【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
75話: 突入
『……ん』
 目を開けると、そこは見慣れない部屋だった。
 久しぶりの起床の感覚を懐かしく思いながら身体を起こすと、横から声が聞こえてくる。
「おはよう、アイカ」
『おはよ、ユークライ。…………え?』
 一瞬で眠気が飛んでいき、意識が覚醒する。
 慌てて見ると、嬉しそうに微笑むユークライが横にいた。広いベッドだから寝相が悪い私でも流石に蹴ったりはしなかっただろうな、なんて取り止めのないことを考えながら、ゆっくり昨日の夜のことを思い出す。
 そう、確か私はあの後思う存分泣き尽くしたのだ。
 途中でよくわからない言葉を言いながら嗚咽を上げる私を、ユークライは慰めながら聞いてくれていて───
『ひょっとして私、あのまま寝ちゃった?』
「うん。一回ヴィンセントとアスクが来たんだけど、アスクが『熟睡してるところ久しぶりに見た』って」
『精霊は睡眠を必要としないから、まぁ確かに最近はうたた寝くらいしかしてなかったけど……』
 まさか熟睡して、しかもそれをユークライのみならずアスクとヴィンセントにも見られていたなんて。
 今になってこみ上げてくる恥ずかしさに気付いてか気付かずか、ユークライが爽やかに笑った。
「そういえば、さっきイリスティア母上が来たよ。一夜を共にしたなら、もう婚約決定だ、って」
『……んん?』
「母上はアイカに一度、伯母様の養子に入った後に嫁いで欲しいって思ってるらしいね。俺としては、アイカは王妃になることを望まないだろうから、正式に婚約を発表する前にラインハルトを選んでもらって、そのまま王室から籍を抜きたいんだけどね」
『ちょっとツッコミが追いつかないから待って』
「あ、水飲む?」
『お願いします』
 混乱から少し痛くなってきた頭を押さえながら、差し出されたコップに口をつける。
 と、ノックのすぐ後に扉が開かれる音がした。
『お、アイカ。起きたか』
『アスク。ヴィンセントも』
「アスクさん、ノックしたら返答を待つんすよ……」
 入ってきた二人は、それぞれ勝手に椅子に腰を下ろした。
『で、アイカ様、昨晩はどうだったんです?』
『どう、って……。あ、そういう…? ばか!』
ニヤニヤ笑っているアスクに小さな雷撃を食らわせて、私は咳払いをした。
『それで、なんか進展でもあったの?』
「進展って呼べるかは、ちょっとあれなんすけどね。……陛下からの勅命を受けてララティーナ・ゼンリル確保のために動いていた兵達が、ゼンリル子爵家の私兵に拘束されたんです。王室に対する反逆行為として騎士団と魔法師団を向かわせてるんですが、様子がおかしくて」
『おかしい?』
「実は全員が拘束されたわけなじゃくて、何人か逃げ出したんすよ。で、彼らが言うには、明らかに魔法が上手すぎる、って」
『上手すぎる? どういう意味?』
「基本的に平民は魔力が少なくて、適性はだいたい一属性にしかないんすよ。で、子爵家の私兵団であれば人数の上限は百名。その内訳は、大抵が一割の親戚筋と地元の平民っす。傭兵とかを雇って増やしたとしても、魔法が上手いやつなんて普通いないはずなんす。しかも聞いてみたところ、魔法が上手いやつはどっからどう見ても平民だって言ってて」
『なーんか嫌な感じがするだろ? だから、俺が見に行こうかと思ったんだけど、ナツミに止められたんだ』
『……待って、じゃあナツミが?』
『あぁ』
 首筋がピリピリするような嫌な予感がする。なのに言葉にできない。
 自分の感じている違和感の正体を探ろうとしていると、ユークライが口を開いた。
「兵はどれくらい向かわせたんだ」
「六十。近隣の砦から向かわせた国軍の兵だけど」
「……国軍の兵が六十。いくら地の利があるとはいえ、たった百名の子爵家の私兵に負けるとは思えない」
「俺もそう思ったさ。でも、ゼンリル子爵は傭兵を雇ってる可能性がある」
「それでもおかしい。それに、なぜわざわざ逃がしたのか……」
「わざと逃がしたなんて確証はないぞ、ユークライ。……おいユークライ、聞いてるか?」
考え込むユークライを見て、ふと思いつく。
『……まさか、この情報を私達に流すため?』
『意味あるか? むしろ、精霊がいるこっち側ならすぐに調査が───』
「『それだ!』」
 ユークライと私の声が重なる。
 アスクとヴィンセントが驚いたようにこっちを見ているが、気にしている場合ではない。
『あっちには色情の精霊がいる。色情の精霊は、アマリリスが私の愛し子だってことを知ってる』
「そして、今回のことの調査を担当しているのがヴィンセントだということは、特段秘密でもなんでもない」
『となると、もしララティーナ関連で怪しいことがあれば、私が出てくることを予期している…?』
「そしたら、向かった精霊が危ない」
 二人で出した結論に、アスクが椅子を蹴り飛ばしながら立った。
 目を見開く彼は、小さく何かを呟いている。
『俺は……』
「アスク、ここで待機。私が行く」
『なっ、俺も行くぞ、アイカ』
『呪いが完治してないんだから、無理は絶対にさせられない。ヴィンセント、アスクが変な行動しないよう見張ってて』
「りょーかいっす」
『でも、ここで行かなかったら俺は…!』
『大丈夫。任せて』
 真っ直ぐアスクの目を見る。
 狼狽えている彼は、彼らしくない弱々しい顔で、低く問いかけた。
『実は、連絡が取れないんだ。何か危険な目に遭っているかもしれない。あいつを、助けてくれるか?』
『もちろん助けるよ。絶対に』
 よろよろと椅子に座るアスクに、ヴィンセントが温かい紅茶を差し出す。
アスクがそれに口をつけたことに安堵していると、肩をトントンと叩かれた。
「罠の可能性が高いけれど、大丈夫なの、アイカ?」
 ユークライに頷き返す。
 きっとこれは、彼女からの招待状だったのだ。それを代わりにナツミが受け取ってしまったのは、私の不始末。
 蹴りは自分でつける。
『私も行くわ、アイカ』
「上に同じく、なの」
 突然響いた声に、全員が驚いて後ろを振り返る。
