魔法世界の例外術者《フェイク・マジック》 - 魔力とは無力である -
夏休みといえば:友人の家へ遊びに行く3
「失礼します、お父様。優梨です、ケンジくんを連れてきました」
「おお、入ってどうぞ」
優梨に案内された客室(らしき場所)に案内され、優梨が障子越しに言うと、中から男の声が聞こえる。
そして優梨はどうぞ、と平手を障子に向ける。……入っていいという事だろうか。
おずおずと入ってみると、黒い髪をオールバックにした男性がそこにいた。
やや筋肉質な体格で着物を着ている。背は俺よりか若干高い。
この人が優梨の父親だろう。
「ようこそ志野ケンジくん。ささっ、どうぞ。座って、座って」
「……失礼します」
入ってきた俺を見るなり、男性は笑顔で立ち上がって向かいにある座布団へ勧める。
俺は軽くお辞儀をするとそこに正座をする。
「本来なら私の方から君を迎えにあがるのが一番よかったのだが、仕事でバタバタしてしまってね……。こんな無礼な形で迎えてしまい、申し訳ない」
「いえ……お構いなく」
優梨の父親はやはりこの柏原家の家主であるのか、幾分と威厳が見える。
……とてもじゃないが、優梨の父親には見えないな。
「私は柏原 幸也、優梨の父親だ。優梨から話はいくつか聞いているよ。いつもうちの優梨が世話になっているそうで」
「いや、世話になっているのはむしろ俺の方なんですが……」
と、俺は正直な気持ちをそのまま答える。
実際に初めて寮に入ってきた時も、京香の時も、体育祭の時も、優梨に何度も救われているわけだし。
「いやいや、謙遜することはない。優梨も褒めてたよ、『ケンジくんには何度も勇気を貰ってます』って」
「…………」
別に勇気をあげた覚えはないんだがな……まあ優梨のことだ。大袈裟にアピールでもしたのだろう。
「それに――君とは前々から話したかったからね」
「それは俺が前にニュースで取り上げられていたから、ですか」
「……正直に言うと、その通りだ」
俺自身にそこまで自覚はないが、魔力がないという事はそれほどまでに重大なことなのだろうか。
俺は……正直、そこに触れられるのは嫌いだ。
世間はそれを蔑まれるような感じではなくて、まるで貴重な存在だと取り上げられるのがますます嫌なのだ。
俺は貴重な存在でもなんでもない。
俺はただ魔力がないだけの、普通の高校生なんだ。
「言っておきますけど……俺に魔力がないことに関しては俺にもさっぱり――」
「いや、私が聞きたいのはそこじゃない」
「え?」
ニュースから俺の事を知ったと聞いたばかりだから、てっきりその話かと思ったのだが……どうやら違うようだ。
……でも、他に聞きたいことって何だ?
「私が聞きたいのは志野ケンジくん――君が倒れていた場所だ」
「倒れていた……場所?」
「そうだ。謎の大爆発が起こったあの場所――あそこは元々研究所だったって事は知っているかな?」
「はあ……まあ、後からですけど」
「ではその研究所が魔法の生みの親である南川令子、吉乃澤浩司が使っていたのではないかと噂される研究所だったって事は?」
「……えっ?」
と、優梨のお父さんが発した言葉に俺は目を丸くする。
なんだそれは。
初めて聞いたぞ。
「十数個あった高度な研究機材。その研究所はいつの間にか出来ていて、いつの間にかそこにいた研究者たちはそこでの研究結果を全て抹消して去っていっていた」
「抹消……?」
「ああ、何もかも綺麗にだ。だからこれだけの情報では謎の研究所のままで、その研究所についての情報は全て途絶える」
しかし、と優梨の父親――幸也さんの目が鋭くなる。
「そこがまだ活動している時――1992年五月十八日に一度、魔法陣が空中に描かれた」
「空中に……描かれた?」
「そう、しかもその大きさは研究所を中心に街を覆い尽くすような規模の広さだった。ただ、見えたのは一瞬であった為、近所の人たちは特に気に止めなかったようだが……私を含む他の研究者たちはその魔法陣が『今までにない形』であることがわかっている」
「今までにない、形……」
「そう、それこそがあの南川令子と吉乃澤浩司がいたのではないかと噂される理由だ。……まあその日を境に、忽然と研究者たちは消えたんだけどね。そして――」
幸也さんはじっと俺を見据える。
「近年になって同じ研究所付近で同じような現象が起こった。……2014年一月二十日の出来事だ」
「――っ!」
「どうやらその日付が何を意味しているか、理解したようだね」
息を呑む俺に幸也さんは頷く。
2014年一月二十日。忘れるはずもない。忘れられるわけがない。
だってその日は――。
「……その日は俺が爆発によって研究所で倒れていた日……!」
「そう、言うならば君が記憶を――魔力を失った日だ。巨大な魔法陣が空を覆った直後、突然研究所が爆発して魔力がない君が倒れていたと、とても偶然とは思えない程連続しているんだ」
「…………」
「つまり、あの日に君はあの時の研究者たちと同じ魔法を展開させたというわけなんだが――」
幸也さんは俺から目を離さない。
「……それについて、何か心当たりはないかい?」
「…………」
俺は必死に思い出そうと試みる。
街全体を覆うような魔法陣、研究所、今までにない魔法――。
「……すみません、わかりません」
だが、いくら考えても考えても、何か頭に引っかかることはなかった。
「……そうか」
幸也さんはふっと表情を緩める。
「いや、変な事を聞いてしまってすまないね。どうも私の勘違いだったようだ」
「…………?」
勘違い? 何のことだろうか?
