【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
39話: 暗闇の中の女子会 2
「キ、キスなんて、そんな、ま、まだ婚約したばかりですし…!!」
 鏡なんてないけれど、顔に朱が昇るのがわかる。
 ラインハルトと婚約を結んだのは、色々と濃い出来事が起き過ぎなせいで昔のように思えるが、まだ数週間前。しかも、攻略対象者からの攻撃や王城への襲撃のせいで、ちゃんと顔を合わせることも出来ていない。
 最後にラインハルトを見た時、彼は攻略対象者のせいで深手を負っていた。ユークライ殿下は目を覚ますとおっしゃっていたが、あの状態の王城で十分な治療を受けることが出来るのか…と心配になる。もちろん、国の中心である王城だから高名な治療師が常駐してるのだろうけど、どうしても最悪の事態が頭に浮かんでしまう。
 彼の様態は明らかにおかしかった。倒されたシチュエーションもおかしかった。
 魔法の天才であるラインハルトが、いくら"アメジストレイン"のメインキャラクターであるとはいえ、魔法においてケイル・ジークスに劣るとは思えない。
 私の記憶が正しければ、ケイル・ジークスの武術の腕前はそこまで大したことないはずだ。魔法の腕前はまぁまぁのものだったが、突出するほどではない。実戦経験もないであろう一介の貴族令息にラインハルトが負けるなんて、私でなくてもあり得ないと答えるだろう。
 今自分が陥っている状況もかなり切迫しているはずだけれど、いったんラインハルトのことを、それもネガティブなことを考え始めると止まらなくなる。さっきまで私の頭を埋め尽くしていた疑問符を飛ばし尽くしてしまうくらい。
『ちょっとアマリリス、しっかりしてよね?顔赤くしたと思ったら、次は青くなってるけど』
「ご、ごめんなさい……」
 本人は普通に喋っているのだろうけど、その良く通る自信に溢れた声で言われると、どうも怒られているような気がしてしまう。
 つい萎縮して謝罪の言葉を口にすると、リリエルさんは困ったように眉毛を八の字にする。
『別に謝らせたいわけじゃないのだけど。ちょっとしんぱ……んんっ、なんでもないわ。本当に、大丈夫なの?』
「……えぇ。多分大丈夫」
 リリエルさんの言いかけた言葉に、思わず頬が緩みそうになった。
 初対面の人にここまで心を開いたことはないから自分でも驚きだけど、リリエルさんなら……という感じもする。
『多分って……まぁいいわ。それより、聞きたいことがあるんでしょ?そこの藍佳に、なんでも聞いていいわよ』
「なんであなたが許可を出すのかすっごい不思議なんだけど……」
 アイカさんは苦笑いすると、「けど」と続ける。
「ある程度のことならなんでも答えられるから、どんどん聞いて下さいね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 さて、では何から聞こうか。
 どこまで私のことを知っているのか、とか、知った方法も気になるけど……
「ここは、一体どこですか?私はどうやってここに来たんでしょうか?」
 やっぱり、自分の今置かれている状況は把握するのが先決だろう。
 四方どこを見ても真っ暗なこの空間。私達が座っている椅子の周りの床だけ淡く光っているから視界は確保出来ているものの、数歩歩いたらすぐに闇に覆われてしまうだろう。
 こんなところ来たことがない。強いて言うならば精霊王達とお会いした時の場所と似ているような気もするけれど、全く彼らの気配を感じられないから、同じ場所ではないはず。
 となると、私はここには初めて来たことになるはずなんだけれど、どうしてか違和感が拭えない。
 私はここを知っている。
「……霊宮には行かれましたか?精霊王達がいる、あの」
 黙り込んでいたアイカさんに投げかけられた質問に、ちょうど思い浮かべていたことだったから内心ドキッとしたが、私は無言で首肯した。
「こことあそこの性質は同じです。両方とも、精霊界でも人間界でもない空間に存在しています」
「精霊界でも、人間界でもない……」
 精霊界というのは、おそらく精霊達が生活している世界のことだろう。時折私の周りにいる精霊が、そこについて教えてくれた。私が住む世界―――人間界と違ってたくさんの精霊がいて、全てのものが精霊から加護を授かっている、と。
 そんな精霊界と、私が日頃生活している人間界。てっきりこの二つしかないと思っていたけれど、そうでもなかったみたいだ。