 するとそこには、アマリリスの護衛をしているはずのエスが、リリエルと一人の幼い少女を連れて立っていた。
 リリエルが狩人のするような軽装であるのに対して、その少女は和服風のワンピースを着ている。
「失礼します。お二人をお連れしました」
「連れてこられた、なの。……初めまして、アイカ。リコなの」
 リコと名乗った少女は、袖を上げてくるっと一周回った。そして黄金色の双眸で私を見つめると、嘲笑うように口角を上げた。
「嫌がらせ、楽しんでもらえた?」
『……はっ、それはもう』
 視界に彼女が入らないように顔を背けるが、もう遅い。
 つい最近思い出したばかりだからか。日本のことだけでなく、かつての自分のことまで頭に浮かんでくる。
 記憶を消そうと試みるが、どうにも上手くいかない。
 苛立ちを募らせていると、新たな声が部屋に響いた。
「僕も行く」
 なぜか窓を外側から開いてそこから入ってきたラインハルトは、肩に下げていたバッグを机の上にどさっと置いた。
 少し疲れたような顔をしている彼は、ユークライの姿を目に留めると「おかえり」と声をかける。
「ただいま。この場合は、俺がラインハルトにおかえり、って言うべきな気がするけれど」
「だったら、ただいま兄さん。───顔を洗いたい。少し待っててくれ」
 あっという間に洗面所が併設された浴室に入っていくラインハルトに、なんとも言えない空気が流れる。
 かなり重たい空気をぶち壊した彼は、きっとその自覚はないのだろうけれど、私達の緊張をほぐしていた。
『……良かったじゃない。考えすぎちゃうアマリリスには、これくらいのパートナーがちょうどいいわ』
 確かに、と心の中で頷く。ラインハルトのマイペースさは、ちょっと受動的なところがあるアマリリスには心地よいはずだ。
 みんなが黙っている中、口を開いたのはアスクだった。
 腕組みをする彼は、半分睨むようにリリエルの方に視線を向ける。
『お前、リリエルなのか?』
『他に誰に見えるって言うの。そういうアスクは、随分大人しくなったみたいね』
『……チッ、別にいいだろ』
 はぁ、と溜め息をついたアスクは、ラインハルトが消えていった浴室を見た。
『簡単にいなくなったのに、いきなり戻ってきやがって』
『戻ってきてないわよ。ラインハルトはハルトナイツじゃないわ。アスクもわかってるんでしょ? そして私も、私じゃない。アイカとアマリリスの余剰な魔力をかき集めて、アマリリスから切り離した記憶を核にして作った、ただの亡霊よ』
 一瞬、リリエルの肌が揺らめいて、布らしき繊維が覗く。
 彼女に頼まれた材料は、魔力との親和性が高いいくつかの金属、魔力を貯めることができる水晶、魔法陣を刻むためのプレート、そして魔力が織り込まれた布。
 おそらく今の彼女の本当の姿は、街中で見るような人形をそのまま大きくしたようなものなのだろう。それを魔法で上塗りし、まるで生きているかのように見せかけている。
『私には魂がない。だから長くは生きれないわ。保って一年とかかしら』
『……そうか』
 表情を消すアスクに声をかけようとした時だった。
 軽く服を引っ張られ、振り向くとそこには少女がいる。
『……』
「……」
 お互い何も言わずに向かい合う。
 視線だけが交わされ、見たくもない顔を視界に入れていると、不意に右手が掴まれた。
「無理しないで、アイカ」
 私の指がユークライの唇に触れる。
 唐突すぎて言葉が出てこない私を他所に、彼はリコに笑いかけた。
「アイカの妹さん?」
『……まぁ、似たようなものなの。リコと呼んで欲しいの』
「わかった、リコ。私はユークライでいいよ。よろしくね。どうか俺達と仲良くして欲しい」
 にこやかに握手までしたユークライは、未だに固まっている私の手を持ったまま、ちょうど出てきたラインハルトに声をかける。
「あぁ、ラインハルト。戻ってきたばかりだけれど、父上や母上に挨拶は?」
「戻ってきた時に報告と一緒にする。ちなみに僕は道案内だ」
「引きこもり王子に道案内なんてできないでしょ。アスクさんの見張りはユークライがやるんで、俺も行くぞ」
「じゃあ決まりだね。ゼンリル子爵領に行くのは、アイカとリリエルさん、リコ、ラインハルト、そしてヴィンセントの五人。アイカ、いい?」
『えっ、あ、うん』
 反射的に返事をしてしまったが、果たして大丈夫なのだろうか。
 能力的には十分すぎるが、少々チームワークという面に不安が残る。少々というか、かなり。
 しかしもうすでに決定されたことへ異を唱えられる空気ではないし、もうすでに了承してしまっている。
 楽しそうに笑顔を浮かべるリリエル、無表情で佇んでいるリコ、何やらアスクと話していたラインハルト、そしてまだなのかと目で催促してくるヴィンセント。
 全員の視線が私に集中してくるから、思わず肩を竦めて言った。
『……じゃあ、行きます?』
 一応みんな頷いてくれて良かったが、このメンバーで隠密なんてできるのかと心配になる。
 そんな私の気持ちを見透かしたように、ユークライが小さく「頑張って」と呟いた。
 移動手段で軽く揉めて、結局選ばれたのは馬車。
 できるだけ速度を上げるためにと、乗馬経験のあるヴィンセントとラインハルトは馬に乗って、馬車に乗っているのは三人だけだ。と言っても、カブリオレという取り外し可能な幌を今は外しているので、普通に会話はできるのだが。
『あーあ、誰もそこに行ったことないなんて。長距離をそのまま移動するなんて、初めてだわ』
 転移魔法を使えなかったことをぼやくリリエル。
 便利でそこそこお手軽な転移魔法の唯一の欠点が、行ったことのない場所に行くことができない、ということなのだ。座標で指定する方法もあるが、正確な数値でないと生き埋めになるなんてことが発生するので、基本的には術者の中にあるその場所の記憶とそれに付随する位置情報を結び合わせて、転移先を選ぶ。
 割と王都から離れたところにゼンリル子爵領はあるらしく、違う町を転移で経由したことで距離は稼いだが、真面目に行ったら四時間はかかるらしい。
