【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

70話: リコとアマリリス

「…………ねぇ、"感情の精霊"っていう存在に心当たりはない?」

 低い声で告げられたリコの問いかけ。
 無音の部屋の壁に反響してやけに残るが、残念ながら私の記憶の中に"感情の精霊"なんて方はいない。それは、私と記憶を共有しているリコも知っているはずなのに、なぜ聞いたのかしら。

「……ない、わね」

「本当に?」

「えぇ。その方って高位精霊?」

 私の問いかけに、リコは少し驚いたような表情を見せた後、小さく「気の所為だったら嬉しいの」と呟いた。

「リコ、どういうこと?」

「気にしてくていいの。こういうのは、わたしやアイカに任せるの」

 胸を張るリコに、思わず笑みが溢れる。

 リコは、私と同じ記憶を共有している───つまり私と同い年、いやそれ以上とはいえ、見た目は完全に幼い少女。あどけない表情と喋り方も相まって、子供としか思えない。
 けれど、彼女の持つ知識と頭脳は本物だ。

「頼もしいわね。……でも、リコはここから出れないんじゃなかったかしら?」

「そうなの……。アイカを説得しないと……」

 表情を暗くする少女に、彼女が本を読んだ───と言っていいのかはわからないけれど───ことで複数の人生を辿ったとわかっていても、思わず心が痛くなる。

 目を伏せるリコを見つめた。
 その境遇を可哀想だと心は思うのだが、つい整った顔立ちに目が行ってしまう。

 彼女は中性的な女の子で、赤みがかった焦げ茶色の髪をひとまとめにしている。せっかくだから、ちゃんと結んだら可愛いのに。
 黒いワンピースは青白い肌をより目立たせて、不健康そうな印象を与える。

 この空間にずっといるのならいいけれど、いずれここを出るのであったら、ある程度容姿に気を配ってもいいだろう。

「……リコ、髪結んでもいい?」

 そんな言葉が私の口をついで出たのは、陰鬱な表情のリコを励ますため、あるいは混乱している自分自身を宥めるためか。
 自分でもよくわからないまま、彼女に笑いかける。

「え、いきなりなの」

「いい? ……ちょっと暇だし」

 この空っぽな部屋には何もない。
 今まで、毎日魔法学校で勉学や茶会に精を出していた身としては、手を動かさないと落ち着かないのだ。

「暇なんて言わないで欲しいの。わたしはすごく頭を使ってるのよ」

「だったら私が髪を結んでいてもいいじゃない」

「うぅ……。仕方ないのよ。やればいいの」

 やった、と思わずぐっと手を握る。
 私は自分が座っていた席を立ち上がると、リコの後ろに回った。

 確か、この空間では自分の想像通りのものを創り出すことができたはずだ。

「……よし」

 自分が愛用している櫛を思い浮かべると、小さな光の粒子が集まって形を作った。
 しっくりくる感触を手の中で軽く転がして、いざ、リコの髪に櫛を通す。

「っ、これは」

 人の髪を梳かした経験は、弟二人に対してしかない。レオナールは短めに切っているし、シルヴァンも耳くらいまでしかないので、長い髪は自分のものを除けば初めてだ。

 ところどころ引っかかり、思うように手が進まない。というか、髪が抜けたり、ブチッと音が鳴った時の罪悪感がすごい。

「ご、ごめん、リコ。痛いわよね」

「……ん、大丈夫なの。考え事してるから」

 どこか上の空で答えたリコに、彼女が思ったよりも痛がっていないことに安堵して、再び手を動かす。


 普通の貴族の令嬢───それも公爵家であれば、自分で髪と梳かしたり結んだりすることはない。それなのに私がそれをやったことがあるのは、お母様が武家の出身だからだ。

 武人たるもの、己の支度は己でやるべし。

 貴族とはいえ、貴重な人材を自らの支度のためだけに使うのは許されない行為である、というのが大まかな考え方。同時に間諜の存在も警戒しているのでは、と私は推測していた。
 確かに戦時中であれば、侍女を近くに置くのは無駄と成り得る。その侍女が別のことをする時間を、私が己の支度をするだけで生み出せるのだ。効率化を好むウィンドール王国の武家として、と当然の心構えなのだろう。

 さすがに日常からそれをやらされることはなかったが、着替えから料理、洗濯や野営などは一通り自分でできるようには訓練されている。備えあれば憂い無し、というやつだ。
 その練習で、エミーの髪を練習として結ばせてもらうこともあった。

