【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
77話:精霊王の思惑
天界を取り戻す。
そう言い切った風の精霊王は、今もなお風の刃によって身動きを取れていない呪公の方へ視線を向けた。
高密度の魔力に阻まれて見にくいが、どうやら自身を障壁で覆ってダメージを減らそうとしているようだ。しかし、それを読んでいるのだろう。攻撃には強いが圧力には弱いという弱点をついて、それごと風の塊で押し潰す。
『悠久の昔より、三公はその座に長く留まった試しがない。そのわけはひどく単純。その身に余る力を魔王より与えられた君達は、その力にいつだって牙を剥かれるからだ』
だんだんと風が収まり、呪公の姿があらわになる。
彼女は片膝をつき、身体中から血を流しながら息も絶え絶えだった。
『……ワタシを、愚弄するとは。精霊は、余程、生き急いでいる、らしい』
魔力はまだ残っているようで、傷がどんどん塞がっていく。
が、彼女は痛みに顔を顰めて自分の身体を見下ろした。どうやら風の王が、回復しずらいようにわざとズタズタに傷をつけたようだ。綺麗でない傷を無意識的に治そうとすると、変な風に修復されて痛みを感じることがある。
そんな器用なことをやってみせた風の精霊王は、そのことに気付いた呪公の視線に気付くとニコリと頬を上げた。
『あぁ、傷を負いながらも懸命に立ち上がり、その舌鋒で己を奮い立たせようとするとは! なんとも健気で必死で、滑稽なのだろうね』
朗々と、しかし感情の込められていない声が響く。
離れていても背筋が凍りそうなほど、呪公が風の王を睨みつけたのがわかった。
『殺す、お前はワタシが殺すぞ!! そこの天災の精霊も許さぬ。生きて帰れると思うな!!』
『好きなだけ吠えると良いさ。君の命は、もうすでに荒波の前の砂の城、暴風の前の塵の冠。さぁ、消える前のせめてもの輝きを見せてくれると良い』
泰然と告げられたその言葉が終わるや否や、呪公が地面を蹴り剛速で近づいてくる。鬼気迫る表情に背筋が凍り、つい一歩下がってしまう。
その間、本当に数秒。
風の王へとその拳を向けていた彼女は、寸前で方向を切り替えて私の方へと殴りかかってきた。
この土壇場で、より己が殺せるであろう確率が高い方へと狙いを変える冷静さ、いや、執着心。
ゾッとしながら魔法障壁でそれを受け流した私は、後方に投げ出される彼女を目で追った。
呪の魔力が纏わり付くその一撃にわずかでも触れたら、おそらく身体が腐食されていただろう。
『……許さぬ、許さぬ、許さぬぞ。許さぬぞ!!!』
地面に打ち付けられた彼女は、ダラダラと額から血を流している。つい数分ほど前の余裕な状態からは想像できないほど追い詰められ、疲弊し、傷を負っていた。
そんな彼女が、ふらふらと立ち上がりながら懐から透明な水晶玉を取り出す。
中に黒い光が輝くそれを、彼女は大きく掲げた。
『ワタシの命が尽きようとも、お前達は決して許さぬ!! 悪魔に、魔王陛下に栄光あれ!!』
『……アイカ』
『わかってる』
カッと目を見開いた呪公は、その水晶玉を自分の身体にぶつけた。
『ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハ!!!』
パリン、という音が響いた瞬間、彼女の身体が瞬く間に玉のひびから黒い光に吸い込まれていく。
瘴気を撒き散らしながらカタカタと揺れるそれを、素早く雷撃で破壊した。
『…………な』
身体が半分崩れた呪公が、大きく目を見開く。
『"宝玉"を、壊す、なんて……』
『宝玉っていうんだそれ。いいこと聞いたよ』
彼女の胸元辺りを斜めに食われたような身体の断面から、魔力が溢れ出ていく。
そこを無属性の障壁魔法で固定し、同時に彼女が魔法を使えないように魔力の流れを止めた。
『そんな……ワタシは……』
彼女を観察すると、もうすでに呪を司る権限は剥奪されているようで、つい数十分ほど前の禍々しいまでの強者の風格はすっかり失われている。表情が抜け落ちた虚ろな目で、ぼーっとどこかを見つめていた。
『カレンの近くに送ってあげるよ。楽しんで』
