魔法世界の例外術者《フェイク・マジック》 - 魔力とは無力である -
京香の異変2
放課後。五時限までの授業が全て終わり、特に用事がない俺と京香はそのままいつもの様に帰る。……はずなのだが。
「ほら京香、帰ろうぜ」
「…………」
「……おい京香、聞いてるか?」
「……うぇっ!? も、もちろんっ!」
昨日の夜、優梨が教えてくれた『京香の様子がおかしい』。
顔が火照るように赤くなり、ぼーっとしている今の京香がまさに『それ』であるのだ。
最初は一時間に一回あるかないかだったの頻度だったのだが、その頻度は放課後になるに連れてだんだん多くなってきている。
今日、これで何度目なのだろうか。俺が京香に確認するような言葉を投げかけると、京香ははっと突然意識が戻ったような表情をするのは。
優梨によれば、それは昨日の夜からこんな事が起こっていたらしいのだが……そもそも原因は何なのだろうか? 肉体的での疲れ、もしくは人間関係の変化によるストレス――うーん、いずれも違う気がする。
とりあえずまだ様子を窺うべきだな、と結論付けて俺は教室のドアを開ける。
ちなみに、俺が自分の荷物の整理整頓して、それからとりあえず今日やったところまで教科書で軽く復習していた為、教室にいたのは俺と京香だけである。
別に時間がかなりの時間を過ぎたわけではないのだが、無論この時間稼ぎのような行為にはわけがあったりする。優梨が放課後に少し用事があると言っていたから、一緒に帰る為、俺と京香は少し待っていることにしたのだ。
この時間なら多分終わっていると優梨に言われ、それなら時間になったらFクラスに向かうと俺は伝えていた。
一度優梨のいるFクラスを通ってから帰宅する、ということなので今自分達が向かっているのはFクラスである。
「ねえ、ケンジ。今日の授業、どうだった?」
「うん?」
と、たった今一緒に歩いている京香にそんな質問が投げかけられる。
「どうだった……か。そうだな、案外楽しかったぞ?」
「それはやっぱり魔法学?」
「まあ、それもあるが他のも含めてる――歴史学以外は」
「ああ、あんたって歴史が苦手なんだっけ」
優梨の言葉に俺は苦笑いする。
歴史学――特に近代の歴史はめっぽう弱いのだ。
「これも記憶喪失のせいかな……?」
「どうでしょうね。多分関係ないと思うけど」
と、京香は何かに気がついたようで、足を止める。
「って、私たちこっち側来てるの?  帰るんじゃなかったっけ?」
「おいおい、ちゃんと言っただろ? Fクラスにいる優梨を拾ってから帰るって」
「えっ、あっ……そ、そうだったわね」
「お前、本当に大丈夫か……?  今日、何か変だぞ?」
そういうのはあまり言わないでおこうと思っていたのだが、俺は耐え切れずについ言ってしまった。
「……大丈夫よ」
そう、いつもの京香ならここで「大丈夫に決まってるじゃない、何言ってんのよ?」と呆れ顔をしながら強い口調で返事をするのだが、今の返事はあまりにも曖昧な感じで――か弱かった。
そんな京香を横目で見ながら、俺たちはFクラスへと足を運んでいく。
AクラスからFクラスまでそう遠くはない。なので次の角を曲がるとすぐ近くにある教室がFクラスである。
さて、優梨の用事は終わってるのだろうかと角を曲がろうとした時。
一人の男子生徒が急ぎ足で曲がって来たのだ。
「すみません、通ります!」
その男子生徒はご丁寧な事に、そんな言葉を俺たちに言ってから通ろうとする。
「おい」
「――!?」
と、またぼーっとしていたのか、男子生徒の言葉に反応しない京香を無理矢理自分の方に引き寄せて道を開ける。
男子生徒がそのまま廊下を駆けていくのを見て、安堵をつく。
「大丈夫か?」
「…………」
「……京香?」
引き寄せられた京香は俺と体を密着させられていて、はたから見れば俺が京香を抱きこんでいるという、何ともイチャイチャしているように見えるこの状況で。
京香は顔を真っ赤にさせながら動かない。……というより、むしろ更に密着させて来てるような気がする。
「ケンジ……」
と、いつものような勝ち気な表情をしている京香が、赤い瞳を潤わせ頬を染め弱々しい声で俺を呼び、見上げている。
「あ、あの……京香?」
予想外の出来事に俺の心臓がどきりと高鳴る。
元々京香は可愛らしい顔をしているなと思っていたのだが、今まで見たことのない表情をしているのを目の当たりにして更にその思いが高まる。
あれ、こいつってこんなに可愛かったっけ? いや、可愛いとは思っていたけどなんかこう、更に可愛さが増しているような……いやいや、騙されるな俺。これはいつもと違う、ギャップを利用したギャップ萌えというやつだ……って何を言い訳のように言ってるのだ、俺は!
