【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

69話: ラインハルトの仮説

「座ってくれ」

 いつかも来たラインハルトの部屋は、前回と違って誰もいないからか、わずかに寂しい印象を与えた。
 適当にソファに腰を下ろし、そこら辺のクッションを抱き寄せる。ぐっと力を込めると、柔らかい弾力が返ってきた。

『……』

「何か飲むか?」

『いや、要らないかな』

「そうか」

 どんなふうに距離を取ればいいかわからず、若干会話にぎこちなさを感じるが、ラインハルトはそうでもないらしい。
 マイペースに自分の分の紅茶を淹れると、私が座っている対面に腰を下ろした。
 要らないと言ったのに私の分の紅茶もいつの間にか淹れていたらしく、それを私の前にスライドしてくる。
 揺れる湯気が空気に溶けていくのと同時に、ふわっと茶葉の香りが立ち上がった。

『何を話したいんだっけ?』

「予想してるんだろ」

 素っ気なく言い放つラインハルトは、私に軽く視線をやると、紅茶に口をつける。カップを持ち上げる時も飲む時も一切音がしないことに、そういえば王子だったな、と思い出した。
 そんな彼は、足を組むと「さて」と話し出す。

「……気付いてるとは思うが、前世の記憶を取り戻した」

『っ!? ケホッ、コホッ……。えっ!?』

 いきなり言います、普通!?

 そんな抗議の意を込めて軽く睨むが、ラインハルトは涼しい顔で話を続ける。
 まぁ、予想はしていたのだけれど。だとしても、ちょっと話を遠回りしてお互い心の準備をする時間とか、普通取るのに。