「話は変わるが、優梨の事を――どこまで聞いている?」
「えっ……いや、それは……」
「ふむ……この言い方だとわかりにくいな。では優梨の過去話を聞いたことはあるかな?」
「…………はい」
「ということは――もう一人の優梨の事も本人から聞いているね」
もう一人の、という言葉に若干の違和感を感じたが俺は頷く。
多分、幸也さんが言っていることは優梨の中にいる姉のことだろう。
「そうか……それならお願いしたいことがある」
「お願い……?」
「ああ、そのもう一人の優梨を解放してもらいたい」
「…………。……は?」
幸也さんの台詞に少し驚いたのと若干イラッとしたのが混じって、若干威圧的な態度を取るような返事をしてしまう。
幸也さんはお構いなしにと続ける。
「正確にはそのもう一人の優梨も優梨である事を本人に自覚させて欲しいんだ」
「…………」
「優梨が存在していない姉を想う気持ちは私もよくわかっている。しかし、それを多重人格で自分の中にいると思い込んで――」
「…………あの」
と、幸也さんの言葉を遮るかのように、俺は乱暴な口調で幸也さんの言葉を遮る。
「そういうことでしたらお受けできません」
「……そういうこと、とは?」
「思い込みだとかなんとか――まるで彼女の中にいる姉の存在を全否定するような言葉はいただけないって意味です」
「…………」
「幸也さんは――優梨の言葉を信じないんですか? 実の娘が言っている事を」
「…………」
「あいつがいるって言ったら俺はそれを信じます。例えそれが――間違っていても俺は最後まで信じ抜きます」
優梨だって。
俺に――そうしてくれたのだから。
「ですので、その件はお受け出来ないという事です」
「…………。……そうか」
幸也さんはしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げる。
「では、失礼な事を言ってしまったね」
「謝るなら優梨に――」
「無論、そうする。じゃあケンジくん、別のお願いなら聞いてくれるかな?」
「……何ですか?」
「優梨の事をこれからもよろしく頼む。これからも仲良くやって欲しい」
「…………まあ、それなら」
またとんでもないお願いだったら何も言わず出て行こうかと思っていたが――そうやって頭を下げている幸也さんを見ると俺の怒りは次第に収まっていった。
「じゃあ時間を取らせたね。私はこれからまた仕事なので……またゆっくりと話せる機会があったらその時に」
「……失礼します」
俺は何かモヤモヤとした感情を抱いたまま、客室から出て行った。
* * *
…………。
…………うわあ。
………………うわあ、うわあ、うわあ。
しばらく歩いていき、優梨の部屋が近くなったところで俺は我に返り、思わず顔を覆ってしまう。
何やったの、俺?
何やっちゃったの、俺?
ちょっとイラッとしちゃって、優梨のお父さんに何言っちゃったの、俺?
何が『またとんでもないお願いだったら何も言わず出て行こうかと思っていた』だよ。
お前は何様だよ!