「イメージとしては、大きな泡の近くに小さな泡がある感じですね」
 ということは、私は泡を移動している、ってことになる。
 私はニホンの知識があるから受け入れられているけれど、お父様やお母様に話したらきっと空想だと思われるに違いない。
「特に大きいのが精霊界と人間界で、他の小さなものが霊宮や…ここです」
 「ここ」と言う前にアイカさんがわずかに口ごもった。
 普通ならちょっと噛んだだけとも思えるその行為に、私は引っかかりを感じる。
 アイカさんはさっき初めて出会った時から今まで、どもったことも話している途中で言葉を止めることもなかった。なのに、ここについて話していたついさっき、何かを言いかけている。
「……ここには、特別な名前があるんですか?」
 私の問いかけに、アイカさんは驚いたように目を開く。静観していたリリエルさんは、なぜか満足げな笑みを浮かべていた。
『さっすがアマリリス!ほら藍佳、隠し事なんて出来ないのよ』
「……そう、ね」
 言外に私の推測が正しいと認めているリリエルさんに、アイカさんが短く答えた。眉間に皺を寄せ、目を閉じてわずかに逡巡する。
 なぜ、アイカさんはすぐにここの名前を言わないのだろう。いや、なんでさっき言わなかったのか、のほうが正しいかもしれない。
 私はアイカの半身のような存在で、それはアイカの別の人格であるアイカさんからしても、血縁よりも近い関係であるということに変わりはないはず。そんな私にも言えないということは、余程の理由があるのではないだろうか。何人にも伝えられないとか。あるいは、"アマリリス・クリスト"には教えられないのか。
 パッと思いつくの中で有り得るのはこの二つの可能性だが、真実はどうなんだろうと、アイカさんを盗み見る。この一瞬で私の頭の中でたくさんの予測がされたように、アイカさんもきっといくつも計算を重ねたようで、今まで見たことのないような苦々しげな表情を浮かべた。
「"大書庫"」
 ポツリとアイカさんが呟いた声が、ガランと広がる空間に響く。
「大書庫……本は、ありませんよね?」
「えぇ。ここが大書庫として機能していたのは遥か昔のことで、現在はご覧の通り何もないですよ」
 アイカさんが苦笑する。リリエルさんも、彼女の言葉に対して否定をしたりせず、黙って頷いた。
 特に変なことを言っているわけではない。けれど、どうしてか引っかかりを感じる。私の直感が、何かあると告げている。
 私が社交界で使い物にならないのは、情報通なら誰でも知っている公然の事実。それでも私が魔法学校で一定の地位を築けていたのは、こういったケース───一対一の時の駆け引きなら、自分の望む情報を手に入れることが出来ていたからだ。
 相手が一人の生身の人間であれば、考えられることには限りがある。となれば、その相手について事前情報があれば考えていることを予測するのは容易だ。
「……アイカさん」
「はい、なんですか?」
 踏み込むな、ということなんだろうか。私には知る必要がないことなんだろうか。
 教えてもらっていないことを知ろうとするのは、私の"エゴ"なんだろうか。
「…………私は、どうやってここに来たんでしょうか?お話を聞く限りでは、簡単に来れる場所ではなさそうですが」
 結局、私が選んだのは無難な道だった。
 孤立していて自分の体のことも把握してない状態で、自分から危ないことに近付く度胸はない。
 アイカさんも、きっと私が隠し事に気付いていることに感づいている。それでも、私の選択を尊重するように返答を返してくれた。
「今現在、アマリリスさんは自分の魔力をコントロール出来ていないため、非常に疲弊しています。これ以上この状態が続くと、アマリリスさんの魂にまでダメージがいってしまうので、私とアイカでここまで連れてきました」
「……それほど、ひどいんですか?」
「かなり。日に日に衰弱しています」
 私は至って元気なんだけどなぁ、と自分の体を見下ろす。
 私の瞳と同じような色合いの黒いドレスのせいか、自分の肌がいつもより白く見える。けれど、血色が悪いわけではない。
 意識を手放す前の、頭に杭を打ち込まれるような痛みもないし、特に不調なところもなさそうだ。
『アマリリス、その体をいくら見ても無駄よ。あくまで霊体だから、実際の肉体とは無関係だもの』
 ……サラッと爆弾を落とされたのは、気の所為だと思いたい。
「リリエル、相手が自分と同じ知識を持っている前提で話を進めるのはやめなさいって言ってるよね?」