と、呑気な考えをしていられるのもそこまでだった。
「――!?」
京香は全身の力が抜けたかのように――力尽きたように――掴んでいた俺の制服から力が抜けて、その場に倒れこんだのだ。
「こんなのただの風邪よ、心配いらないわ」
あれから病院へ向かわせ、京香は『多少、熱が出ているだけ』と診断されて寮へと戻ってきた。
まだ寮に越してきたばかりなので必要最低限の生活用品しかない京香の部屋に、俺と優梨はベッドで横になっているパジャマ姿の京香を見舞いに来ていた。
「大体少し目眩がして倒れたくらいで大袈裟なのよ、あんた達は」
京香が呆れた目で俺と優梨を一瞥する。額には熱冷まし用の冷却シートが貼ってある。
「京香ちゃん……」
「大丈夫よ優梨、すぐに元気になるから」
対して心配そうな優梨に京香は宥めるような優しい声で言う。
俺は……優梨に同意だ。さっきの事もあり、あまり大丈夫な状態とは思えない。
そんな俺の内心に気がついたのか、ふと京香は俺の方を向く。
「ケンジもそんな顔しないの。そこまで深刻な事じゃないんだから」
「でも、京香――」
「はいはい、病人の私は少し体を休めたいの。だから二人共、席を外してくれると嬉しいんだけど?」
「「…………」」
そう言われると何も言い返せずに、俺と優梨は半ば強制的に京香の部屋から追い出されてた。
「……あの、ケンジくん」
部屋から出てしばらく無言だったのだが、優梨が口を開く。
「京香ちゃん、絶対に無理していると思うんです。だから――」
「わかってる」
そんな優梨の言葉を遮るように俺は続ける。
「京香は良くなるまで俺は看病する」
* * *
「よう、入るぞ」
翌日、放課後を過ぎた午後四時頃。
俺は急いで寮へ戻ってそう一言告げると、京香の部屋へと入る。
「何よ……心配いらないって言ったでしょ……」
「だからって全部が全部出来るってわけじゃないんだろ?」
と、俺は不機嫌そうな京香の額に貼ってあるシートを剥がし、新しいのに替える。
「それから、今日授業でやったところのノートだ」
「悪いわね……」
京香はゆっくりと身体を起こし、ノートをパラパラとめくる。
「具合の方は……あまりいいとは思えないな」
「……っていうか勝手に女子の部屋に入っていいの? バレたら、即この寮から立ち退きよ……?」
「いや、ちゃんと寮長には話を通してある。日中までの間での看病なら許す、だとよ」
と返事をする俺に「そう」と京香は短い返事をして俺とは真逆の壁の方へと寝返る。
……やっぱり。
「なあ京香」
「何よ」
「やっぱりお前――何か隠してるだろ」
京香はその問いに少しピクリと体が動いたようにみえた。
「…………」
だが、その問いに答える様子はないようだ。
俺が再び聞こうとした時、ノック音が聞こえて優梨が入ってくる。
「京香ちゃん、お着替えの時間ですよー……あ、ケンジくん」
手にバッグを抱えた優梨は俺がいることに気がつく。
「看病ご苦労さまです」
「いや、そんな大層なことをしてるわけじゃないけどな……」
「では大層なことをしたいなら、京香ちゃんのお着替えでも手伝いますか?」
「大層どころか大変な事になるぞ、それ!? 俺に何をさせる気だ!?」
と、つい大声を出してしまい、しまったと病人である京香の様子を恐る恐る伺う。
