怠惰の主

足立韋護

新種

 ホームセンターのフローリングは、まるで絨毯が敷かれているのかと錯覚してしまうほどに、血と肉に覆い尽くされていた。経験したことがないほどの激臭が鼻をつく。店内の壁には、人ほどの大きさはある球体がいくつも張り付いており、時折それは脈打っているように見えた。こみ上げる胃液を喉奥で抑え込んだ。
 不自然にも程がある。この建屋に人やトウテツの気配はなかった。床には血液ひとつ付いていなかったのだ。異常は何一つ見受けられなかった。

 いや、逆だ。異常がないことこそ異常だったのだ。何故もっと早々に気づけなかったのだろうか。

「御影さん、ご想像の通り私達は罠にかかりました」

「こういう時だけは、心を読んでくれた方がやりやすい。早くここから逃げるぞ」

 そんな折、ホームセンターの奥から人型の何かが姿を現した。

「もう遅いわよ」

 こちらが目を凝らしていた最中に人型が発した言葉は、明確に人間の言語であった。人間なのか……? それにしては、腕が二つ多いのと、頭から触覚が生えているような気がするのだが。
 そいつの言う通り、いつの間にか天井や壁にはトウテツが張りついており、吹き抜けのスペースにはいくつものトウテツが羽根を生やして浮かんでいた。音もなく、俺たちがこいつの来訪を目の当たりにするまで、息を潜めていたのである。

「アタシ達からは逃げられないわ。試してみる?」

「こんなの、こんなの話が、ち、ちが。う、うわぁぁああ!」

 ポピリスの女が一人、出口へ向かって一目散に走り出した。焦ってはいるが今までの常識であれば逃げ出す判断は誤りではない。トウテツの移動速度で俺達に追いつけるはずがないのだ。だが、こいつらの場合に限っては、その常識外の行動をしてくる。

 俺達の真横を何かが通り過ぎた、かと思えばいつの間にか何者かが女性の首根っこを掴み上げている。そいつは確かにホームセンターに立っていた声の主であった。人間のように二本足で立っていたが、腕が四本、頭には触覚が生えている。甲殻類のような肌を持ち、しかしながら女性のような黒い長髪を備える。

「ホラね」

 そいつは女を片手で軽々と投げ飛ばし、壁面へと激突させた。ごぎゃり、という鈍い音が鳴り響く。女は気絶したのか死んだのか、その場に倒れこんだまま動かない。振り返ったそいつは、顔面だけは美しく整った人間の女性さながらであった。

「武器を捨てて投降してほしいの。素直に従ってくれたら悪いようにはしないわ」

「俺達をどうするつもりだ」

「喜んで。あなた達は死なないわ。男女で繁殖してもらって、その子供を餌にしてもらうだけ。食べ物も安全も命も保障される生活よ」

 何を喜べというのか。要は人間の養殖をさせろということだろう。まったくもって理不尽極まりない。どんなに違って見える世界でも、性懲りもなく人を屈服させ、理不尽を押し付けるのは変わらない。

「もし、従わないと言ったらどうなる」

 化け物は先ほど投げ飛ばした女のもとへ寄り、見せつけるように首元を噛んで見せた。食いちぎるというわけではなく、ただ傷つけた程度であった。 

「食べるわけじゃないわ。確かにあなた達は餌でもあるけど、同時に仲間になり得るのよ。普通は半日かかるところだけど、アタシのは特別だから変異が早いの。ホラよく見て」

 倒れこんでいた女性はやがて立ち上がると、他のトウテツと同様によだれを垂らしながら、瞳孔が開いたまま、まるで獣のように周囲を見回している。人が、トウテツに変異したということか。
 隣に立つ式谷は「やはり……」と下唇を噛んでいた。

「従わなかった場合、身体能力の高い人間は仲間に、その他は餌にするわ。ここは餌場。みんなお腹空かしてるの」

 化け物はなまめかしく舌なめずりした。説得の通じる相手ではない。だが話のできる相手だ。有用な情報が得られるかもしれないが、そんな悠長なことを言っている場合でもない。あのスピードだ、敵うわけがない。ここは大人しく従っておいて、あとで隙が生じるのを待つほうが得策か。

「目を閉じろ!」

 どこからともなく男の声が聞こえた。俺達が咄嗟に目を閉じると、いくつかの金属音、それからすぐに複数回の破裂音が鳴り響いた。一瞬にして鼓膜がおかしくなってしまった。耳がキンとしたまま何も聞こえない。目を開けると、視界は揺らいでいるがなんとか見える。何人もの黒い装備を身に纏った人間がどこかへ誘導している。先ほどの女性型の化け物含めて、トウテツ達は目を押さえながらうずくまっていた。

 助けられているのか。連れられるままデパートの屋上に上がっていくと、複数の板やハシゴが別のビルへと連なっており、そこから俺達が何とか渡りきるとハシゴは外された。建物をいくつも経由して、どうやら彼らの本拠地であろう場所へと辿り着いた。

────少し休憩してから、先ほどの声の主と対面した。大柄の男は大和田おおわだと名乗った。その風体は完全に自衛隊のそれであったが、本人達は全くの一般人。スタングレネードも半壊した自衛隊基地からくすねてきたものらしかった。しかも全員腰にピストルを携えている。
 素人の自衛隊ごっこにしては、少々準備が良すぎる気もするが、武器があるに越したことはない。

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