『アマリリスだし、大丈夫よ』
「何も大丈夫ではないから」
 やれやれとアイカさんが溜め息をついた。けれど、リリエルさんはどこ吹く風と聞き流している。
 それにしても、いきなり「霊体」という言葉が出てきて驚いた。アイカの記憶にあるから意味はある程度わかるけれど、この世界でも存在するとは思っていなかったもの。
「ニホンのマンガなどである、霊体と同じように解釈しても?」
「えぇ。それで大丈夫です。その霊体が、今は一時的に肉体から避難している、というように思って下さい」
「避難……なるほど」
 自分の体の状況を考えるとちょっとゾッとするが、それを押し殺して次の質問を口にした。
 時間はたっぷりあるとは言え、有限であることに変わりはない。だったら、いちいち狼狽えて失う一瞬一瞬が惜しい。
 というわけで、私は試しに少し切り込んだ質問をしてみることにした。
「では、お二人の目的は?」
 いや、これは少し切り込んだというよりも、核心に触れた質問かもしれない。
 言ってしまったことは撤回できないから、手遅れだけれども。
「……変なことを訊かれるんですね。アイカによってあなたがここに送られてきたので、あの奇人に代わって説明をしようと―――」
「さっき、『私とアイカでここまで連れてきた』と仰っていましたよね?私がここにいることに、作為的な何かがあるのは確実です」
 誤魔化すようなら、こちらも反撃をする。
 交渉事では、先に”引き”の姿勢を見せたら負けると、両親や先生から教わった。実際その通りで、ほんのわずかな”引き”が致命的な隙になりかねないのが、交渉だ。この場合は、交渉よりも情報の引き出し合いの側面が大きいが。
「あぁ、それは言葉の綾です。アイカがあなたをここまで送って、私が受け入れを行った。結果的に二人で連れてきたような形になっているため、このような表現をしたんです。誤解を招いたようで、申し訳ありません」
「謝る必要はありませんよ。誤解を招いてはいないので」
 相手を受け入れたフリで一瞬弛緩した空気を、私が引き締める。これで主導権を握れるほどやわな相手ではないけれど、牽制にはなったはずだ。
「私は気を失う前、不思議な映像…いえ、記憶を見ました」
 初めてみたはずなのに感じた妙な既視感。そして、今思い出しても体が無意識に反応して震えそうになる。
 迫りくる地面と広がる赤い何か。……いや、何かではなく、あれは血だ。誰のものかはわからないが、本来なら命を保つためのものなのに、生々しい死を感じさせる血。
 そして、蔦や鎖のように女性に絡まりつく、光を全て吸い込むような禍々しい影。女性は影のせいでどんな方かはわからない。しかし、自分と無関係な人とは到底思えなかった。
 私が今まで十六年間生きていた中では体験したはずがないけれど、あれは確かに「私」の記憶だ。
「その後にここに来た……アイカが何を考えているか、何が狙いなのかはわかりません。ひょっとしたら、黙ってアイカさんやリリエルさんの話を聞くことを求めているのかもしれません」
 もしそうだとしても、私はそうする気はさらさらない。
 あの日、私の中で変わったことがあった。
 それまでは、私はただ他の人から与えられる幸せを求めていた。特に、第三王子からの幸せ―――愛を、求めていた。
 けれど、それは間違っていたのだと、それでは何も得られないのだと、私は痛感されられた。
「私は、意志のない人形ではありません。与えられた餌だけで満足する、犬でもありません」
 第三王子に拒絶されて、ラインハルトを傷つけられて、私は決意した。
 悪役になることも厭わない。大事な人の、幸せのためなら。
「私をここに連れてきた目的を……そして、私の周りで起きた一連の出来事について、説明をして下さい。もし出来ないと仰るのでしたら…」
 冷たい空気を吸うと、スッと頭に入ってきた気がした。
 心は熱くなって冷静さを失っていくのに、頭は冴え渡って口が滑らかに動く。
「どんな手を使ってでも、私は自分の求める情報を手に入れます。私にはそれを行う力があります。私の出した条件に応じてくれるのでしたら、こちらからも情報を提供することも可能です」
 どうです、と訊きながら自分の口角が上がるのを感じて、あぁやっぱり私はヒロインには向いていないなぁ、と頭のどこかで思った。
 これが、私の選んだ道だから、後悔なんて微塵もないけれどね。
アマリリスは、どうやら一対一だとすっごい強いようですね。
