【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

46話: 馬車の中の三人

『はぁ……』

 カタカタカタと規則的で軽やかな音に時折馬の嘶きが混じる中、ものすごく精神的に疲弊した私はふかふかの馬車のソファに身体を預けていた。目の前に並んで座っているユークライとヴィンセントも、ちゃんと座ってこそいるけれど身体の力を抜いている。もう力を入れる気力もないからだ。
 いくら体重をかけてくれてもちゃんと支えてくれる安心感と包み込んでくれる温かさがあるのは、流石王族と公爵令息が使うだけあって、かなり心地よい。しかしその心地良さも、心持ちによって随分と減ってしまっていた。

「大丈夫っすか、アイカさん?」

『大丈夫じゃないかな……ちゃんと座る気力もないよ』

「まぁ、かなり体力と精神力を使ったからね……」

 どこか疲労感を滲ませながら、ユークライが苦笑する。
 それに言葉を返すことさえも億劫で、私は深く息を吐いた。


 私達がここまで疲れているのは、あの戦いとその後の私やラインハルト、エーメとラルド───戦いが終わった後、すぐに二人に戻ってしまった───に対する説教があったからだけではない。
 ろくな休憩をとらず、すぐに馬車に乗って王城へ向かっているからでもない。

 予想していたとはいえ、全く好転する鍵が見つからなかった今回の事件に、私達は徒労感を覚えるしかなかったのだ。
 その現実を突きつけられても元気でいられるほど、私は無責任でもないし能天気でもない。楽観主義者よりは悲観主義者に近く、常に最悪を考える癖が付いている。まぁそれでも、ショックを受ける時は受けるのだけれど。

 きっとはたから見れば、私はひどく滑稽だろう。
 笑ったり怒ったり悔しがったりと感情が揺れ動き、乱暴に言葉をぶつけたり馬鹿丁寧な話し方をしたりと自分を変化させ、冷徹であろうとしながらも自身の感情に振り回されている。

 本当にアホらしい。喜劇の主人公にでもなったのだろうか、私は。
 でも、合っているかもしれない。物語を悲劇だと勘違いしている、愚かな主人公。それは笑い話だというのに、必死に足掻いて藻掻いて全てを失う、敗者。

「……アイカ、どうかした?表情が険しいけど」

『あ、ごめん。平気だよ。ちょっと、今日のことを考えてただけ』

「そう。……そうか」

 不思議と、そう口に出すと頭が自然とさっきまでの出来事を考え始める。


 とりあえず、一番強く感じるのは後悔だ。

 今回の一連の出来事───便宜上、グースト事件と呼んでいるのだが、今日一日で起きたことは、いずれも違う意味で私達に衝撃と憂鬱さを与えた。

 まずは、アマリリスを完全に回復させられなかったことだ。そもそもの目的であるこれを達成できなかったのはかなり辛い。それに、物凄く悔しくて申し訳なくもある。ウェッズルとフローレスに顔向けができない。
 アマリリスの身体に入ってみてわかったのは、彼女が目覚めないのは肉体ではなく霊体に原因があること、つまり私達には手の施しようがないということだ。
 アマリリスに関して今私達ができるのは、いつ目覚めてもいいように安全を保つことしかない。
 そのことが、すごくもどかしいし、忸怩たる思いだ。あそこまで助けられると言い切ったのに、結局何も出来ていない。

『……っ』

 拳をきつく握りしめそうになるのを抑えて、奥歯をぐっと噛む。

 あいつら・・・・が……悪魔の姿を見てから、少し平静さを失っているみたいだ。
 深く息を吸って、ゆっくりと吐く。その空気の流れだけに集中すると、ほんの少しだけだが気分が落ち着いた気がした。

 悪魔が出てきたということは、先日の王城の襲撃に悪魔が関与していたと言っているようなもの。さらに言えば、攻略対象者達───この国の第三王子サーストン・ウィンドール、魔法師団長であるヴィー伯爵を父に持つジェイ・ヴィー、ラインハルトの従者であるライルの弟のケイル・ジークス───が悪魔と何かしらの関係があること、そしてその仲間であろうララティーナ・ゼンリルもそうだろう、ということが予想される。
 それはつまり、この国の中枢に近いところに悪魔がいるということだ。
 正直、私にとって大切なのはアマリリスとユークライ、そしてその周りの人間だけだから、この国が他の者に乗っ取られても構わない。他の国や、最悪精霊界に連れていけばいいから。もっとも、それが悪魔でなければ、だが。
 悪魔がここ、ウィンドール王国を狙っているのであれば、私はそれを絶対に阻止しなくてはならない。

 ラインハルトを回復できたとはいえ、彼は落ち込んでいて今もアマリリスの側から離れようとはしないし、捕縛できた悪魔も精霊界に送った後に半数ほどが自決したという連絡があった。カレンに関しては、一番注意して運ばせたので自決こそしていない。もっとも、全く口を割ろうとせず苦労しているそうだが。
 そのカレンが原因で今も目を覚まさないアスクは、精霊界にて治療を受けさせている。私のコネがある回復魔法が得意な精霊に片っ端から診せているが、回復の目処が全くと言っていいほど立たない。ラインハルトの時も、魂の回廊を繋いでアマリリスの魔力を使うという荒業でやっと解呪できたから、きっとどうにかできる精霊はいないだろう。というか、もしいたとしたら、ラインハルトをそちらで回復させている。


