怠惰の主

足立韋護

地獄絵図

「尿意や便意を催したという意味ではありませんよ」

「わからん、どういうことなんだ」

「おしっこやうんちがしたいわけじゃないってことです。わかります?」

 コイツは人をバカにしてるのか。

「その意味はわかる、大丈夫、解説不要だ。トイレに行く意味を行きながらで良いから教えろ。皆の命がかかってる」

「まあ行ってからのお楽しみです」

 俺達はなるべく気配を消して駐車場を後にした。ロビーと駐車場を繋げる扉には、念のため鍵をかけた。
 式谷のマイペースに皆呆れている様子だが、それでもついてくるのは、彼女が尋常ならざる者だということを既に理解し始めているのだろう。

 トイレへと続く一本道へ差し掛かるとその中央に人が歩いていた。不自然な歩き方からしてトウテツのようだが、後ろを向いていてイマイチ確信が持てない。声をかけようと口を開こうとした途端、式谷がカロンを前方へ構えた。

「お、おい、なにを────」

 式谷は通り抜けざまにただ一振り、真一文字にそいつの首を跳ね飛ばした。皆の悲鳴がこだまする。血飛沫が舞う中を、式谷は怯むことなく突き進んでいく。
 その他の人間は生首を前にして、立ち尽くした。もちろん俺も含めてだ。

「モタモタしていると後ろから来ますよ」

 それもその通りである。駐車場の辺りからは何人かも特定できないほど多くの足音が聞こえ始めた。扉に鍵をかけたはいいが、それもいつまで保つかわからない。
 なるべく死体を避けつつ進み、式谷の入っていった女子トイレに続けざまに入っていった。決して広くはないそのトイレは、外界に面した窓がついていた。

 なるほど、こいつの狙いはこれか。

 式谷が窓をそっと開けるが銀色の窓格子が行く手を阻んだ。試しにカロンを当ててみるがさすがに異世界の武器といえどアルミを切り裂くことはできなさそうだ。

「破壊しますか」

「得意なんだろうが音が響く、やめておけ」

「創ちゃん、ここは僕に任せてよ」

 そう言って前へ出てきた郡山であったが、皆一様に、こんなちびっこに何ができるんだ、とでも言いたげな怪訝な表情を見せた。しかし本当に何ができるのだろう。マキナの扱いは天下一品なのだが。

 そんな俺らを尻目に郡山は内ポケットから薄黒い長方形の物体を取り出し、窓格子の前に立った。

「その定規で何ができるんだ」

「護身用ナイフみたいなものだよ。でも、アルミニウム程度の融点なら────」

 郡山が物体をアルミニウムに押し付けると、その部分が細かく泡立ち、一秒もしないうちに切断してしまった。その調子で窓に設置されていた格子を全て取り外すと、落ちかかった格子を丁寧に地面に置きながら外へと脱出して見せた。俺の隣で式谷が目を輝かせている。なんだ、不気味だな。

「さ、解説してる暇はないよ。早く行こう」

 唖然としていた一同であったが、郡山の言う通りすぐさま窓から外へと飛び出した。
 建物の中からはあまり気づかなかったが、外はいまだに混乱の最中であった。逃げ惑う人々とそれに群がるトウテツ達。道路はいくつもの血の池と死骸の山が出来上がっていた。遠くからは悲鳴と銃声も聞こえる。地獄絵図という言葉はこのために存在しているのだろう。

「幸いなことに裏路地だからかまだ気づかれてはいないようだよ」と郡山。

「式谷、遠くに山が見える。恐らくそっちが郊外だが、どうする」

「すぐさま山へ向かいたいところですが、十数メートル先にデパート……いえ、雑貨屋が見えました。そこで全員の装備を整えてから行きましょう。このまま行軍しても犠牲が増えるだけです」

 全員がそれを聞いて頷いた。式谷が先導し始めると、その隣にフォルクスが並ぶようにして前に出て歩いた。

「どうせトウテツに気づかれちまったら、お前任せになっちまうだろ。手助けしてやる。改めて、俺はフォルクスってんだ、よろしくな」

「御影さんのお仲間ですね。私は式谷天です。呼び方は自由にしてください。それでは護衛は任せます」

 フォルクスは歯を見せて笑いながら、「おうとも。よろしく、天」と杖を手に取った。果たしてこの世界でファンタジーマジックが使えるのか見物だが、もし使えるのならこれ以上に頼りになる存在はいない。

 一同が大通りに出てみると、運良く進路にトウテツはいなかった。こちらを見ている者もいない。まさに絶好の機会であった。

「グッ……うぇ」

 突然、同行していたポピリスの住民の一人が口を手で覆って立ち止まってしまった。道路の上はいくつもの肉塊や肉片が転がっていた。中には今まさにトウテツの餌食となっている人もいる。そんな光景を直視してしまったのだろう、とうとう道路のど真ん中で嘔吐し始めた。

「こ、こんなの、もういや……」

「そうだ、なんだって我々がこんな目に遭わなければならないんだ」

「やっぱりあの建物に籠っていたほうが良かったんじゃないか」

 我慢の限界を感じ始めたのか、数人がその場に立ち尽くした。止まることなく俺達に追随するポピリスの住民らが小声で説得を試みるも、一度留まった足は動かなかった。むしろ、元いたビルへ戻ろうとしている。

「バカな、あの大量の足音を聞かなかったのか。戻ったところで餌食になるだけ────」

「うるさい! 俺達は戻るぞ! こんなところにいられるか!」

 留まった住民らは俺の声を遮って、あろうことか大声で反論した。幾度かのやりとりがあったが、結局嘔吐した女性とともに六人程度が喚きながらビルへと戻って行った。

「終わりましたか。さあ行きましょう」

「待てよ天、見殺しにするのか! 今ならまだ連れ戻すのに間に合う!」

 フォルクスが歩みを始める式谷の腕を掴んだ。式谷は静かにフォルクスへ微笑みかけた。

「面白い提案ですね。あなたはここにいる全員まで危険にさらす気ですか」

「そんなつもりはねえ。俺の魔導術があれば助けることだって可能だ」

「そういった面白い提案は好きです……が、今回ばかりはお断り致します。理由は後ほど。では進みましょう。トウテツに気づかれました」

 周囲を見れば、先ほどの大声のせいで徐々にトウテツが集まり始めてしまっていた。厄介な置き土産を置いていってくれたものである。
 歩みを進めようとした式谷だったが、それでも引き留めようと動き出すフォルクスに、カロンの切っ先を向けた。二度目に向けた表情に、先ほどのような笑顔はなかった。

「この世界において、私は面白さの優先度を落とし、生存を優先します」

 意外な発言であった。確かにこの世界に来てから、式谷はどことなく焦っているような、いつになく真剣な様子なのは確かだった。
 式谷は淡々と言い放った。



「次、私の歩みを止めようとした場合、御影さんのお仲間と言えど……タダでは済ましません」



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