「おお、美味そう」
「でしょう? じゃあ、食べようか。いただきます!」
「いただきます」
三縁は手を合わせ、俺もそれに続き、箸を伸ばして白米を掴む。
だがさっきから気になっていたことがあり、俺は食べるのを一旦止める。
「……そういえばさ。三縁はいいのか?」
「んん? 何が?」
三縁はご飯を口に運びながら、首を捻る。
本当はあまり進んで聞いてはいけないことだと思う。なので何も聞かなかったが、普段通りの三縁にどうしても聞きたくなってしまったのだ。
この時、俺の行動は軽率だった。
あまりにも軽く見すぎていたのだ。
この違和感を、問題を。
秋原三縁という人格を。
「いや、みんな実家に戻ってるだろ?」
「ん? そうだね」
「それで、三縁はいいのかなって思って」
「え?」
「だって――今日はお盆だぜ?」
* * *
お盆とは、先祖や亡くなった人たちの霊を祀る行事のことである。
旧暦だと七月十五日前後らしいが、今現在では八月十三日から十六日までの四連休になっている。
俺たちのような学生たちとしては、ただお墓参りをして家族で集まるようなものだ。
元々、夏休みという長期連休の最中なので、俺は休日という気分は全く感じないが、社会人としては重要な夏の連休である。
当然、俺もその行事に倣うべく顔の知らぬ両親の墓へ行くべきなのだろう。
しかし、不思議なことに俺に関するデータは全て抹消されていて、自分がどこで生まれたのかすらわからない状況である。その為、行きたくても行けない。
だが、三縁の場合は違う。
ちゃんとした記憶があり、ちゃんとしたデータがある。
俺とは違い、行きたければ行ける状況なのだ。
「……あはは」
はたして秋原三縁は。
笑顔で俺にはにかむのだった。
「うーん、それもそうだね。私も行った方がいいかな?」
「それもそうだねって……」
「ほら、私ってこういう性格じゃん? 計画性がないっていうか、適当っていうか」
「いや、そういうことじゃ」
「そういうことなんだよ。……私って人間は」
どうしようもなく狂ってるんだよ――と三縁。
「聞かせてあげようか? まあ否定しても話すけどね、三縁っちさんのお話を」
* * *
「『君のお父さんとお母さんには、もう会えないんだ』。
「開口一番、それが親戚のおじさんの台詞だった。
「今思い返すとなかなか残酷な言い方だよね。
「まだ七歳になったばかりの女の子に言う台詞がそれだよ?
「ピカピカの小学一年生になって、新しい友達も出来て、今までとは違う環境になって、希望で満ち溢れてる子に。
「両親が死んだとかいう希望の欠片もないような現実を突き立てるだなんて。
「そんなのを、受け入れられないことなんて目に見えてるのに。
「私と両親の仲は良かったよ。
「そりゃもう仲良しで、近所では有名だったくらい。
「お母さんもお父さんも優しくて。
「私は大好きだった。
「時には厳しいお母さんも。
「時には仕事の話をしてくれたお父さんも。
「当時の私にとって、両親はかけがえのない存在になっていた。
「だから、両親にもう会えないと聞いた時。
「私は当然のごとくその現実を受け入れられずに、その場で取り乱した。
「……と、思うでしょ?
「『そうなんだ』って。
「当時七歳。
「小学一年生というまだまだ幼い女の子。
「秋原三縁は。
「その一言で全てを受け入れたんだ。
「おかしいよね。
「だって自分の肉親が死んだっていうのに。
「それを笑顔で返せるんだよ?