普通なら、病人がいるのに大声を出すものではない、――のだが。
「ふふっ……」
京香はそんな俺らを見て、微笑んでいた。
京香が寝込んでから久しぶりに見る笑顔だった。
「あんたたちは相変わらずね」
「……そうですよ、ですから京香ちゃんも早く良くなるべきですよ」
と優梨は京香に近づいていく。
「というわけでここからは私が看病しますので、ケンジくん交代です」
「ああ、わかった。じゃあまた来るからな、京香」
「……まあ、勝手に来ればいいんじゃない?」
と、俺は京香の部屋を出て行く。
一刻も早く京香に元気になって欲しいという気持ちを抱きながら。
* * *
――それから十日が過ぎた。
京香が熱で倒れてから十日が経った。
結論から言うと、京香の容態は全く良くならなかった。
それどころか日を重ねる度に悪化しているような気がしている――いや、確実に悪化している。
熱は更に上がり、薬を飲んでも病院で治療魔法を定期的に行われても、何をしても良い傾向に向かう事はなかった。
土日は学校も授業がないので、昼間でも看病を出来ていた。
だから三日目くらいまでは「まあそのうち、すぐ良くなるだろう」と極めて楽観的だった。
だが、五日目になってどうして治らない、と苛立ちを感じ始めた。
そして七日目になったくらいにはもう目の前が真っ暗のように見え始めた。
何をしても何をやっても何を行っても。
『何か』をしたところで『何も』変わらなかった。
最近に至っては魘されるようになり、意識も朦朧としている事の方が多い。
何かに追われている夢を見ているような。
斯く言う俺も京香がよくならない現状は何かに追われている夢を見ているような気分である。
いや俺のは夢ではない、現実だ。
実際に起こっている悪夢である。
最近は学校の授業も身に入らずに気がついたら放課後になっていた――という事が多かった。
他のクラスメイト曰く、俺は死んでいるようだったという印象が強かったという。
死のうとしても死ねずに無理矢理生かされている感じとはこんな感じなのだろうか。俺はその事を聞いてそんな風に考えていた。
またこれは余談だが、
「頑張ってね志野くん」
「元気出せよ志野」
「早くよくなってね志野くん」
「何か困ったことがあるなら相談していいんだぞ志野」
と、まるで俺までも病人であるような感じで謎の応援をされていたらしい。
そこまで俺の精神状態は追われていた様な感じだった、という。
いや、実際にそうなのかもしれない。
記憶が曖昧で食事したのかどうかすら怪しくなってきたと言ってもいい。
頭の中は完全に京香のことでいっぱいだった。
「……ケンジくん」
という優梨の声が聞こえたのはこうして部屋でぼーっとしていた時だった。
ここ最近何も考えてないことが多い。
いや、こうしてただ俺は逃げているだけなのかもしれない。
どうやら部屋の鍵を閉め忘れていたらしい。
我ながら滑稽である。いや面白くとも何もない。ただの自嘲気味な感想だ。
「どうした、優梨……」
そういえば久しぶりに優梨の声を聞いた気がする。そして自分が声を出したのも久しぶりな気がした。
十日が経った、とさっきは言ったが、本当はそれ以上経っているのかもしれないな、とふと思った。
数週間、数ヶ月、数年。
俺の中ではそれくらい長い間、京香が寝たきりだったように思えた。