『もう十分も経ったのに着かないなんて。遅いのね、馬って』
「いや、これ普通の馬の速さじゃないっすよ!? 加速魔法かけた上に風除けまでして、しかも迂回しなくちゃいけないとこ全部空通ってくとか、何倍も速いっすからね!?」
 そう、だったら不真面目に色々してしまえばいい。
 完全ではないとはいえ元第二位精霊のリリエル、私とリコで第二位精霊の片割れが二柱、そしてもはや人間とは思えないラインハルトがいるのだ。正攻法で馬をかけるなんて無駄なことをするくらいなら、魔法でズルをしてしまおう。
 そんなこんなで、それぞれで分担しながら道を消化していっている。
「あの、もうちょい遅くしてくれませんか!? 腕もげる!!」
『無理よ。気力でどうにかしなさい、アレックス』
「えええ!?」
 そしてもう一人、この愉快な仲間達に加わったのが、今し方リリエルに適当にあしらわれたアレックス。
 私、リリエル、リコの三名は正体を明かすことができず、護衛か侍女などのフリをしようということになった時、さすがに第二王子と次期公爵が向かうのならもう一人くらい誰か連れて行かないと、という問題が浮上した。
 しかし、下手にこの事態に関わる者を増やすわけにもいかず、結果として選ばれたのが騎士見習いのアレックスだった。
 アレックスは物怖じしない性格で、ラインハルトにも懐いている。私とも面識があるし、何よりなぜかリリエルに気に入られた。
 御者席に座って必死に手綱を握っているアレックスを見て、リリエルが楽しそうに笑う。
『もうちょっと速度上げるわ。ラインハルトとヴィンセントは大丈夫?』
「ちょっと馬が疲れてる感じすんですけど、まぁ大丈夫っす」
「僕も大丈夫だ」
「オレは大丈夫じゃないです!!」
『辛抱しなさいよ。騎士になるんでしょ?』
「うぅ……」
 自分がいじれる弟分を見つけたことが嬉しいのか、リリエルはずっとアレックスに構っている。騎士になるという夢も、ついさっき聞き出していたものだ。
 器用に魔法を制御しながら会話を続けるリリエルに、リコが溜め息をついた。俯いていた彼女の視線が上がり、私と目が合う。
『…………何?』
「……大書庫でアマリリスと出会った後、アマリリスといくつかの"本"の記憶をコピーしたの。そしてその後に、お前に封じられていた記憶も取り戻したの」
『そう』
 短く返答した私に、リコがこれみよがしに大きく息を吐いた。
『何かご不満でも?』
「お前を理解できるのはわたしだけで、わたしを理解できるのもお前だけなの。もう少し協調性を持って欲しいの」
『そもそも協調性も何もないでしょ。……私とあんたは、別々に動いているだけでほぼ同一の存在なんだから』
「それは否定しないの」
 なんだかんだ言って、リコの思考はほとんどわかるし、おそらく彼女もそうなんだろう。
 自分と会話をしているようだから正直声に出す必要さえ感じないが、彼女はいくつか私以外の記憶を吸収したらしいから、音にするのは行き違いをゼロにするためだ。
「……それで、どう予想するの?」
『さすがにトップが来るとは思えないから、三公、あるいは上級悪魔がいる』
「それはアイカとわたしでギリギリ対処できるの。ついでに、ナツミはその悪魔と対峙している可能性が高いの」
『となるとララティーナ確保を、リリエル、ラインハルト、ヴィンセント、アレックス?』
「表立って追うのは難しいから、ヴィンセントとアレックスには指示を出すであろう子爵をどうにか引き止めてもらうべきなの」
『二人は身分も高いし下手なことはできないはず。そこで拘束している兵を解放するように交渉してもらう』
「その間に悪魔をわたし達が、ララティーナをリリエルとラインハルトが抑えて、確保するの。おそらく誰かがナツミと合流できるはずなの」
『だね』
 不服ではあるが、意見が完全に一致した。
 同じような思考回路と知識の蓄積を持つ私達は、基本的に同じ結論へと至る。
 だからリコと話すのは、まるで自分と話しているような若干気持ち悪い感覚になるが、考えを整理するのには最適だ。
「そういえば」
『ん?』
 リコの金の瞳の中に、とぼけた顔をする私がいる。
 そろそろ言ってくる頃合いだと思っていた。
 到着まで残り数分。着いてしまえば、必然的にこれからどう動くかという事務的な話しかしなくなる。リリエルはアレックスとのお喋りに興じているし、少し離れたところで切れてきた集中力を保ちながら馬をかけているラインハルトとヴィンセントは私達の話など気にも留めないだろう。
「お前がわたしにしたこと、許してないの」
 表情を変えないまま、リコがそう言った。
 彼女は言葉を続けようとして口を開き、しかしすぐに閉じて私の方を真っ直ぐ見つめる。
 ───でも、わたしがお前だったら同じことをしていたの。
 ───そして私があんただったら同じことを言ってたね。
 ───結局わたし達は自分を許せない。一生。
 ───だから私はあんたの罪を忘れないし、あんたも私の罪を忘れない。
 ───それがきっと、
『贖罪になるから』
 わざと言葉を口に出して言ってやると、リコが私を軽く睨んだ。
 それをわざと無視していると、少し離れたところにいたヴィンセントが声を上げる。
「そろそろ着くと思うんで、魔法解除してくれませんか?」
『りょーかい』
 全ての魔法が解除されると、さっきまで飛ぶように後ろへ流れていった景色が、ゆっくりと見えるようになる。
 舗装された道の両脇には森が広がっていて、眼前に迫るのは石でできた壁だ。私の身長ほどしかないが、獣を防ぐには十分なのだろう。
 槍を持って立っている門番からギリギリ見えない位置で、一度全員で頭を寄せて情報を確認する。
「ここがゼンリル子爵領の領都、オルパです。子爵が申告している私兵の数はちょうど百、ただし傭兵を雇っている可能性が高いっすね」
『それも考えられるけど、私は悪魔がいる可能性が高いと睨んでる。そっちは私とリコで対処するから、ララティーナ・ゼンリルの確保をリリエルとラインハルト』
『わかったわ』
「わかった」