どうしても、ポニーテールは上手くできない。自分のならできるのだが、他人のだと感覚が狂うのだ。
 さてどうしようと、リコの髪に櫛を通しながら考える。

「……」

「……」

 この白い空間には静寂が落ちていた。

 久方の静けさに、不思議と心が落ち着く。
 思えば魔法学校に入学した頃から……いや、第三王子と出会ったその瞬間から、私の周りには音が満ちていた気がする。

 黒持ちが王家に入るなんて、という誹謗中傷だったり。
 公爵令嬢なのに少ない魔力だ、という嘲りだったり。
 婚約者を奪われているなんて、という哀れみだったり。

 たくさんの声があって、それにたくさん傷付いてきた。


 ……あぁそうか。私は、辛かったんだ。
 好きな人に振り向いてもらえなくて、友達ができなくて、学校が楽しくなくて、社交界を華やかに感じれなくて、他の人と同じように扱ってもらえなくて。

 こんな風に自分の内面を見るのも、随分久しぶりだ。

「……三つ編みにしようかな」

 ふと思いついて、声に出してみる。
 リコは思考に沈んでいて気が付かなかったようだが、音にするとそれがいい気がしてくる。

 うん、三つ編みにしよう。

 十分梳かしたリコの髪を三つに分けて、一つを手に取る。
 手から逃れそうになるそれを掴んで、別の房の上へと持っていく。
 それをもう片方の手で掴んで、空いた手で別の房を掴む。上手く掴めて、今度はさっきよりも早く編むことができた。

 それを何度も繰り返して、一つの大きな房にする。

「……終わったぁ」

 最後にやったのが、もう六、七年ほど前だから、上手く行って良かった。
 胸を撫で下ろしていると、リコが唐突に振り返る。

「アマリリス、ちょっと座って欲しいの。……って、結ばれてる」

「どう? 下手ではないと思うけど……」

 リコは鏡を創り出すと、浮かんだそれを覗き込んだ。

「……可愛いの」

 小さく告げられたそれに、嬉しさがせり上がってくる。

「ほんと!? 良かったぁ」

「コホンッ! それより、話したいことがあるの。そこに座って」

「わかったわ」

 大人しく彼女の対面に座ると、リコは紅茶の入ったカップを二つを創り出して、片方を私に差し出す。その所作が綺麗なのは、私と同じマナー講座の記憶を持っているからなのかなぁ、などと思った。
 一口飲んでソーサーにカップを戻すと、リコが息を吸った音がする。

「お前と取り巻く状況に関する推論があるの」

 そう切り出したリコは、真っ直ぐに私を見つめた。

 うん、三つ編みは良い感じだ。

「お前の感情は、操作されていたの」

「……私の感情?」

 そろそろ思考の休憩も終わりかな、なんて考えながら、頭を切り替える。

「そう。お前のサーストン・ウィンドールに対する好意、そしてそこから派生する他人への不信感とララティーナ・ゼンリルへの憎悪。それらは全部、お前のものではないの」

 リコの言葉が耳に入ってくるが、意味はいまいち理解できない。必死に捉えようとするが、片方の耳からもう片方へとすり抜けていってしまう。

 彼女が言っているのは、今まで私の日常を占めていた感情がほとんど偽物だった、ということだ。あまりにも突拍子もなくて、戸惑いばかりが湧いている。

「すぐに飲み込めないのも無理はないの。アイカでさえも気付けていなかったのだから。……ただ、アイカもそろそろ勘付くはずなの。味方であるはずの精霊が、暗躍して自分を貶めようとしていることに」

「……どう、いうこと?」

「全部妄想に近いこじつけだから、詳細は省くけれど……簡単に言えば、お前の人生はあまりにも作為的過ぎるの」

 作為的、と口の中で呟く。

「お前の人生を簡単におさらいするの。───父親はウェッズル・クリスト、母親はフローレス・クリスト。十六年前、二人の間に生まれた。初めて登城したのは八歳の時で、屋敷に帰った後に高熱を出して寝込んだ。十一歳の時にサーストン・ウィンドールとの婚約が発表され、その翌年から四年間、魔法学校に在籍していたの」

「そうね」

「初めて出会った時のお茶会のことは、しばらく寝込んでしまったせいで忘れてしまったけれど、二度目に会った時にサーストン・ウィンドールに一目惚れした。……おかしいとは思わないの?」