「一切、取り乱さないなんてさ。
「……気味が悪いよね、そんな女の子。
「怖いよね。
「まあ見方によっては、無理しているようにも見えるかも。
「でも、本当にそう思ってたんだよ。
「お母さんもお父さんもいない、って理解できた時。
「『ああ、そうなんだ』って、すっと受け入れられた。
「次に、ふいにお父さんがよく言ってた言葉を思い出したんだ。
「『何事にも笑顔を忘れるな、三縁。笑っていれば、大体は何とかなる』って。
「そしたら、自然と笑顔になっていた。
「たったそれだけなんだよ。
「だから、さ。
「私は両親が死んで『悲しい』と思ってない。
「いつも通りで、何一つ変わらなくて。
「周りからすれば、それは『悪いことだ』『間違っている』なんて言われるかもしれない。
「でも、よく考えてみてよ。
「受け入れられなくて取り乱したりするより、他の人に迷惑かかってないよ?
「誰かに危害を加えたわけじゃない、誰かを傷つけたわけじゃない。
「それは『悪いことじゃない』し、『間違ってはいない』でしょ?
「それなら、別にこのままでもいいかなって。
「私はそう思っているんだけど。
「ケンジくんは、どう思うかな?」
* * *
「…………」
俺は三縁の話を聞き終えるまで、終始無言だった。
別に今の話に何の意見もなかったわけじゃないし、気を使ったわけじゃない。
それよりも、三縁という人格に愕然としているしかなかったのだ。
「…………」
周りはやけにシンと静まり返り、聞こえてくるのは洗い場の水道管から垂れている水滴の音のみだった。
気がつくと、俺の体は小刻みに震えている。特に寒い、というわけでもないのに。
「……いや、違う」
その静けさを打ち破るように、俺はなんとか口を動かす。
「それは悪いことで、間違っているんだ」
震えながらも、必死に自分の意見を述べる。
すると、三縁は。
怒った表情をするわけじゃなく。
悲しい表情をするわけじゃなく。
驚いた表情をするわけじゃなく。
困惑した表情をするわけじゃなく、怖がる表情をするわけじゃなく。
不満そうな表情をするわけじゃなく、軽蔑する表情をするわけじゃなく、殺意が篭った表情をするわけじゃなく。
劣等感に浸った表情をするわけじゃなく、恨むような表情をするわけじゃなく、苦しい表情をするわけじゃなく、諦めた表情をするわけじゃなく、絶望した表情をするわけじゃなく、憎悪した表情をするわけじゃなく。
いつも通りの笑顔だった。
「うーん、やっぱりケンジくんもそう言うかあ。まあ、予想はしていたけど」
……もうやめてくれ。
「確かにおかしいのはわかるんだけどさ、それはいけないことじゃないでしょ?」
その笑顔を。
「だって誰にも――」
その笑顔を見せるのは、もうやめてくれ――!
「そういうことじゃねえんだよっ!」
思わず声を荒げてしまい、三縁はビクリと体を震わせる。
「確かに他の人に危害を加えているわけじゃないし傷つかせたわけじゃない、だけど!」
それは『誰かに危害を加えているわけじゃないし傷つかせたわけじゃない』ということじゃないんだ!
「お前自身に危害を加えていて――お前自身が傷ついているじゃねえか!」
三縁は三縁自身に危害を加え、傷つかせてるんだろうが!
「お前は自分をなんだと思っているんだ! お前は無感情の人形でも、命令以外のことは出来ない機械でもない!」
れっきとした感情をもつ人間で。
命令以外のことも出来る。
「お前は――秋原三縁だろうが!」
お前は、秋原三縁をなんだと思ってる!
「…………」
今度は三縁が終始無言になってる番だった。
大声を張り上げて、感情を爆発させた俺をただ黙って俯いていた。
「…………ごめん」
やがて、俯いていた三縁から振り絞るような声が聞こえてくる。
と、急に三縁は立ち上がった。
「ちょっと、頭を冷やしてくるね」
「えっ……」
俺は何か言う前に――三縁はそう言うと、すぐさまドアを開けて出ていってしまった。
「…………」
部屋に残されていたのは食べかけだった朝食と、三縁のいない静かな空間のみだった。
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