お三方の女子会が思っていたよりも盛り上がってしまっているので、申し訳ないのですが、まだ続きます。
 鏡なんてないけれど、顔に朱が昇るのがわかる。
 ラインハルトと婚約を結んだのは、色々と濃い出来事が起き過ぎなせいで昔のように思えるが、まだ数週間前。しかも、攻略対象者からの攻撃や王城への襲撃のせいで、ちゃんと顔を合わせることも出来ていない。
 最後にラインハルトを見た時、彼は攻略対象者のせいで深手を負っていた。ユークライ殿下は目を覚ますとおっしゃっていたが、あの状態の王城で十分な治療を受けることが出来るのか…と心配になる。もちろん、国の中心である王城だから高名な治療師が常駐してるのだろうけど、どうしても最悪の事態が頭に浮かんでしまう。
 彼の様態は明らかにおかしかった。倒されたシチュエーションもおかしかった。
 魔法の天才であるラインハルトが、いくら"アメジストレイン"のメインキャラクターであるとはいえ、魔法においてケイル・ジークスに劣るとは思えない。
 私の記憶が正しければ、ケイル・ジークスの武術の腕前はそこまで大したことないはずだ。魔法の腕前はまぁまぁのものだったが、突出するほどではない。実戦経験もないであろう一介の貴族令息にラインハルトが負けるなんて、私でなくてもあり得ないと答えるだろう。
 今自分が陥っている状況もかなり切迫しているはずだけれど、いったんラインハルトのことを、それもネガティブなことを考え始めると止まらなくなる。さっきまで私の頭を埋め尽くしていた疑問符を飛ばし尽くしてしまうくらい。
『ちょっとアマリリス、しっかりしてよね?顔赤くしたと思ったら、次は青くなってるけど』
「ご、ごめんなさい……」
 本人は普通に喋っているのだろうけど、その良く通る自信に溢れた声で言われると、どうも怒られているような気がしてしまう。
 つい萎縮して謝罪の言葉を口にすると、リリエルさんは困ったように眉毛を八の字にする。
『別に謝らせたいわけじゃないのだけど。ちょっとしんぱ……んんっ、なんでもないわ。本当に、大丈夫なの?』
「……えぇ。多分大丈夫」
 リリエルさんの言いかけた言葉に、思わず頬が緩みそうになった。
 初対面の人にここまで心を開いたことはないから自分でも驚きだけど、リリエルさんなら……という感じもする。
『多分って……まぁいいわ。それより、聞きたいことがあるんでしょ?そこの藍佳に、なんでも聞いていいわよ』
「なんであなたが許可を出すのかすっごい不思議なんだけど……」
 アイカさんは苦笑いすると、「けど」と続ける。
「ある程度のことならなんでも答えられるから、どんどん聞いて下さいね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 さて、では何から聞こうか。
 どこまで私のことを知っているのか、とか、知った方法も気になるけど……
「ここは、一体どこですか?私はどうやってここに来たんでしょうか?」
 やっぱり、自分の今置かれている状況は把握するのが先決だろう。
 四方どこを見ても真っ暗なこの空間。私達が座っている椅子の周りの床だけ淡く光っているから視界は確保出来ているものの、数歩歩いたらすぐに闇に覆われてしまうだろう。
 こんなところ来たことがない。強いて言うならば精霊王達とお会いした時の場所と似ているような気もするけれど、全く彼らの気配を感じられないから、同じ場所ではないはず。
 となると、私はここには初めて来たことになるはずなんだけれど、どうしてか違和感が拭えない。
 私はここを知っている。
「……霊宮には行かれましたか?精霊王達がいる、あの」
 黙り込んでいたアイカさんに投げかけられた質問に、ちょうど思い浮かべていたことだったから内心ドキッとしたが、私は無言で首肯した。
「こことあそこの性質は同じです。両方とも、精霊界でも人間界でもない空間に存在しています」
「精霊界でも、人間界でもない……」
 精霊界というのは、おそらく精霊達が生活している世界のことだろう。時折私の周りにいる精霊が、そこについて教えてくれた。私が住む世界―――人間界と違ってたくさんの精霊がいて、全てのものが精霊から加護を授かっている、と。
 そんな精霊界と、私が日頃生活している人間界。てっきりこの二つしかないと思っていたけれど、そうでもなかったみたいだ。
「イメージとしては、大きな泡の近くに小さな泡がある感じですね」
 ということは、私は泡を移動している、ってことになる。