「……何をしてるの?」
と、顔を覆って顔から火が出るくらい恥ずかしがっていたらそんな俺の姿を見てだろう――不思議そうな声が聞こえる。
「あ、ああ……何でもない」
俺は顔をあげる。
と、そこには優梨の姿が。
「……優梨?」
何だかいつもと様子が違うので疑問に思っていると、優梨はフッと馬鹿にしたようにあざ笑う。
「あら、まだわからないの? あなたってもしかして馬鹿?」
「……っ!」
いつも赤い右目が通常の黒目になっていて、代わりに左目が青くなっているところでやっと気がついた。
優梨の姉の方か……!
「…………」
「そんなあからさまに警戒しなくても大丈夫よ。別に私はあなたと話がしたいだけ」
「話……?」
「ええ、まあちょっとした挨拶よ。私のことを知っている人って少ないから……。改めてよろしくねケンジくん」
「……まあ、そりゃいきなり襲ってこないか」
俺は少し肩の力を抜く。
あの時は競技ってこともあったしな。
「まあ、よろしく。……えーっと……」
「悠恵。それが私の名前よ」
「……悠恵」
優梨に姉――悠恵は腕を組む。
「で? お父様にはなんて言われたの?」
「……いや、別に話すような内容じゃない」
「何よ、優梨には話せて私には話せないって言うの?」
「いや……」
それは――違う。
優梨にはもっと話せない内容だ。
別に優梨を疑っているわけではないのだ。だけど――。
俺は悠恵をチラリと見る。
もし……もし仮にこれを言ったら悠恵は――優梨はどう思うのだろうか。
俺はそれが怖かった。
「……俺が事故で倒れていたあの研究所について、ちょっとな」
なので、もう一つの方を話す。
……嘘はついてないよな、うん。
「ああ、なるほど……お父様、ずっとそれが気になっていたしねえ……」
ふむふむ、と悠恵は考えるように頷く。
そして何か含み笑いをするかのようにニヤリと笑う。
「いい線はいってるんだけどね……まだまだ『甘い』わね」
「――っ!?」
俺は聞き捨てならない悠恵の台詞に思わずガシリと悠恵の肩――身体は優梨か、いやそんな事はどうでもいい――を掴む。
「きゃっ……!?」
「お前……何か知っているのか?」
悠恵は何か知ってるか?
俺の――秘密について。
俺に――魔力がないことについて。
悠恵の肩を掴む手に思わず力が篭ってしまう。
しかし、悠恵は困ったような表情をしながら俺を見る。
「……ごめんなさい。『あの方』に口止めされてるから、これ以上話すことは出来ないわ」
あの方? あの方って一体――!?
「……それと、近いんだけど」
「あっ……す、すまない」
俺はここでようやく我に返り、肩から手を離した。
「今の私はあなたに『この事』を教える事は出来ない――けど、警告は出来るわ」
「警告?」
一体、何の事だ? 警告って――。
と悠恵はそっと俺に近づき、耳打ちをする。
「……気をつけなさい、世界の真理の鍵であるあなたはこれからも狙われていくわ」
「せ、世界の真理……?」
突然、意味がわからない事を言われ、俺は混乱する。
「それってどういう――」
「っ!!」
と、俺がその意味を問いただそうとしたその時、悠恵は目を見開いて空を向く。
俺もつられてその方向を見てみるが――そこには変哲もない、ただの優梨の家の屋根と空しかなかった。
「あの……ケンジくん?」
と、視線を戻すと。
少し困惑した様子である赤い右目の女の子が目の前にいた。
「な、何でケンジくんに私はこんなに近づいているんですか?」
と、『優梨』は顔を真っ赤にして後ろに下がる。
「え、えーっと……」
どうやら悠恵の記憶を優梨は共有してないようだ。
……どう説明しようか、これ。
優梨はハッと何かに気がついたような顔をする。
まずい、こういう場合、俺が酷い誤解を受ける可能性が――!