「え……」

 突然の問いかけに固まってしまう。

 第三王子に一目惚れしたことが、おかしくはないか。
 言われてみれば、どうして彼を魅力的に感じたのかは思い出せない。が、恋なんてそんなものだろうし、何より私は幼かった。

「……おかしくは、ないと思うけれど」

「わたしはおかしいと思うの。茶会の時や顔合わせの時、サーストン・ウィンドールは特別お前に何かしたわけではない。むしろ素っ気ない態度だったの。しかも、お前の兄はかなりの美丈夫で、親戚も美男美女揃い。今更、王族に容姿だけで靡くなんて思えないのよ」

「そう?」

「それに、お前のサーストン・ウィンドールに対する"愛"は過剰過ぎたの。……何をやるにも、『サーストン様は気に入ってくれるかしら』。家族やメイドに苦言を呈されていたのを忘れたの?」

「……そういえば」

 最近の出来事が濃すぎてすっかり忘れていた。

 ちょっと前までの私は、何をするにも第三王子のことを考えていたのだ。
 新しいアクセサリー、夕食のメニュー、髪型のアレンジ、学校での講義、見に行く演劇。果ては声量やちょっとした仕草、眠る時にいくつクッションを置くかまで。

 改めて考えるとぞっとするくらい、病的なまでに第三王子のことを気にしていた。

「……確かに、ちょっとおかしいわね」

「ちょっとじゃないけど、まぁいいの。……それでお前がおかしくなったのはいつからか、覚えてるの?」

「うーん……」

 第三王子のことを気にするようになった時期を思い出そうとする。

 少なくとも、婚約がお披露目された十一歳の時には、そうなっていた。が、その前となると、記憶が曖昧だ。

「どうせ思い出せないと思っていたの」

「リコ、それはひどくないかしら」

 やれやれと溜め息をつくリコは、ピンと人差し指を立てた。

「八歳の時なの。お前が二度目に王城へ行った時。サーストン・ウィンドールとの顔合わせも兼ねていたの。覚えてる?」

「……うっすらとは」

 行く前は散々駄々をこねていたが、帰ってきた時にはすごく機嫌が良かった気がする。
 その理由は、どうしても思い出すことができない。

「お前はあの時、おそらく感情の精霊、あるいはそれに連なる精霊に、呪いまじないをかけられたの」

「……まじない?」

「そう。お前を、サーストン・ウィンドールが好きで好きで堪らなくする、おそろしい呪い。そして多分、サーストン・ウィンドールの方は逆の呪いがかけられたの。───お前が嫌いで嫌いで堪らなくなる、それこそ悪魔のような呪いが」

 ゾッと肌が泡立った。

 人の感情を操作して、相反する思いをお互いに抱かせる───

「…………なんで」

 どうにか発せたのは、そんな短い言葉だった。

「さぁ。真意はわからないの。……ただ、それが悪魔陣営のためだということは、想像に難くないのよ」

 また悪魔だ。

 誰かの志を、勇気を、想いを踏みにじるなんて。

 怒りとやるせなさが入り交じり、心の中で渦を巻きながら騒ぎ出す。
 それを押し殺しながら、ふと思った。

 ───この感情でさえ操作されていないと、どうやって言える?

「……何を考えているか、想像がつくの。この感情は本物なのか、でしょ?」

 ズバリ言い当ててきたリコは、口角を上げて挑発的な笑みを浮かべる。

「安心するの。わたしの中のお前も、同じことを考えていたから。……それより、アマリリス。今まで操られてきたお前には気の毒だけど、これは好機なの。お前に呪いをかけた精霊は、今もお前が操られていると思っている───というか、それを願っているはずなの」

「なんで? 私が自殺しようとしたことも、ラインハルトと婚約したことも、知っていると思うのだけれど……」

「思い出すの。お前がラインハルト・ウィンドールを好きだと、どこかで言ったことがあるの? サーストン・ウィンドールが嫌いだと、公言したことがあるの?」

 リコの問いかけに、自分の行動を思い返してみる。

 ラインハルトのことを好いていると解釈できる行動をしたことはある。だがそれは、言い方は悪いけれど、婚約者としておかしくない最低限度の行動をした、ともとれるようなものばかりだ。彼から送られてきたブレスレットをつけたり、戦っている彼を励まそうとしたり。