 私はニホンの知識があるから受け入れられているけれど、お父様やお母様に話したらきっと空想だと思われるに違いない。
「特に大きいのが精霊界と人間界で、他の小さなものが霊宮や…ここです」
 「ここ」と言う前にアイカさんがわずかに口ごもった。
 普通ならちょっと噛んだだけとも思えるその行為に、私は引っかかりを感じる。
 アイカさんはさっき初めて出会った時から今まで、どもったことも話している途中で言葉を止めることもなかった。なのに、ここについて話していたついさっき、何かを言いかけている。
「……ここには、特別な名前があるんですか?」
 私の問いかけに、アイカさんは驚いたように目を開く。静観していたリリエルさんは、なぜか満足げな笑みを浮かべていた。
『さっすがアマリリス!ほら藍佳、隠し事なんて出来ないのよ』
「……そう、ね」
 言外に私の推測が正しいと認めているリリエルさんに、アイカさんが短く答えた。眉間に皺を寄せ、目を閉じてわずかに逡巡する。
 なぜ、アイカさんはすぐにここの名前を言わないのだろう。いや、なんでさっき言わなかったのか、のほうが正しいかもしれない。
 私はアイカの半身のような存在で、それはアイカの別の人格であるアイカさんからしても、血縁よりも近い関係であるということに変わりはないはず。そんな私にも言えないということは、余程の理由があるのではないだろうか。何人にも伝えられないとか。あるいは、"アマリリス・クリスト"には教えられないのか。
 パッと思いつくの中で有り得るのはこの二つの可能性だが、真実はどうなんだろうと、アイカさんを盗み見る。この一瞬で私の頭の中でたくさんの予測がされたように、アイカさんもきっといくつも計算を重ねたようで、今まで見たことのないような苦々しげな表情を浮かべた。
「"大書庫"」
 ポツリとアイカさんが呟いた声が、ガランと広がる空間に響く。
「大書庫……本は、ありませんよね?」
「えぇ。ここが大書庫として機能していたのは遥か昔のことで、現在はご覧の通り何もないですよ」
 アイカさんが苦笑する。リリエルさんも、彼女の言葉に対して否定をしたりせず、黙って頷いた。
 特に変なことを言っているわけではない。けれど、どうしてか引っかかりを感じる。私の直感が、何かあると告げている。
 私が社交界で使い物にならないのは、情報通なら誰でも知っている公然の事実。それでも私が魔法学校で一定の地位を築けていたのは、こういったケース───一対一の時の駆け引きなら、自分の望む情報を手に入れることが出来ていたからだ。
 相手が一人の生身の人間であれば、考えられることには限りがある。となれば、その相手について事前情報があれば考えていることを予測するのは容易だ。
「……アイカさん」
「はい、なんですか?」
 踏み込むな、ということなんだろうか。私には知る必要がないことなんだろうか。
 教えてもらっていないことを知ろうとするのは、私の"エゴ"なんだろうか。
「…………私は、どうやってここに来たんでしょうか?お話を聞く限りでは、簡単に来れる場所ではなさそうですが」
 結局、私が選んだのは無難な道だった。
 孤立していて自分の体のことも把握してない状態で、自分から危ないことに近付く度胸はない。
 アイカさんも、きっと私が隠し事に気付いていることに感づいている。それでも、私の選択を尊重するように返答を返してくれた。
「今現在、アマリリスさんは自分の魔力をコントロール出来ていないため、非常に疲弊しています。これ以上この状態が続くと、アマリリスさんの魂にまでダメージがいってしまうので、私とアイカでここまで連れてきました」
「……それほど、ひどいんですか?」
「かなり。日に日に衰弱しています」
 私は至って元気なんだけどなぁ、と自分の体を見下ろす。
 私の瞳と同じような色合いの黒いドレスのせいか、自分の肌がいつもより白く見える。けれど、血色が悪いわけではない。
 意識を手放す前の、頭に杭を打ち込まれるような痛みもないし、特に不調なところもなさそうだ。
『アマリリス、その体をいくら見ても無駄よ。あくまで霊体だから、実際の肉体とは無関係だもの』
 ……サラッと爆弾を落とされたのは、気の所為だと思いたい。
「リリエル、相手が自分と同じ知識を持っている前提で話を進めるのはやめなさいって言ってるよね?」
『アマリリスだし、大丈夫よ』
「何も大丈夫ではないから」
 やれやれとアイカさんが溜め息をついた。けれど、リリエルさんはどこ吹く風と聞き流している。