俺は誤解を解こうと必死に何か考える。
「も、もしかして!」
「い、いや、それは誤解――」
「私がケンジくんを押し倒そうとした、とかですか!?」
「…………」
「そして私はケンジくんの手足を拘束して……きゃーっ!」
「ちょっ……ゆ、優梨――」
「きゃー、きゃーっ!」
と、勝手に妄想しだした優梨はその場でキャーキャーと顔を覆う。
っていうか、俺も恥ずかしいからやめてくれ。とりあえずその妄想を解かせて欲しい。
結局、この優梨の妄想はキャーキャーという優梨の声を聞いて、京香かが何事かと部屋から出て来るまで続いた……。
* * *
「駄目だなあ、悠恵ちゃん」
「余計な事吹き込む悪いお口にはチャック、だよ?」
「おお、入ってどうぞ」
優梨に案内された客室(らしき場所)に案内され、優梨が障子越しに言うと、中から男の声が聞こえる。
そして優梨はどうぞ、と平手を障子に向ける。……入っていいという事だろうか。
おずおずと入ってみると、黒い髪をオールバックにした男性がそこにいた。
やや筋肉質な体格で着物を着ている。背は俺よりか若干高い。
この人が優梨の父親だろう。
「ようこそ志野ケンジくん。ささっ、どうぞ。座って、座って」
「……失礼します」
入ってきた俺を見るなり、男性は笑顔で立ち上がって向かいにある座布団へ勧める。
俺は軽くお辞儀をするとそこに正座をする。
「本来なら私の方から君を迎えにあがるのが一番よかったのだが、仕事でバタバタしてしまってね……。こんな無礼な形で迎えてしまい、申し訳ない」
「いえ……お構いなく」
優梨の父親はやはりこの柏原家の家主であるのか、幾分と威厳が見える。
……とてもじゃないが、優梨の父親には見えないな。
「私は柏原 幸也、優梨の父親だ。優梨から話はいくつか聞いているよ。いつもうちの優梨が世話になっているそうで」
「いや、世話になっているのはむしろ俺の方なんですが……」
と、俺は正直な気持ちをそのまま答える。
実際に初めて寮に入ってきた時も、京香の時も、体育祭の時も、優梨に何度も救われているわけだし。
「いやいや、謙遜することはない。優梨も褒めてたよ、『ケンジくんには何度も勇気を貰ってます』って」
「…………」
別に勇気をあげた覚えはないんだがな……まあ優梨のことだ。大袈裟にアピールでもしたのだろう。
「それに――君とは前々から話したかったからね」
「それは俺が前にニュースで取り上げられていたから、ですか」
「……正直に言うと、その通りだ」
俺自身にそこまで自覚はないが、魔力がないという事はそれほどまでに重大なことなのだろうか。
俺は……正直、そこに触れられるのは嫌いだ。
世間はそれを蔑まれるような感じではなくて、まるで貴重な存在だと取り上げられるのがますます嫌なのだ。
俺は貴重な存在でもなんでもない。
俺はただ魔力がないだけの、普通の高校生なんだ。
「言っておきますけど……俺に魔力がないことに関しては俺にもさっぱり――」
「いや、私が聞きたいのはそこじゃない」
「え?」
ニュースから俺の事を知ったと聞いたばかりだから、てっきりその話かと思ったのだが……どうやら違うようだ。
……でも、他に聞きたいことって何だ?
「私が聞きたいのは志野ケンジくん――君が倒れていた場所だ」
「倒れていた……場所?」
「そうだ。謎の大爆発が起こったあの場所――あそこは元々研究所だったって事は知っているかな?」
「はあ……まあ、後からですけど」
「ではその研究所が魔法の生みの親である南川令子、吉乃澤浩司が使っていたのではないかと噂される研究所だったって事は?」
「……えっ?」
と、優梨のお父さんが発した言葉に俺は目を丸くする。
なんだそれは。
初めて聞いたぞ。
「十数個あった高度な研究機材。その研究所はいつの間にか出来ていて、いつの間にかそこにいた研究者たちはそこでの研究結果を全て抹消して去っていっていた」
「抹消……?」
「ああ、何もかも綺麗にだ。だからこれだけの情報では謎の研究所のままで、その研究所についての情報は全て途絶える」
しかし、と優梨の父親――幸也さんの目が鋭くなる。
「そこがまだ活動している時――1992年五月十八日に一度、魔法陣が空中に描かれた」
「空中に……描かれた?」
「そう、しかもその大きさは研究所を中心に街を覆い尽くすような規模の広さだった。ただ、見えたのは一瞬であった為、近所の人たちは特に気に止めなかったようだが……私を含む他の研究者たちはその魔法陣が『今までにない形』であることがわかっている」
「今までにない、形……」
「そう、それこそがあの南川令子と吉乃澤浩司がいたのではないかと噂される理由だ。……まあその日を境に、忽然と研究者たちは消えたんだけどね。そして――」
幸也さんはじっと俺を見据える。
「近年になって同じ研究所付近で同じような現象が起こった。……2014年一月二十日の出来事だ」
「――っ!」
「どうやらその日付が何を意味しているか、理解したようだね」
息を呑む俺に幸也さんは頷く。
2014年一月二十日。忘れるはずもない。忘れられるわけがない。
だってその日は――。
「……その日は俺が爆発によって研究所で倒れていた日……!」
「そう、言うならば君が記憶を――魔力を失った日だ。巨大な魔法陣が空を覆った直後、突然研究所が爆発して魔力がない君が倒れていたと、とても偶然とは思えない程連続しているんだ」
「…………」
「つまり、あの日に君はあの時の研究者たちと同じ魔法を展開させたというわけなんだが――」
幸也さんは俺から目を離さない。
「……それについて、何か心当たりはないかい?」
「…………」
俺は必死に思い出そうと試みる。
街全体を覆うような魔法陣、研究所、今までにない魔法――。
「……すみません、わかりません」
だが、いくら考えても考えても、何か頭に引っかかることはなかった。
「……そうか」
幸也さんはふっと表情を緩める。
「いや、変な事を聞いてしまってすまないね。どうも私の勘違いだったようだ」
「…………?」
勘違い? 何のことだろうか?