「悪魔の呪いで、意識が戻らなかった時だ。……精霊界の大地の城、あそこでハルトナイツと話した」

『……』

「ハルトナイツが言うには、僕の中にある記憶から自分の姿を作り出していたらしい。彼と会話した後、記憶が融合して今の状態になった」

『……あんまり変わってなさそうだけど?』

「元々薄っすら感じていたし、ハルトナイツが気を利かせてくれていたから、あまり混乱しなかったんだ」

『なるほどね……』

 目の前の青年を見やる。
 黒髪に橙色の瞳を持つ彼に、一瞬蓬色の髪を思い浮かべた。

『……あんまり似てない、よね?』

 性格も話し方も、似ていないとは言い切れないが、はっきり別人だ。紅茶を淹れるのが上手い、という共通点はあるけれど、他に似ているところはぱっと思いつかない。

「さぁ。自分ではよくわからない。───だが、アマリリスも兄上も、あまり似てないだろ」

 その言葉に、本当に彼の記憶が戻ったのだと確信した。

『気付いてた……よね。ハルトナイツに感知できない魔法はなかったもん』

「……アイカ」

 低く真剣な声で、ラインハルトが切り出す。

「アマリリスに何をやったんだ。……自分自身に、何をしたんだ」

『……どういうこと?』

 その言葉は、誤魔化しなどではない本心から出てきたものだった。本当に、彼の問いかけの意味がわからない。

 アマリリスに何をしたんだ、であれば、まだ一応わかる。
 でも、自分自身って。

「誤魔化すな」

『誤魔化すな、と言われましても……』

「僕をではない。自分をだ、アイカ」

 そう言われて、不意に頭の奥がズキリと痛んだ。
 顔を歪めそうになるのを抑えて、とりあえず言葉を発する。

『自分を誤魔化すって……。自己催眠ってこと?』

「違う。お前自身が一番わかってるだろ」

 わからない、と答えようとするが、何かが詰まったように声が出ない。

「自分に嘘をついていないと、胸を張って言えるのか?」

『言、え……』

「ない、だろ。さすがにわかる。仮にも三百年ほど一緒に生活してたんだ」

 彼が言い終わったかというタイミングで、一瞬音が消えた。
 驚く暇もなくすぐに鼓膜を叩く振動は戻ってきたが、今度は頭蓋骨の中をズキリと痛みが走る。

『……ぐっ』

 奥歯を噛んで痛みを堪らえようとするが、ガンガンと何度も殴られているかのように頭痛は増していく。

「アマリリスと似た発作……。お前、アマリリスにやったことを自分にしたのか」

『……わかん、ない』

 なんだっけ。
 すごく大事なことを、ずっと忘れていた気がする。

『ちょっと、待って』

 思わずそう口にしたのはいいが、一体この言葉は誰に向けたものなのか、自分でもわからない。

「あぁ、待つぞ」

 ラインハルトに断って、記憶を探っていく。


 一番古い記憶を思い出そうとする。

 アマリリスの婚約破棄。最近だ。
 初めてアマリリスを見た時。いや、まだ昔がある。
 ウィンドール王国に潜入した時。違う、もっと昔だ。

 もっと昔の、古い記憶。

 ヴェルスとの会話。違う。
 パルエラとの出会い。違う。
 アスクと手合わせをした時。違う。

 まだヴェルスに"天候"と呼ばれていた頃?

『違う、もっと……』

 必死に自分の軌跡を遡っていく。

 前の対悪魔戦。
 じゃあもう一つ前の対悪魔戦は?

 そこまで思考が辿り着いた瞬間、一気に映像がフラッシュバックしてくる。

『……っ』

 あまりの情報量に、視界がチカチカしてきた。
 目を閉じて歯を食いしばり、少しずつ記憶を消化していく。

『……』

 数分経っただろうか。

 息をゆっくり吐くと、ラインハルトが声をかけてきた。

「終わったか」

『あぁ。……全く、自分が滑稽に思えてならない』

 自らでかけた暗示に嵌り、更に忘れようとした記憶に翻弄されていたなんて。

「だったら教えてくれ。記憶の精霊だったお前が天災を司っていること、かつて"天候"だったあの権威が天災になっていること、後は今精霊界で何が起きているかや、対悪魔戦がどうなっているか」

『一気に言いすぎだ。……順番に話していく』

 一息ついて、紅茶に口をつける。

『まず、なぜ私が天災を司っているかについてだ。ラインハルト……ラインハルトと呼んでいいのか?』

「あぁ。前世を思い出したとはいえ、僕は僕だ。普通にラインハルトでいい」

『わかった。……それでラインハルト、権威の受け継ぎ方が二種類あるのは知ってるだろう?』

「指名するか自然に任せるか、だよな」

『そう』

 高位精霊は、自分が死ぬ前に後継者を選んだ場合、その精霊に己の権威を継承させることができる。それをしない場合は、まだ権威を持っていない精霊、あるいはその下位存在を司る精霊がランダムで権威を受け継ぐ。

「……ということは、リリエルはお前に権威を受け継がせたのか? ハルトナイツが死んだ後に」

『自分が先に死んだことは知ってるんだ』

「あけすけに人の死に際の話をしないでくれ。……ハルトナイツが死んだ時、リリエルはまだ生きていた。それだけだ」

『なるほど』

 あの時、ハルトナイツは呪公の凶悪な呪いに侵されいたはずだが、それでも遠くにいた彼女の生死を感じることができたいたということか。
 その魔力感知は流石だ、としか言いようがない。

『君も知っている通り、私は記憶の権威を司っている。それは今もだ』

「権威が重複している? そんなことが可能なのか」

『どうやら可能だったらしい。リリエルの前世が私ということも、その原因の一つらしいが』

「……はぁ。未だに脳が処理しきれていない。お前がリリエルの前世で、リリエルがアマリリスの前世だということが」

『私自身もよくわかっていないよ。ただそれが事実というだけだ』

「……まぁいい。記憶の精霊だということを隠していたのは?」

『あの対悪魔戦で、かなり精神的に参ってしまっていてね。どうやら、全部忘れようとしたために自分の司るものさえ忘れてしまったようだ』

「そうか」

 短く呟いたラインハルトは、カップを手に取る。
 揺れる水面でも見ていたのだろうか。その姿勢のまま数秒止まっていた彼は、紅茶を一口飲んで私に続きを促した。

「次だ。なぜ天候の権威が天災に変化している」

『これは全面的に私のせいだ。……そもそも天候の権威は、二面性を持っている。恵みと災害、そのどちらも併せ持った権威だ。元々リリエルが保有していた時は、彼女自身の人柄もあって恵みとしての性質が強かったのだが、実は君達二人が死んで私に"天候"の権威が引き継がれた後、再び大規模な戦闘があった。その時に少々取り乱してしまって……そこから、天災に変わったわけだ』