そういえば最近稽古をしてないな……あんなに強くなりたいなどと言っていたのに。
そういう気持ちも所詮この程度なのだ。どうせ俺なんて――『魔力がない』俺なんて、
「ケンジくん!」
そんな、部屋に響き渡るような優梨の大声が聞こえたのかと思うと。
左の頬に痛みが走っていた。
その痛みは身体の至るところ全てに伝わっていて。
久しぶりにようやく。
意識を取り戻したような感覚だった。
左頬はヒリヒリと痛んでいて、ああビンタされたのかと今わかった。
「ケンジくんのそんな顔を……京香ちゃんは見たくないはずですよ?」
そんな風に涙声で言う優梨は――頬が涙で濡れていた。
その時、ようやく気がついた。
ああ、そうだ。
俺だけが苦しいんじゃないんだ。
優梨だって。
彼女だって友人の事で苦しんでいたのだ。
今更、気がついたことだった。
今、思えば優梨は俺を励ますようにいつも元気に振舞っていた。
優梨だって京香が心配で仕方ないのに。
それでも彼女は自分が落ち込んではいけないと感じていたのだろう。
それは俺より優梨の方が強い、というのに十分な証明だった。
優梨の方が数倍強かった。
「優梨……」
俺は何か言おうとしたが、それは優梨によって遮られる。
優梨が俺を抱きしめてきたのだから。
いや、抱きついてきた、の方が正しいのだろうか。
俺を安心させるような、自分を安心させるような。
そんな想いが伝わってきた。
「ごめんな……優梨」
俺は自分より背が低い優梨の頭を撫でる。
そうだ。
どうして俺のせいで女の子を泣かせているのだ。
こんな時に俺は何をしているのだ。
こういう時こそ、しっかりしなくてはいけないのは俺なのではないのだろうか。
「もう大丈夫だ」
俺はそんな風に言うと、優梨は更に強く抱きしめてきた。
本当は彼女だって泣きたかったのかもしれない。
でも、俺がこんなだったからそれすらも出来なかったのだと思う。
実際、俺よりも優梨の方が追い込まれていたのだ。
だから。
俺はその優梨が背負ってくれていた分を返さなくてはいけない、と思った。
俺のために何かしてくれている優梨にも――京香にも。
「ほら京香、帰ろうぜ」
「…………」
「……おい京香、聞いてるか?」
「……うぇっ!? も、もちろんっ!」
昨日の夜、優梨が教えてくれた『京香の様子がおかしい』。
顔が火照るように赤くなり、ぼーっとしている今の京香がまさに『それ』であるのだ。
最初は一時間に一回あるかないかだったの頻度だったのだが、その頻度は放課後になるに連れてだんだん多くなってきている。
今日、これで何度目なのだろうか。俺が京香に確認するような言葉を投げかけると、京香ははっと突然意識が戻ったような表情をするのは。
優梨によれば、それは昨日の夜からこんな事が起こっていたらしいのだが……そもそも原因は何なのだろうか? 肉体的での疲れ、もしくは人間関係の変化によるストレス――うーん、いずれも違う気がする。
とりあえずまだ様子を窺うべきだな、と結論付けて俺は教室のドアを開ける。
ちなみに、俺が自分の荷物の整理整頓して、それからとりあえず今日やったところまで教科書で軽く復習していた為、教室にいたのは俺と京香だけである。
