怠惰の主

足立韋護

饕餮の饗宴

────結局、住民総勢五十名余の中で俺について来るという者は、半数以下の二十名であった。

 残る者と来る者、様々理由はあるようだが、この世界を受け入れようという意思のある者は一通り集まった印象があった。
 これからいざ出発としたいところではあるが、いくら考えても腑に落ちない点があった。

「やはりここに籠城することはできないのか。窓や扉を塞いでしまえば、しばらくは持ち堪えられるだろう。表に出て行くほうがどう考えてもリスクは高い」

「あのトウテツに高度な知能があったらどうでしょう。たちまち居場所を悟られて囲まれ、逃げ場を失います。トウテツが壁を登れたら、屋上や窓、好きなところから侵入され放題です。あの人喰いの種類や能力、この世界における立ち位置を理解しない状況では、あらゆるリスクから逃げることのほうが得策と考えました」

 式谷の言うことはあくまで想像の域でしかない。人によっては心配のしすぎともとれる。しかし、確かにあの人喰いをいわゆるゾンビのようなものと定義づけるには、いくらなんでも尚早というものである。
 俺が納得したことを悟った式谷は、その手にリースにて手に入れた剣、カロンを携えて先陣を切った。

────ビルの中はまだ電気が灯っていた。
 やはり看板や建物の造りは俺のいた世界と酷似している。言語だってしっかり日本語だ。ここは日本に違いない。

 式谷はエレベーターを使うことなく、非常階段からさっさと階下へ降りて行く。建物の内外から、時折悲鳴が聞こえてくる。フォルクスやポピリスの住民らはその声に怯えながらも、不慣れな長い階段を降り続けている。
 オフィスビルのようだが、人の気配は少ない。異変が始まってからどれほどの時が過ぎたのだろうか。

 大きな異常もなく一階へと辿り着いた頃には皆一様に疲弊の色を見せていた。それもそうだ、こんな高層ビルを駆け下りるなど苦行に他ならない。地面に視線を落としながら肩で息を整えていると、金具のような音が小さく聞こえた。

 ちゃきり。

 音に反応して顔を上げてみると、式谷が神妙な面持ちで剣を構えている。一階のガラス張りのロビーから外を闊歩するいくつものトウテツが見えた。それらはこちらを見つけると、激しくガラスを叩き始めた。その音に呼応するようにして、他のトウテツらも徐々に集まり始める。

「御影さん、正面は無理です。裏口か駐車場への出口を探しましょう」

「これは、思った以上にまずいな」

 ポピリスの住民のうち数人がその現実を目の当たりにし、小さく悲鳴をこぼしながら屋上へ逃げ帰っていった。
 非常口と書かれた誘導灯を式谷が見つけると、そこから屋内駐車場へと出た。人影が三人、いずれも目的もなく駐車場内をよたよたと歩いている。

 トウテツにはいくつか特徴があった。今のところ、人を喰う以外に目的はないように見える。加えてトウテツと人との見分けができているようだ。そのため周囲が無人かトウテツのみだった場合、奴らはぼうっとうろついているだけなのである。
 だが、視覚と聴覚は働いている。見つからないようにするには細心の注意が必要なことに変わりはない。一度、全員で車の影に隠れてトウテツの様子を窺う。

「ねえ創ちゃん、天ちゃん、ちょっと考えがあるんだ」

 そう言うと郡山は駐車場に転がっていた石ころを手にとって見せてきた。

「陽動か」

 郡山も恐らくトウテツの特徴を把握したのだろう。駐車場の出入り口とは真逆へと石ころを放り投げた。放物線を描いたそれは車の扉部分に当たった。静かな駐車場内に僅かな音が広がり、トウテツがゆっくりとそちらへ向かい始めた。

 式谷と郡山がアイコンタクトし、いざ駐車場から脱出しようと立ち上がった矢先────耳をつんざく警報音が鳴り響いた。それは石ころを投げつけた駐車場の奥ではなく、信じられないことに俺達の隠れている車が発報したのである。

「ただ、これに手をついただけなんだ!」と一人の男が身振り手振りで伝えている。車が揺れたことで誤作動してしまったのだろう。

 警報音を聞いたこともないフォルクス含むリースの人間らはすっかり腰を抜かして、ライトが明滅する車を見つめている。
 そして何より、大音量で垂れ流されるこの警報音は、トウテツをおびき寄せるには十分すぎた。駐車場の入り口からトウテツらがなだれ込んできた。

「ここはもうダメだ。式谷、ロビーに戻るぞ」

 式谷は一度頷いた後、至って真剣な面持ちで俺の目を見て言い放った。



「────トイレに行きたいです」



 何を言っているのだこの女は。

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