『ヴィンセントとアレックスは、ゼンリル子爵に拘束されている兵を解放するように交渉。二人で足りそう?』
「第一王子の懐刀と呼ばれる俺に任せてもらって大丈夫っすよ。ただ、連絡をとれないのが厄介っすね……」
『あー、じゃあこれ持ってて』
 念のために持ってきていたガラスの玉を四つ取り出し、それぞれに効果を付与する。
『赤いのが攻撃用、青いのが防御用、緑のが回復用。割って使って。使ったら、私の方に通知が来るから。で、何もなしに終わったらこの黄色いやつを割って』
「了解っす」
『リリエルも』
 リリエルとラインハルトには連絡用の黄色だけ渡しておく。
 これで準備完了だろうと声をかけようとすると、リリエルが手を上げた。
『もし戦いとかになったら、建物ってどこまで壊していいの?』
 彼女の問いかけに、場に静寂が落ちる。
 あぁ、と納得の声を漏らしたのはアレックスなのだが、彼に建物を破壊するほどの術はないはずなんだけど。
 他のメンバーも、共感するような微妙な表情をしている中、笑顔でヴィンセントが告げた。
「王族の婚約者である俺の妹を貶めた女の実家なんか、全部壊していいっすよ! 一応王家への反逆や犯罪組織への加担の疑いもありますし!」
『わかったわ。じゃあ遠慮なく』
『できるだけ隠密を心がけてね?』
 アマリリスの婚約破棄のことに関して、まるで昨日のことのように憎悪を燃やすヴィンセントは、「もう心置きなく壊しちゃってください!」と小声でリリエルに囁いている。
 と言っても、私も侵入がバレたら自分の身を最優先にして魔法を使うつもりだ。それの二次被害として、このよく整備された町にいくつか雷が落ちたり竜巻がやってきたりするかもしれないが、身から出た錆ということで。
『じゃあ、まずヴィンセントとアレックスが門番に話しかけて。その隙に、私達が壁内に侵入する。ナツミは多分、私達が来たことに気付くはずだから、合流できたら一緒に行動するように』
「作戦終了の合図はなんすか?」
『大雨を降らす。結構強めに降らすから、すぐ気付くと思うよ』
 全員が首肯する。
 私はみんなの顔を見渡して、笑顔を作った。
『それじゃあ、程々に頑張ろ。作戦開始!』
 人間から姿を隠したまま、領都の中を進む。
 ヴィンセントとアレックスは警備の兵に案内されて子爵のお屋敷に、リリエルとラインハルトはそれにこっそり付いて行った。ララティーナを匿うとしたら、やはり一番考えられるのは子爵家だからだ。
 私とリコは、ナツミの痕跡を辿りながら町を歩いていた。が、身体が人形に過ぎないリコは姿を隠すことができないので、怪しまれないように時々寄り道をしている。
 フードを深く被ったリコに、すれ違った若いカップルが笑顔で花を一輪渡した。その時に彼女が着ている浴衣風のワンピースを見て珍しそうな顔をするのに、「お母さんが特別に作ってくれたの!」とリコが笑いながら告げる。随分と演技が上手い。
「……なんでこんなに食べ物をくれるのかしら。それと花も」
 二人が離れると打って変わって表情を消したリコ。
『あんたが子供に見えるからでしょ。それとも、財政的な話をしてる?』
「わたしもお前も専門家じゃないから詳しいことは言えないけど、なんだかここの人間は随分と裕福に見えるの」
『確かに』
 ボソボソと喋るリコの両腕には、さっき親切そうなおばさんから貰ったバスケットがある。その中には、今にも溢れそうなくらいの果物とクッキーなどのお菓子が入っていた。それらの上に、ちょこんと花が置かれている。
「おそらくわたしは、近くの村から観光に来た子供だと思われているはず。それにしても、優しすぎるの」
『あんたの正体に気付いているとは思えないから、普通に芋っぽい少女に気前良く食べ物を渡せるくらいにこの町の人間は裕福なんでしょうね。でもやっぱり、理由がわからない』
 会話をしながらも、ナツミの魔力の跡を探す。
 ここで魔力感知を使ったのだろう。ほんのわずかにだが、彼女の魔力が残っていた。
『方向はこっちで合ってる。……でも、こうでもしないと辿れないなんて、ナツミは一体何してるの』
「もし戦っていたら、魔法が使われて気づけるはずなの」
 そうなんだよなぁ、と口の中で呟く。というかそもそも、眷属であるナツミをすぐに見つけられない時点でかなり異常事態なのだ。
今隠密を心がけながら地道に探しているのは、ナツミを見つけると同時にララティーナを確保しようとしているからで、ララティーナと一緒にいるのであろう精霊を警戒させないため。それと、ナツミだったら絶対に持ち堪えられるという確信があるからだ。
「それでも、心配になるの」
 同じことを考えていたらしいリコがそう零した時だった。
 一瞬、瞬きよりも短いほんのわずかの間だけだったが、確かに叫び声が響いた。
 海を切り裂くような鋭くて甲高い悲鳴は、それはそれは聴き慣れた声で、私を一つの感情で染めるのに十分すぎるほどだった。
『ナツミ…!!』
 つい昨日の彼女の微笑みが脳裏を過ぎる。それと同時に、弱り切った顔で私に彼女を助けるように言ったアスクも。
 リコの腕を掴み地面を蹴った。バスケットが落ちた音が後ろでする。
「お前、落ち着くの!」
『怒るのは私担当、で冷静に判断するのがあんたでいいでしょ!』
 リコを横抱きにして、薄暗い路地に足を踏み入れた。
「意外と落ち着いているの。……そこを右。これを飛び越えて、次は左」
 リコのナビに従って裏路地を抜けると、住宅街らしきところに出る。
 いくつもの屋敷が立ち並ぶそこに、人通りはない。閑静な住宅街と言うべきそこに、一つだけ禍々しい気配があった。
『……丸々一個の屋敷を囲うなんて』
 青い屋根のその屋敷は、一見どこにでもある普通の家だ。しかし、そこから滲み出るドロドロとした魔力が、その異常性を物語っている。
 普通の魔法攻撃や物理攻撃だけでなく通信などを含め、全ての魔力を遮断しているのだろう。
 唯一感じられるのは、その遮断のための障壁から漏れ出るかすかでありながらも、禍々しい魔力だけ。
『……行くよ、リコ』
 立ち止まっている時間なんて無い。