「話は変わるが、優梨の事を――どこまで聞いている?」
「えっ……いや、それは……」
「ふむ……この言い方だとわかりにくいな。では優梨の過去話を聞いたことはあるかな?」
「…………はい」
「ということは――もう一人の優梨の事も本人から聞いているね」
もう一人の、という言葉に若干の違和感を感じたが俺は頷く。
多分、幸也さんが言っていることは優梨の中にいる姉のことだろう。
「そうか……それならお願いしたいことがある」
「お願い……?」
「ああ、そのもう一人の優梨を解放してもらいたい」
「…………。……は?」
幸也さんの台詞に少し驚いたのと若干イラッとしたのが混じって、若干威圧的な態度を取るような返事をしてしまう。
幸也さんはお構いなしにと続ける。
「正確にはそのもう一人の優梨も優梨である事を本人に自覚させて欲しいんだ」
「…………」
「優梨が存在していない姉を想う気持ちは私もよくわかっている。しかし、それを多重人格で自分の中にいると思い込んで――」
「…………あの」
と、幸也さんの言葉を遮るかのように、俺は乱暴な口調で幸也さんの言葉を遮る。
「そういうことでしたらお受けできません」
「……そういうこと、とは?」
「思い込みだとかなんとか――まるで彼女の中にいる姉の存在を全否定するような言葉はいただけないって意味です」
「…………」
「幸也さんは――優梨の言葉を信じないんですか? 実の娘が言っている事を」
「…………」
「あいつがいるって言ったら俺はそれを信じます。例えそれが――間違っていても俺は最後まで信じ抜きます」
優梨だって。
俺に――そうしてくれたのだから。
「ですので、その件はお受け出来ないという事です」
「…………。……そうか」
幸也さんはしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げる。
「では、失礼な事を言ってしまったね」
「謝るなら優梨に――」
「無論、そうする。じゃあケンジくん、別のお願いなら聞いてくれるかな?」
「……何ですか?」
「優梨の事をこれからもよろしく頼む。これからも仲良くやって欲しい」
「…………まあ、それなら」
またとんでもないお願いだったら何も言わず出て行こうかと思っていたが――そうやって頭を下げている幸也さんを見ると俺の怒りは次第に収まっていった。
「じゃあ時間を取らせたね。私はこれからまた仕事なので……またゆっくりと話せる機会があったらその時に」
「……失礼します」
俺は何かモヤモヤとした感情を抱いたまま、客室から出て行った。
* * *
…………。
…………うわあ。
………………うわあ、うわあ、うわあ。
しばらく歩いていき、優梨の部屋が近くなったところで俺は我に返り、思わず顔を覆ってしまう。
何やったの、俺?
何やっちゃったの、俺?
ちょっとイラッとしちゃって、優梨のお父さんに何言っちゃったの、俺?
何が『またとんでもないお願いだったら何も言わず出て行こうかと思っていた』だよ。
お前は何様だよ!
「……何をしてるの?」
と、顔を覆って顔から火が出るくらい恥ずかしがっていたらそんな俺の姿を見てだろう――不思議そうな声が聞こえる。
「あ、ああ……何でもない」
俺は顔をあげる。
と、そこには優梨の姿が。
「……優梨?」
何だかいつもと様子が違うので疑問に思っていると、優梨はフッと馬鹿にしたようにあざ笑う。
「あら、まだわからないの? あなたってもしかして馬鹿?」
「……っ!」
いつも赤い右目が通常の黒目になっていて、代わりに左目が青くなっているところでやっと気がついた。
優梨の姉の方か……!