彼女の傍らに落ちているナツミのレイピアを拾い、それを使って津波を呼び出す。
精霊界へと繋がる波に彼女が呑まれるのを確認して、ふぅと息を吐いた。
と、パチパチと軽やかな拍手の音が響く。
『実に鮮やか。あの短時間であそこまでのことを成し遂げるとは』
そうにこやかに告げる風の王は、きっと私がしたことに気付いているんだろう。
さっきの水晶玉━━━宝玉は、直接魔王へと繋がる道具だ。
二つほど前の対悪魔戦から導入されたものらしく、力のある悪魔を倒してもその魔力が再利用されてしまうため、手を焼いていた。が、今回のように全ての魔力が吸収される前に水晶玉を破壊すれば、それを防げるのだ。
そして少し意趣返しというか、嫌がらせというか……いや、今後への布石と言っておこう。精霊側に有利に働くように、とある魔法を仕掛けた。宝玉によって作られてた、魔王への道を通じて。
『……あとは』
くるっとナツミのレイピアを回転させて、付着した血を振り払う。
太陽の光を受けてきらりとまたたいたそれを、軽く魔力で浮かせてやる。そうすると、何かに引かれるように空を切ってすぐに見えなくなった。
追いかけようと一歩踏み出した瞬間、風の王に肩を掴まれる。
『貴女は今は行かない方が良いよ』
『それはどういう…?』
『後で明らかになるけれど、ひとまずいうのであれば……そうだね、流れる水が大地へと還ることを妨げることは望ましくない。貴女がそこに向かえば、水も大地も貴女に帰するから』
『……微妙にわかんないけど、ナツミが無事ならいいや』
妙に脱力して、土で椅子を作り出し腰掛ける。
背もたれに体重をグッと預けると、疲れがドッと襲ってきた。
そんな私を見て、風の王が苦笑する。
『馳せ参じるのが遅くなってしまい、申し訳なく思うよ、アイカ』
『そんな。来てくれただけ有り難かったよ。……正直、負ける気はしなかったけど勝てる気もしなかったから』
素直にそう言うと、彼は軽く頷いて空中に腰掛けた。
そして目を細めると私をじっと見つめる。
『……ふむ。やはり自らの力を封印しているようだけれど、記憶は取り戻したのだね。今の貴女は、己の翼を鎖で封じながらも、空へ羽ばたく感覚を忘れられず、それに焦がれている鳥のようだ』
『どういうこと?それってつまり、いい加減その"鎖"を外せ、ってこと?』
『少なくとも、火と土と水はそう考えているよ』
はぁ、と溜め息をつく。
『精霊界には極力関わらないって、アマリリスが生まれた時に決めてみんなにも伝えたはずだけど』
『そうは言っていられない状況になったというのが、彼らの意見だろうよ。人間に干渉し、さらには精霊をも自らの利益のために利用しようと目論んでいる悪魔がいる。それに先日の臨時会議の時の若き同胞のこともあってね』
含ませるように言った彼は、やれやれと肩を竦める。
『"悪魔"という彼らにとっては未知である敵に対して、恐れを抱かないことは結構だ。しかし、相手の影だけを見て、その影の主が自分より小さいと想像するのは、非常に稚拙で愚かだと言われても仕方ない。アイカもそう思わないかい?』
『……若い世代が、悪魔を大した脅威だと思わないことも、自分たちの能力を過信しすぎてることも、否定はしないよ。そしてそんな彼らを助けることができる私に対して、精霊王が前線に立つことを要求するなら、私はそれを拒めない。でも……すごく個人的な理由で、私はできるだけ戦いたくない』
空を見上げると、カラッと晴れた空が痛いほど青い。
『降りかかった火の粉は払う。けどそれだけ。私はアマリリスとその周りの人間を守れれば、もうそれでいいの』
『もし貴女が贖罪としてその人間達を庇護しようと思っているのだったら、私はそれを止めたいと願うよ。私に言う資格はないかもしれないけれど、貴女は貴女の人生を生きるべきなのだから』
『あんたが私にそれを言う資格はないし、私がそれを聞く義務もない。しかも私はちゃんと自分で選んでこの生き方をしてる。否定しないで』
『ではもし、貴女が人間としての生を得てこの国で生きていく未来があるとしたら、貴女はどうする?』
唐突に告げられたそれに、思考が一瞬停止する。