 もう誰も死なせなくないんだ。
 目を開けると、そこは見慣れない部屋だった。
 久しぶりの起床の感覚を懐かしく思いながら身体を起こすと、横から声が聞こえてくる。
「おはよう、アイカ」
『おはよ、ユークライ。…………え?』
 一瞬で眠気が飛んでいき、意識が覚醒する。
 慌てて見ると、嬉しそうに微笑むユークライが横にいた。広いベッドだから寝相が悪い私でも流石に蹴ったりはしなかっただろうな、なんて取り止めのないことを考えながら、ゆっくり昨日の夜のことを思い出す。
 そう、確か私はあの後思う存分泣き尽くしたのだ。
 途中でよくわからない言葉を言いながら嗚咽を上げる私を、ユークライは慰めながら聞いてくれていて───
『ひょっとして私、あのまま寝ちゃった?』
「うん。一回ヴィンセントとアスクが来たんだけど、アスクが『熟睡してるところ久しぶりに見た』って」
『精霊は睡眠を必要としないから、まぁ確かに最近はうたた寝くらいしかしてなかったけど……』
 まさか熟睡して、しかもそれをユークライのみならずアスクとヴィンセントにも見られていたなんて。
 今になってこみ上げてくる恥ずかしさに気付いてか気付かずか、ユークライが爽やかに笑った。
「そういえば、さっきイリスティア母上が来たよ。一夜を共にしたなら、もう婚約決定だ、って」
『……んん?』
「母上はアイカに一度、伯母様の養子に入った後に嫁いで欲しいって思ってるらしいね。俺としては、アイカは王妃になることを望まないだろうから、正式に婚約を発表する前にラインハルトを選んでもらって、そのまま王室から籍を抜きたいんだけどね」
『ちょっとツッコミが追いつかないから待って』
「あ、水飲む?」
『お願いします』
 混乱から少し痛くなってきた頭を押さえながら、差し出されたコップに口をつける。
 と、ノックのすぐ後に扉が開かれる音がした。
『お、アイカ。起きたか』
『アスク。ヴィンセントも』
「アスクさん、ノックしたら返答を待つんすよ……」
 入ってきた二人は、それぞれ勝手に椅子に腰を下ろした。
『で、アイカ様、昨晩はどうだったんです?』
『どう、って……。あ、そういう…? ばか!』
ニヤニヤ笑っているアスクに小さな雷撃を食らわせて、私は咳払いをした。
『それで、なんか進展でもあったの?』
「進展って呼べるかは、ちょっとあれなんすけどね。……陛下からの勅命を受けてララティーナ・ゼンリル確保のために動いていた兵達が、ゼンリル子爵家の私兵に拘束されたんです。王室に対する反逆行為として騎士団と魔法師団を向かわせてるんですが、様子がおかしくて」
『おかしい?』
「実は全員が拘束されたわけなじゃくて、何人か逃げ出したんすよ。で、彼らが言うには、明らかに魔法が上手すぎる、って」
『上手すぎる? どういう意味?』
「基本的に平民は魔力が少なくて、適性はだいたい一属性にしかないんすよ。で、子爵家の私兵団であれば人数の上限は百名。その内訳は、大抵が一割の親戚筋と地元の平民っす。傭兵とかを雇って増やしたとしても、魔法が上手いやつなんて普通いないはずなんす。しかも聞いてみたところ、魔法が上手いやつはどっからどう見ても平民だって言ってて」
『なーんか嫌な感じがするだろ? だから、俺が見に行こうかと思ったんだけど、ナツミに止められたんだ』
『……待って、じゃあナツミが?』
『あぁ』
 首筋がピリピリするような嫌な予感がする。なのに言葉にできない。
 自分の感じている違和感の正体を探ろうとしていると、ユークライが口を開いた。
「兵はどれくらい向かわせたんだ」
「六十。近隣の砦から向かわせた国軍の兵だけど」
「……国軍の兵が六十。いくら地の利があるとはいえ、たった百名の子爵家の私兵に負けるとは思えない」
「俺もそう思ったさ。でも、ゼンリル子爵は傭兵を雇ってる可能性がある」
「それでもおかしい。それに、なぜわざわざ逃がしたのか……」
「わざと逃がしたなんて確証はないぞ、ユークライ。……おいユークライ、聞いてるか?」
考え込むユークライを見て、ふと思いつく。
『……まさか、この情報を私達に流すため?』
『意味あるか? むしろ、精霊がいるこっち側ならすぐに調査が───』
「『それだ!』」
 ユークライと私の声が重なる。
 アスクとヴィンセントが驚いたようにこっちを見ているが、気にしている場合ではない。
『あっちには色情の精霊がいる。色情の精霊は、アマリリスが私の愛し子だってことを知ってる』
「そして、今回のことの調査を担当しているのがヴィンセントだということは、特段秘密でもなんでもない」
『となると、もしララティーナ関連で怪しいことがあれば、私が出てくることを予期している…?』
「そしたら、向かった精霊が危ない」
 二人で出した結論に、アスクが椅子を蹴り飛ばしながら立った。
 目を見開く彼は、小さく何かを呟いている。
『俺は……』
「アスク、ここで待機。私が行く」
『なっ、俺も行くぞ、アイカ』
『呪いが完治してないんだから、無理は絶対にさせられない。ヴィンセント、アスクが変な行動しないよう見張ってて』
「りょーかいっす」
『でも、ここで行かなかったら俺は…!』
『大丈夫。任せて』
 真っ直ぐアスクの目を見る。
 狼狽えている彼は、彼らしくない弱々しい顔で、低く問いかけた。
『実は、連絡が取れないんだ。何か危険な目に遭っているかもしれない。あいつを、助けてくれるか?』
『もちろん助けるよ。絶対に』
 よろよろと椅子に座るアスクに、ヴィンセントが温かい紅茶を差し出す。
アスクがそれに口をつけたことに安堵していると、肩をトントンと叩かれた。
「罠の可能性が高いけれど、大丈夫なの、アイカ?」
 ユークライに頷き返す。
 きっとこれは、彼女からの招待状だったのだ。それを代わりにナツミが受け取ってしまったのは、私の不始末。
 蹴りは自分でつける。
『私も行くわ、アイカ』
「上に同じく、なの」
 突然響いた声に、全員が驚いて後ろを振り返る。
 するとそこには、アマリリスの護衛をしているはずのエスが、リリエルと一人の幼い少女を連れて立っていた。
