怠惰の主

足立韋護

治療院

 マリガンは道路の外に浮かぶカプセルに乗り込み、俺達をそこに招いた。一般とは異なる移動が許可されているのか。道路外を移動することができるようだ。カプセルの中にはイスなど用意されていなかった。しかしながら珍妙なことに体の重みが感じづらくなった。地面にしっかり立つことができるので重力を操作しているわけでもなさそうなのだが、不思議なものである。マリガンは「治療院」と呟くとカプセルは移動を始めた。

 その頃には式谷の意識はほぼなくなっており、自立して歩くこともままならなくなっていた。響子は俺の代わりに式谷を担いでいるが、時折心配げに式谷の顔を伺っている。怪物だとしても、人間の心を失っていないことは、本当なのだろう。一同は特に話を切り出すこともなく、静かに成り行きに身を任せていた。下手に別世界から来たなどと言ってしまえば何をされるかわかったものではない。沈黙が、その意図を明瞭に示していた。

「降りろ」

 マリガンはそう呟くとカプセルの扉を開いた。道路から遥か下方に見えていた建物へとやってきていた。建物も黄緑色の滑らかな謎の建材で作られており、扉はとろけるようにして開いた。見たことがない施設ばかりだ。何がどうなっているのか、全て同じように見える。
 案内されるがまま着いて行くと、とある部屋の前でマリガンは立ち止まる。そしてこちらへ振り向きながら口を開いた。

「治療はこの部屋で行う。治療後にはお前達の処分が決定しているとのことだ。この部屋の前で待っていろ。不審な真似をした場合の武力行使の許可は降りている。それをゆめゆめ忘れないことだ」

「わかった。大人しく待っていよう」

 そう答えると、マリガンは響子から式谷を受け取り、そのまま部屋へと入っていった。このマリガンとやらが俺達の素性について尋問してこないのは、その権限がないからか、あとでやるつもりだからか。いずれにしろ、不用意にこちらを攻撃してくるような、野蛮な真似はしてこない相手だということはわかった。
 改めて辺りを見回すが、ここはやはり地球ではないんだろうか。国名も聞いたことはないし、見たことのある技術など一つもない。

 しかしながら、マリガンの自己紹介にもあった第三兵団……ということは第一、第二とあるはず。ここでの常識はわからないが、兵団ということは複数人で構成された戦闘集団が、いくつも存在していることになる。どこの誰と戦う力なのだろうか。別の国か、それとも別の何かか。安全が確保されたときにでも、情報収集は必須だ。どうせまたすぐには脱出できないのだから。

「それで、あの子を治療したあとどうするつもりなの」

「元の場所に戻り、同行者らと合流する。願わくば、そいつらを全員元の場所へ帰したうえで、俺は俺の目的のために動くつもりだ」

 あくまで異世界であるというニュアンスは含まないよう話を進めた。マリガンこそ部屋の中にいるものの、この発達した世界だ。どこで誰が聞いているかもわからない。響子も察したように話を合わせた。

「でもその能力、見た感じだけど……制御できないんでしょう。何か算段はあるの?」

「ない」

 響子は呆れたようにため息をつく。山田はそれをなだめるようにして「まあまあ」と苦笑いした。
 ない、からこそ今は、未来の俺であろう二号に用があるのだ。

「だが、俺の希望をくみ取った力が発現する。手の施しようがない訳じゃない」

「馬鹿げた力ね。一人の人間には、一国ですら大きすぎる力だわ」

「響子の言う通りだけど、今は、式谷さんの体調だけ気にかけましょう。彼女が元気にならないことには始まりませんから」

 山田はそう言うと笑いかけてきた。その通り、後手に回ってしまうが今あれこれ考えてもあまり意味がない。三秒後には宇宙にいる可能性すらあるのだから。
 しかしながら待ちぼうけだ。せっかくなので俺の疑問を山田へぶつけてみることにした。

「気になっていたのだが、山田、お前は何か格闘技を習っていたのか」

「あー……はは。やはりばれてしまいましたか」

「恭介と私は、恭介の実家の道場で様々な武術や格闘技を習っていたのよ。それこそ空手からマーシャルアーツまでなんでもね」

「父と母がそういうことに精通した人間でして、近所に住んでいた響子と小さい頃から色々教わっていたというわけです」

 いったい何者なんだ、その親は。うちの親なんて土いじりと鶏の絞め方くらいしか教えてくれなかったものだが。

「それであれば大和田をねじ伏せることもできたんじゃないか」

「できるだけ人を殴ることはしたくなかったのと、あの場は皆が皆大和田にマインドコントロールされているような環境でした。さすがに、あの人数相手では勝てたかどうか……」

「こんなだけど恭介は色んな大会で優勝してきた経歴も持ってるのよ。こんな弱気な性格なのに、めちゃくちゃ強いの。変な奴でしょ」

 響子はご機嫌な様子で山田の輝かしい経歴を語った。
 そして俺は、驚愕の事実をようやく理解した。よくよく考えてみればこの男、顔面こそ地味だが、運動神経抜群で性格も良い、腕こそ二本多いものの触覚の生えている美人な幼馴染まで侍らせているではないか。俺が昔から疎み妬んできた、リアルが充実してる人種だ。実にこんちきしょうである。


「終わった。女は暫し安静が必要だ。ついて来い」と部屋から出てきたマリガンが告げた。早すぎる治療はどうなったか不明だが、マリガンが足場に歩き出すので、それに小走りでついて行くことにした。

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