『…………どういう意味?』
『言葉の通りに捉えてもらって構わない。精霊としての権威、魔力、不老の身体を捨てて、人間となること。その選択肢が提示されたら、貴女はどうする?』
ふと、ユークライの顔が思い浮かぶ。
人間と精霊。その超えられない壁をもしなくせる手段があるとしたら。私が彼の隣に立って、最期の瞬間を共にすることができるかもしれない。
その次に、アスクやナツミ、ターフやみんなの顔が思い浮かんだ。
もし私がいなくなったら、誰がみんなを守るのか。彼らが弱いわけではないが、敵はそれ以上に強大で凶悪だ。一番悪魔について知っている私が、戦うべきではないのか。
『貴女は選べない』
何も言えない私の思考を見透かしたように、風の王が静かに口を開く。
『それは貴女が強いから。そして弱いから。自分自身の行く末を、その結末の理由を、他に求めるから。それを優しさと呼ぶ者もいれば、執着と呼ぶ者もいる』
『…………黙って』
『私がこの口を閉じるのは、貴女が真に己の心の訴えに耳を貸した時のみだよ。━━━"信頼"や"愛情"といった生きる者同士の絆は脆いものだ。記憶もやがて風化し、芥のように価値をもたなくなる。なんと非情で、残酷で……美しいのだろうね。記憶を司る貴女は、"全て"を忘れない。皆が取りこぼした欠片を一様に拾い、一様に愛し、一様に慈しむ。しかし、貴女がかつて愛した者達だけは別だ。砂漠で水を切望するように、雪山で温もりを渇望するように、貴女は彼らからの愛を熱望している。それと同時に、力ある者としての責務に苛まされている』
彼は言葉を切り、私に尋ねた。
『違うかい?』
違う、とそう言ったつもりだった。なのに、私の喉は掠れた音を出すだけ。
かろうじて首だけ振る私に、風の王はいつになく真摯な顔を向けた。
『精霊王としてではなく、貴女の古くからの知己……友として言わせてくれ』
『……何を、そんなに、畏って』
『貴女は選ばなくて良い。ただ私の言葉に頷けば、全て済む』
静かなその声は、私の耳に心地よく入ってくる。
『私と取り引きをしよう、記憶と天災の精霊アイカ━━━』
そう言い切った風の精霊王は、今もなお風の刃によって身動きを取れていない呪公の方へ視線を向けた。
高密度の魔力に阻まれて見にくいが、どうやら自身を障壁で覆ってダメージを減らそうとしているようだ。しかし、それを読んでいるのだろう。攻撃には強いが圧力には弱いという弱点をついて、それごと風の塊で押し潰す。
『悠久の昔より、三公はその座に長く留まった試しがない。そのわけはひどく単純。その身に余る力を魔王より与えられた君達は、その力にいつだって牙を剥かれるからだ』
だんだんと風が収まり、呪公の姿があらわになる。
彼女は片膝をつき、身体中から血を流しながら息も絶え絶えだった。
『……ワタシを、愚弄するとは。精霊は、余程、生き急いでいる、らしい』
魔力はまだ残っているようで、傷がどんどん塞がっていく。
が、彼女は痛みに顔を顰めて自分の身体を見下ろした。どうやら風の王が、回復しずらいようにわざとズタズタに傷をつけたようだ。綺麗でない傷を無意識的に治そうとすると、変な風に修復されて痛みを感じることがある。
そんな器用なことをやってみせた風の精霊王は、そのことに気付いた呪公の視線に気付くとニコリと頬を上げた。
『あぁ、傷を負いながらも懸命に立ち上がり、その舌鋒で己を奮い立たせようとするとは! なんとも健気で必死で、滑稽なのだろうね』
朗々と、しかし感情の込められていない声が響く。
離れていても背筋が凍りそうなほど、呪公が風の王を睨みつけたのがわかった。
『殺す、お前はワタシが殺すぞ!! そこの天災の精霊も許さぬ。生きて帰れると思うな!!』
『好きなだけ吠えると良いさ。君の命は、もうすでに荒波の前の砂の城、暴風の前の塵の冠。さぁ、消える前のせめてもの輝きを見せてくれると良い』
泰然と告げられたその言葉が終わるや否や、呪公が地面を蹴り剛速で近づいてくる。鬼気迫る表情に背筋が凍り、つい一歩下がってしまう。
その間、本当に数秒。
風の王へとその拳を向けていた彼女は、寸前で方向を切り替えて私の方へと殴りかかってきた。