「正直、ラインハルト・ウィンドールに関しては、いくらでも理由づけすることは可能なの。大好きな彼との唯一の繋がりが第二王子との婚約だとかなんとか。だって、お前がサーストン・ウィンドールのことを狂気的なまでに愛していたのは有名な話なの」

「……否定はしないわ。今となれば理由は明らかだけど」

 そんな第三王子と一番最後に接触したのは、アイカと一緒に王城での会議に出席した時だ。王城の庭を歩いてガゼボへ向かっている時に、彼に剣を向けられた。
 あの時の私は、疲労と緊張のせいで気を失ってしまい、アイカが私の身体を動かしてくれていたはずだ。

「……あの時の私って、確かに気絶こそしたけれど、嫌いとは言ってないわね。それに、あの場には親しい人達しかいなかったし」

「そう。感情がぐちゃぐちゃになった故のこと、とでも思わせればいいの。……お前が目覚めたら、サーストン・ウィンドールに接触するべきだと思う。彼は何かを知っているの」

「……」

 正直、自分に刃を向けた彼が怖くないと言ったら嘘になる。
 同い年とはいえ、体格も彼の方がいいし、取っ組み合いになれば絶対に勝てない。魔法の腕前も、今の私が全属性を操れるとはいえ、実戦経験では遥かに劣る。そんな相手に、自分に"死"を要求した彼と言葉を交わすことを想像するだけで、足が震えてしまう。

「……ごめんなの。お前が彼を恐れるのは当たり前。わたしの考えが足りなかったの」

 私がすぐに返答をしなかったからか、ハッとした表情を浮かべた後に、リコがゆっくりと頭を下げた。

「お前の心情を考えてなかったの。……本当に、ごめんな───」

「リコ。私、やる」

 彼女の謝罪を遮って、私は声を出す。
 しっかりとした声だろうか。私が決意をしたことは、伝わっているだろうか。

 同じ記憶を持つ彼女には、これが半分強がりだってことはバレているかもしれないけれど。

「何でもやるわ。そう決めたの。自分の目的のためなら、多少震えてしまうのも、傷つくのも許容できるわ。───私はなんでもやる。ラインハルトのため、家の皆のため、国のため……そして、あなたのために」

「っ、アマリリス……」

 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと自分の決断を言葉にしていく。

「第三王子のことは……正直、まだ怖いわ。だって、殺されかけたのよ?」

 おどけるようにそう言うと、リコは静かに頷いた。

「……うん」

「でもそれ以上に、私は怒ってるの。ラインハルトを傷つけた人とか、リコを閉じ込めたアイカとか、それをアイカにさせた原因を作った人とか、私を操っていた精霊とか。まだいるわ。黒持ちだと私を嗤った人、公爵令嬢のくせにって馬鹿にしてきた人、生徒会の仕事を押し付けてきた"攻略対象者"……」

 あとはやはり、あのハニーピンクの髪を持つ、あのご令嬢。
 これはおそらく、アイカのニホンでの記憶にある"アメジストレイン"の世界ではない。けれど、自分を奮い立たせるために、あの肩書きを使わせてもらおう。

「そして、私に恥をかかせたララティーナ・ゼンリル。"悪役令嬢"としては、私から婚約者を奪った"ヒロイン"に復讐をしなくてはいけないと思うのだけれど……。リコはどう思う?」

 顎をつんと上げて、創った扇子で口元を隠す。
 わずかに目元に力を入れれば、つり目も相まって、自らを貶める悲劇の令嬢を執拗に追い詰める、悪役顔の出来上がりだ。

 こうやって演じてでもいないと、今すぐにでも逃げ出してなくなってしまうことを、リコはきっと気がついているのだろう。けれど彼女は、呆気にとられたようにポカンとした後、すぐに笑いをこぼす。

「……ふふっ、アマリリスは正しいの」

「でしょう? だってわたくし、クリスト公爵家の娘でしてよ?」

「だったらわたしは、そんなお前の助言者になるの。───お前の気に入らないやつら、全員ぶっ飛ばすつもりでやるの」

 ぐっと拳を出してくるリコに、私は笑い声を上げながら、自分の拳をぶつけた。

「頼もしいわ、リコ」

「わたしを信頼して、アマリリス。やってやるの」

「えぇ。───私を怒らせたこと、後悔させてやるわ」

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