 リリエルが狩人のするような軽装であるのに対して、その少女は和服風のワンピースを着ている。
「失礼します。お二人をお連れしました」
「連れてこられた、なの。……初めまして、アイカ。リコなの」
 リコと名乗った少女は、袖を上げてくるっと一周回った。そして黄金色の双眸で私を見つめると、嘲笑うように口角を上げた。
「嫌がらせ、楽しんでもらえた?」
『……はっ、それはもう』
 視界に彼女が入らないように顔を背けるが、もう遅い。
 つい最近思い出したばかりだからか。日本のことだけでなく、かつての自分のことまで頭に浮かんでくる。
 記憶を消そうと試みるが、どうにも上手くいかない。
 苛立ちを募らせていると、新たな声が部屋に響いた。
「僕も行く」
 なぜか窓を外側から開いてそこから入ってきたラインハルトは、肩に下げていたバッグを机の上にどさっと置いた。
 少し疲れたような顔をしている彼は、ユークライの姿を目に留めると「おかえり」と声をかける。
「ただいま。この場合は、俺がラインハルトにおかえり、って言うべきな気がするけれど」
「だったら、ただいま兄さん。───顔を洗いたい。少し待っててくれ」
 あっという間に洗面所が併設された浴室に入っていくラインハルトに、なんとも言えない空気が流れる。
 かなり重たい空気をぶち壊した彼は、きっとその自覚はないのだろうけれど、私達の緊張をほぐしていた。
『……良かったじゃない。考えすぎちゃうアマリリスには、これくらいのパートナーがちょうどいいわ』
 確かに、と心の中で頷く。ラインハルトのマイペースさは、ちょっと受動的なところがあるアマリリスには心地よいはずだ。
 みんなが黙っている中、口を開いたのはアスクだった。
 腕組みをする彼は、半分睨むようにリリエルの方に視線を向ける。
『お前、リリエルなのか?』
『他に誰に見えるって言うの。そういうアスクは、随分大人しくなったみたいね』
『……チッ、別にいいだろ』
 はぁ、と溜め息をついたアスクは、ラインハルトが消えていった浴室を見た。
『簡単にいなくなったのに、いきなり戻ってきやがって』
『戻ってきてないわよ。ラインハルトはハルトナイツじゃないわ。アスクもわかってるんでしょ? そして私も、私じゃない。アイカとアマリリスの余剰な魔力をかき集めて、アマリリスから切り離した記憶を核にして作った、ただの亡霊よ』
 一瞬、リリエルの肌が揺らめいて、布らしき繊維が覗く。
 彼女に頼まれた材料は、魔力との親和性が高いいくつかの金属、魔力を貯めることができる水晶、魔法陣を刻むためのプレート、そして魔力が織り込まれた布。
 おそらく今の彼女の本当の姿は、街中で見るような人形をそのまま大きくしたようなものなのだろう。それを魔法で上塗りし、まるで生きているかのように見せかけている。
『私には魂がない。だから長くは生きれないわ。保って一年とかかしら』
『……そうか』
 表情を消すアスクに声をかけようとした時だった。
 軽く服を引っ張られ、振り向くとそこには少女がいる。
『……』
「……」
 お互い何も言わずに向かい合う。
 視線だけが交わされ、見たくもない顔を視界に入れていると、不意に右手が掴まれた。
「無理しないで、アイカ」
 私の指がユークライの唇に触れる。
 唐突すぎて言葉が出てこない私を他所に、彼はリコに笑いかけた。
「アイカの妹さん?」
『……まぁ、似たようなものなの。リコと呼んで欲しいの』
「わかった、リコ。私はユークライでいいよ。よろしくね。どうか俺達と仲良くして欲しい」
 にこやかに握手までしたユークライは、未だに固まっている私の手を持ったまま、ちょうど出てきたラインハルトに声をかける。
「あぁ、ラインハルト。戻ってきたばかりだけれど、父上や母上に挨拶は?」
「戻ってきた時に報告と一緒にする。ちなみに僕は道案内だ」
「引きこもり王子に道案内なんてできないでしょ。アスクさんの見張りはユークライがやるんで、俺も行くぞ」
「じゃあ決まりだね。ゼンリル子爵領に行くのは、アイカとリリエルさん、リコ、ラインハルト、そしてヴィンセントの五人。アイカ、いい?」
『えっ、あ、うん』
 反射的に返事をしてしまったが、果たして大丈夫なのだろうか。
 能力的には十分すぎるが、少々チームワークという面に不安が残る。少々というか、かなり。
 しかしもうすでに決定されたことへ異を唱えられる空気ではないし、もうすでに了承してしまっている。
 楽しそうに笑顔を浮かべるリリエル、無表情で佇んでいるリコ、何やらアスクと話していたラインハルト、そしてまだなのかと目で催促してくるヴィンセント。
 全員の視線が私に集中してくるから、思わず肩を竦めて言った。
『……じゃあ、行きます?』
 一応みんな頷いてくれて良かったが、このメンバーで隠密なんてできるのかと心配になる。
 そんな私の気持ちを見透かしたように、ユークライが小さく「頑張って」と呟いた。
 移動手段で軽く揉めて、結局選ばれたのは馬車。
 できるだけ速度を上げるためにと、乗馬経験のあるヴィンセントとラインハルトは馬に乗って、馬車に乗っているのは三人だけだ。と言っても、カブリオレという取り外し可能な幌を今は外しているので、普通に会話はできるのだが。
『あーあ、誰もそこに行ったことないなんて。長距離をそのまま移動するなんて、初めてだわ』
 転移魔法を使えなかったことをぼやくリリエル。
 便利でそこそこお手軽な転移魔法の唯一の欠点が、行ったことのない場所に行くことができない、ということなのだ。座標で指定する方法もあるが、正確な数値でないと生き埋めになるなんてことが発生するので、基本的には術者の中にあるその場所の記憶とそれに付随する位置情報を結び合わせて、転移先を選ぶ。
 割と王都から離れたところにゼンリル子爵領はあるらしく、違う町を転移で経由したことで距離は稼いだが、真面目に行ったら四時間はかかるらしい。
『もう十分も経ったのに着かないなんて。遅いのね、馬って』