この土壇場で、より己が殺せるであろう確率が高い方へと狙いを変える冷静さ、いや、執着心。
ゾッとしながら魔法障壁でそれを受け流した私は、後方に投げ出される彼女を目で追った。
呪の魔力が纏わり付くその一撃にわずかでも触れたら、おそらく身体が腐食されていただろう。
『……許さぬ、許さぬ、許さぬぞ。許さぬぞ!!!』
地面に打ち付けられた彼女は、ダラダラと額から血を流している。つい数分ほど前の余裕な状態からは想像できないほど追い詰められ、疲弊し、傷を負っていた。
そんな彼女が、ふらふらと立ち上がりながら懐から透明な水晶玉を取り出す。
中に黒い光が輝くそれを、彼女は大きく掲げた。
『ワタシの命が尽きようとも、お前達は決して許さぬ!! 悪魔に、魔王陛下に栄光あれ!!』
『……アイカ』
『わかってる』
カッと目を見開いた呪公は、その水晶玉を自分の身体にぶつけた。
『ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハ!!!』
パリン、という音が響いた瞬間、彼女の身体が瞬く間に玉のひびから黒い光に吸い込まれていく。
瘴気を撒き散らしながらカタカタと揺れるそれを、素早く雷撃で破壊した。
『…………な』
身体が半分崩れた呪公が、大きく目を見開く。
『"宝玉"を、壊す、なんて……』
『宝玉っていうんだそれ。いいこと聞いたよ』
彼女の胸元辺りを斜めに食われたような身体の断面から、魔力が溢れ出ていく。
そこを無属性の障壁魔法で固定し、同時に彼女が魔法を使えないように魔力の流れを止めた。
『そんな……ワタシは……』
彼女を観察すると、もうすでに呪を司る権限は剥奪されているようで、つい数十分ほど前の禍々しいまでの強者の風格はすっかり失われている。表情が抜け落ちた虚ろな目で、ぼーっとどこかを見つめていた。
『カレンの近くに送ってあげるよ。楽しんで』
彼女の傍らに落ちているナツミのレイピアを拾い、それを使って津波を呼び出す。
精霊界へと繋がる波に彼女が呑まれるのを確認して、ふぅと息を吐いた。
と、パチパチと軽やかな拍手の音が響く。
『実に鮮やか。あの短時間であそこまでのことを成し遂げるとは』
そうにこやかに告げる風の王は、きっと私がしたことに気付いているんだろう。
さっきの水晶玉━━━宝玉は、直接魔王へと繋がる道具だ。
二つほど前の対悪魔戦から導入されたものらしく、力のある悪魔を倒してもその魔力が再利用されてしまうため、手を焼いていた。が、今回のように全ての魔力が吸収される前に水晶玉を破壊すれば、それを防げるのだ。
そして少し意趣返しというか、嫌がらせというか……いや、今後への布石と言っておこう。精霊側に有利に働くように、とある魔法を仕掛けた。宝玉によって作られてた、魔王への道を通じて。
『……あとは』
くるっとナツミのレイピアを回転させて、付着した血を振り払う。
太陽の光を受けてきらりとまたたいたそれを、軽く魔力で浮かせてやる。そうすると、何かに引かれるように空を切ってすぐに見えなくなった。
追いかけようと一歩踏み出した瞬間、風の王に肩を掴まれる。
『貴女は今は行かない方が良いよ』
『それはどういう…?』
『後で明らかになるけれど、ひとまずいうのであれば……そうだね、流れる水が大地へと還ることを妨げることは望ましくない。貴女がそこに向かえば、水も大地も貴女に帰するから』
『……微妙にわかんないけど、ナツミが無事ならいいや』
妙に脱力して、土で椅子を作り出し腰掛ける。
背もたれに体重をグッと預けると、疲れがドッと襲ってきた。
そんな私を見て、風の王が苦笑する。
『馳せ参じるのが遅くなってしまい、申し訳なく思うよ、アイカ』
『そんな。来てくれただけ有り難かったよ。……正直、負ける気はしなかったけど勝てる気もしなかったから』
素直にそう言うと、彼は軽く頷いて空中に腰掛けた。
そして目を細めると私をじっと見つめる。
『……ふむ。やはり自らの力を封印しているようだけれど、記憶は取り戻したのだね。今の貴女は、己の翼を鎖で封じながらも、空へ羽ばたく感覚を忘れられず、それに焦がれている鳥のようだ』