 それにしても、いきなり「霊体」という言葉が出てきて驚いた。アイカの記憶にあるから意味はある程度わかるけれど、この世界でも存在するとは思っていなかったもの。
「ニホンのマンガなどである、霊体と同じように解釈しても?」
「えぇ。それで大丈夫です。その霊体が、今は一時的に肉体から避難している、というように思って下さい」
「避難……なるほど」
 自分の体の状況を考えるとちょっとゾッとするが、それを押し殺して次の質問を口にした。
 時間はたっぷりあるとは言え、有限であることに変わりはない。だったら、いちいち狼狽えて失う一瞬一瞬が惜しい。
 というわけで、私は試しに少し切り込んだ質問をしてみることにした。
「では、お二人の目的は?」
 いや、これは少し切り込んだというよりも、核心に触れた質問かもしれない。
 言ってしまったことは撤回できないから、手遅れだけれども。
「……変なことを訊かれるんですね。アイカによってあなたがここに送られてきたので、あの奇人に代わって説明をしようと―――」
「さっき、『私とアイカでここまで連れてきた』と仰っていましたよね?私がここにいることに、作為的な何かがあるのは確実です」
 誤魔化すようなら、こちらも反撃をする。
 交渉事では、先に”引き”の姿勢を見せたら負けると、両親や先生から教わった。実際その通りで、ほんのわずかな”引き”が致命的な隙になりかねないのが、交渉だ。この場合は、交渉よりも情報の引き出し合いの側面が大きいが。
「あぁ、それは言葉の綾です。アイカがあなたをここまで送って、私が受け入れを行った。結果的に二人で連れてきたような形になっているため、このような表現をしたんです。誤解を招いたようで、申し訳ありません」
「謝る必要はありませんよ。誤解を招いてはいないので」
 相手を受け入れたフリで一瞬弛緩した空気を、私が引き締める。これで主導権を握れるほどやわな相手ではないけれど、牽制にはなったはずだ。
「私は気を失う前、不思議な映像…いえ、記憶を見ました」
 初めてみたはずなのに感じた妙な既視感。そして、今思い出しても体が無意識に反応して震えそうになる。
 迫りくる地面と広がる赤い何か。……いや、何かではなく、あれは血だ。誰のものかはわからないが、本来なら命を保つためのものなのに、生々しい死を感じさせる血。
 そして、蔦や鎖のように女性に絡まりつく、光を全て吸い込むような禍々しい影。女性は影のせいでどんな方かはわからない。しかし、自分と無関係な人とは到底思えなかった。
 私が今まで十六年間生きていた中では体験したはずがないけれど、あれは確かに「私」の記憶だ。
「その後にここに来た……アイカが何を考えているか、何が狙いなのかはわかりません。ひょっとしたら、黙ってアイカさんやリリエルさんの話を聞くことを求めているのかもしれません」
 もしそうだとしても、私はそうする気はさらさらない。
 あの日、私の中で変わったことがあった。
 それまでは、私はただ他の人から与えられる幸せを求めていた。特に、第三王子からの幸せ―――愛を、求めていた。
 けれど、それは間違っていたのだと、それでは何も得られないのだと、私は痛感されられた。
「私は、意志のない人形ではありません。与えられた餌だけで満足する、犬でもありません」
 第三王子に拒絶されて、ラインハルトを傷つけられて、私は決意した。
 悪役になることも厭わない。大事な人の、幸せのためなら。
「私をここに連れてきた目的を……そして、私の周りで起きた一連の出来事について、説明をして下さい。もし出来ないと仰るのでしたら…」
 冷たい空気を吸うと、スッと頭に入ってきた気がした。
 心は熱くなって冷静さを失っていくのに、頭は冴え渡って口が滑らかに動く。
「どんな手を使ってでも、私は自分の求める情報を手に入れます。私にはそれを行う力があります。私の出した条件に応じてくれるのでしたら、こちらからも情報を提供することも可能です」
 どうです、と訊きながら自分の口角が上がるのを感じて、あぁやっぱり私はヒロインには向いていないなぁ、と頭のどこかで思った。
 これが、私の選んだ道だから、後悔なんて微塵もないけれどね。
アマリリスは、どうやら一対一だとすっごい強いようですね。
お三方の女子会が思っていたよりも盛り上がってしまっているので、申し訳ないのですが、まだ続きます。
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