「…………」
「そんなあからさまに警戒しなくても大丈夫よ。別に私はあなたと話がしたいだけ」
「話……?」
「ええ、まあちょっとした挨拶よ。私のことを知っている人って少ないから……。改めてよろしくねケンジくん」
「……まあ、そりゃいきなり襲ってこないか」
俺は少し肩の力を抜く。
あの時は競技ってこともあったしな。
「まあ、よろしく。……えーっと……」
「悠恵。それが私の名前よ」
「……悠恵」
優梨に姉――悠恵は腕を組む。
「で? お父様にはなんて言われたの?」
「……いや、別に話すような内容じゃない」
「何よ、優梨には話せて私には話せないって言うの?」
「いや……」
それは――違う。
優梨にはもっと話せない内容だ。
別に優梨を疑っているわけではないのだ。だけど――。
俺は悠恵をチラリと見る。
もし……もし仮にこれを言ったら悠恵は――優梨はどう思うのだろうか。
俺はそれが怖かった。
「……俺が事故で倒れていたあの研究所について、ちょっとな」
なので、もう一つの方を話す。
……嘘はついてないよな、うん。
「ああ、なるほど……お父様、ずっとそれが気になっていたしねえ……」
ふむふむ、と悠恵は考えるように頷く。
そして何か含み笑いをするかのようにニヤリと笑う。
「いい線はいってるんだけどね……まだまだ『甘い』わね」
「――っ!?」
俺は聞き捨てならない悠恵の台詞に思わずガシリと悠恵の肩――身体は優梨か、いやそんな事はどうでもいい――を掴む。
「きゃっ……!?」
「お前……何か知っているのか?」
悠恵は何か知ってるか?
俺の――秘密について。
俺に――魔力がないことについて。
悠恵の肩を掴む手に思わず力が篭ってしまう。
しかし、悠恵は困ったような表情をしながら俺を見る。
「……ごめんなさい。『あの方』に口止めされてるから、これ以上話すことは出来ないわ」
あの方? あの方って一体――!?
「……それと、近いんだけど」
「あっ……す、すまない」
俺はここでようやく我に返り、肩から手を離した。
「今の私はあなたに『この事』を教える事は出来ない――けど、警告は出来るわ」
「警告?」
一体、何の事だ? 警告って――。
と悠恵はそっと俺に近づき、耳打ちをする。
「……気をつけなさい、世界の真理の鍵であるあなたはこれからも狙われていくわ」
「せ、世界の真理……?」
突然、意味がわからない事を言われ、俺は混乱する。
「それってどういう――」
「っ!!」
と、俺がその意味を問いただそうとしたその時、悠恵は目を見開いて空を向く。
俺もつられてその方向を見てみるが――そこには変哲もない、ただの優梨の家の屋根と空しかなかった。
「あの……ケンジくん?」
と、視線を戻すと。
少し困惑した様子である赤い右目の女の子が目の前にいた。
「な、何でケンジくんに私はこんなに近づいているんですか?」
と、『優梨』は顔を真っ赤にして後ろに下がる。
「え、えーっと……」
どうやら悠恵の記憶を優梨は共有してないようだ。
……どう説明しようか、これ。
優梨はハッと何かに気がついたような顔をする。
まずい、こういう場合、俺が酷い誤解を受ける可能性が――!
俺は誤解を解こうと必死に何か考える。
「も、もしかして!」
「い、いや、それは誤解――」
「私がケンジくんを押し倒そうとした、とかですか!?」
「…………」
「そして私はケンジくんの手足を拘束して……きゃーっ!」
「ちょっ……ゆ、優梨――」
「きゃー、きゃーっ!」
と、勝手に妄想しだした優梨はその場でキャーキャーと顔を覆う。
っていうか、俺も恥ずかしいからやめてくれ。とりあえずその妄想を解かせて欲しい。
結局、この優梨の妄想はキャーキャーという優梨の声を聞いて、京香かが何事かと部屋から出て来るまで続いた……。
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「駄目だなあ、悠恵ちゃん」
「余計な事吹き込む悪いお口にはチャック、だよ?」
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