「詳しく」

『……言いたくないのだが』

 あえて苦々しい表情で告げても、ラインハルトはぴくりともしない。

「お前が言わなくても、ヴェルスやアスクに聞けばわかる話だ」

『私が彼らに口止めしている可能性がある』

「それを今言うということは、してないんだろ」

 元々ふてぶてしいとは思っていたが、ハルトナイツの記憶を取り戻したところで勘の鋭さも増したようだ。

「言わないなら、お前が昔やらかした諸々を……」

『わかった、言う、言うから』

 何を言われるかわかったものではなく、思わず勢い込んでそう告げた。

 言ってしまってから後悔する。
 完全にやられた。

 一度溜め息をついて、紅茶を飲む。冷めてしまっているが、口に含むと香りが広がった。
 その爽やかさがすっと通っていくのを感じながら、頭の中を整理して言葉を紡いでいく。

『…………あの第四次対悪魔戦は、ひどいものだった。二人が死んだ後、それは急に加速していった。かつてないほどの死傷者で、前線に出ない精霊王までが戦闘に参加するほどに』

「それは……」

『あぁ。そこには、もちろん……ユークライも参加した。そして、命を落とした。だから荒れた。それだけ』

 自分の予想よりも幾分か低い声に、我ながら笑いそうになってしまう。昔の出来事を、未だに引きずっているとは。

「……殺したのは誰だ」

『闇公との一騎打ちで、ってことにはなってるけど……多分、魔王が絡んでる』

「悪魔の長が? そこまで執着していたのか」

『……彼が狙われたのは私のせいだ。彼が私の伴侶だったから、"彼女"は彼を殺害した』

 できるだけ何でもないように告げる。かすかに声が震えた。
 思い出すだけで悔しさと自責の念でおかしくなりそうなのを、あの記憶を知識にする・・・・・・・・・・ことでどうにか抑える。

 そういえば、"これ"のやり過ぎでさっきまでの記憶を失った歪な状態になってしまっていたのだったのに、再び同じことを繰り返すなんて。自分の学習能力の低さに失笑してしまう。


 ラインハルトは私の言葉を嚥下するようにしばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。

「それで、今精霊界では何が起こっている? 対悪魔戦の用意は進んでいるのか?」

『慰めの一つもないのか』

「僕が何を言ったってお前には響かないだろ。……それで?」

『そう、だな。……ちょうど今日、精霊の全体会議があった。そこで、簡単にだが戦略の説明をした感じだ』

「精霊界の情勢は? あの時のように、悪魔と和解しようと言い出している連中はいるのか?」

『……なんでわかった』

「え。……適当に言っただけなんだが」

 恐ろしいほど勘が鋭い。
 なんだってわかるんだ、と溜め息をつきたくなる。自分の頭痛の種を適当で言い当てられるのは、なんというか少し癪だ。

『……一部のまだ若い精霊は悪魔と対峙した経験がないから、譲歩をすれば戦いを避けられると思ったらしくてね。感情を操作されていたことがわかったのだが……あぁ、先にこの話をすべきだったか』

 ラインハルトには言ったものと思って、裏切り者の"色情"のことを説明するのを忘れていた。
 湧き上がる怒りを、また記憶を知識にすることでやり過ごす。

 できるだけ手短に"色情"のことを話すと、ラインハルトは席を立ってティーポットを持って来た。その間ずっと無言だったから、考え事でもしていたのだろうか。
 椅子に腰を下ろした彼は、相変わらず何も言わないまま私の分のお茶も淹れてくれる。

「……突拍子もないが」

 突然口を開いたラインハルトは、一対の橙色の目を真っ直ぐ私に向ける。
 それを覗き込むと、真剣な光が宿っていた。

「アイカは不思議に思ったことはないか? あの婚約破棄の前後でのアマリリスの変化を」

『倒置法……。まぁ思ったことはあるけれど』

「仮説が一つある」

 ラインハルトは手を組んで机の上に置くと、かすかに眉を顰めながら話し出す。

「アマリリスの中にある"サーストンへの好意"、あるいは"サーストンへの依存性"。そういったものが増幅されていて、彼女はサーストンに執着していたとする。それは、一種の呪いまじないのようなものだろう。が、あの婚約破棄の際にお前が彼女の身体に入ったことで、その効果が消えた。……有り得ないか?」