 収穫はもちろんあった。しかし、それ以上に問題を改めて認識させられて参ってしまっている。

『はぁ……』

「あまり溜め息をつきすぎない方がいいんじゃないですか?大樹は一日にして成らず、って」

『大樹は一日にして…?』

「あ、そっか。これ、クリスト公爵領でよく使われてる言い回しなんです。俺らのご先祖様が、大樹成るのは永き時、っていう言葉を残してて。何事もすぐには実らないって意味ですね。元のやつがちょっと砕けた言い方になったのが、"大樹は一日にして成らず"なんすよ」

「確かそれには続きがあったよね。朽ちていくは瞬きに同じ、だっけ?」

「正解。さっすがユークライだな。───本来は信頼関係についての言葉なんですが、転じて大きなものは簡単には完成しない、って意味を持つようになったんです」

 なるほど。大器晩成、みたいな感じの慣用句か。
 人間は、どこの世界でも同じようなことを考えるものだ。いや、それが物事の本質だから同じ結論に行き着くのかもしれない。

「まぁともかく、焦っても仕方ないんで今はゆっくり休みましょうよ」

『ヴィンセントに言われるとか、私もまだまだだなぁ』

「ちょ、それどういう意味っすか!?」

 少し腰を浮かせたヴィンセントは、ユークライに「まぁまぁ」と宥められて不服そうな顔だ。
 腕を引かれてようやく腰を下ろしたヴィンセントに、ユークライが声をかける。

「正直、俺からすると一番休息が必要なのはお前な気がするんだけどね」

「おいおい、俺はまだ元気だぞ?」

「お前がエゲールの言い回しを使うのは、精神的に余裕がない時だけじゃないか」

「うぐっ……」

 わざとらしい呻き声を上げたヴィンセントの様子を見る限り、きっとそれは正しくて彼自身も自覚があるのだろう。

 それより、エゲールってなんだったか思い出せない。昔どこかで聞いたことがある気がするのだけれど。

「あーっと、アイカさんに説明しとくと、エゲール族っていうのは俺達クリスト家とそれに連なる人々の民族みたいなものです。元々ウィンドール王国は主に六つの民族に分かれていたんで、その名残っすね」

 多民族国家、ということか。
 単一民族国家の日本出身の私からすれば想像が難しい。近くに外国人がいる感覚なのだろうか。

「とは言っても、今もここまで民族色が強く残っているのはクリスト地方くらいだよ。融和政策が行われて、ほとんど統一化されたからね」

「っつーか、民族色が強いと馬鹿にされやすいからな。田舎者、って」

『へぇ。だからヴィンセントも、余裕がない時くらいしかその言い回しを使わないんだ』

「そういうことです。俺だけじゃなくて、アマリリスとかも結構そうっすよ。父さんと母さんがクリストの民謡とか逸話が好きで、ちっさい頃から聞かされてきたんで」

 そういえば、クリスト家を覗いていると時折詩的な言葉が耳に入ることが幾度もあった。きっとそれらは全部、民俗学的に価値のあるものなんだろう。私は学者じゃないから、特に何も見出だせないが。

「……って、なんでこの話になったんだ?」

「アイカが溜め息をついたのを見て、お前が大樹の話を始めたからだろ」

「あぁ、そっか。で、なんでアイカさんは溜め息ついたんです?」

『え、なんでって……うーん、グースト事件が一応解決したわけだけど、何も好転してないからかな?』

「なんで疑問形なんすか。まぁ同意ですけど」

 むしろ、この状況に置かれて同じことを考えない人がいないとは思えないレベルだと個人的には思う。

「アマリリス嬢は目が覚める気配がないけれど、命はもう安全なんだよね?」

『うん。ただ、ちゃんとしたものを食べてないから健康面はちょっと心配かも』

 意識のないアマリリスが口にできるものといえば、お粥を更にドロドロにしたものくらいだ。それでは栄養がほとんど取れない。ちょっとフルーツをすり潰して混ぜるくらいが限度だったりする。
 一応、魔法で補助しながらある程度の固形物を食べさせることはできるが、そんな繊細な芸当ができる魔法師はほとんどいない。いる、と言っても彼らは魔法師団に所属していて毎日激務に追われているらしいから、依頼は困難だ。時々、時間を見つけて私が自分でやっていたけれど、多分今日からは精霊界との行き来で忙しくなる。
 制御が難しいこの魔法を使えて、アマリリスの面倒を見てくれる時間の余裕がある人は……あ、一人いた。

『ラインハルト、まだアマリリスの側から離れようとしないの?』

 私の問いかけに返される言葉はない。

 魔力感知の感度を上げると、私達の乗っている馬車の後方にいくつもの防御用の魔法に囲まれた二つの大きな魔力が見える。
 一つからは、規則的ながらも弱々しい鼓動を、もう一つからは不安定に揺れながらも強い拍動が感じられた。

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