別に時間がかなりの時間を過ぎたわけではないのだが、無論この時間稼ぎのような行為にはわけがあったりする。優梨が放課後に少し用事があると言っていたから、一緒に帰る為、俺と京香は少し待っていることにしたのだ。
この時間なら多分終わっていると優梨に言われ、それなら時間になったらFクラスに向かうと俺は伝えていた。
一度優梨のいるFクラスを通ってから帰宅する、ということなので今自分達が向かっているのはFクラスである。
「ねえ、ケンジ。今日の授業、どうだった?」
「うん?」
と、たった今一緒に歩いている京香にそんな質問が投げかけられる。
「どうだった……か。そうだな、案外楽しかったぞ?」
「それはやっぱり魔法学?」
「まあ、それもあるが他のも含めてる――歴史学以外は」
「ああ、あんたって歴史が苦手なんだっけ」
優梨の言葉に俺は苦笑いする。
歴史学――特に近代の歴史はめっぽう弱いのだ。
「これも記憶喪失のせいかな……?」
「どうでしょうね。多分関係ないと思うけど」
と、京香は何かに気がついたようで、足を止める。
「って、私たちこっち側来てるの?  帰るんじゃなかったっけ?」
「おいおい、ちゃんと言っただろ? Fクラスにいる優梨を拾ってから帰るって」
「えっ、あっ……そ、そうだったわね」
「お前、本当に大丈夫か……?  今日、何か変だぞ?」
そういうのはあまり言わないでおこうと思っていたのだが、俺は耐え切れずについ言ってしまった。
「……大丈夫よ」
そう、いつもの京香ならここで「大丈夫に決まってるじゃない、何言ってんのよ?」と呆れ顔をしながら強い口調で返事をするのだが、今の返事はあまりにも曖昧な感じで――か弱かった。
そんな京香を横目で見ながら、俺たちはFクラスへと足を運んでいく。
AクラスからFクラスまでそう遠くはない。なので次の角を曲がるとすぐ近くにある教室がFクラスである。
さて、優梨の用事は終わってるのだろうかと角を曲がろうとした時。
一人の男子生徒が急ぎ足で曲がって来たのだ。
「すみません、通ります!」
その男子生徒はご丁寧な事に、そんな言葉を俺たちに言ってから通ろうとする。
「おい」
「――!?」
と、またぼーっとしていたのか、男子生徒の言葉に反応しない京香を無理矢理自分の方に引き寄せて道を開ける。
男子生徒がそのまま廊下を駆けていくのを見て、安堵をつく。
「大丈夫か?」
「…………」
「……京香?」
引き寄せられた京香は俺と体を密着させられていて、はたから見れば俺が京香を抱きこんでいるという、何ともイチャイチャしているように見えるこの状況で。
京香は顔を真っ赤にさせながら動かない。……というより、むしろ更に密着させて来てるような気がする。
「ケンジ……」
と、いつものような勝ち気な表情をしている京香が、赤い瞳を潤わせ頬を染め弱々しい声で俺を呼び、見上げている。
「あ、あの……京香?」
予想外の出来事に俺の心臓がどきりと高鳴る。
元々京香は可愛らしい顔をしているなと思っていたのだが、今まで見たことのない表情をしているのを目の当たりにして更にその思いが高まる。
あれ、こいつってこんなに可愛かったっけ? いや、可愛いとは思っていたけどなんかこう、更に可愛さが増しているような……いやいや、騙されるな俺。これはいつもと違う、ギャップを利用したギャップ萌えというやつだ……って何を言い訳のように言ってるのだ、俺は!