「いや、これ普通の馬の速さじゃないっすよ!? 加速魔法かけた上に風除けまでして、しかも迂回しなくちゃいけないとこ全部空通ってくとか、何倍も速いっすからね!?」
 そう、だったら不真面目に色々してしまえばいい。
 完全ではないとはいえ元第二位精霊のリリエル、私とリコで第二位精霊の片割れが二柱、そしてもはや人間とは思えないラインハルトがいるのだ。正攻法で馬をかけるなんて無駄なことをするくらいなら、魔法でズルをしてしまおう。
 そんなこんなで、それぞれで分担しながら道を消化していっている。
「あの、もうちょい遅くしてくれませんか!? 腕もげる!!」
『無理よ。気力でどうにかしなさい、アレックス』
「えええ!?」
 そしてもう一人、この愉快な仲間達に加わったのが、今し方リリエルに適当にあしらわれたアレックス。
 私、リリエル、リコの三名は正体を明かすことができず、護衛か侍女などのフリをしようということになった時、さすがに第二王子と次期公爵が向かうのならもう一人くらい誰か連れて行かないと、という問題が浮上した。
 しかし、下手にこの事態に関わる者を増やすわけにもいかず、結果として選ばれたのが騎士見習いのアレックスだった。
 アレックスは物怖じしない性格で、ラインハルトにも懐いている。私とも面識があるし、何よりなぜかリリエルに気に入られた。
 御者席に座って必死に手綱を握っているアレックスを見て、リリエルが楽しそうに笑う。
『もうちょっと速度上げるわ。ラインハルトとヴィンセントは大丈夫?』
「ちょっと馬が疲れてる感じすんですけど、まぁ大丈夫っす」
「僕も大丈夫だ」
「オレは大丈夫じゃないです!!」
『辛抱しなさいよ。騎士になるんでしょ?』
「うぅ……」
 自分がいじれる弟分を見つけたことが嬉しいのか、リリエルはずっとアレックスに構っている。騎士になるという夢も、ついさっき聞き出していたものだ。
 器用に魔法を制御しながら会話を続けるリリエルに、リコが溜め息をついた。俯いていた彼女の視線が上がり、私と目が合う。
『…………何?』
「……大書庫でアマリリスと出会った後、アマリリスといくつかの"本"の記憶をコピーしたの。そしてその後に、お前に封じられていた記憶も取り戻したの」
『そう』
 短く返答した私に、リコがこれみよがしに大きく息を吐いた。
『何かご不満でも?』
「お前を理解できるのはわたしだけで、わたしを理解できるのもお前だけなの。もう少し協調性を持って欲しいの」
『そもそも協調性も何もないでしょ。……私とあんたは、別々に動いているだけでほぼ同一の存在なんだから』
「それは否定しないの」
 なんだかんだ言って、リコの思考はほとんどわかるし、おそらく彼女もそうなんだろう。
 自分と会話をしているようだから正直声に出す必要さえ感じないが、彼女はいくつか私以外の記憶を吸収したらしいから、音にするのは行き違いをゼロにするためだ。
「……それで、どう予想するの?」
『さすがにトップが来るとは思えないから、三公、あるいは上級悪魔がいる』
「それはアイカとわたしでギリギリ対処できるの。ついでに、ナツミはその悪魔と対峙している可能性が高いの」
『となるとララティーナ確保を、リリエル、ラインハルト、ヴィンセント、アレックス?』
「表立って追うのは難しいから、ヴィンセントとアレックスには指示を出すであろう子爵をどうにか引き止めてもらうべきなの」
『二人は身分も高いし下手なことはできないはず。そこで拘束している兵を解放するように交渉してもらう』
「その間に悪魔をわたし達が、ララティーナをリリエルとラインハルトが抑えて、確保するの。おそらく誰かがナツミと合流できるはずなの」
『だね』
 不服ではあるが、意見が完全に一致した。
 同じような思考回路と知識の蓄積を持つ私達は、基本的に同じ結論へと至る。
 だからリコと話すのは、まるで自分と話しているような若干気持ち悪い感覚になるが、考えを整理するのには最適だ。
「そういえば」
『ん?』
 リコの金の瞳の中に、とぼけた顔をする私がいる。
 そろそろ言ってくる頃合いだと思っていた。
 到着まで残り数分。着いてしまえば、必然的にこれからどう動くかという事務的な話しかしなくなる。リリエルはアレックスとのお喋りに興じているし、少し離れたところで切れてきた集中力を保ちながら馬をかけているラインハルトとヴィンセントは私達の話など気にも留めないだろう。
「お前がわたしにしたこと、許してないの」
 表情を変えないまま、リコがそう言った。
 彼女は言葉を続けようとして口を開き、しかしすぐに閉じて私の方を真っ直ぐ見つめる。
 ───でも、わたしがお前だったら同じことをしていたの。
 ───そして私があんただったら同じことを言ってたね。
 ───結局わたし達は自分を許せない。一生。
 ───だから私はあんたの罪を忘れないし、あんたも私の罪を忘れない。
 ───それがきっと、
『贖罪になるから』
 わざと言葉を口に出して言ってやると、リコが私を軽く睨んだ。
 それをわざと無視していると、少し離れたところにいたヴィンセントが声を上げる。
「そろそろ着くと思うんで、魔法解除してくれませんか?」
『りょーかい』
 全ての魔法が解除されると、さっきまで飛ぶように後ろへ流れていった景色が、ゆっくりと見えるようになる。
 舗装された道の両脇には森が広がっていて、眼前に迫るのは石でできた壁だ。私の身長ほどしかないが、獣を防ぐには十分なのだろう。
 槍を持って立っている門番からギリギリ見えない位置で、一度全員で頭を寄せて情報を確認する。
「ここがゼンリル子爵領の領都、オルパです。子爵が申告している私兵の数はちょうど百、ただし傭兵を雇っている可能性が高いっすね」
『それも考えられるけど、私は悪魔がいる可能性が高いと睨んでる。そっちは私とリコで対処するから、ララティーナ・ゼンリルの確保をリリエルとラインハルト』
『わかったわ』
「わかった」
『ヴィンセントとアレックスは、ゼンリル子爵に拘束されている兵を解放するように交渉。二人で足りそう?』