『……有り得る』

「その呪い、かけたと考えられるのは、やはり感情の精霊、あるいはその配下だろう。まず、感情を司るミュービがそのようなことをするはずはないし、彼女がそれをすることで利益を享受できるとは───」

『ミュービは、死んだよ』

 遮る形になってしまったが、それを告げた。

 彼女の死の瞬間を思い出し、反射的にそれを知識に昇華する。友が死ぬ間際なんて、忘れてしまいたい。
 自分から言っておいて、だが。
 ラインハルトもショックを受けたようにしている。私だって、今でも彼女が朗らかに笑う様子を鮮明に思い出せるから、彼女のことを可能な限り思い出さないようにしているのだ。


 いつの間にか、暗くて重たい沈黙が落ちていた。

「……そうか」

 小さくポツリと呟いたラインハルトの表情は、前髪に隠されて見えない。

 彼はしばらく俯いていたが、やがて視線を上げる。
 その目には、強い意志の灯火が宿っていた。

「今代の感情は、私欲のためにアマリリスを操ると思うか?」

『……思わないかな』

 そんな器用なことができるはずないし、アマリリスとの関わりもない。

「だとしたら、やはりアマリリスを操っていたのは、その裏切り者だという色情の可能性が高いと思う」

『……理解はできた。でも、どうやって? 色情がアマリリスに接触してたら気付くよ』

「これは、仮説にもならない空想のようなものだが……色情の精霊の加護を受けた者なら、他人の感情を多少は操作できるはずだ。愛し子であれば、尚更」

『あ……』

 盲点を突かれて、思わず呻くような声が漏れる。

 高位精霊が加護を与えるというのは、その人間を守護するために自らの力、つまり権威の一部を使わせる、ということだ。
 どれくらい使わせるかは、精霊の方で上限を決められる。基本的には、ほんのちょっと精霊の真似事ができるに留めるが、やろうと思えば自分と同等の能力を持たせることも可能だ。

『……どうして、そこまでして』

「それはわからない。だが、過去にアマリリスに接触してその直後に消えた人物がいたとしたら」

『相当怪しいね』

 ラインハルトの言葉を引き継いで、溜め息をつく。

 アマリリスは今、十六歳。いつかけられたかはわからないが、あの第三王子と出会った八年前の茶会前後が一番怪しいだろう。

『ウェッズルとフローレス、あとヴィンセントにも聞いて時期を絞り込むか……』

 公爵家の彼らに聞けば、ある程度の情報は集まるはずだ。ただ、きっと時間がかかってしまう。
 対悪魔戦の準備とも並行して行わなくてはいけないだろうから、かなり面倒になる。両方に私が顔を出すのは難しいから、誰かに手伝ってもらう必要も…… 

「それには及ばない。実はヴィンセント殿には、事情を話してある」

『あぁ、うん。……うん?』

 今この王子、さらっと何て言った?

『事情を、話してあるって……』

「ああ、話してある。何か?」

『……えっと、どこまで話したの?』

「僕とアマリリスの前世が精霊だということ、お前がかなり昔から生きている特殊な精霊だということ、あとは対悪魔戦という戦いをしていること、それだけだな」

『いや、ほぼ全部じゃん』

「そうか?」

『そうだよ。……多分』

 尻すぼむ私の言葉を聞いた後、ラインハルトは立ち上がる。その横顔は線が細いというのに、凛々しくて力強く、頼もしいものだった。

「ともかく、仮説に基づいた調査をヴィンセント殿にはやってもらっている。直に結果も出るだろう。───そこからが見せ所だぞ、軍師殿」

『……その呼び名はやめてね、本当に』

 面倒なことになったと思いながらも、ラインハルトがハルトナイツの記憶を取り戻したことを嬉しく感じでいるのも事実で、それを誤魔化すために席を蹴るように立った。

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