と、呑気な考えをしていられるのもそこまでだった。
「――!?」
京香は全身の力が抜けたかのように――力尽きたように――掴んでいた俺の制服から力が抜けて、その場に倒れこんだのだ。
「こんなのただの風邪よ、心配いらないわ」
あれから病院へ向かわせ、京香は『多少、熱が出ているだけ』と診断されて寮へと戻ってきた。
まだ寮に越してきたばかりなので必要最低限の生活用品しかない京香の部屋に、俺と優梨はベッドで横になっているパジャマ姿の京香を見舞いに来ていた。
「大体少し目眩がして倒れたくらいで大袈裟なのよ、あんた達は」
京香が呆れた目で俺と優梨を一瞥する。額には熱冷まし用の冷却シートが貼ってある。
「京香ちゃん……」
「大丈夫よ優梨、すぐに元気になるから」
対して心配そうな優梨に京香は宥めるような優しい声で言う。
俺は……優梨に同意だ。さっきの事もあり、あまり大丈夫な状態とは思えない。
そんな俺の内心に気がついたのか、ふと京香は俺の方を向く。
「ケンジもそんな顔しないの。そこまで深刻な事じゃないんだから」
「でも、京香――」
「はいはい、病人の私は少し体を休めたいの。だから二人共、席を外してくれると嬉しいんだけど?」
「「…………」」
そう言われると何も言い返せずに、俺と優梨は半ば強制的に京香の部屋から追い出されてた。
「……あの、ケンジくん」
部屋から出てしばらく無言だったのだが、優梨が口を開く。
「京香ちゃん、絶対に無理していると思うんです。だから――」
「わかってる」
そんな優梨の言葉を遮るように俺は続ける。
「京香は良くなるまで俺は看病する」
* * *
「よう、入るぞ」
翌日、放課後を過ぎた午後四時頃。
俺は急いで寮へ戻ってそう一言告げると、京香の部屋へと入る。
「何よ……心配いらないって言ったでしょ……」
「だからって全部が全部出来るってわけじゃないんだろ?」
と、俺は不機嫌そうな京香の額に貼ってあるシートを剥がし、新しいのに替える。
「それから、今日授業でやったところのノートだ」
「悪いわね……」
京香はゆっくりと身体を起こし、ノートをパラパラとめくる。
「具合の方は……あまりいいとは思えないな」
「……っていうか勝手に女子の部屋に入っていいの? バレたら、即この寮から立ち退きよ……?」
「いや、ちゃんと寮長には話を通してある。日中までの間での看病なら許す、だとよ」
と返事をする俺に「そう」と京香は短い返事をして俺とは真逆の壁の方へと寝返る。
……やっぱり。
「なあ京香」
「何よ」
「やっぱりお前――何か隠してるだろ」
京香はその問いに少しピクリと体が動いたようにみえた。
「…………」
だが、その問いに答える様子はないようだ。
俺が再び聞こうとした時、ノック音が聞こえて優梨が入ってくる。
「京香ちゃん、お着替えの時間ですよー……あ、ケンジくん」
手にバッグを抱えた優梨は俺がいることに気がつく。
「看病ご苦労さまです」
「いや、そんな大層なことをしてるわけじゃないけどな……」
「では大層なことをしたいなら、京香ちゃんのお着替えでも手伝いますか?」
「大層どころか大変な事になるぞ、それ!? 俺に何をさせる気だ!?」
と、つい大声を出してしまい、しまったと病人である京香の様子を恐る恐る伺う。
普通なら、病人がいるのに大声を出すものではない、――のだが。
「ふふっ……」
京香はそんな俺らを見て、微笑んでいた。
京香が寝込んでから久しぶりに見る笑顔だった。
「あんたたちは相変わらずね」
「……そうですよ、ですから京香ちゃんも早く良くなるべきですよ」
と優梨は京香に近づいていく。
「というわけでここからは私が看病しますので、ケンジくん交代です」
「ああ、わかった。じゃあまた来るからな、京香」
「……まあ、勝手に来ればいいんじゃない?」
と、俺は京香の部屋を出て行く。
一刻も早く京香に元気になって欲しいという気持ちを抱きながら。
* * *
――それから十日が過ぎた。
京香が熱で倒れてから十日が経った。
結論から言うと、京香の容態は全く良くならなかった。
それどころか日を重ねる度に悪化しているような気がしている――いや、確実に悪化している。
熱は更に上がり、薬を飲んでも病院で治療魔法を定期的に行われても、何をしても良い傾向に向かう事はなかった。
土日は学校も授業がないので、昼間でも看病を出来ていた。
だから三日目くらいまでは「まあそのうち、すぐ良くなるだろう」と極めて楽観的だった。