「第一王子の懐刀と呼ばれる俺に任せてもらって大丈夫っすよ。ただ、連絡をとれないのが厄介っすね……」
『あー、じゃあこれ持ってて』
 念のために持ってきていたガラスの玉を四つ取り出し、それぞれに効果を付与する。
『赤いのが攻撃用、青いのが防御用、緑のが回復用。割って使って。使ったら、私の方に通知が来るから。で、何もなしに終わったらこの黄色いやつを割って』
「了解っす」
『リリエルも』
 リリエルとラインハルトには連絡用の黄色だけ渡しておく。
 これで準備完了だろうと声をかけようとすると、リリエルが手を上げた。
『もし戦いとかになったら、建物ってどこまで壊していいの?』
 彼女の問いかけに、場に静寂が落ちる。
 あぁ、と納得の声を漏らしたのはアレックスなのだが、彼に建物を破壊するほどの術はないはずなんだけど。
 他のメンバーも、共感するような微妙な表情をしている中、笑顔でヴィンセントが告げた。
「王族の婚約者である俺の妹を貶めた女の実家なんか、全部壊していいっすよ! 一応王家への反逆や犯罪組織への加担の疑いもありますし!」
『わかったわ。じゃあ遠慮なく』
『できるだけ隠密を心がけてね?』
 アマリリスの婚約破棄のことに関して、まるで昨日のことのように憎悪を燃やすヴィンセントは、「もう心置きなく壊しちゃってください!」と小声でリリエルに囁いている。
 と言っても、私も侵入がバレたら自分の身を最優先にして魔法を使うつもりだ。それの二次被害として、このよく整備された町にいくつか雷が落ちたり竜巻がやってきたりするかもしれないが、身から出た錆ということで。
『じゃあ、まずヴィンセントとアレックスが門番に話しかけて。その隙に、私達が壁内に侵入する。ナツミは多分、私達が来たことに気付くはずだから、合流できたら一緒に行動するように』
「作戦終了の合図はなんすか?」
『大雨を降らす。結構強めに降らすから、すぐ気付くと思うよ』
 全員が首肯する。
 私はみんなの顔を見渡して、笑顔を作った。
『それじゃあ、程々に頑張ろ。作戦開始!』
 人間から姿を隠したまま、領都の中を進む。
 ヴィンセントとアレックスは警備の兵に案内されて子爵のお屋敷に、リリエルとラインハルトはそれにこっそり付いて行った。ララティーナを匿うとしたら、やはり一番考えられるのは子爵家だからだ。
 私とリコは、ナツミの痕跡を辿りながら町を歩いていた。が、身体が人形に過ぎないリコは姿を隠すことができないので、怪しまれないように時々寄り道をしている。
 フードを深く被ったリコに、すれ違った若いカップルが笑顔で花を一輪渡した。その時に彼女が着ている浴衣風のワンピースを見て珍しそうな顔をするのに、「お母さんが特別に作ってくれたの!」とリコが笑いながら告げる。随分と演技が上手い。
「……なんでこんなに食べ物をくれるのかしら。それと花も」
 二人が離れると打って変わって表情を消したリコ。
『あんたが子供に見えるからでしょ。それとも、財政的な話をしてる?』
「わたしもお前も専門家じゃないから詳しいことは言えないけど、なんだかここの人間は随分と裕福に見えるの」
『確かに』
 ボソボソと喋るリコの両腕には、さっき親切そうなおばさんから貰ったバスケットがある。その中には、今にも溢れそうなくらいの果物とクッキーなどのお菓子が入っていた。それらの上に、ちょこんと花が置かれている。
「おそらくわたしは、近くの村から観光に来た子供だと思われているはず。それにしても、優しすぎるの」
『あんたの正体に気付いているとは思えないから、普通に芋っぽい少女に気前良く食べ物を渡せるくらいにこの町の人間は裕福なんでしょうね。でもやっぱり、理由がわからない』
 会話をしながらも、ナツミの魔力の跡を探す。
 ここで魔力感知を使ったのだろう。ほんのわずかにだが、彼女の魔力が残っていた。
『方向はこっちで合ってる。……でも、こうでもしないと辿れないなんて、ナツミは一体何してるの』
「もし戦っていたら、魔法が使われて気づけるはずなの」
 そうなんだよなぁ、と口の中で呟く。というかそもそも、眷属であるナツミをすぐに見つけられない時点でかなり異常事態なのだ。
今隠密を心がけながら地道に探しているのは、ナツミを見つけると同時にララティーナを確保しようとしているからで、ララティーナと一緒にいるのであろう精霊を警戒させないため。それと、ナツミだったら絶対に持ち堪えられるという確信があるからだ。
「それでも、心配になるの」
 同じことを考えていたらしいリコがそう零した時だった。
 一瞬、瞬きよりも短いほんのわずかの間だけだったが、確かに叫び声が響いた。
 海を切り裂くような鋭くて甲高い悲鳴は、それはそれは聴き慣れた声で、私を一つの感情で染めるのに十分すぎるほどだった。
『ナツミ…!!』
 つい昨日の彼女の微笑みが脳裏を過ぎる。それと同時に、弱り切った顔で私に彼女を助けるように言ったアスクも。
 リコの腕を掴み地面を蹴った。バスケットが落ちた音が後ろでする。
「お前、落ち着くの!」
『怒るのは私担当、で冷静に判断するのがあんたでいいでしょ!』
 リコを横抱きにして、薄暗い路地に足を踏み入れた。
「意外と落ち着いているの。……そこを右。これを飛び越えて、次は左」
 リコのナビに従って裏路地を抜けると、住宅街らしきところに出る。
 いくつもの屋敷が立ち並ぶそこに、人通りはない。閑静な住宅街と言うべきそこに、一つだけ禍々しい気配があった。
『……丸々一個の屋敷を囲うなんて』
 青い屋根のその屋敷は、一見どこにでもある普通の家だ。しかし、そこから滲み出るドロドロとした魔力が、その異常性を物語っている。
 普通の魔法攻撃や物理攻撃だけでなく通信などを含め、全ての魔力を遮断しているのだろう。
 唯一感じられるのは、その遮断のための障壁から漏れ出るかすかでありながらも、禍々しい魔力だけ。
『……行くよ、リコ』
 立ち止まっている時間なんて無い。
 もう誰も死なせなくないんだ。
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