『どういうこと?それってつまり、いい加減その"鎖"を外せ、ってこと?』
『少なくとも、火と土と水はそう考えているよ』
はぁ、と溜め息をつく。
『精霊界には極力関わらないって、アマリリスが生まれた時に決めてみんなにも伝えたはずだけど』
『そうは言っていられない状況になったというのが、彼らの意見だろうよ。人間に干渉し、さらには精霊をも自らの利益のために利用しようと目論んでいる悪魔がいる。それに先日の臨時会議の時の若き同胞のこともあってね』
含ませるように言った彼は、やれやれと肩を竦める。
『"悪魔"という彼らにとっては未知である敵に対して、恐れを抱かないことは結構だ。しかし、相手の影だけを見て、その影の主が自分より小さいと想像するのは、非常に稚拙で愚かだと言われても仕方ない。アイカもそう思わないかい?』
『……若い世代が、悪魔を大した脅威だと思わないことも、自分たちの能力を過信しすぎてることも、否定はしないよ。そしてそんな彼らを助けることができる私に対して、精霊王が前線に立つことを要求するなら、私はそれを拒めない。でも……すごく個人的な理由で、私はできるだけ戦いたくない』
空を見上げると、カラッと晴れた空が痛いほど青い。
『降りかかった火の粉は払う。けどそれだけ。私はアマリリスとその周りの人間を守れれば、もうそれでいいの』
『もし貴女が贖罪としてその人間達を庇護しようと思っているのだったら、私はそれを止めたいと願うよ。私に言う資格はないかもしれないけれど、貴女は貴女の人生を生きるべきなのだから』
『あんたが私にそれを言う資格はないし、私がそれを聞く義務もない。しかも私はちゃんと自分で選んでこの生き方をしてる。否定しないで』
『ではもし、貴女が人間としての生を得てこの国で生きていく未来があるとしたら、貴女はどうする?』
唐突に告げられたそれに、思考が一瞬停止する。
『…………どういう意味?』
『言葉の通りに捉えてもらって構わない。精霊としての権威、魔力、不老の身体を捨てて、人間となること。その選択肢が提示されたら、貴女はどうする?』
ふと、ユークライの顔が思い浮かぶ。
人間と精霊。その超えられない壁をもしなくせる手段があるとしたら。私が彼の隣に立って、最期の瞬間を共にすることができるかもしれない。
その次に、アスクやナツミ、ターフやみんなの顔が思い浮かんだ。
もし私がいなくなったら、誰がみんなを守るのか。彼らが弱いわけではないが、敵はそれ以上に強大で凶悪だ。一番悪魔について知っている私が、戦うべきではないのか。
『貴女は選べない』
何も言えない私の思考を見透かしたように、風の王が静かに口を開く。
『それは貴女が強いから。そして弱いから。自分自身の行く末を、その結末の理由を、他に求めるから。それを優しさと呼ぶ者もいれば、執着と呼ぶ者もいる』
『…………黙って』
『私がこの口を閉じるのは、貴女が真に己の心の訴えに耳を貸した時のみだよ。━━━"信頼"や"愛情"といった生きる者同士の絆は脆いものだ。記憶もやがて風化し、芥のように価値をもたなくなる。なんと非情で、残酷で……美しいのだろうね。記憶を司る貴女は、"全て"を忘れない。皆が取りこぼした欠片を一様に拾い、一様に愛し、一様に慈しむ。しかし、貴女がかつて愛した者達だけは別だ。砂漠で水を切望するように、雪山で温もりを渇望するように、貴女は彼らからの愛を熱望している。それと同時に、力ある者としての責務に苛まされている』
彼は言葉を切り、私に尋ねた。
『違うかい?』
違う、とそう言ったつもりだった。なのに、私の喉は掠れた音を出すだけ。
かろうじて首だけ振る私に、風の王はいつになく真摯な顔を向けた。
『精霊王としてではなく、貴女の古くからの知己……友として言わせてくれ』
『……何を、そんなに、畏って』
『貴女は選ばなくて良い。ただ私の言葉に頷けば、全て済む』
静かなその声は、私の耳に心地よく入ってくる。
『私と取り引きをしよう、記憶と天災の精霊アイカ━━━』
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