だが、五日目になってどうして治らない、と苛立ちを感じ始めた。
そして七日目になったくらいにはもう目の前が真っ暗のように見え始めた。
何をしても何をやっても何を行っても。
『何か』をしたところで『何も』変わらなかった。
最近に至っては魘されるようになり、意識も朦朧としている事の方が多い。
何かに追われている夢を見ているような。
斯く言う俺も京香がよくならない現状は何かに追われている夢を見ているような気分である。
いや俺のは夢ではない、現実だ。
実際に起こっている悪夢である。
最近は学校の授業も身に入らずに気がついたら放課後になっていた――という事が多かった。
他のクラスメイト曰く、俺は死んでいるようだったという印象が強かったという。
死のうとしても死ねずに無理矢理生かされている感じとはこんな感じなのだろうか。俺はその事を聞いてそんな風に考えていた。
またこれは余談だが、
「頑張ってね志野くん」
「元気出せよ志野」
「早くよくなってね志野くん」
「何か困ったことがあるなら相談していいんだぞ志野」
と、まるで俺までも病人であるような感じで謎の応援をされていたらしい。
そこまで俺の精神状態は追われていた様な感じだった、という。
いや、実際にそうなのかもしれない。
記憶が曖昧で食事したのかどうかすら怪しくなってきたと言ってもいい。
頭の中は完全に京香のことでいっぱいだった。
「……ケンジくん」
という優梨の声が聞こえたのはこうして部屋でぼーっとしていた時だった。
ここ最近何も考えてないことが多い。
いや、こうしてただ俺は逃げているだけなのかもしれない。
どうやら部屋の鍵を閉め忘れていたらしい。
我ながら滑稽である。いや面白くとも何もない。ただの自嘲気味な感想だ。
「どうした、優梨……」
そういえば久しぶりに優梨の声を聞いた気がする。そして自分が声を出したのも久しぶりな気がした。
十日が経った、とさっきは言ったが、本当はそれ以上経っているのかもしれないな、とふと思った。
数週間、数ヶ月、数年。
俺の中ではそれくらい長い間、京香が寝たきりだったように思えた。
そういえば最近稽古をしてないな……あんなに強くなりたいなどと言っていたのに。
そういう気持ちも所詮この程度なのだ。どうせ俺なんて――『魔力がない』俺なんて、
「ケンジくん!」
そんな、部屋に響き渡るような優梨の大声が聞こえたのかと思うと。
左の頬に痛みが走っていた。
その痛みは身体の至るところ全てに伝わっていて。
久しぶりにようやく。
意識を取り戻したような感覚だった。
左頬はヒリヒリと痛んでいて、ああビンタされたのかと今わかった。
「ケンジくんのそんな顔を……京香ちゃんは見たくないはずですよ?」
そんな風に涙声で言う優梨は――頬が涙で濡れていた。
その時、ようやく気がついた。
ああ、そうだ。
俺だけが苦しいんじゃないんだ。
優梨だって。
彼女だって友人の事で苦しんでいたのだ。
今更、気がついたことだった。
今、思えば優梨は俺を励ますようにいつも元気に振舞っていた。
優梨だって京香が心配で仕方ないのに。
それでも彼女は自分が落ち込んではいけないと感じていたのだろう。
それは俺より優梨の方が強い、というのに十分な証明だった。
優梨の方が数倍強かった。
「優梨……」
俺は何か言おうとしたが、それは優梨によって遮られる。
優梨が俺を抱きしめてきたのだから。
いや、抱きついてきた、の方が正しいのだろうか。
俺を安心させるような、自分を安心させるような。
そんな想いが伝わってきた。
「ごめんな……優梨」
俺は自分より背が低い優梨の頭を撫でる。
そうだ。
どうして俺のせいで女の子を泣かせているのだ。
こんな時に俺は何をしているのだ。
こういう時こそ、しっかりしなくてはいけないのは俺なのではないのだろうか。
「もう大丈夫だ」
俺はそんな風に言うと、優梨は更に強く抱きしめてきた。
本当は彼女だって泣きたかったのかもしれない。
でも、俺がこんなだったからそれすらも出来なかったのだと思う。
実際、俺よりも優梨の方が追い込まれていたのだ。
だから。
俺はその優梨が背負ってくれていた分を返さなくてはいけない、と思った。
俺のために何かしてくれている優梨にも――京香にも。
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